第2話


 あぁ……。

 

 平和だぁ。

 マジで素晴らしい。

 

 なんもないのは、幸せでしかない。

 コロナんときも、俺だけは幸せだったもんな。

 

 まわりの社員は飲み会ができないとか遊びに行けないとか

 勝手に病んでいったけど。

 外に出なくていいなんて幸せしかないじゃないか。

 

 あぁ……。

 ねむ。

 

 この、ちょっと眠いくらいで、

 静かな部屋にまどろんでいられるのは、

 無上の幸せを感じる。

 

 「いま、いくつですか。」

 

 「三時課になります。」

 

 ……あはは。

 朝の九時まで寝ちゃったってことか。

 ブラボー。スローライフ素敵すぎる。

 

 「お食事をお持ち致しますか、クライスさま。」

 

 「お願いね、メルル。」

 

 ……

 平和だ、平和すぎる。

 平和なんて飽きるわけないじゃないか。

 

 よし。

 遅めの朝ご飯を30分かけてゆぅっくり食べてやろう。

 ふふ、ふふふふ。あはははは。


*


 「がっ!?」


 「な、なんだっ!!!」

 

 盗賊たちは、

 何が起こったのかすらも分からなかったろう。


 豊かになったクリンゲルバウム地区は、

 グリニツィンの内外、貴賤を問わず、略奪の対象になる。

 この時代、自由都市界隈では盗賊や海賊の略奪が多すぎて、

 都市を維持するのが困難なくらいだった。

 

 当然、今日も今日とて略奪者がやってくる。

 組織された北方の略奪軍を除けば、

 大抵はクリンゲルバウムの、

 クライス・フォン・ヴァッサー=ハビヴィトの

 恐ろしさを知らない、食い詰めた流民達だ。

 

 基本、人を疑い続けてきたクライスは、性悪説を信奉している。

 なので、クリンゲルバウムの周辺100スタディオン約2キロに入ると、

 クライスが張り巡らせた古代王国由来の魔法具が作動する。

 

 この魔法具は、人の害意や悪意に反応する。

 これが反応した途端、従士に指揮された自警団が追尾を開始する。


 そして、城壁から50スタディオンに設置された落とし穴が自動反応魔法具する。

 自警団の作業は、基本、この落とし穴を修復し、

 落ちた輩を武装解除してするだけである。


 略奪目的の者のうち、更生不能なもの、害意に満ちたものは

 どんなに高いパラメーターでも即処刑。

 自由都市では治安手続きに当たるものは機能していない。

 なので、略奪者が即刻殺されるのは当然視されている。

 

 クライス達が狡猾なのは、その先である。

 更生可能なものは、罰金を課す。

 当然、着の身着のままの彼らに罰金など支払う能力はない。

 彼らは、そのまま、奴隷労働者となる。

 

 ただし。

 一日七時間労働、週休二日。

 転生前の世界では当たり前の労働法規が順守され、安全配慮義務つき。

 罰金返済とは別に給金は支給される。

 

 荒れ果てた自由都市周辺には、荒廃してしまったものの、

 水路さえ整えば豊かな農地になる開墾地が溢れている。

 そして、クライス達は、水路の整備に知悉している。


 夕べの略奪者達は、一朝にして農奴に落とされはするものの、

 従士達の指導の元、クリンゲルバウム周辺の農地へと配属され、

 食うに困らないどころか、多少の贅沢を送る生活ができている。

 既に農奴の数は数百人に達しており、

 現時点でも子爵級の領地持ちクラスになっている。


 農奴といっても、適正に応じて職種が変わる。

 手先の器用な者は職人に、体力の有り余っている者は鉱夫になり、

 さらに両者を兼ね備えている者は、試験の上で自警団入りする。

 そして新たな農奴をモリモリ獲得していくのである。


*


 自由都市グリニツィン。

 クリンゲンバウム地区、グリュネアレー緑の大通

 

 今や旧帝国風の石畳と広場ローマンコンクリートが整備され、

 周辺には都市国家のタウンハウスが競って建てられている。

 レ・リュクスは小高い丘の上にあるため、

 一階下の土地のほうが、六階建てクラスの建物が建ったりもしている。

 ただ、レ・リュクスよりも高い建物にならないように自主規制されるため、

 街の外からは、レ・リュクスは燦然と輝くランドマークになっている。

 

 周辺からの羨望と嫉妬、畏敬すら集める

 レ・リュクスの四階では。


*


 「クライスさま。」

 

 なにかな、メルル。

 朝から二度寝を決めた自堕落クズオトコに何の用事かな。

 

 「今日のお昼ですが、

  ベルコヌールのファザム焼きです。」


 おお。

 それはスゴイ。めっちゃココロオドル。

 それなら起きましょうか。

 

 「ふふ。

  やはり、クライスさまを起こすには食べ物が一番ですな。」


 ただの食べ物じゃだめだけどね。

 ベルコヌールのファザムなんてそうそう手に入らんでしょ。

 あそこの内紛もう終わったんだっけ?

 

 「はい。

  閣下の仲裁条件通りに。」

 

 そんなことしたっけ?

 あぁ、きみら、また勝手に。

 

 「閣下がファザム焼きを惜しむかと。」

 

 そりゃぁ惜しみますよ。

 だって、とろけるんだよ、雉なのに。

 サシが入ってるのに弾力があって素晴らしい。

 

 「マルローゼ領のツィトロネレモンに似た果実をソースに添えております。」

 

 おおぅ。

 柚みたいな香りがするんだよな。

 食感はレモンの甘煮寄り。

 

 ファザムにねぇ、合うんだよねぇ。

 舌触りがもう、完璧なんだよ。

 

 あぁ、素晴らしい日々過ぎる。

 ざまぁみろ脳筋クソバカ兄め。


*


 自由都市グリニツィン。

 ヒンターグリュネハーフェン。

 クリンゲンバウムに存在しなかった船着き場である。

 

 丘の上にあるクリンゲンバウムは、

 本来、船着き場など持つわけはない。

 しかし、旧古代帝国、モーグの時代の水路が

 埋もれていることを発見したクライス一行は、

 わずか半年で小舟が通れる程度の水路を開いてしまった。

 

 さらに、クリンゲンバウムに隣接し、

 かつてスラムと闇ギルドの温床だった

 低地地区、フィンタニスを実質的に制圧し、

 中原諸国との貿易港を復活させてしまった。


 (アイツら、邪魔だなぁ。

  新鮮な魚が食べられないじゃないか。)

 

 クライスの一言で、闇ギルドの運命は決まった。

 闇ギルドが滅ぼされた後、旧スラムの住民は、

 ヒンターグリュネハーフェンと呼ばれる新港で港湾労働者の職を得た。


 クライスが導入した旧モーグの技術を応用した上下水路のお陰で、

 クリンゲンバウムほどではないにせよ、

 中原諸国とは比較にならないほどの清潔さを確保している。

 

 最も、フィンタニスの闇ギルドは、無くなったわけではない。

 その一人が。


*


 メルルは、フィンタニスの闇ギルドの一員であった。

 正確には、盗賊団によって強奪された幼子だった。

 

 幼女しか愛せない性癖の闇ギルド団員に匿われ、密かに育てられた。

 その団員を父と思っていたメルルは、

 命じられるままに、ターゲットの何人かを屠った。


 メルルには、暗殺者として必要な資質の全てが揃っていた。

 可憐な容姿は敵を油断させるため、

 身のこなしの早さは敵を捉えるため、

 腕の強さと正確性は敵を屠るため。

 

 やがて少女に成長したメルルは、

 課せられた任務カリン教会堂の破壊の帰り道に、自らが所属する闇ギルドの真実を知る。

 しかし、表の組織も同じように悪辣非道であることを知ると、

 絶望したまま部屋に閉じこもり、餓死する日を待っていた。

 

 新しい組織が、自らが所属する組織を壊滅させ、

 メルルは、組織の者と思われずに「救出」された。

 

 敵方組織の節穴ぶりが可笑しかった。

 自分こそが、悪の権化だと言うのに。

 

 しかし。

 

 その人は、人ではなかった。

 この世のものとは思われなかった。

 

 金色に輝き、波を打つ髪。

 透き通るような碧眼と力強い笑顔。

 

 「きみ自身の意思ではないよね。」

 

 言っていることは、なにも、分からなかった。

 でも。

 

 「きみ、名前は?」

 

 聞かれた時、はじめて気づいた。

 自分には、名前などなかったことを。

 存在するはずのない者であったことを。

 

 「じゃ、きみはメルルでいいや。

  メルルみたいな髪色だし。」

 

 意味は、まったく分からなかった。

 それなのに、干上がっていたはずの涙腺に液体が湛えられていく。


 ただ、

 その手を、掴むだけで。


 譬えようもない無上の幸福感が、

 メルルの全身を包み込んでいった。

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