第40話 何とか船に乗る

何とか船に乗る



「はぁ、はぁ… ダメ。 …もう、疲れた」

「ふぅ、結局、勢いが良かったのは始めの方だけでしたわね」

「まぁ、昨夜は遅かったからな。ゆっくり休めてないんだろう」


ルテラ村から出た時は、颯爽と歩いていたセレンも、しばらくすると歩くペースが落ちてしまう。

いろいろな事がやっと解決したのだから、今頃になって緊張が解けたのかも知れない。

とは言え、ラモン村まではまだ遠いため、こんなところで時間を潰すわけにもいかず、カイルがセレンを背負って歩き出す。


「カイル。後ろからくるセシルの視線が辛いんだけど…」

「まぁ、察してやってくれ」


セレンに対する羨ましさが滲み出てしまうのは仕方のないことだろう。

セシルもそれは理解しているのだが、感情だけはなかなか制御が難しいらしい。

セレンが歩かない分、移動距離は大幅に上がるため、今日の行程としては十分過ぎるほどのところまで移動することができた。

そして、岩山に開いた空洞を見つけたので、今日はちょっと早めに休むことにした。

カイルとセシルが夕食の準備をしている間、セレンは村を出る時にもらった本を読んでいる。

食い入るように本を読んでいるセレンに、セシルが声を掛ける。


「セレン。それは村を出る時にいただいた本ですの?」

「うん。不思議な事に、この本は古代ルーン魔法の本なのよ。だから、これで四冊目だね」


セレンが持つルーン魔法の本は今のところ三冊だ。それぞれ、カイルの母、ベークライト国王、そして、今回のルテラ村の遺跡の老人からもらったもの。

セレンが知る限りでは後一冊あり、それはベークライト王国のギルド資料室に保管されている。

これら四冊全てが、印刷されたものではなく手書きである事から、写本が出回っていたとしても、それほどの数量は無いと言えるだろう。

もしかしたら、セレンの持つ本だけが存在しているのかも知れない。

いずれにしても、ベークライト王国のギルド資料室の本も含め、セレンの持っている本は全て写本を作っておくべきだろうと考えていた。


「それで、中には何が書かれているんだ?」

「まだ読み始めだけど、ルーン魔法の歴史のようなものかな? 誰が作って、いつ使われ始めたか、なぜ女神だけが使う事を許されたか、そんなことが書かれてるみたいよ? 聞きたい?」

「そうだなぁ… 今度、時間がある時にでも聞かせてくれ」

「カイル。それは遠回しに、聞かなくても良いって言ってるようなものですわ」

「ふーんだ。カイルには教えてあげないんだから!」


セレンはパタンと本を閉じるとそれを胸に抱いて舌を出すと、カイルは笑いながらセレンへと食事の皿を差し出した。

その後、食事を終えて後片付けを済ませると、カイルがいつものようにセシルを抱えて体を休め、セレンも火の近くで横になる。

だが、しばらくすると、何やら外の草むらがざわざわと動きだした。

ここは街道ではないため国の管理も行き届かないし、冒険者もほとんど通らない場所だ。そんなところに出てくるものと言えば…


「魔物のようですわ」


カイルの腕の中でセシルが、目を閉じたまま小さい声で囁く。

空洞とは言え、焚火をしている時点で相手には気付かれている。

だが、こちらが動かなければわざわざ向かって来る事も無いだろう。

大人しく気配を消して様子を伺うと、セレンも同じように息をひそめていた。


「カイルが何もしないのに、私だけ動いてもしょうがないでしょ」


目が合うと、セレンも小さな声で話しながら、辺りを見渡していた。

やがて、魔物の気配は遠くへと消えて行った。


「倒しても良かったんじゃない?」

「この鬱蒼とした森を抜けてきたんだぞ? 小型の魔物はあんまり相手をしたくない」

「チョロチョロ動き回られるのが鬱陶しいから?」

「そうだ。セレンだってそうなったら広範囲での攻撃をするだろ? セシルなら特大の雷を落としそうだし」


カイルの腕の中で苦笑いをしているセシルを見ると、本当にカイルの想像通りになるんだと思った。

それから、魔物に邪魔される事も無く朝を向かえると、カイルはセレンを背負ったままラモン村へと急ぐ。


セシルには無理をさせて申し訳ないと思ったが、ベークライト王に報告しなければならない事が多過ぎるし、内容も重要だ。

言い換えれば、一刻を争うと言っても過言では無いだろう。

その気持ちはセシルも同じらしく、文句の一つも言わずにカイルの後を追っている。

そして、その日の夜にラモン村に到着した。


さすがに、これから港町へと馬車を走らせるわけにも行かないため、まずは酒場に向かい遅めの夕食をとることにした。

この町には宿屋と道具屋が無く、小振りの酒場があるだけだ。

カイルたちが店の中に入ると、カウンターの向こうで店の親父が驚いた顔をして、カイルたちの下に駆け寄って来る。


「おお、あんた達。今ここにいるって事は、あの村の問題は解決したのか?」

「ええ、問題は解決したわ。それも、これ以上無い程の完璧な形でね。だから後で行ってみてよ」


セレンが答えると、店の親父が信じられないと言った顔でセシルを見る。

どうやら、子供の意見はイマイチ信用し切れないようだ。

セシルが肩を小さく揺らしながら、口元を押えて店の親父に返答する。


「本当の事ですわ。大蛇は討伐しましたし、他にも村の問題がありましたので、そちらも合わせて解決済みですわ」

「そうか、なら安心したよ。今日はもう遅いだろうから、明日にでも村長に報告するか?」

「何よ! 私の言うことは信じられないわけ? …まぁ、いいわ。それは仕方無いもの。でも、私たちは急いでるから、村長への報告はお願いしてもいいかしら?」


店の親父は、次にカイルの方を向くと、カイルが大きく頷き、それを見た親父が分かったと頷く。

セレンがまた納得できない顔をしているが、今はそのままにさせてもらおう。


「まぁ、親父。そう言う事だから、報告は頼みたい。俺たちは訳あってすぐに自国へと戻らなければいけないんだ」

「ああ、それは任せられよう。あんたたちの馬は馬小屋で休ませてるし、馬車もこの店の軒下に置いてあるから好きに持って行ってくれ。とは言え、今夜はもう遅いだろ? どこか寝床はあるのか? この村に宿がないのは知ってるだろ? 何ならウチの二階を使っても良いぞ?」

「馬車があるからな。寝具もある事だし、軒下を使わせてくれればいい。ただ、風呂だけ借りられると助かる。ここ数日は水浴びしかしてないし、女性陣はさっぱりしたいだろうからな」


店の親父は頷くと、カイルの申し出を了承し、風呂の場所を伝える。

カイル達は食事を済ませると、早速風呂を借りて汗と疲れを流す。

さすがにこんなところではセシルと一緒に入るわけには行かなかったので、渋るセシルを何とか説得し、今回は別々に入る。

そして、馬車に乗り込むと出発する時に買った高級寝具を取り出すと、さすがは高級なだけあって、これまでの野宿とは段違いの寝心地だ。

今日の強行軍を頑張ったご褒美として、昨日までの野宿スタイルを要望するセシルを宥めるのには骨を折ったが、何とか今夜は個別に休むことができた。


翌朝。

カイルは目覚めてすぐに酒場へ入ると、店の親父は既に料理の仕込をしているところだった。


「おう、いらっしゃい。 …って、なんだ、あんたか。随分と早いじゃないか。朝食ならもう少し待ってくれ。見ての通り、仕込み中なんだ」

「おはよう。俺は朝食を食べに来た訳じゃないんだ。 …すまないが、台所の隅で良いから場所を貸してもらえないか? 弁当を作りたい」

「なに? あんたが食事を作ってるのかよ? あの嬢ちゃんは料理しねぇのか?」

「まぁ、いろいろと事情があるし、俺は長い事、家事を仕込まれてきたんだ。得意なヤツが作った方が効率が良いだろ?」

「なるほどな。何となくだが事情は察した。俺の方は仕込みも済んだ事だし、台所は好きに使ってもらって構わないぜ」

「ああ、助かるよ。ありがとう」


店の親父は何となく状況を察したようで、カイルに快く台所を貸してくれた。

カイルは軽く礼をして朝食を作り始めるが、もちろん食材も調理器具も自前の物を持込んでいる。

手際よく食事を作っていくカイルを、店の親父が感心したように見ている。


「あんた、なかなか手際が良いじゃないか。料理人の俺が見ても良い腕だとわかる。一体、誰に仕込まれたんだ?」

「ウチの母親だよ。冒険者修行の一つとして仕込まれたんだ。食は唯一の楽しみだから、料理は人並み以上にできないと仲間が喜ばない、ってね」


店の親父が納得した顔でカイルを見る。

そして、朝食を作り終えると、店の親父に礼を言って馬車へと戻ったが、セシルとセレンはまだ気持ちよさそうに眠っていたので、カイルは旅の支度を整えて二人が目を覚ますのを待っていた。

すると、しばらくしてセシルが目を覚まし、大きく伸びをしていると、続いてセレンも目を覚ます。


二人が顔を洗って着替えと準備を終えると、カイルは港町へと馬車を走らせる。

荷台では、セシルとセレンが並んでカイルの作ったお弁当を美味しそうに食べていた。

朝食とは言え一日をほぼ移動に使うため、今朝は割とあっさりめの野菜サラダと、パンに切り目を入れて、その間に肉や野菜を挟んだものなど、セシルたちでも食べやすいような大きさで作られていた。

カイルも御者台で自分用の朝食を食べながら馬車を走らせている。

来る時よりも速足で進ませたので、夕方には遠くに港町が見える位置まで来る事ができた。

このまま港に入っても良いのだが、何度か休憩を挟んで馬を休ませても、疲労は蓄積していくため、馬にこれ以上の無理はさせられない。

それに、すぐに暗くなって港町には入れなくなるだろうから、今夜はここで野宿して明日の朝に港町へ入り、朝の船に乗る事に決めた。

そして翌日、港町の入り口が解放されたと同時に船着場へと向かうのだったが、意外な事になっていた。


「え!? 船が出ない!?」


フェライト王国の港町で、定期船のチケットを買おうとして、申し訳なさそうな顔をする販売員から言われた言葉への返事は、定期船の船券販売所の近くにいる通行人が、その足を止めて声の方向を向いてしまうほどの大きな声だった。


「ま、誠に申し訳ありません。定期船のチケット販売ができない旨の立て札を用意していたのですが、立てる前にお客様がいらしたので、紛らわしい事になってしまいました」

「い、いや。結局、立札を見ても同じ事を言ったはずだから、あまり変わらないと思う。こちらこそ、急いでいたものだから、態度が悪かったかも知れない。その事は謝るよ。申し訳なかった」


販売員とカイルがお互いに頭を下げて謝罪しているのは、知らない人が見たら変な光景だろう。

未だに終わる気配を見せない謝罪のやり取りをセシルが止める。


「お取込み中申し訳ありませんが、チケットが買えない事実は理解しましたわ。では、その理由は一体何ですの?」


販売員とカイルは我に返ると、販売員が「コホン」と咳払いをして姿勢を正す。

そして、カイルたちを見て前のめりになり口元に手を添えるのは、どうやら小声で話したいからだろう。

そう理解したカイルたちも顔を寄せると、販売員が口を開いた。


「まだ正式に通達は出てないのですが、戦争の兆しがあると言う情報をいただいております。その情報の真偽を確かめる間、定期船は出航禁止令が出ました。今の時点では期間は不明です」

「冒険者ギルドに行けば何か分かるのかな?」

「冒険者ギルドの方でも、依頼対応による国外移動を禁止しました。今、冒険者ギルドに入ったら出られなくなるかも知れません。 …ここからは独り言になりますが、定期船と冒険者ギルドは国外への渡航を禁止していますが、漁師にまでは通達は出されていません」


冒険者ギルドから出られなくなるというのは、有事に備えての戦力確保のためなのだろう。

確かに、今の状況で冒険者ギルドに入るのは避けた方が良いかも知れない

だとすれば、今の情報を元に、定期船では無い個人の船を探すしかない。

この広い港で聞き込みをしながら、自分たちを乗せてくれる船を探のは手間がかかりそうだと考えていると、販売員が申し訳なさそうに頭を下げた。


「アドバイスに感謝します。じゃあ、俺達は船を探すので、ここで失礼しますね」


カイルたちは販売員に礼をすると、港へと足を運んだ。

接岸されている船は多く、それなりに大きな船もあるのだが、さすがにベークライト王国まで運んでくれる船は無いようだ。

港の船の大半に声を掛けて全て断られたカイルたちは、酒場で食事をしていたが、その表情は明るくない。


「あんなに船があるのに、誰も乗せてくれませんのね」

「そりゃそうよ。戦争かも知れないって言ってたもん。誰だって巻き込まれたくないわよ」

「でも、それはあくまで噂だろ? 実際のところは誰にも分からないんじゃないか? …それにしても、この話の出どころはどこからなんだろうな」


とは言え、今冒険者ギルドに行ったら出て来れなくなる可能性が高い。

それに、この国の冒険者ギルドには知り合いがいないため、多少の無理も聞いてくれないだろう。

それがあるため、カイルたちは情報の真偽を確かめられずにいた。


「じゃあさ、こう言うのはどう? ギルドの近くまで行ってみて、人の往来があるか見てみるの。出入りしている人がいれば軟禁されることは無いでしょ?」

「見付からないように、と言う言葉も必要ですわ」

「そうだな。ここにいても手掛かりも無いし、船も無いならそっちを見てみるか」


そして、カイルたちは酒場を後にして冒険者ギルドへと向かってみる。

セレンが近付いて様子を見ると、冒険者ギルドの中には人が多く閉じ込められていて、入り口には「非常事態宣言発令中」と表示があり、普段は開け放たれている扉が閉められていた。

すると、冒険者が四人やってきて、入り口の表示を見ながら何か話をしていると、入り口から職員が出てくる。


「君らは冒険者だな? 入り口の表示を見て分かるように、今は非常事態なのだ。冒険者諸君には申し訳ないが、決まりだからな。身柄はこちらで確保させてもらう。さぁ、中に入ってくれ」


そして、四人は冒険者ギルド内へと連れて行かれると、入り口の扉が閉ざされる。


「どうやら噂は本当みたいですわ。どうします? 囮としてセレンを中に入れますか?」

「私はそれでも良いわよ? たぶん、出ようと思えば出れそうだし」


セシルは冗談のつもりで言ったのに、当の本人は大丈夫だと言う事に、驚きに目を丸くする。


「セレン。貴方、本気で言ってますの? もし、出れなかったらどうしますの? 私にはリスクが大きいとしか思えませんわ」

「んー… 確かにそうね。事実、冒険者がギルド内に閉じ込められているって事は、噂は本当だって言ってるようなものだもんね」

「セレンを危険な目に合わせる訳にはいかない。こうなったら何としても、船を探さないとな。移動手段が他に無いのが悔しいところだよ」


と、カイルが移動手段について、他に無いのかと言いながらセレンを見る。

セシルもそれに合わせるかのようにセレンを見た。

当然、二人分の視線を受けているセレンは、何を言いたいのか理解した。

だから、一つ小さな溜息をついて二人を交互に見る。


「あのね。さすがに移動手段を私に何とかしろ、ってのは無理。一応ね、私も色々と考えてみたんだけど、ルーン魔法じゃ無理ね。そんなシンボル自体無いのよ。残念だけど、これだけは諦めなさい」


さすがのセレンでも、長距離を一瞬で移動する方法は無いらしい。

完全に手詰まりかと頭を抱えるカイルの視界に、こちらをずっと見ている男の姿を捉えた。

何か言いたげな男を見ると、バレたのに気付いた男が辺りを見回してから、こちらへと手招きする。

カイルたちは顔を見合わせ、警戒をしながら男の元へと向かうと、男はカイル達が付いてくるのを確認しながら、狭い通りを何度か曲がったところで足を止めた。

その場所は袋小路で、男はもう用心深く一度辺りを見渡すと、他に人気が無い事を確認してから頭を下げる。


「こんな狭苦しいところに、わざわざお呼び立てしてしまい、申し訳ありません。実は、旦那方が港で船を探しているのを見ましたので、失礼とは思いましたが、こちらへと来ていただきました」


背がそんなに高くないように見えるのは、猫背になっているせいだろう。

身なりは整っているように見え、何かを企んでいるような感じはしない。


「私たちを港で見たのなら、なぜこんなところへ連れてくるのです? 何か意味がありますの?」

「ええ。貴女様の仰る通り、あの場では言えなかったのです。だから、ここへとお連れしました。実はですね…」


そして、男が語ったのは、オーステナイト王国が戦争の準備を始めたと言う事。

その発端として、金髪の青年が絡んでおり、フェライト王国は誰も国から出してはいけないと、脅していったそうだ。

だから定期船も止まり、冒険者ギルドでも現時点で自国にいる冒険者を出さないように囲い、周りの船も冒険者を乗せないと言う内容だった。


「それで、どうして俺たちをここに連れてきたんだ? まさか、その話をするためだけじゃないだろ?」

「はい。私は家族がマルテンサイト王国にいますので、何とか理由をつけて船を出そうとしていたのです。そして、私の船は出航できると決まった時に… その…」


急に男の歯切れが悪くなった。

何か問題でもあったのか?

今の話の流れでは、船が出せるようになった時にカイルたちを見かけたから、ついでに乗せようと思い、ここへ連れてきたのではないのか?

男がこの先、何を言い出すのか待っていると、やっと決心したのか、男が顔を上げるが、悔しいのか恥ずかしいのか、よく分からない表情をしている。


「スリに遭いまして… 有り金を全部盗られたんですよ。ですから、船が無くて困っている旦那方なら、援助してくれるんじゃないかと思った次第です」

「何だよ… お金の事か。で? 実際にいくら必要なんだ?」

「はい。船を動かすのに必要なものは全て揃ってますので、必要なのは私がマルテンサイト王国に着いてからの路銀になります。なので、旦那方のベークライト王国までの輸送費として… だいたい、金貨1枚くらいでしょうか?」

「路銀ならもう少し必要でしょう? 私たちから金貨五枚出しますわ。これで、船に乗せていただきたいのですわ」


男はセシルの申し出に喜び、これで交渉は成立した。

男の船は港に係留してあるので、早速出発することにする。

カイルたちが冒険者だとバレるのはマズいので、平服に着替えることにした。

荷物は男が乗せてくれたので、セレンを真ん中に、カイルとセシルがそれぞれセレンの手を繋いで親子を装い、船へと乗り込む。


「こんなところで、子供の体が役に立つなんて思いもしなかったわ」

「毎回使える手じゃないけどな。よく思い付いたもんだ」

「だって、憧れですもの。いつか、私とカイルで子供と、こんな風に家族で手を繋いで歩きたいって思うのは普通の事だと思いますわ」


ちょっと寂し気に微笑みながら、セシルが心の内を吐露する。

ハークロムの思惑に乗せられているおかげで、セシルとは婚約のままだ。

仮に彼らを無視したとしても、これまでの嫌がらせから想像して、婚姻の儀の時に襲撃されるのは目に見えているし、子供をつくったとしても、襲撃の対象に入れられる事も十分にありうる。


「その普通を取り戻そう。そのための旅なんだ。そうだろ?」

「そうですわね」

「もちろん。だから、船が動き出したら、私も仕事を始めるわ」


今回の船は小型の客船だ。

男は船大工みたいなもので、この船の手入れを済ませ、持ち主へと戻すための航海中、フェライト王国に補給のために立ち寄ったのだと言う。

カイルたちは六人部屋の船室をひとつ使わせてもらえる事になったので、荷物を積み込んだ後は有事に備えて冒険者スタイルで待機することにした。


セレンは遺跡から持ち出した道具を取出し、早速付与の準備を始めた。

まずは周囲に結界を張り、その場所だけを閉じ込める閉鎖空間を作り出す。


セレンが言うには、もともと付与は神の行う奇跡だったらしく、村を荒らす大型の魔物を倒すため立ち上がった勇ましき者に、神より祝福を込めた剣が渡された事が始まりだそうだ。


そして、その剣を使って見事に魔物を討伐した事により、神に自分の武器にも祝福を与えて欲しいと願い出る者が殺到してしまう。

信仰心を力とする神は、多くの人の武器に祝福を授ける事で、更なる信仰心を得る事ができ、強大な力を持つようになった。


だが、ある一部の神が人間による神への反逆を危惧したことで、付与そのものが大きく変わる事となる。

初めは武器以外の物だけに付与をするようになったが、それも危険だと言う声が上がったために、神は直接の付与を止め、決められた人間にその方法を伝えた。

その人間こそが教会の神官であり、教会に人を集める事で神は更なる信仰心を獲得し、更に人の前から姿を消すことで、神への反逆と言う危機を回避したのだ。

それからは神官が神の代理を担い、付与の技術は門外不出として神官の家系で継がれていった。

それでも、多くの人に信仰の名の元に付与が授けられてきたのだ。


だが、それを見ていた別の神官が、付与のやり方を見様見真似で覚え、勝手にお金を取って付与を始めてしまった。

この事で、付与に対して正当な理由がなくとも、お金を払えば付与が与えられると知れ渡り、勢力は逆転してしまう。

更に、それを見ていた別の者が、またも見様見真似で付与を始めてしまい、あっという間に付与をする人が増えてしまったのだ。


だが、正しいやり方では無いために、人によって付与の効果に差ができてしまい、ほんの少しの効果しかないものまで出回るようになった。

しかも、中途半端な上、間違った方法のため、付与を行った代償として呪いを受けてしまい、たくさんいた付与を施す人間はあっと言う間に激減し、世の中には付与の効果が高いものと低いものが入り混じって流通するようになり、付与された武具は効果の良し悪しに関係なく高値で取引されるようになった。


それらの一連の出来事を見ていた神たちは、人間に付与を施す事を禁止した。

ただ一人、始まりの神官だけがその技術を持ち続け、その肉体が滅びても魂だけとなり、本当に困っている者だけに付与を施していた。

それがセレンの村の外れにある聖域だ。


だが、村長はこれまでの人間と同じように、見様見真似で付与を施してきたことで、当然ながら呪いを受けた人間であり、聖域の神官は自業自得として救いの手を差し伸べなかった。

そこへ今回、神の刻印を持つセレンが現れたことで、始まりの付与が継承された。

そして今に至るわけだ。


つまり、セレンは遺跡で付与の理を理解したため、正しい手順で付与を行う事ができるようになったし、正しい手順だから、当然呪いも発動しないのだ。


「今回の付与は、前にカイルに頼まれていた事を、言われたまま実行する事になるわね。具体的に言えば、“最高神の一撃”と言う古代ルーン魔法を組み込むの。使いたい時に魔法力を流せば発動するわ。ただ、どれくらいの魔法力を必要とするかは未知数だから、そこだけ気をつけてね」


そして、テーブルの上にカイルの剣を置き、刀身の鍔元に手をかざすと、もう片方の手には遺跡から持ち出した木の棒を握り、かざした手の甲に木の棒で何かのシンボルを書き出す。


「ビャルカン・マーズル・アース・ウル・ナウズル・カウン・レイズ・テュール・ロークル<我、人として白樺の枝を持ち、最高神オーディンに願う。根源の力を持ち、強制的に傷を付けることを要求する。軍神の恵みよ、ここに!>『神の祝福』」


すると、剣にかざしているセレンの手がうっすらと光り輝き、空中に書いたシンボルがカイルの剣の鍔元に刻み込まれた。

そして、最後にセレンはかざしていた手の親指に傷を付け、自身の血を刻み込んだシンボルの上に落とし、言葉を紡ぐ。


「この剣にセレンが力を与え、カイルがその力を行使する事を、神の代行者たるセレンが許可する」


すると、シンボルに落としたセレンの血が、刻み込まれたシンボルに染み込んでいき、セレンの血を吸ったシンボルが光り輝いた。


「うん。これで完了ね。じゃあ、カイル。この剣を構えてみて欲しいの」

「え? もう終わったのか? 随分と早いんだな」


そう言ってセレンが剣を取り、カイルへと渡す。

カイルは剣を受け取ると、いつも通りに片手で握り、素振りをするように一振りしてみる。特に変わったところは見受けられないし、魔法力を消費しているようにも感じない。


「今の状態では、いつも通りだな」

「そう、よかった。じゃあ、ここまでは大丈夫ね。 次は実験だけど、どうしよう? まさか何も無いところで発動させられないわよね」

「当たり前ですわ。威力が未知数である以上、それは危険な事ですのよ? …ですから、こんな時に魔物とか海賊が来てくれると良いのですが…、 そんなに都合良く現れませんわよねぇ」


セレンが「うーん」と唸っている。

確かに、成功したかどうかは実際に発動してみないと分からないのだが、そのためには標的が必要だ。

それなのに、肝心の標的がいない。


「いないのは仕方ないな。なら、出るまで別の事をしていた方が効率が良いと思うぞ?」

「そうよねぇ。いないものは仕方ない、か。じゃあ、セシルの剣はカイルの検証が終わってからでもいいかしら?」

「そうですわね。カイルには申し訳ありませんが、実験台になっていただきますわ」


セシルのために、あえて実験台になる事を決めたカイルは、頷きながら剣を鞘に納めると、ベッドの上に倒れ込んだ。

セレンの故郷で戦争の話を聞き、かなりの強行軍でここまでやってきた。

やっと船に乗れたので、後はベークライト王国へ着くのを待つだけだ。

その後は、ベークライト王に報告をして、今後の動き方を決めなければならない。


「カイル。眠くなりましたの?」

「ああ、やっと船に乗れたんだ。後はベークライト王国に到着するのを待つしかない。そう思ったら、緊張の糸が緩んだようだ」

「ここんとこ、ずっと動きっ放しだったもんね。港までは五日くらいかかるから、今の内に休んでおいた方が良いんじゃないの?」

「そうですわね。お父様にご報告したら、やる事がたくさん出てきそうですし、休むなら今しかありませんわ」


そう言って、セシルがカイルの隣で横になり、腕に抱き付いてくる。


「…セシル。私がいることを忘れないでよね?」

「でも、もう少ししたら、セレンは甲板へ新鮮な空気を吸いに行くと思いますの。それで、しばらくは戻ってきませんわ」

「おいおい、セレンを追い出しにかかるなよ?」

「あー… でも、甲板で風を感じながら本を読む、ってのも、良いと思うのよね。じゃあ、早速行ってくるわ。 …セシル。私はしばらく戻らないから、好きにしてなさい」

「はーい」


セレンはセシルに微笑みかけると、自分のバッグを持って甲板へと向かった。

部屋の扉が閉まると、セシルは遠慮すること無くカイルの体を抱き締める。


「セレンに感謝ですの。珍しく、気を利かせてくれましたわ。なので、しばらくは私に甘えさせてくれることを要求しますわ」

「仕方ないなぁ。じゃあ、セレンが戻るまでだぞ?」

「仰せのままに」


そして、カイルもセシルを抱き締めると、二人は深く口づける…


「さて、そろそろ良い頃合いかしら?」


セレンがパタンと本を閉じて体を伸ばす。

そして、部屋へ戻るとカイルとセシルは仲良く寄り添って眠っていた。


「まぁ、お母さんから子作り禁止令が出てるから大丈夫だとは思うけど…」


そう言うと、セレンは小さく微笑んで、自分のベッドに横になる。

しかし、今の時点ではまだ誰も気付いていないことがあった。

それは、この船にはあの男とカイルたち以外、他の乗組員を見てはいないのだ。

この、余りにも静か過ぎる航海に違和感を感じることも無く、すっかり油断してしまっていたカイルたちは、ずっと見逃していたのだ。


― この船は、どうやって動かしている?


それに気付き、自分たちの状況を理解するのは、出港してから三日目の夜の事になるのだった。

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