第7話


 帝国歴563年、10月。

 

 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。

 

 「……やっぱそうなる?」


 「はい。

  書庫を地下二階に作るしかないかと。」

 

 うーん。

 そうなるともう、

 メルルがいないと本が読めないじゃないか。


 「わたしは

  いつでも、どんなときでも、

  クライスさまのおそばにおります。」

 

 といっても、メルルも結婚適齢期だしなぁ。

 この世界、結婚年齢早いんだよね。

 俺ももう2年くらいにいたら、

 絶対に婚約者を見定められたと思う。

 

 「わたしは、命尽きるまで、

  クライス様のおそばを離れません。」


 うーん。

 確かに、メルルの代わりは

 そう簡単に見つからないけど。

 実質、メルルにもいろいろ捌いて貰ってるし。

 

 ……

 要するに、俺がここを出たくないだけなんだよな。

 なにもかも都合よく揃ってるし。

 

 ただ、なぁ。

 ドブリューに言われるまでもなく、手狭になってきてるのは確か。

 ランドルフの連れてきた従士もいるし、

 4階だけでやりくりできるレベルは超えてる。


 上層を作るんじゃなければ、

 隣の建物と繋げるか、下を掘るかしないと。

 

 この宿は丘の上にあって、平地はこれしか取れないし、

 隣の建物は最初期にメドゴイツェが買ったものだから、

 実質的に大使館だしなぁ。

 

 うん。いいやもう。

 こうなったら下を掘るしかないな。


 「ドブリューに見積もらせて。」

 

 「はい、クライスさま。」

 

 ……なんか、乗せられた気もするな。

 まぁ、いいけど。


*


 帝国歴563年、11月。

 

 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、

 聖メドゴイツェ都市共和国第一商館。


 「あえて率直に申し上げれば、

  当方としては、それが一番ありがたいですな。」

 

 メドゴイツェを牛耳る都市評議会の会長、

 タルサ・ヴァビンブルクは、好々爺の表情を崩さなかったが、

 言っていることは過激そのものだった。

 

 「我らにリュツェンを攻略せよ、と?」

 

 家宰、ランドルフ・フォン・ブラウフォルツは、

 相手の空気に乗らぬよう、あえて直截的な言葉を選ぶ。

 

 「そうは申しませんが、

  閣下のご威光が及ぶようにして頂きたいものですな。

  いや、これは勿論、ただの繰り言にございますよ。」

 

 オスツァイテの東側の村は、略奪され放題の状況にある。

 トゥヴェリ卿に略奪され、傭兵団にも踏みにじられた。

 古代から存在する城塞港湾都市リュツェンだけが、

 かろうじて人口を養っている。

 

 そしてこのリュツェン、自らが生きるために

 対岸のメドゴイツェに、何度か略奪を仕掛けている。

 

 もともと、メドゴイツェは

 半島の公国ベルガを経由する南方ルートで交易をしていた。

 オスツァイテが略奪者であるトゥヴェリ卿の支配下にある以上、

 クリンゲルバウムとの交易は迂回路以外ありえなかった。

 

 しかし、いまやオスツァイテは物理的に消滅した。

 クリンゲルバウムの技術力ならば、旧帝国街道を復旧させられる。

 そうであれば、陸路を介したほうが安くて早い。

 それに。

 

 「南方も少々きなくさくなりましてな。

  ベルガも海賊を抑えきれぬ状態で。」

 

 ベルガ公国は、南中原の南端に位置する海峡公国であり、

 南方航路の安全を維持してきた。

 しかし、海千山千の公主ラドカシュが重病の床に着き、

 お家騒動の状態に入りつつある。

 今や、公国周辺の海域を超えてしまうと、

 海賊の跳梁跋扈を許してしまっている。

 

 「勿論、我らも航海兵を雇い入れてはおりますが、

  貴領に対しては、別の安全かつ迅速な交易ルートを開きたいというのが

  正直なところですな。」

 

 「我らへの見返りは。」

 

 「そうですな。

  を格安でお譲りする、というのは。」

 

 「……検討させて頂く。」

 

 うかつにも言質を与えてしまったランドルフの渋い顔とは対照的に、

 タルサ・ヴァビンブルクは、皺の刻まれた顔面に、快心の笑みを浮かべた。


*


 帝国歴563年、11月。

 

 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。

 

 「……あはは。」

 

 さすが中原有数の商業都市だ。

 この程度のことは、洩れていて当然なのだろう。

 好悪嗜好漏らすべからず。ほんと向いてねぇなぁ領主業。

 

 「誠に恐懼の極みにございます。

  なにとぞ臣に死を賜りたく。」

 

 「是非に及ぶものではありません。

  それよりも。」

 

 確かに、考えて置くべきことではあったんだよな。

 オスツァイテにできた権力の物理的空洞を、

 誰がどう埋めるかという話だが。


 ただ。

 

 「普通にやれば、

  マルルバードを刺激するよね。」

 

 「然り。」

 

 マルルバードからすれば、リュツェンは、

 南中原に繋げる動線の一つだ。

 トゥヴェリ卿を通じてグリニツィン全域を支配した暁には、

 マルルバード本国と海路で繋げるために、

 リュツェンを挟撃しただろう。

 

 なので。

 

 「ここはまぁ、

  秘策を使うしかないと思ってるんだけど。」

 

 「秘策、

  に、ございますか?」

 

 うん。

 

 「に、お帰り頂くわけだよ。

  三分の一、いや、十分の一だけ、かな?」


*


 帝国歴563年、12月。


 カリン宗教領、

 領都カリン聖主教会、総主教機密室。


 「寄進、にございますか。」

 

 応対に当たったロタリノ・ディ・コンティ枢機卿は、

 年甲斐もなく驚愕してしまった。

 ここ100年間、まったく想定していない言葉だったからだ。

 

 「さよう。

  東半分でよろしければ、ですが。」

 

 東半分といっても、破壊されたオスツァイテである。

 面積は三分の一だが、価値としては十分の一しかない。

 

 しかし、略奪と強奪が日常茶飯事の末世に、

 寒村に毛が生えた町を三つ程度、

 かろうじて支配しているだけの落ちぶれたカリン宗教領に

 寄進するなどというのは、酔狂以外の何物でもない。

 

 殉教の地、五大聖地の首座、モーググリニツィンの旧名に戻れるのであれば、

 宗教上の権威は計り知れない。

 この交渉をまとめれば、空位状態の教皇位が見えてくる。

 

 黒の法服が、ゆるりと揺れた。

 

 「……条件は。」

 

 「細かいところは後々詰めることになりましょうが、

  大きなところを三点ばかり。」

 

 「……お伺い、致しましょう。」

 

 「第一は、世俗のことに関しては、

  我が主の領主権に服して頂きます。」

 

 旧帝国時代は考えられなかったが、

 司教領が公然と領主に強奪される末世にあっては、

 この条件はむしろ当然と見なされている。


 「第二は、貴主の手で、

  リュッツェンを開城して頂きたい。」

 

 これこそ、クライスの秘策。

 リュッツェンは、かつてはカリン宗教領の付属地だった。

 聖座恢復の上、教皇直々の説諭となれば、

 リュッツェンの態度も変わるかもしれないと。


 (だから、この一押しは効くはずだよ。)


 「開城の暁には、

  外交上の我が主の主権に服することと、

  我が主の認めた者メドゴイツェの自由移動権と引き換えに、

  リュッツェンを貴主に寄進致します。」


 「!

  それは。

  しかし、誠によろしいので?」

 

 これを認めると、

 オスツァイテからリュッツエンまでの広大な地域を、

 カリン宗教領が回復することになり、

 南中原における自由都市間のパワーバランスは崩れる。

 

 「約束を違えぬなら、

  わが主はそれで構わないと申されております。

  今世のカリンの者は約束を違えぬだろうと。」

 

 この見立ては、間違いではない。

 旧帝国時代の堕落した宗教組織と違い、

 零落したからこそ、カリンの宗教組織は純粋になっていた。


 「……あと、一つは。」

 

 これは、クライスが口にしなかった条件であり、

 いわば、ランドルフの独断による追加条項である。

 

 「これは、あくまでも、

  さきほど述べた二つが首尾よく成就した暁に、ですが。」

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