第4話


 帝国歴562年、10月。


 自由都市グリニツィン。

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。


 「メルル、今日のおやつはなにかな?」

 

 「カスターニャクレームのクーヘンモンブランになります。」

 

 ほほほぅ。

 それはまた季節感たっぷり。

 

 「閣下の地元近くですな。

  レフテンワルド子爵家からのご献上品です。」

 

 ん?

 献上品とな。

 

 「フィンタニス掃討戦の時に、

  レフテンワルド子爵のご令嬢がおられましたからな。」

 

 あら、そんなことあったっけ。

 

 「クライスさま……。」

 

 ま、そのおかげでおいしいものを食べられるならよきよきだよ。

 ふふ、ふふふふ。


*


 同日。

 

 ラインフェルト・ツゥ・トゥヴェリは、

 500ディナルで仕立てた鎧を脱ぎ捨て、

 年老いた農夫の姿に身をやつし、オスツァイテを脱出した。

 

 今や、オスツァイテは、

 給与不払いに不満を持つ傭兵隊の略奪対象となった。

 マルルバード王国の兵は本国に召還されており、

 数十人にも満たないトゥヴェリ卿の直営軍では、

 とても抑え込める状況ではなかった。

 

 もともとオスツァイテは、トゥヴェリ自身が略奪した街区であり、

 二重の略奪を経て、地上から消え去るくらいの破壊を受けてしまった。

 

 略奪を終えた山岳都市の傭兵隊は、

 そのままマルルバード王領金銭上の雇い主の略奪に向かい、

 マルルバード正規軍に返り討ちにあって消滅したものの、

 マルルバード王国軍に無視できない傷を与え、

 ロトリン大公国への防衛戦線が乱れることとなる。


 一方、敵方の自滅によりゾイレを護り切ったマルロー家も、

 戦闘員の大多数が討ち死にするか、略奪を受けており、

 なによりも食料補給ができないまま、冬を迎えようとしていた。


*


 帝国歴562年、12月。


 自由都市グリニツィン。

 クリンゲンバウム地区、レ・リュクス。


 うーん、寒い冬は

 あったかいカム茶に限るねぇ。


 「まこと、左様ですな。

  温かくするならば、ラコニアのものよりも、

  南中原のもののほうが味に柔らかさがあってよろしい。」

 

 わかるかドブリュー。

 きみは実に素晴らしい。

 

 「閣下。」

 

 ん?

 なにかなベネディクトゥス。

 

 「アルブレヒト・マルロー殿、

  たったいま、グリュネアレーに

  おこしにございます。」

 

 ……ふぅん。

 まぁ、潮時かな。

 

 「二階の貴賓部屋に通しておいて。」

 

 「は。」


*


 アルブレヒト・マルローは、

 ただただ、唖然としていた。

 

 わずか100スタディオン先に、

 自分達がいる地獄とはまったく違う天国が存在したのだから。

 

 広場に響く子どもや女達の笑い声、

 惜しげもなく暖を取る部屋に通され、

 やわらかいラコニアのパンに、とろけるようなケーゼチーズを供される。

 

 この境遇の落差に憎しみを持つような

 マルロー家の武闘派の者どもは、

 先の防衛戦で皆、命を落としている。

 

 一家の中で、一番気弱で、

 理知的なアルブレヒトだけが残されたことすら、

 なにかの意図大当たり

 

 「お待たせ致しました。」

 

 アルブレヒトは、目を疑った。

 金色に輝く髪と碧眼を持つ美少年。

 齢にして、十五を過ぎたくらいであろうか。

 

 目の前にいるこの紅顔の美少年が、クリンゲンバウムの悪魔、

 クライス・フォン・ヴァッサー=ハビヴィトだと言うのか。

 

 「パンは、皆に届きましたか。」

 

 言葉の重みがすさまじい。

 飢餓に苦しむゾイレの民に、

 クリンゲンバウムの通常価格で食料を供給する代わりに。

 

 「……ゾイレを、

  聖堂を明け渡す覚悟はできております。」

 

 「その必要はございません。」

 

 「な。」

 

 「ゾイレは、元々、ホーフブリュッケを護って来た

  マルロー家が祭司を担うべきものと。」

 

 「……。」

 

 「ゾイレの再建には、

  どうぞ、我々のお力を存分にお使いください。」

 

 「……

  忝い。


  ならば、

  せめて、これを。」

 

 「これは?」

 

 「……我らが護ってきた帝国祭司の杖にございます。

  これは祭事に用いるものではありませぬ故。」

 

 「なるほど、考えましたね。

  つまり、この杖を担保に5000ディナルの融通を望まれると。」

 

 「え。」

 

 献上するつもりでいた。

 城下の盟の、証として。

 

 「復興にあたっては、

  財務に詳しいものを合わせてお貸しします。」

 

 「……閣下。」

 

 「あぁ。

  オスツァイテも復興せねばなりませんね?

  マルルバードの侵略者達のせいで、

  先になりそうですが。」


 アルブレヒトは、身震いした。


 間違いなく、目の前で虫も殺さぬ笑顔を湛える、

 もちもちした肌をした紅顔の美少年こそが、侵略者の一味を操り、

 オスツァイテを破滅に追いやった張本人だというのに。


 魅入ってしまう。

 その純真な瞳に。

 耽美で、破滅的に美しい相貌に。


 「……閣下。

 

  我がマルロ家は、

  これより、閣下を我が主と仰ぎ、

  その命に忠実に従い申し上げます。」


*


 帝国歴563年、4月。


 自由都市グリニツィン、

 クリンゲンバウム地区、グリュネアレー。

 

 階下に新造されたマルロ家のタウンハウス融資の回収を従え、

 いまや、新生グリニツィンの中心部となったグリュネアレーは、

 商業都市の使節のみならず、新たな貴族街すらできつつある。

 

 「ヒンターグリュネの整備計画が早急に必要です。

  このままだと無秩序なスラム街ができあがります。」

 

 うーん。

 ヒンターグリュネは機能的な湊町なんだけどな。

 

 「閣下がクリンゲンバウムから

  お出になられないのが悪いのです。

  柱都地区を再建なされば良いのでは?」

 

 その発想、

 土木屋のドブリューらしいけど。

 

 「そんなことしたらさ。」

 

 「?」

 

 「に取り込まれるでしょ。

  お飾りになるよ。」

 

 「……。」

 

 「マルロー家は600年の歴史を持つ帝国貴族。

  本来、権謀術数に通じた家だよ。

  武断派に牛耳られている頃は組みしやすしだったけど、

  平和になった今のほうが、足元を掬われやすい。」


 京に権力中枢を置いた武家はだいたい滅ぶようなもの。

 本当であれば、グリニツィンから離れてもいいくらい。

 まぁでも、便利になりすぎてて、とても手放せないけど。


 「……

  ご賢察、懼れいります。」

 

 いや、世辞はいいから。

 って。


 「閣下。」

 

 ……え?

 その、めっちゃ鋭い鷹の目は。

 

 「ランドルフ・フォン・ブラウフォルツ

  ただいま復命致しました。」

 

 いや。

 いやいや。おかしい。

 めちゃくちゃおかしいけど。

 

 「久しいね、ランドルフ。

  一応聞くけど、お兄様は?」

 

 あぁ、その顔、

 聞くまでもないのかよ。

 

 「……誠に不面目にございますが、

  クレーゲ様より、お暇を頂戴致しました。」

  

 ランドルフのクビ侯爵領家宰を切るって、マジかよ……。

 お父様、ほんとに病気重いんだなぁ……。


 っていうか、

 ランドルフがココにいるって気づけば、

 あのクソ兄、追ってきそうだわ。

 自分で切り捨てといて。発想がDV夫だから。

 

 まぁ、火の粉はいずれ払うとして、だ。

 

 「閣下。

  ブラウフォルツ卿がいらっしゃるとなると、

  この階は少々手狭になりますな。」

 

 「ダメ。」


 都市景観死守。

 ドブリューをほっといたら

 50階の高層ビルを建てかねない。


 「しかし。」

 

 「だから言ったでしょ。

  アマンダが出店を作るんだって。」


 「え。」

 

 「ゾイレの復興前なら、

  二束三文で土地を買えるでしょ。」


 5000ディナール、

 5年で5倍にしてみせますか。


 ん?

 この状況、

 、使えはするのか。

 

 よし。

 それなら、せいぜい盾になって貰いましょうか。

 脳筋の使い道なんてそれくらいしかないんだから。


 っと、その前に。

 

 「それで、メルル。

  今日のおやつはなにかな?」

  

 「……

  はい、クライスさま。」

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