やっぱり、雰囲気は大事だと思う。

「やっぱり雰囲気は大事だと思うんだよね」

 口に出して言ってみると、青く澄んだ冬空も同意してくれているような気分になった。

「でも、それなら君はもっと曇るべきだ」と空に指を向ける。

 空き巣に昼は似合わない。それが青空なら尚更だ。せめて厚い雲が太陽を隠してくれれば、少しは悪事に似合う陰鬱な雰囲気が出るのに。

「まあ、俺は俺にできることをするよ」

 和也が空に告げると、どうぞそうなさい、と背中を押す風が吹いた。

 さくら荘と向き合う。立っているのが不思議なくらい、年月に蝕まれた木造アパートは、トラックが目の前を横切る度にその駆体を揺らす。

 ベランダから侵入した方が雰囲気が出る。玄関から入るんじゃ家に帰るのと同じだ。そう思ってベランダ側に回ってはみたものの、よじ登ろうとした途端に崩れるんじゃないかと不安にもなった。

 でもまあ、とりあえずはやってみよう。雰囲気は大事だ。どうせ碌でもないことしかしないのだから、せめてロマンとか信念みたいなものは守り抜くべきだと思う。兄貴の言いつけも聞かず、使う予定のない拳銃をロマンのためだけに持って来てもいる。

 下から二番目、右から三番目、と指差し数えて二〇三号室の位置を確かめ、和也はブロック塀に足をかけた。敷地の境界線を示すために置かれたはずの塀は、お誂え向きに二階のベランダに登るための足場になる。

 ブロック塀の上に立ち上がり腕を伸ばせば、ベランダの手摺りに手が届く。試しに掴んで少し体重をかけてみると、ミシミシと嫌な音は立てるものの、支えてくれるつもりはあるようで、そのまま懸垂の要領で身体を持ち上げることができた。足をかけ、立ち上がり、手摺りを跨いで越えると、ベランダへの侵入はあっという間に成功だ。張り合いがないが、本番はここからだからまあ、いいだろう。

 窓から部屋の様子を窺きたいところだったが、厚いカーテンがかかっていて中が見えない。外出中は昼間でもカーテンを閉めておく派の家庭なのだろうか。そんな派閥、あるかは知らないけど。

 さて、どうやって鍵を開けようか。ガラスを割るのは忍びないので、一応専用の工具も持って来たが、鍵の形式によっては使えない場合もある。使えるといいんだけど、と思いながらなんの気なしに窓を揺すってみると、古くなって緩んでいたのか、半月型の鍵はするりと回ってしまった。

「なんだよ、張り合いないなあ」

 窓のフレームに手をかけ、左に引く。が、窓は動かない。もう一度力を込めてみるが、びくともしない。

「あれ? 鍵開いたよな」

 なんで開かないんだろう。力の入れ方が悪いのか、建て付けが悪いのか。

 フレームの両端を掴み、まるで解けない知恵の輪の糸口を探るように、上下に左右にと力をかけてみる。防犯が仕事の鍵よりも、窓本体の方が余程根性がある。

 すると突然、ガタンと腕に重みがかかった。窓が枠から外れてしまったのだ。想定外の衝撃に、危うく窓を取り落としそうになる。

「危な!」

 うっかり窓を叩き割ったりでもしたら、大変な騒ぎだ。和也はなんとかバランスを立て直し、慎重に窓を運んで、残っているもう一枚の窓に立て掛けた。

 さて。予定していた工程とは大分違ったが、どうにか無事に二〇三号室への道が開けた。こうしてささやかなハプニングに見舞われるのも、空き巣らしくて悪くない。

 意気揚々、といった足取りで、和也はカーテンを潜った。


 そこで出会ったのは、全くもって空き巣には必要のないハプニングだった。部屋の真ん中に転がっているものに、和也は慌てて駆け寄る。

「大丈夫ですか!」

 大丈夫なわけがない。茶髪の男は後頭部から血を流し、うつ伏せに倒れている。息を確認しようと仰向けにひっくり返してみたが、男は何故かジーンズのファスナーを全開にして性器を露出していたので、気分が悪くてうつ伏せに戻した。

「何これ、なんだよこの状況!」

 男の頭の横には、大きな花瓶が転がっている。これで殴られたのか、と手に取ってみると、花瓶はずっしりと重たく、底の辺りに乾いた血液らしきものがこびりついている。

「救急車、救急車呼ばなきゃ」携帯電話を取り出そうとして、手のひらに赤黒い色が移っていることに気付いた。「違う、警察か?」男はどう見ても、死んでいる。

 キッチンに移動し、手を洗いながら考える。警察って、何番だっけ。イチイチキュー、一一九番はたしか救急だ。警察は、十が入っていた気がする。そうだ、イチイチジュー、一一一〇番に違いない。

 いや待てよ、と思い立つ。警察を呼ぶのは不味くないか。だって俺、空き巣だし。

「空き巣に入った部屋に、死体が転がってました」と口に出してみる。

 そんな間抜けな通報、あるか?

 助かりそうな命があるならまだしも、男は死んでいるのだし、警察を呼んでやる義理もないか。それならそれで、俺は自分のやるべきことを全うしよう。

 パチン、と両手を打って、気を取り直す。

 兄貴の話によると、一億円は、いかにも一億円入っていそうなアタッシュケースの中に入っているらしい。

 死体から目を逸らしながら、和也は部屋を見渡した。その辺の床に無造作に一億円が置かれていることはさすがになく、和也はまず、部屋にある収納家具の中で一番大きそうな、造り付けのクローゼットに歩み寄った。

 万一、男を殺した犯人が隠れていたりすると怖いので、ジャンパーの内ポケットから拳銃を取り出してから、扉の取っ手に手をかける。まさか、本当に拳銃を使うことになるとは、だ。

 よし、開けるぞ。と唾を飲んだ直後、ガチャリ、と音が鳴ったのは、和也の手元からではない。

「え、今の音って」

 凍った汗が背中を伝った。和也はバタバタと音の方へ駆けた。

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