⬜︎205⬜︎
「おい和也、大変だ! 一億円がねえ!」
突然部屋に駆け込んできた男がそう喚くと、窓際から「ほーらね」と勝ち誇ったような男の声が聞こえた。元空き巣犯、現居直り強盗犯の和也だ。下の階の杉田がこの部屋を訪ねて来た時には健介と名乗っていたが、彼らの会話を聞く限り、本物の健介は部屋の真ん中で死んでいるらしい。一子のガリガリ音がうるさくてよく聞き取れなかった部分もあるものの、状況からして、和也が健介を殺してしまったのだろう。
「だから言っただろ? この部屋には一億円なんてないんだって」
「違えよ! 今、二〇三号室に行ってきたんだよ。でも、一億円は探しても探しても出てこねえんだ!」
「兄貴、二〇三に行ったの? 抜け駆けなんてずるいじゃんか」
「抜け駆けなんかじゃねえよ。死体処理より先に空き巣を済ませといた方がいいだろ」
「で、結局一億円はなかったってわけ? 兄貴、やっぱり丸山企画に騙されたんだ。おかしいと思ったんだよね。こんなオンボロアパートに一億円もあるなんてさ」
「そんなはずねえんだよ。丸山企画が裏切るわけねえんだよ」
兄貴と呼ばれる彼の声が今にも泣きだしそうで、彼が殺人を企てていることも忘れて、僕は同情してしまいそうになる。
「どの道ないなら仕方ないんじゃないの。俺もうお腹空いたし、諦めてハンバーグでも食べに行こうよ」
「なんでハンバーグなんだよ。今それどころじゃねえんだよ。和也、どうしよう。俺二千万円も払えねえよ」
「知らないよ。この家、金目の物なんてどこにもないし。売れそうなものと言ったらこの人たちくらいじゃないの」
この人たち、と和也が示したのは、今井親子のことなのだろう。兄貴はしばらく絶句した後、「おい!」と叫んだ。
「おまえら、ここの住人の親子って奴か」
「どうも、今井です。こんにちは」
そう答えたのが美雪か姫子か僕には分からなかったが、お世話になっております、とでも言いだしそうな、落ち着き払った声だった。
「なんで生きてんだよ! 殺しとけって言っただろうが!」
「いいじゃん。ミョウレイノビジョ、だよ。生きてた方が高く売れるんじゃない」
覚えたばかりの言葉なのか、和也の『妙齢の美女』の言い方は、どこかぎこちない。
「今時生きた人間なんて大して売れねえよ。ばらして臓器でも売った方がよっぽどましだ」
「じゃあそうすればいいじゃん」
「それでも到底足りねえよ。臓器売買は専門の業者挟む必要あるから、死体一体あたりで数百万も利益が出りゃあ上等だ。二人分合わせても一千万行くかどうか」
「死体でいいならもう一人分あるけど」
兄貴は一瞬の沈黙の後、「本当だ!」と声を上げた。健介の死体に、今更気付いたらしい。
「それなら運良く高値がつけば足りるかもしれねえ! いや、もうそれしかねえな。そうと決まればさっさと殺すぞ!」
「やる気出ないなあ。どうせ、いくらで売れたって俺には一銭もくれないんでしょ」
「釣りが出たら全部やるから、文句言うな。大体おまえ、なんで早く殺しとかなかったんだよ」
「そりゃあ、兄貴への嫌がらせだよ」
「おまえなあ、こんな時にふざけないでくれよ」
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