第8話


 帝国歴564年、1月。


 ロトリン大公領、領都サブロン。

 ロリーレ城内、大公執務室。


 「なん、だとっ!?」

 

 ロトリン大公カルルは、

 怒りのあまり我を忘れた。


 カルルのいない間に、

 いつのまにかグリニツィン全域を実効支配している

 クライス・フォン・ヴァッサー=ハビヴィトの名で、

 グリニツィンのオスツァイテ地区、及び湊町リュッツェンを、

 カリン宗教領に寄進したというのだ。


 「これが、あの惰弱王のやり口だとでも言うのかっ!」

 

 グリュンワルド王国ハビヴィト侯爵の次男、クライスの名を、

 カルルがまったく知らないわけではなかった。

 しかし、8歳の時、長男クレーゲに殺されたと報告されている。

 敵国の、必ずしも主流とは言えない一侯爵領の内紛に関わるほど、

 ロトリン大公、次期ラコニア国王カルルは暇ではなかった。


 それから7年して、急に歴史の表舞台に登場し、

 自分が長年温めていた中原統一の秘策を、

 こともなく使われてしまった。


 自分が描いていた帝冠への道が崩れた音を、

 老大公の耳は、はっきりと捉えてしまった。


 殺しておくべきだった。

 絶対に殺しておくべきだった。

 オスツァイテの傭兵隊などに、

 関わり合っている場合ではなかったのだ。


 「殿下。

  敵勢、ランヌに攻勢を開始しました。

  増援を求められております、」


 客観的に見れば、

 突如として南中原に現れたグリュンワルド王領が、

 ロトリン、いやラコニアを、上下から挟撃しようとしている。

 

 実態は全然そんなことはないのだが、

 帝冠への夢を奪われ、自らの領都近くを敵に攻め入られている状況は、

 敵の存在を必要以上に巨大に感じてしまう。


 この状況下では、

 マルルバードと和平を結ぶしかない。

 

 老大公が5か月早くこの考えに達していたら、

 南中原の情勢は変わっていたかもしれない。

 白紙和平で済んでしまっていたら、

 クライスとて、こうも大胆な策謀は打てなかったろう。

 

 今や、情勢は変わった。

 二大国から自領に攻められている以上、

 領地を割譲しない限り、和平には応じない。

 

 それでも、構わない。

 

 カルル老大公は、

 歴戦の大貴族としての冷静さを取り戻しつつあった。

 本当に冷静であれば、

 それが自らの致命傷になると分かったであろうに。


*


 帝国歴564年、2月。


 マルルバート王国とロトリン大公国の和平が成った。

 オストバルトの割譲と賠償金、10万ディナル。

 カルル老大公にとって安くない取引だったが、

 これで、グリュンワルドの惰弱王に対峙できる。

 

 そのはず、だった。

 

 「なん……だとっ!?」

 

 「ですから、選定侯会議は、

  次期ラコニア国王に、

  ダルク公ルイを選出する運びであると。」

 

 信じられなかった。

 あれほどの資金を投じて工作をしてきたはずなのに。

 

 「グリニツィン寄進で流れが変わりました。

  同胞であるカリンの門徒同士で争っているよりも、

  今こそ異教徒と戦い、モーグ帝国の旧領を回復すべきと、

  両司教座が叫んだようですな。」


 絶対に相いれない筈の、

 媚薬を嗅ぐだけに堕した両司教座が、

 よもや、自分の代に声を揃えるマルロー家の策謀とは。


 「グリュンワルド王の白紙和平案を断っておきながら、

  マルルバードにはオストバルト割譲を決められたことも響きました。

  我らについてもマルルバート王領を切り取れないなら、

  いっそ南に狙いを定めたほうが良いだろうと。」

 

 ロトリン大公国は領土拡張によって貴族達を味方につけてきた。

 拡張できないなら、頭を挿げ替えたほうがいい。

 ラコニアの貴族は、基本、自領大事の現実主義で動いている。


 「正直申し上げて、戦費の借入先がございませぬ。

  商業共和国の連中も、足元を見始めております。」


 老大公は、がっくりと頭を垂れた。

 自分が50年かけて造り出してきた大公国が、

 500年の栄華を作り出すはずだった構想が、

 いまや、足元から崩れ落ちようとしていた。


*


 帝国歴564年、3月。

 

 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。

 

 「メルル、今日のおやつは何かな?」

 

 「はい、クライスさま。

  今日はガリツィアのトルテにございますよ。」

 

 あぁ、チョコレートケーキか。

 南側の海賊が暴れてるからめちゃくちゃ高いんだよね。

 どうやって入手してるんだろな。聞かないことにしよう。


 まぁリュッツェンも開城したからなぁ。

 東側の物資は入手しやすくなるはずだよ、きっと。

 んでも東側なんて美味しいものあるのかな。

 めぼしいものなんて宝石と毛皮しかないような。

 あぁ、まぁ肉を

 

 「閣下。」

 

 ん?

 なにかなカウカッソス。

 

 「さきほど、

  が階下にお見えです。」

 

 「!?」

 

 え゛

 

 「仮の俗名を名乗っておられますが、

  先ぶれより、閣下おひとりへの引見を求められております。」

 

 事前にまったく聞いてないけど。

 

 「こちらも、把握はしておりませぬウソ。」

 

 随分失礼なことを。

 領主権のことはちゃんと釘指してるよね。

 

 「無論にございます。

  おそらく、非公式、極秘のご訪問かと。」

 

 根回しもせずトップのみ折衝?

 とんでもない人だな。組織として大丈夫か?

 

 「いかがいたしましょう。

  閣下の一存でお帰り頂くこともできます操りが。」

 

 いや、何言ってんの。

 一応、お隣にお住まいになられるわけだから、

 こちらから非礼はできない引っかかった人でしょ。

 

 「ただちに二階の貴賓室にお通しして。

  言うまでもないけど、礼を尽くして。」

 

 「は。」


*


 次期教皇の呼び声も高い

 ロタリノ・ディ・コンティ枢機卿は、

 擬態用の緩い平修道服姿に身を包みながら、

 内心、舌を巻いていた。

 

 神学者であったロタリノの生涯は、

 荒野と掘っ立て小屋の清貧に抱かれながら、

 神の恩寵を待ち臨み日々を過ごす、従順だが無防備な信徒たちを率い、

 略奪と強奪を受け続けながら、どうにか命脈を保ってきたに過ぎなかった。


 旧帝国領の貴族の中で、

 旧帝国を崩壊に導いた信徒の側に立つのは

 今や、ごく僅かに過ぎない。

 

 教会の祭壇すら公然と破壊される末世にあって、

 クリンゲルバウムの整然たる清潔さと豊かさは異常であり、

 丘の上のグリュネアレーは、

 物語の中だけにある古の静謐な帝都を思わせた。


 この街を、たった一人で作り上げたのが、

 目の前にいるこの紅顔の美少年だとは。

 

 「御尊顔を拝し恐悦にございます。

  遠路はるばるよくおこし頂きました。

  誠に大変な道程であらせられたものと。」

 

 神の恩寵を受けし者。

 クラウスの容姿を間近に見た者が誰しも抱く感想である。

 それは、次期教皇ロタリノですら、例外ではなかった。

 

 「幸いにして、地下教会が残っていたのが幸いでした。

  神のご威光の賜物と言うべきなのでしょう。」


 オスツァイテの階上は数度の強奪により、

 直近では傭兵団により徹底的に破壊された。

 一方、地下教会はマルロー家により密やかに護り抜かれ、

 新教皇の仮御所を設置する程度には設備が残っている。


 そのことは、互いによく知っている。

 

 自らの直観を確信したロタリノは、

 たった一人で、修道服の中に隠し持っていた、

 ずっしりと重い宝物を、紅顔の美少年の目の前に出した。

 

 「……これ、は。」

 

 ランドルフがロタリノに口にした、第三の条件。

 

 「帝都強奪以来、歴代の信徒が、300年に渡り、

  命を懸けて護り抜いたものにございます。」

 

 既に存在しないものと思われていた。

 最も著名で、それゆえに、最も狙われやすい宝物。

 ロタリノは、あえて重々しく告げた。

 


  「こちらが、

   モーグ皇帝の帝冠にございます。」

 


 蝋燭の灯に煌めく宝石達の圧倒的な輝きが、

 厳粛な歴史の重みを感じさせている。

 未開の中原世界を、その武威と技術力により制圧し、

 300年に渡り、黄金の平和と繁栄を現出したモーグ帝国。

 

 ロタリノは、一瞬の逡巡の後、

 自ら定めた運命に、賭けることにした。

 

 「クライス・フォン・ヴァッサー=ハビヴィト閣下。

 

  万物の主、罪人らの救い主、

  我らの全一なる神とカリンの名に誓って、

  こちらを、貴方様にお譲りしたく存じます。

  南中原の解放者であり、中原全土に光を齎すであろう貴方様に。」



転生した侯爵令息は、都市型スローライフを満喫する

第1章

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