第2章

第9話


 帝国歴564年、3月。

 

 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。


 「おかえりなさいませ、クライスさま。」

 

 「……うん。」

 

 「……どうか、なさいましたか?

  あの、クライスさま?」

 

 「……。

  ランドルフ。」

 

 「は。」

 

 「きみが兄さまから追われた理由が、

  少しだけ、分かった気がするよ。」

 

 「……。」

 

 「……。

  あんなもの帝冠

  譲られたところで、守れるわけがない。

  違う?」

 

 「まさしく。」

 

 「なら、どうして。」

 

 「奪われぬだけの力をつけて頂きたく。」

 

 「……簡単に言うね。」

 

 「クライスさまなら、おできになりましょう。

  この混乱した中原を」

 

 「そのつもりの人なら、沢山いるでしょ。

  クシャルマルルバート王にせよカルルロトリン大公にせよ。」

 

 「彼らの侵略癖につき従う民にとっては、

  永遠に続く地獄の路になりましょうな。」


 「言っておくけど、

  僕は、領地すらないただの准男爵だよ。」


 「閣下。」

 

 「……なに。」

 

 「閣下は、いますぐ王位を、

  少なくともグリニツィン公位を名乗ることができます。

  蛮族より帝都を奪還し、カリン教皇の庇護者であらせられる閣下は。」


 「……はは。

  そんなことをしたら、大国が皆、勇んでこっちを襲ってくるよ。

  撃退し続けるにせよ、無駄な血が流れる。

  それこそ、マルロー家のように。」


 「そうはなりますまい。

  それは、お分かりになられますな?」

 

 「……まぁ、そうだけど。

  でも。」

 

 「目立ちたくないのであれば、

  宿を買収するだけで済ませるべきでしたな。」

 

 「……だって、理由なく没収して来るんだもん。

  護るしかないじゃん。」

 

 「そういうことです。

  我々は、護るしかないのですよ。

  理不尽な世界と、道理を破却する侵略者達から。」

 

 「……はぁ。

  国王陛下の御身も、護らないといけないわけか。」

 

 「ご賢察ですな。」


 「そこまで言った以上、

  ランドルフには死んでもらうけど、いいの?」

 

 「もとより、覚悟の上です。

  それが騎士の定めにございますれば。」

 

 「……

  騎士の誓い、か。」


 「まさしく。」


*


 帝国歴564年、4月。


 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。


 「南中原の自由都市のうち、

  凡そ半数は相互防衛同盟の誘いを受諾しました。

  ……予想以上、ですな。」

 

 ……まぁ、うん。

 俺もここまでとは思わなかった。

 

 「寄進の効果は、相乗のようです。

  教皇クレメントが聖地モーグの首教座に戻ったことで、

  カリン教の権威が強まり、

  それを庇護する閣下の権威は飛躍的に高まりました。」


 ただ、

 

 「人口でいえば、せいぜいのところ、南中原の三分の一程度ですな。

  パルモ自由商業都市や、カエターニ公国、ベルガ公国、

  モローニ伯領などの有力諸侯は不参加を決め込みましたから。」


 「カリンの名の元に討伐しますか。」


 どうしてすぐ手を出したがるの。

 血の毛が多いな。元暗殺者だけに。


 「不毛だよ。

  これらの街や領土は、大国とも交渉力を持つ、

  あるいは持っていると思い込んでいる。

  ならば、いったんは捨て置いてしまっていい。

  

  そもそも、神の名を使いすぎると、

  カリン教の力が大きくなりすぎる。

  その場合、異教徒の所領の扱いがややこしくなるし、

  こっちの権威も揺らぎやすくなる。

  

  それに。」

 

 「それに?」

 

 ……、か。


 「……まぁ、それはおいおい。

  いまは、同盟国の精査をしていく時かな。」


 やれやれ。

 レストランの上の階でゴロゴロしてただけで、

 なんでこんなことになるんだか。


*


 帝国歴564年、5月。

 

 グリュンワルド王国、

 ハビヴィト侯爵領都プラッツ、第二執務室。


 クレーゲ・フォン・ハビヴィトにとって、

 めでたい日々が続いていた。

 いまいましい父コンラートが、遂に息を引き取ったのだ。

 

 父が病に倒れた時、その日のうちに殺したかったのだが、

 主治医から毎日毒薬を呑ませ、絶望のうちに殺す延命措置ことを提案され、

 しぶしぶ引きざがった。


 だが、その毒薬寿命は遂に、

 自らの覇業の妨げとなる男を、永久に取り除いでくれた。


 父の死後、最初に行ったことは、

 ランドルフの後任の家宰に、

 各種の税の引き上げを命じることだった。


 「先の戦で多くの兵員を喪った以上、

  ただちに補充する必要がある。」

 

 「し、しかし。

  陛下より賜った報奨金で十分では。」

 

 これだから文官は。

 

 「戦争の仕方が変わる。

  騎兵隊の破壊力は圧倒的だ。

  歩兵など、ひとたまりもなく踏みつぶされる。」

 

 圧倒的な騎兵隊を組織し、

 ロタリン大公が混乱する中で、

 西中原、ひいては中原全土の覇者となる。

 

 大国同士の大戦争がクレーゲに抱かせた野望は

 肥大化する一方だった。

 

 そんな時。

 

 「なん、だと!?」

 

 クライス・フォン・ヴァッサー=ハビヴィト。

 

 カリン教皇クレメントの庇護者にして、帝都復興の立役者。

 南中原の解放者にして、自由都市同盟の主催者にして盟主。

 

 自分の知らないところで、

 自分よりも遥かに強大な地位を勝手に築いていく弟。

 

 クレーゲは、

 思わず妻を激しく殴打し、

 倒れた妻に向かって唾を吐き捨てた。

 

 いずれ、この弟は、

 言いがかりをつけて、自分の地位を奪いに来る。

 

 驕慢と恐怖、懼れと苛つき。

 

 殺しておくべきだった。

 殺したい。殺さなければ。

 絶対に殺しておくべき。

 

 苛斂誅求によって得た資金は、

 民政でも、軍政でもなく、

 弟の暗殺を請け負うに、

 惜しげもなく注ぎ込まれていく。


 これだけの数の暗殺団が同時に押し寄せれば、

 そのどれかは、あのいまいましい弟を屠れるだろう。

 クレーゲの曲がった唇が、愉悦に歪んだ。

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