第33話 負け越して抱き締められる
負け越して抱き締められる
フェライト王国へと向かう二日目の出来事。
現在、カイルたちは昼間から甲板の上で、未知の魔物の大群による襲撃を受けている。
初日である昨日も、昼間から海賊の大船団に襲撃された。
そして、その直後に首謀者から直々に襲撃を受けて精神操作系の魔法をかけられ、あと一歩で完全に支配下におかれるところを、セレンに救出されて事無きを得た。
これまで、カイル達はそれぞれの目的を果たすために、いろいろなと場所へと赴いたが、こんな短い期間で襲撃を受けた事は無かった。
だが、今回は違っていて、まだ二日目だと言うのに既に連戦状態だ。
これでは正直なところ、残りの三日間も同じような結果になってしまうのではないかと、思わずため息がこぼれてしまう。
とは言っても、今はそんなことを言っている場合ではない。
まずは、この状況を打破しなければいけないのだが、カイルたちは未だに混戦状態で戦っていた。
相手にしている大型の魔物は熊の魔物のように大きく、二本の足で立つ四本腕の生き物なのだが、熊と大きく異なる点としては顔が全く違っていた。
まず、上顎には外からでも見える巨大な二本の牙、そして頭の側頭部にも大きな角が二本ある。
体型は熊の魔物なのだが、顔が違っているのと、何故かフワフワの尻尾があるため、どちらかと言えば熊と人と悪魔を掛け合わせたような、合成獣と言った感じがした。
しかも、その四本の腕にはそれぞれ剣と盾が二つずつ握られており、剣はカイルの知る両手剣の倍以上の長さと厚みがあり、盾もタワーシールドよりも大きく、カイルが隠れてしまうほど巨大なものだ。
当然、普通の人間では構える事すらできない程の大きさで、そんな剣や盾を振ったり構えたりするための腕や足も異様に太く、見るだけで膂力の強さも感じ取れる。
また、大量にいる動物型の魔物もかなりの強さで、素早く自由に走り回りながら攻撃してくるために、冒険者たちは大型の魔物と動物型の魔物に翻弄されていた。
大型の魔物が一撃必殺を狙うかのように巨大な剣を振り回し、冒険者たちからの攻撃は盾で防いでいるために、こちらの攻撃は全くと言っていいほど受け付けない。
攻守のバランスがうまく取れているのに加え、動物型の魔物との連携も十分にできていた。
それに反するように、冒険者たちの連携は全く取れておらず、各チームがバラバラに対応しているため、全体的に見ても魔物たちの思惑通りに戦力が分散されているように見える。
それでも誰も犠牲にならず負傷だけで済んでいるのは、冒険者ランクAとしての強さなのだろう。
しかし、そんな状況で戦闘を続けていると、当然冒険者たちも精神的な疲弊とともにストレスが確実に溜まっていき、状況的にはいろいろとまずい状態になってきて、ちょっとしたことで怒号が飛び交うような有様だ。
そして、そんな状況下でカイルたちが遅れて戦闘に入ってくれば、悪気は無くてもつい口調が厳しくなってしまうのは仕方の無い事だろう。
「おい! お前ら、来るのが遅いぞ! もっと状況を考えろ! いくら女と子供を連れてるからと言って甘くは見ないからな! 遅れたなら、相応の働きをして見せろ!」
「すみません! 遅れた事は謝罪しますが、彼女たちには何の…」
「黙れ! 貴様等! 仮にもランクAの冒険者を名乗るなら文句など言うな! 耳障りだ! 貴様等こそ、さすがランクAの冒険者だと言われるような働きをしろ! 口よりも手を動かせ!」
「あれ? セシルがキレ気味ですよ? カイル。何とかして」
カイルが、遅れた事についての謝罪をして、セシルとセレンへの侮辱を諌めようとした時、カイルの言葉を遮って、セシルの怒気を含んだ大きな声が冒険者たちの耳に入る。
それは戦闘中にも関わらず、少しの間、冒険者達と魔物たち両方の動きを止めるほどだった。
「おい、貴様等はこれしきの事で戦闘を止めるのか? 笑わせるなよっ!! 今の状況を利用する事すらできないのか!? せっかくのチャンスすら満足に使えないようなら、この場から立ち去れ! 我等の邪魔をするな!」
我慢できなくなったのか、カイルの前に出て冒険者たちを一喝すると、セシルは腰の二本の剣を逆手に抜いて、雷を纏うと金色の光の尾を引きながら姿を消す。
そして、甲板上を金色の雷が幾重にも駆け抜けると、その通り道には、動物型の魔物の死骸が斬り刻まれた状態で転がる。
そして、一旦姿を現すと、剣に付いた魔物の血を振り切って払い、呆気に取られる冒険者たちを一瞥すると、再び金色の雷が甲板上を駆け抜けた。
「カイル。あれ、どうすんのよ。勝手に始めちゃったんだけど…」
「まぁ、いろいろとあるんだろう。察してやってくれ」
「何をどう察すればいいのよ。まぁ、その分、魔物が減るからいいわ。私たちは別に始めましょう」
カイルとセレンは顔を見合わせると、お互いに小さいため息をついて、大型の魔物に視線を移した。
その大型の魔物は未だに自由に甲板上で暴れており、冒険者が数人で辺りを囲み、隙を付いては斬り付けるも、巨大なタワーシールドの前ではどんな攻撃でも受け止められ、大型の魔物の体まで剣が届いていない。
そして、両手に持つ巨大な二振りの剣も、凄まじい勢いで振り回されていて、この攻撃を冒険者が盾で受けようものなら、そのまま数メートル後ろまで吹き飛ばされるほどだった。
見ていると負傷した数人の冒険者が後ろへと連れて行かれるが、さすがに冒険者ランクAだけあって頑丈にできているのか、未だに死者はいないみたいだ。
「さぁ、セレン。俺たちも出るとしよう。もちろん、仕留めるのはアイツだ」
「そう来ると思ったわ。私は問題ないけど、雷ビリビリ娘はどうするの? あのまま放っておくの?」
「大丈夫だ。見てろよ? セシル!!」
「お呼びですの?」
「わ! ホントに来た。しかも速い」
「当然ですわ。カイルに呼ばれましたのよ? それは何よりも優先されますの。だからセレン、貴女も覚えておきなさい」
セレンが「うわぁ…」って顔をしているが、ブチ切れしていても呼べばすぐに来てくれるのは助かる。
セシルのお陰で動物型の魔物はだいぶ数を減らしたが、大型の魔物を仕留めない限り、この戦闘の終わりは無い。
しかも、この場にいる冒険者たちでは相手にならないことも分かっているため、許可を取ってはいないが、カイルたちが対応することにした。
「セシル。あのでかいのをやるぞ」
「分かりましたわ」
「セレン、準備は良いか? くれぐれも、あのでかいのを海に蹴落とすなよ?」
「分かりましたわ」
「セレン …貴様を先に蹴り飛ばしてやろうか?」
「…ごめんなさい。調子に乗っていたようです」
セシルはまだ少々ご立腹気味だが、特に問題は無いだろう。
そして、ここから三人は連携を図るのに言葉を必要としなくなる。
それぞれが何をするのか、他の二人が何をして欲しいのかを感じ取ることができるからだ。これが信頼で繋がることだとカイルも思っていると、セレンの声が高らかに上がる。
「レイズ!<我が動きは駿馬の如く!>『スレイプニル』からの、スルス・ウル!<我が一撃は巨人の如く!>『ジャイアント・キリング』」
すると、セレンの両足がぼんやりと赤く輝いたかと思うと、同じように両腕も輝き出す。
セレンの準備が完了するのと同時に、次にカイルが風を纏うと炎の魔法剣を携え、大型の魔物に向けて疾走する。
そして、吹き抜けるように脇腹を一閃すると方向転換し、再び疾走して大型の魔物の目の前で一気に止まると、そこで足を止めての斬撃が始まる。
大型の魔物はカイルの素早い動きを捉えることすらできず、しかも自分の間合いに入り込まれてしまい、攻撃することも逃れることもできず、幾度となく斬り刻まれて成す術も無く血飛沫を上げている。
周りの冒険者たちが驚愕するのを横目で見ながら、カイルの斬撃はまだ続く。
そして、大型の魔物に無数の傷を刻み込んだのを確認すると、カイルは竜巻のように大型の魔物の周りを斬り付けながら回り、竜巻のように風を巻き始めると、斬撃を続けながら一気に上空へと吹き上げる。
それから、カイルが大型の魔物を追い越して更に風に乗って上昇すると、カイルの足元には雷を纏ったセシルが姿を現すと、カイルと足の裏を合わせる。
その時点でセシルの攻撃準備は既に終えており、カイルを足場にすると大型の魔物に手をかざし、極大の雷を呼び出すと落雷となって自身も大型の魔物に向けて突進する。
大型の魔物は、極大の落雷の直撃を受けるのと同時に、セシルからの強力な打撃を受け、物凄い速度で甲板へと急降下していく。
そして、甲板に激突する瞬間、疾走して来たセレンが現れて、大型の魔物を冒険者たちのところへと凄まじい力で殴り飛ばす。
その一連の様子を見ていた冒険者たちは、更に驚愕の表情を浮かべながら、全く動く事すらできていなかった。
前日もカイルたちの戦いを見ていたが、それは遠巻きの出来事であり、実際には海賊船が次々と破壊されるところしか見ていなかった。
だが、今日は甲板上で行われている目の前の出来事で、あんなにいた魔物があっという間に数を減らし、あまつさえ大型の魔物ですら攻撃をさせることなく「吹き飛ばし、殴り飛ばしている」のだ。
しかも、それをやってのけているのが自国の姫と、十歳くらいの女の子だから始末が悪い。
冒険者たちは、それなりの強さを持っていると自負しているのだが、彼らの戦いを見ているとだんだんと自信がなくなってしまう。
そんなことを考えていると、セレンに殴り飛ばされた大型の魔物が、甲板上を勢い良く転がされて冒険者たちの集まっているところで動きを止めた。
「貴様ら!! 何を呆けている!! すぐにそれを攻撃して始末しろ!! 私たちは残りを叩く!!」
セシルが甲板に着地すると、二本の剣を腰の鞘に納めながら声を大きく張る。
冒険者たちは最初こそ驚いていたものの、これはチャンスだった。
彼らだけに頼るわけにはいかない、と言わんばかりに、大型の魔物に対して容赦ない攻撃を開始する。
その間、甲板上は素手でストレスを発散させるセシルと、魔物を殴り飛ばすことが嬉しくて仕方ないセレンが駆け回り、動物型の魔物をどんどん始末していく。
カイルは上空に留まったまま、自分たちの船の魔物を仕留めるのをセシルたちに任せ、自分は魔物を乗せてきたであろう船を魔法剣で破壊する。
やがて、冒険者たちに袋叩きにされた大型の魔物は完全に沈黙し、甲板上を走り回っていた多くの動物型の魔物も、セシルとセレンの活躍で全滅した。
魔物を乗せてきた船もカイルに完全に破壊され、今は全て海の中へと沈んでいった。
だが、まだ大型の魔物は仕留め切れておらず、だいぶ消耗したために動けなくなっているが、間も無く回復して再び暴れ出すだろう。
冒険者たちの一斉攻撃でもとどめを刺す事ができなかったことに、自分たちとの力量の差を感じたセシルが、溜め息を吐きながら上空のカイルを見上げると、カイルも頷いた。
そして、最後を締めくくるように、セシルが大きく息を吸い込み、叫ぶ。
「こいつを始末する!! 手始めにカイルが上空からとどめを刺しに来るぞ!! ここから離れて衝撃に備えろ!!」
セシルの声が響いた直後、冒険者たちは一斉に辺りに避難すると、その横たわる大型の魔物に向け、上空から一陣の風が吹き降ろされた。
冒険者たちはその風圧に耐えながら前を見ると、大型の魔物の胸にはカイルの剣が深々と突き刺さされていた。
そして、カイルが剣をそのままに大型の魔物から距離を取ると、次の瞬間には眩暈が起きそうなほどの凄まじい閃光が辺りを包み、幾筋もの雷がカイルの剣に向けて落雷する。
その、セシルが落とす雷の攻撃に、大型の魔物は四肢がのた打ち回るほど体を震わせ、いたるところから煙が立ち上げていると、いつの間にか大型の魔物の正面に立っていたセレンが、最後にとっておきの魔法で締め括る。
「カノ・ティール・アンスール・カノ・ウルズ・ナウシズ・エイワズ!<炎を司る軍神よ、我が言葉を聞け、炎の力をもって、我が敵を束縛し、死を授けよ!>『炎の棺』」
セレンが魔法を唱えながら両手で棺の形を空間に描くと、大型の魔物を囲うように炎の檻が出現し、内部に閉じ込められた獲物を、灼熱の業火が無慈悲に焼き尽くす。
冒険者たちは口を開けて炎を見つめ、船内への入り口のところで一部始終を見ていた金髪の青年は、カイルたちの洗練された動きと、容赦ない攻撃を見て、驚くと共に一筋の汗を流した。
カイルたちが参戦してから戦況が一変した事実。
冒険者ランクと実際の実力は、必ずしもイコールでは繋がらない。
ここにいる冒険者たちは、その事実を認めざるを得なかった。
だが、それを受け入れるにはまだ時間が足りず、まだ悔しそうな表情でカイルに向かい、感謝と今までの態度を謝罪をする冒険者たちのリーダーを、カイルは全て受け入れて握手していた。
その姿をセシルが胸を張り、自慢げに見ているのだった。
それから、一連の騒ぎも収束し、甲板上の動物型の魔物の死骸はフェライト王国で売りに出すため、甲板の一角に場所を設けると、結界を張って保管する事にした。
それらの作業は冒険者たちがやってくれると言うので、カイルたちは遠慮なくその場を任せると部屋へ戻る事にした。
カイルたちの姿が見えなくなると、冒険者たちは初めて見る自国の姫のブチ切れた様子と、自分たちの攻撃が全く通らなかった大型の魔物を、十数メートルも殴り飛ばした子供に、改めて戦慄を覚えていた。
そんな冒険者たちを他所に、部屋へと戻ってきたカイルたちは、厨房で受け取った昼食を食べていた。
船旅は特にやる事が無いために、食べる事が一番の楽しみだったりするため、船での食事は思った以上に豪華なのだが、その分も上乗せしているのか、船賃も高額なのも事実だ。
カイルたちの今食べている昼食もなかなか豪勢なもので、そもそも昼からステーキなんて普通に考えたら太る原因になってしまうが、先ほどまで程よく戦闘を行っていたカイルたちにしてみれば、ちょうどいい栄養補給だ。
ちなみに、食事はコックがその時の状況で内容をアレンジして作るため、先ほどの戦闘を知ってのこの料理なのだろう。
一番消耗の激しいセレンは、口いっぱいに頬張って幸せそうに食べている。
「彼は後ろから見てましたわね」
「一緒の船に乗ってるんだし、見るなって言う方が難しいだろうな」
「あんなのは放っておいて良いのよ。いちいち気にしてたら、こっちの身が持たないし、相手を喜ばせるだけよ。ああ言うのは無視するに限るわね」
セレンが二枚目のステーキを頬張りながら、放っておけと言う。
確かに、変に手を出して絡まれるのもごめんだ。
カイルたちの本来の目的はフェライト王国へ行く事で、決して金髪の青年と絡み合う事ではない。
ニーアムからの依頼も、フェライト王国までの護衛だから、カイルたちは護衛以外の仕事をしないように心に決め、昼食を終えた。
厨房へ昼食の片付けに行く途中で冒険者の一チームと会い、カイルたちも外での警備に参加してもらえないかと話を切り出された。
カイルたちも特に異論は無いし、部屋にいても暇過ぎる。
仮に金髪の青年に会ったとしても無視していればいいことなので、二つ返事で了承した。
「あぁ、やっぱり体を動かしていた方がいいですわ。気も紛れますし」
「別に、私は部屋で勉強してても良かったんだけどね」
「セレンは飽きたら部屋で勉強しててもいいぞ。ここは俺とセシルだけでもいけそうだし、何かあればすぐに呼べるような場所だからな」
まぁ、この規模の船の見張りなら、カイルだけでも十分だとは思うが、セレンが抜けても問題は無いだろう。
セレンもそのことは十分に理解していたので、見回りもそこそこに部屋へと退散していった。
その後ろ姿を眺めながら、カイルとセシルが微笑む。
「さて、セレンが退散しましたわ」
「じゃあ、甲板も空いてる事だし、俺たちの暇潰しといきますか」
「望むところですわ。 …ところで、今の戦績は通算十五勝一五敗ですわ。 …これが何を意味するか、カイルは覚えていますの?」
「あぁ、もちろん大丈夫。心配しなくても約束は覚えてるさ」
セシルが満足そうに微笑むと小さく頷いた。
カイルとセシルは船旅の空いた時間を使って、実戦形式での模擬戦闘を行っている。
初めは純粋にセシルの自己鍛錬に付き合ってたカイルなのだが、正式な剣技を学んでいないカイルに比べ、ベークライト城に仕える騎士からの指導に加えて、城の図書室で見つけた剣術の書物を用いた取り組みにより、セシルの剣技の腕前はカイルをはるかに凌いでいた。
それでも模擬戦闘を始めた頃はカイルに分があったのだが、ここ最近ではセシルもだいぶ実戦での戦闘のコツを掴んだらしく、怒涛の追い上げを見せている。
これでは、追い付かれるだけでなく、負け越してしまうのではないか、と言う危機感の元、更に自分を追い詰めるため、セシルとある約束を交わしていたのだ。
「俺が負け越したら、セシルの望みを何でも叶えよう。 …でしたわね。これが今日で叶いますのよ? …あぁ、待ち遠しいですわ。 …カイル、覚悟なさって下さいね」
セシルが目を閉じて胸の前で手を組み、まだ見ぬご褒美に身を震わせている。
そして、カイルに宣戦布告するかのように、冷ややかに覚悟しろと言い放つ。
次のチームとの交替まではまだまだ時間があり、模擬戦闘なら三戦は行けそうだ。
負け越しがほぼ確定しているカイルは、セシルの望みが何なのか全く見当がつかない訳では無いのだが、むしろ心当たりがあり過ぎるために、何を選ばれるのかが分からない。
言わば、まな板の上の鯉のような感覚に身が震えた。
そして今、運命の模擬戦が始まろうとしている。
今回はセレンがいないため、カイルの実家での模擬戦闘と同じ入り方になる。
セシルが短剣を真上に勢いよく放り上げると、くるくると回転しながら見事な放物線を描き、やがて重力に引かれて甲板へと落ちていき、コンッと小気味よい音を鳴らして短剣が突き刺さった。
その直後、カイルとセシルが一斉に駆け出す。
模擬戦闘では威力と能力差を考慮して、高速移動と魔法剣を禁止しているのだが、お互いの武器を消耗させないように闘気だけは纏わせている。
あとは、自身の身体能力をどこまで活かせるかが大きな課題だ。
そして、ほぼ甲板中央で二人の一撃目が始まった。
セシルの二本の剣に対してカイルは一本。
手数の多さはセシルが上で、しかも重心を低くした回転による連続攻撃がセシルの得意技だ。
一旦これが始まると、攻撃動作が途中で止められるか、一連の流れが終わらない限り、セシルの攻撃が止まる事は無い。
カイルはセシルの攻撃をうまく受けつつ、セシルにできる攻撃の隙を待つ。
二本の剣を見事に操り、相手への隙を与えずに攻撃するセシルの技でも、一連の流れの中でほんの一瞬だけ隙と言えるか微妙な「間」ができる。
これは、何度もセシルと剣を交えたカイルだからこそ気付くもので、おそらくはセシルすらも気付いてないのかも知れない。
だが、これが唯一のチャンスだと言うこともまた事実であるため、ひたすら攻撃を受けつつ、反撃するための体勢を保ったままその瞬間だけを待つ。
そして、その時が来た。
セシルが二本の剣をそれぞれ左右へと斬り流す。
本来はここから体を回転させて再び連続攻撃に入るのだが、カイルはその瞬間を見逃さず、一気に前へ出てセシルの懐へと入り込んだ。
一瞬で自分の剣の間合いの内側に入られたセシルが驚きに目を丸くするが、この程度で崩れるセシルではない。
すぐにカイルからの攻撃に備えて防御態勢に入るが、カイルは握っていた剣を離すと両腕に仕込んであるナイフを両手に取り、超近接戦闘へと切り替える。
「は、ハンドナイフですの!?」
「そう言うことだっ!!」
しかし、セシルもナイフを相手に二本の剣では対応が遅れると判断し、すぐに両手の剣を離して素手での応戦を始めた。
ナイフを握るカイルの拳を弾くように、薄く開いた状態の手でカイルの攻撃を見事に受け流していく。
まさか、セシルが素手で対応してくることを想定すらしてないかったカイルの目に驚きの色が浮かぶと同時に、戦況の流れが変わったときの瞬時の判断と対応、それに訓練とは言え、初めてであろう超近接戦闘への順応の速さに驚愕する。
おそらくは、これが例の傷を負った者が得た能力なのだろう。
咄嗟のセシルの機転に、カイルは攻めきれなくなっており、すでに超近接戦闘はセシルの優勢に変わろうとしていた。
それもそのはずで、セシルはカイルの実家で行われた模擬戦闘の中で、カイルと母親との超近接戦闘を何度か見たことがあるため、ある程度カイルの攻撃パターンも分かっている。
「甘いですわよ! カイル!」
ナイフによる攻撃の一瞬の隙を突くと、セシルの右腕がカイルの胸倉を掴み、一気に自分の元へと引き寄せる。
「うわっ! とっ! ととっ! もがっ!」
と、急に引き寄せられた事で足がもつれ、そのままセシルの胸に抱き留められてしまった。何とも言えない柔らかさと良い匂いに、抵抗する事も忘れ、セシルの胸に顔を埋めたまま時間が止まってしまう。
「うふふ、捕まえましたわ。 …それに、これで私の勝ち越しですわね」
セシルが嬉しそうな声で、カイルの顔を胸に収めるように頭を抱きしめる。
そして、カイルの頭を抱えたまま、その場にすとんと座り込むとカイルもそれにつられて膝をつくが、もともと身長差もあるためバランスが取れず、最終的にはセシルに抱き付いて寝そべる形に落ち着いた。
一瞬、このままの流れで押し倒してしまいそうになったが、そこは何とか堪える事ができた。
そこだけは自分を褒めてやろう。
更に、セシルに押さえ込まれている以上、何もできないと言うこともあり、カイルも観念してセシルのされるがままにしていたが、ふと違和感を覚える。
(あれ? セシルは装備を付けてたはずだけど、何で温かさと柔らかさを感じるんだ?)
カイルは今、セシルの装備の下に付けている胸の開いたシャツに抱き留められている。
気付けば、セシルが付けていたはずの装備が無い。
だから、セシルの体温や鼓動を直接感じることができるのだろう。
セシルは、カイルの髪に顔を埋めて静かに目を閉じると、小さく息を吸い込む。
「カイルの匂いがしますわ… この、柔らかくてお日様のような良い匂いが、私は堪らなく大好きなんですのよ? …このまま、ずっとこうしていていたいですわ。 …貴方を放したくありませんの」
「セシルの方が良い匂いだし、離れたくないのは俺も同じだよ。許されるなら、セシルをずっと抱きしめていたい。そう思うのは俺の本心だよ。 …ところで、装備はどうしたんだ?」
「うふふ、あれはセレンの実験と同じ事をしてみたのですわ。ただ、私の場合は鎧で試してみたんですの。今だけですが、なかなかに使い勝手が良さそうですわ。これからのカイルとの模擬戦は、これでいこうと思いますの」
セシルの話を聞いてカイルが納得する。
例の実験で、セレンは黒い翼だったけど、セシルは鎧で試してみたようだ。
そして、カイルを抱き留める時に解除したらしく、今も素晴らしい程の笑顔でカイルの頭を抱きしめている。
しばらくして、やっとセシルが開放してくれたので、そのまま仰向けになり膝枕をしてもらう。
「ああ、やっぱりセシルの膝枕は最高だな」
「お褒めに預かれて光栄ですわ。無論、この膝もそうですが、私の全ては貴方のものですの。ですから、言ってさえいただければ、いつでも何でもお望みどおりにご奉仕させていただきますわ」
「ありがとう。覚えとくよ」
カイルが手を伸ばしてセシルの頬にそっと触れると、セシルはその手に自分の手を重ね、幸せそうに微笑んだ。
空は抜けるような青空で、風も穏やかだ。
降り注ぐ日差しも柔らかく、とにかく膝枕が気持ちいい。
このまま眠ってしまいたくなるのは、男として当然のことだろう。
「少し眠っても構いませんわよ? この程度の見張りは、私だけでも十分ですわ」
「いや、さすがにそれはマズいだろ。と言うか、膝枕をしてもらってる段階で十分にマズいけどな」
現在、カイル達は見張り中だ。
なのに、膝枕をしてもらってる時点で、知らない人が見たら見張りをサボって男女がいちゃついてるだけにしか見えない。
しかも、セシルは鎧を着けていないし、シャツは胸のところが大きく開いているから、この光景は非常にマズい。
マズいのだが、なかなかやめられない。
いや、やめたくない。
すると、船内への入り口のドアが開き、誰かが甲板に出てきた。
驚くカイルとセシルはすぐさま離れて距離を取る。
そして、甲板に出てきた人物を見ると…
「いくら何でも、甲板でいちゃつくことは無いでしょ? 私じゃなくて、別の誰かが見てたらどうするつもりだったのよ」
「その場合、口封じをしますわ。目撃者がいなくなれば、何も無かったと言うことですのよ?」
腕を組み、頬を膨らませているセレンだったが、セシルの言葉に開いた口が塞がらなくなった。
除き見た人によって口を封じると言っているのだ。
つまり、最悪のケースは命を奪う事もためらわないのだろう。
さすがはセシルだと呆れてしまった。
そして、セレンがなぜ甲板に上がってきたのかを聞くと、部屋での勉強も飽きてしまったため、外の空気を吸おうと甲板に出てみたら、幸せそうな顔をして膝枕されてる男と、嬉しそうに男の髪を撫でている女がいたと言う。
まぁ、セレンが気を利かせて二人っきりにした時点で、ある程度予想はしていたが、本当にいちゃつくとは思ってなかったらしく、更に驚いたようだ。
「何なら、これからの見張りは私が代わるから、二人は部屋に籠ってていいわよ?」
「じゃあ、遠慮なく頼んでいいか?」
「夜の甲板は冷えますから、毛布は多めに持ってきた方が良いと思いますわよ?」
「ちょっと、何本気にしてるのよ! それにセシル! 今夜、私は部屋に戻れないって事? それはあんまりなんじゃない?」
セレンが含み笑いをしながら提案してくるのを、カイルとセシルが珍しく冗談で返し、それをセレンが突っ込むと、三人は顔を見合わせて声を出して笑い合う。
結局、その後は三人で見張りを続けながら、セレンを交えて甲板で楽しく訓練をして、時間を消化していくのであった。
フェライト王国に到着するまでは、あと三日。
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