第5話
ロトリン大公国。
今や、西側中原世界、最大の国である。
マルルバード王国との戦いは、
相手国戦線の乱れもあり、有利に進んでいる。
年内にも有利な条件で和平が結べるだろう。
大公家当主であり、次期ラコニア国王と見なされている
カルル・ド・ロトリンは、戦場を満足そうに見渡した。
この戦いが終われば、いよいよ南中原である。
分裂した自由都市達に城下の盟を誓わせ、
旧帝都、グリニツィンを制圧する。
そして、忘れられたカリン宗教領にグリニツィンを献上し、
300年の間、久しく失われた中原帝国モーグを再興する。
もちろん、その主となるのは自分である。
ロトリン=モーグ朝が、
次の500年、中原を、世界を支配する。
そのために
今や、最大勢力であったオスツァイテは壊滅し、
旧帝都であるゾイレ地区も壊滅的な打撃を受けた。
時は、いま。
我らこそが、正当な
「殿下。」
心地よい妄想が揺るがされたことに不愉快な想いがしたものの、
歴戦を潜り抜けた君主であるカルルは、
顔に出さないような工夫を施し、無機質な眼をした自らの宰を促す。
「グリュンワルド軍が、国境を侵犯しております。」
最も聞きたくない言葉が、耳を打った。
「あの惰弱が、か?」
グリュンワルド王マルドは、
各中原領主や一般庶民にまで惰弱王と侮られている。
一度の戦争で敗れて以来、兵を一切用いないのだと。
だからこそ、マルルバードとの戦いを起こせた。
現に、戦争が始まって数か月経過したのに、
一切、兵など用いていなかったはずだ。
「
「チッ!」
思わず舌を打ってしまった。
凄まじい行軍速度だ。
まるで、サブロンだけを狙っているような。
もう少しで、歴史的偉業が、帝冠が見えるというのに。
万が一サブロンを抜かれたら、選定侯達に侮られる。
下手を打てばラコニアの王冠すら危うい。
「あの惰弱王、どういうつもりだっ。」
口に出せば危機が終わるわけではない。
そんなこと、老練なカルルは百も承知だが、
それでも、言わずにはおれなかった。
脳内の帝冠をいったん諦めたカルルは、
マルルバード戦線での渡河を諦めて防衛線の構築に切り替え、
余剰兵力をただちに領都地域防衛に振り向けるよう命じた。
*
帝国歴563年、7月。
自由都市グリニツィン、
クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。
「
あぁ……。
ろくな目に合わないだろうなぁ……。合掌。
「この戦勝で箔がつけば、
侯位襲爵は問題なく行われるものと。」
そうあってほしいような、ほしくないような……。
こっちにちょっかいを出さなければなんでもいいんだけど。
っていうより、ランドルフなしでちゃんとできんのか?
「王国の司令官は誰なの。」
「メッサー伯爵と聞いております。」
第一騎士団長かよ。
脳筋じゃん。不安しかないな。
いいタイミングで和平交渉できるタイプじゃない。
あぁもう、無秩序なことになるなぁ。
この作戦、民の被害が大きすぎる。
愛すべき国王陛下にもう一筆書こう。
「閣下。」
ん?
「自由都市ノイブルクが、
閣下の庇護を求めております。
戦士の忠誠を誓うと。」
は?
「ノイブルクは、
モーグの遺民を収めた誇り高い街と聞いているが。」
うん。
やっぱりランドルフがいてくれるとバランスがいい。
常識人だから。
「まさしく。
マルロー家が閣下の軍門に下ったことが大きいかと。」
軍門っていうか、再建上の協力関係だけどね。
まぁ、お金は貸してますが。
「罠の可能性はほとんどないと思われます。
ノイブルクの遺民は既に数十人程度です。」
……略奪に略奪と略奪しかされてなかったな。
ひでぇ世界だよ、まったく。
「クリンゲルバウムと同じで、
帝国の遺構が残されていますから、
開発すれば拓けるものと。」
うーん。
ドブリューは土木屋だから。
「正直申し上げると、
クリンゲルバウム周辺の農地には
既にほぼ必要人数が貼り付いています。
いかに
養える人口にも限りがありますれば。」
貿易で輸入しようにも、
大国同士の戦争で農地が荒れてるんだよなぁ。
戦乱時は食料の安定供給は大事。
ダイヤモンドよりパンの世界。
うん。
「男爵ランドルフ・フォン・ブラウフォルツ。」
「!
はっ。」
「卿は今日より、
ヴァッサー=ハビヴィト家の家宰である。」
クビにしたんだったら、貰うわ。
「ははっ!」
「ノイブルクとの交渉を卿に一任する。
なお、グリュン・フォン・グールドを補佐に着ける。
存分に用いるが良い。」
「御意にございます。」
はは。
グリュンが嫌がりそうだなぁ。
で、と。
「今日のおやつはなにかな、メルル?」
「はい、クライスさま。
今日は
ほほぅ。
このあたりも暑くなってきたからな。
「メドゴイツェ産のツィトローネで
シルップを作ってみました。
シルップはクライスさまのレシピ通りに。」
おおぅ、それはありがたし。
このへんのシロップはちょっと変わってるから。
「アマルガが店に出したいそうですよ。」
「出して。」
「よろしいので?」
「うん。
露骨なご機嫌取り。」
「あはは。そうですね。
かしこまりました、クライスさま。」
あぁ、
この街は今日も平和だなぁ。
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