第11話


 帝国歴564年、9月。


 自由都市グリニツィン、

 ヒンターグリュネハーフェン地区、

 聖メドゴイツェ都市共和国第二商館。


 「長年、ご所望のものにございます。」

 

 ヴァビンブルク商会員、メルセルクは、

 ターバンを巻いた精悍な容姿を、

 誇らしげに歪めた。

 

 モーグ帝国は、その全盛期において、

 中原世界の大宗をあまねく支配していた。

 その躍進の原動力は海軍力にあり、その要が。


 「詳細な解読を要しますが、

  ランプロスの製法に間違いございません。」

 

 現代で言えば、手動式火炎放射器に当たる。

 自由都市同盟の物流が回復し、大和約が成った今となれば、

 原材料の入手ルートには困らない。

 

 そして、今のクライス達は、

 中原最高水準の技術スタッフを擁している。

 

 羊皮紙を受け取ったグリュン・フォン・グールドは、

 5年前のことを思い出していた。

 

 (おねだりをしていいかな?)

 

 グリニツィンの保護者として名乗りを上げる遥か前。

 まだ、流浪の亡命少年貴族に過ぎなかったクライスが。

 

 (ランプロス。

  天使の火、だったかな。

  必ず、僕らに必要になるから。)


 まさに、いま、必要になる。

 タイミングの良さに身震いしながら、

 グリュンは整備された道を小走りで進む。

 

 レ・リュクスの天蓋つきのベットで

 安らかに安眠を貪っているであろう、

 地上で最も美しい悪魔に復命するために。


*


 帝国歴564年、10月。


 グリュンワルド王国、

 王都ルサチア第一王宮、大熊の間。

 

 「某を、にございますか。」

 

 シルベルド・フォン・メッサー伯爵は、

 君主の発言を思わず聞き返してしまった。


 「うむ。

  ハビヴィト侯爵家とは、

  遠い縁戚であったと聞いておるが。」


 寝耳に水もいいところだった。 

 確かに、三代前まで遡れば血は繋がっている。

 こんな理由で決まるなら、多くの貴族が

 

 「卿を元帥にするには、

  伯爵では聊か軽重に難があってな。」

 

 シルベルドにとって、

 元帥位は、喉から手が出るほど欲しい。

 元帥になれば、軍務卿か、王国軍総司令の栄職が見えてくる。

 そうすれば、武官職からの宰相すらも。

 

 「領地替えになるが、構わぬかの。」

 

 メッサーには、小さな湊があるだけで、

 領地の広さも、人口も、桁がひとつ違う。


 シルベルド・フォン・ハビヴィト侯爵。

 二年前には考えもしなかった栄達が、

 突如として、自分の前に転がり込んで来る。

 身震いするほどの喜びに浸りながら、

 

 「恐悦至極にございます。」

 

 素直に口に出すシルベルトを見て、

 宰相ヘルドリヒは苦笑いを隠すだけだった。


*


 帝国歴564年、11月。


 マルルバード王国、

 王都、ヘールヴァール、鷲の間。

 

 「父上が手を拱いているからですぞっ。」

 

 王太子、カールヴァーンは、

 父に向かって吐き捨てるように叫んだ。

 

 「このままでは、ベルガは孤立し、

  我らの夢は絶たれまするっ。」

 

 マルルバード王家は、直系ゲーザ朝の男系の血が絶え、

 ベルガ公に嫁いだ母系王家であるベルガ=ゲーサ朝となっており、

 ベルガ公家の継承、南中原の統合は悲願である。

 

 ただし、それは外来王家の外来王家による外来王家的な都合であり、

 血統上も南中原に縁の薄いマルルバードのマグナート達は、

 王家ほどには思い入れはない。

 

 跳ね返りに過ぎない傭兵を使ってグリニツィンの制圧を図ったり、

 リュッツェンに媚薬を嗅がせたりといろいろ手を打ったが、

 王国正規軍を用いて制圧に取り掛かる条件が整わないうちに、

 自由都市同盟なる面妖な勢力が立ち上がってしまったのである。


 「ラコニア国境に憂いはありませぬ。

  先の賠償を用いれば戦費も十分ありましょう。

  今こそ南中原を奪還すべきっ!」

 

 意気軒高に叫ぶ王太子カールヴァーンと、

 国王クシャルの熱量は真逆だった。

 

 「惰弱王が偽りの仮面を脱ぎ捨ておった。

  下手に動けば、ロトリンのように挟撃されてしまうわ。」

 

 あれほどの強勢を誇ったロトリン大公国は、

 いまや自領内の貴族の専横を抑えきれず、

 解体の危機にすら瀕している。

 

 不安そうに眼を伏せる王子イムレを一瞥しながら、

 クシャルは、含めるように王太子を諭した。

 

 「東方の動きも気になる。

  いまは英気を養い、領内を団結させる時ぞ。」

 

 クシャルはまったく正しかった。

 しかし、正妃の一粒種であるカールヴァーンを廃嫡する決断には至らなかった。

 この不決断が、中原最大の大国、マルルバードの運命の分岐点になると、

 誰が思ったであろうか。

 

*

 

 帝国歴564年、12月。


 グリュンワルド王国、

 王都ルサチア第一王宮、大熊の間。

 

 「うまくいきましたな、陛下。」

 

 宰相、ベスマイヤー侯ヘルドリヒは、

 意地の悪い笑みを漏らした。


 「うむ。」


 シルベルド・フォン・メッサーは、

 ハビヴィト侯爵領に入り、さぞ愕然としたであろう。

 

 確かに、人口はメッサー伯爵領の五倍にあたる大領である。

 しかし、それは軍役帳簿上の話。

 実際は苛斂誅求を嫌った農奴の逃散に次ぐ逃散が重なり、

 人口は半分に減少している。

 

 そこまでして捻出した資金の大半は、

 弟を殺めるための暗殺教団に向けられてしまっており、

 先般の出征時の無理も祟り、領庫には蓄えがほぼなにもない。

 

 農政の不味さや折からの天候不順も重なり、

 いまや飢饉寸前の状態にある。

 

 「シルベルトの内治の才が突如花開けば面白いがの。」


 「まさしく。」

 

 宰相ヘルドリヒは分かっていた。

 これが、愛した女の一粒種への、

 きわめて迂遠な贈り物なのだと。


*


 帝国歴565年、3月。


 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。


 「なんとか、落ち着きましたな。」

 

 うん。

 

 「ご実家から、閣下を慕った領民が

  大量に流れて来られるというのは、

  人徳の賜物ですな。」

 

 あのバカ野郎の領政が滅茶苦茶だっただけだろ。

 まぁ、陛下との和約と自由都市同盟がなければ、

 とてもここまで着かなかっただろうけれど。

 

 「同盟諸国内の開墾地を割り振れたのも大きかったですぞ。

  各領地で閣下の新農法を試すことができましたしな。」

 

 あぁ。

 トゥルナの奴、生産マニアの血が騒いでるな。

 あんな煩瑣なもの、よくできるよなぁ。

 俺なんて表計算ソフトのソート機能なきゃ

 マイクロマネジメントなんて絶対やだよ。


 「同盟市間を繋ぐ街道整備を

  早急に進めねばなりませんな。

  物流もさらに活発になりましょう。」

 

 その発想はドブリューっぽいんだけど。

 

 「却下。」

 

 「閣下?」

 

 「いまは、ね。

  その手のことができるのは、

  早くても、再来年ってとこだよ。」


 「と、申しますと。」

 

 「閣下。」

 

 あぁ、ランドルフ。

 お前のその鷹の眼は、凶兆を運んで来る宿命だな。

 

 「マルルバード王国軍、

  同盟市の北限、メピアに侵攻を開始しました。」

 

 「!?」

 「!!!」

 

 「数は。」

 

 「凡そ、五千。

  総指令官は王太子カールマーン。」

 

 正規軍、かぁ。

 傭兵隊のように防衛に徹して資金切れを待てない。

 やっかいきわまりないな。

 

 「同盟軍、使えるかな。」

 

 「閣下の差配次第ですな。」

 

 言ってくれる。


 ……ふう。

 しかたない、か。

 

 「ランドルフ。

  きみには、これを。」

  

 「……これは。」

 

 「ただの杖帝国祭司の杖

  まぁ、きみが持って行くべきだよ。

  

  男爵ランドルフ・フォン・ブラウフォルツ。

  卿には同盟北部方面軍の全指揮権、全徴発権を委ねる。

  戦時中は報告無用。卿の命を我が命とせよ。」

 

 「御意に。」

 

 「グリュン。」

 

 「は。」

 

 「を配備。

  卿が指揮して構わない。」

  

 「はっ。」

 

 「ベネディクトゥス、

  地下教会に

 

  

  分かるね?」

 

 「はっ。」

 

 火の粉は、払う。

 そして、侵略者は、

 骨の髄を砕き、魂の底まで焼き払う。


 「メルル。」

 

 「はい、クライスさま。」

 

 「……きみのを、借りるよ。

  ともに地獄に堕ちよう。」

 

 「はい。」


 と、その前に。

 

 「メルル、今日のおやつは何かな?」

 

 「はい。

  ベスティアのモッツアレラを使ったトルタ水牛チーズケーキのタルトになります。」

 

 ……あはは。

 ベルガ産、か。

 なんという皮肉だろう。

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