第22話 とんでもない約束をする
とんでもない約束をする
― ここはどこだろう?
暗闇の中から引き上げられるような感覚の後、目の前が急に明るくなり、思わず目を細めてしまう。
徐々に明るさにも慣れ、カイルが辺りを見渡してみると、そこは一面に咲き誇る花畑で、自分はその真ん中にいるようだった。
やがて、思い出したかのように甘い花の香りが鼻孔をくすぐり、暖かく穏やかな日差しがカイルを包み、心地よい風も吹いている。
そして、隣には淡い色のドレスに身を包んだ愛しい女性、セシルがカイルを見て優しく微笑んでいた。
ここは良い場所だ。
いるだけで心が安らぐ。
このままずっとここで過したい。
― 何よりも、セシルがドレスを着ていると言う事は、戦いもやっと終わったと言う事か。
よかった。これで、何の心配も無くセシルと一緒に暮らすことができる…
そして、にこやかに微笑むセシルを見て、違和感を覚える。
すぐに気付いた。
セシルの顔の傷が消えていて左眼が開いているのだ。
右眼と同じ赤い色をしているが、なぜかこの左眼には違和感を感じる。
…いや、不安を感じている。
― 何だ? これは現実じゃないのか? 一体、これは何なんだ!?
すると、カイルの目の前を砂嵐のようにノイズが走り、あっと言う間に周りが見えなくなる。
そして、パッとノイズが消えたと思うと、自分のいる場所が変わった。
見渡すと辺り一面火の海で、カイルの周りにも火の粉が多く飛んでいて、今度は町の通りの真ん中に立っているようだった。
周りを包むようにあちこちで火事が起きており、そのせいで肌が焼けるような刺激を受けている。
そして、ふと自分の手を見ると、血にまみれた剣を握っていて、よく見ると、自分の装備は全てが血まみれだった。
足元の他にもいたるところに血だまりができている。
― 何が起きてるんだ? それに、セシルはどこだ? さっきまで一緒にいたはずだ!
セシルを探すために辺りを見渡しても、カイルの視界に入るのは多くの焼ける家と、いたるところにある血だまりだけだ。
― ここにセシルはいないのか?
そう思った瞬間、もの凄い殺気を感じ取り、全身の毛が逆立つ。
鼓動が早くなり、手足が冷たくなっていくのを感じる。
握る剣がカチャカチャと鳴っているのは、カイルが恐怖に震えているからだ。
― この殺気はどこから来てるんだ?
そして、後ろを振り向いて更に戦慄する。
そこには、先ほどの淡いドレスを身に纏い、激しく雷を迸らせているセシルの姿があった。
武器も防具も身に着けておらず、頭にはティアラを乗せ、ドレスにハイヒール姿のままだ。
そして、両眼を開き、涙を流しながらカイルを憎しみの眼で睨んでいる。
セシルに憎悪の感情で睨まれるのは初めての事で、胸が苦しく、呼吸が出来なくなるほどの悲しみに襲われる。
そして、自分の意思とは反して体が勝手に動き出し、信じられない事にセシルへと剣を向けた。
自分の心が徐々に憎しみに染まり、目の前の愛しい女性をこの剣で貫こうとしている。
剣が白銀の色に変わり、魔法剣として超高温になっていることが見てわかってしまった。
本気でセシルの胸を貫く気だ。
そして、セシルに向かって駆け出した。
― やめろ、やめろ! やめてくれぇぇぇぇぇ!!!
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ハッとして目が覚める。
どうやら夢を見ていたようだ。
それも気分が悪くなるような悪夢だ。
自分の息がもの凄く荒くなっており、呼吸が乱れ、汗も掻いたようで全身がベタベタしている。
急いで自分の手を見たが、血にまみれていなかった。
ホッと胸を撫で下ろして隣を見ると、セシルが小さく寝息を立てて、気持ち良さそうに寝ている。
その姿を見て、思わずセシルの髪を撫でると、すごく柔らかくて、いつまでも触れていたくなる。
髪を撫でながら、さっきの夢を思い出す。
― なぜ、あんな夢を見た? それに、なぜセシルを殺そうとしたんだ?
考えても答えは出ないと知りつつも、なぜか考えてしまう。
「う、うん… あれ… カイル? どうしたの?」
セシルがゆっくりと体を起こす。
だが、目を見るとぼんやりしてるので、どうやらまだ半分寝ているようだ。
「ごめん、起こしちゃったようだね。大丈夫、何でもないよ」
セシルを横にするために肩に触れると、不思議そうな顔をして言われた。
「カイル、なんで泣いてるの? 怖い夢でも見たの? それとも悲しい夢?」
セシルに言われて、自分が初めて涙を流していたことに気付く。
セシルの言葉遣いが違うからまだ寝ぼけているだけだと思うが、それでもカイルの涙には気付いたようだ。
「こ、これは、何でも無いんだ。本当に大丈夫だよ」
涙を拭いてセシルに顔を向けた瞬間、ふわりと頭を抱きしめられた。
当然、セシルの胸に顔を埋めるような感じになってしまい、とたんに顔が熱くなる。
「カイル。泣きたい時はいっぱい泣いて良いんだよ? 悲しかったのか、怖かったのかは私には分からないけど、カイルの気持ちが落ち着くまで抱き締めててあげるから。私はどこにも行かない。ずーーーっとカイルと一緒にいるから。いつまでも一緒だから、絶対に一人にはしないから、安心して?」
思わず涙が出てきた。
さっきまでの悪夢に心が凍り付きそうだったのに、セシルの言葉の暖かさが心に沁みて涙が出てきてしまった。
それは安堵の涙だろう。悲しさでは無く、嬉しさからの涙だった。
セシルにしがみつくように抱き付くと、しばらくの間セシルの胸を濡らしていた。
しばらくして、カイルが落ち着いた頃、やっと胸から解放してくれた。
顔を両手で掴まれて、視線を合わせられる。
「ありがとう、セシル。おかげで落ち着いたよ」
何とか微笑むことができた。
セシルに慰めてもらわなかったら、しばらくは落ち込んでいたかもしれない。
悪夢は恐ろしいかったが、それを打ち消してくれたセシルには適わないと思った。
「うん。正直でよろしい。じゃあ、そんなカイルにご褒美をあげる」
セシルがにっこりと微笑んで、チュッと唇にキスされた。
「よし! さぁ、寝よ寝よ」
そのままぱたんと倒れると、すぐに小さい寝息を立て始めた。
本当に寝ぼけていたのか? と思いながらも、カイルは微笑んで再びベッドに横になる。
結局、カイルはあの後眠ることができず夜明けを迎えてしまった。
そのためか、大きなあくびをしている。
「眠れませんでしたの? なら私を起こしてくれればよかったのですわ。そうすればカイルのお相手もできましたのに」
「いや、セシルの気持ち良さそうな寝顔を見たら起こせないよ」
途端にセシルの顔が赤くなる。
これくらいで赤くなるなら、昨夜のキスはやっぱり寝ぼけてたんだと思い、少しホッとした。
「おはよー!! 起きてたかなーーっ!?」
相変わらず、ノックをすることを忘れるセレンだが、本当に忘れてるのかは怪しいところだ。
「おはよう、セレン。何度も言ってますが、ノックくらいはして欲しいものですわ」
「ゴメン、ゴメン。覚えてたらやるよ。それより、何でカイルはそんなに眠そうなの?」
「あぁ、ちょっと夜中に目を覚ましちゃったんだよ。そこから寝付けなくてね」
「ふーん。で、眠れなくてセシルの寝顔をずっと見てたんだ。何だか嬉しそうだねぇ? セシル」
「あぅ…」
セレンの読みが当たり、セシルが再び顔を赤くする。
こんな光景を見ていると、昨夜の悪夢も段々と消えていくような感じがした。
着替えをしてから朝食を取り、普段着でギルドへと向かうと、既にニーアムが話をしてくれていたようで、受付のお姉さんが資料室へと案内してくれた。
扉を開けると、そこにはぎっしりと本や資料が詰め込まれた本棚が部屋を囲むように置かれており、部屋の中央にも背中合わせに置かれた本棚が四台もあった。
そして、部屋の一角には椅子とテーブルが二セット設置されている。
幸い、カイル達以外は誰もいないようで、この貸切の状態にセレンが目を輝かせる。
「わぁ… 本がいっぱいあるねぇ。これ、全部読めるかなぁ?」
「想像していたのとだいぶ違いますわね… でも、この程度なら、すぐに読み終わりそうですわね」
「セシル。城の図書室と比べちゃダメだ。一般の感覚なら、これは多い方だと思うぞ」
対照的な2人をそのままに、この資料室での目的を共有する。
1.ハークロムに関する資料
2.希望の光とそれに類似したものの資料
3.精神体に関する資料
全てあるとは思えないし、全く無いと言う事もあり得る。
城の図書室でも同じなのだが、過去にカイル達が直面しているような現象が起きていた場合、あの脅威度からして必ず記録が残っているはずだと考えていた。
そうしなければ、次に同じことが起こった場合、初動に時間が掛かり過ぎてしまい、犠牲者を増やしてしまうからだ。
しかも、人を操ったり、強力な魔物を従えて、ところ構わず誰彼問わず、好き勝手に仕掛けてくるやり方を考えれば、町や国が壊滅してもおかしくはないレベルだ。
それでも記録に残らない場合もあるが、それは関係者全員が死亡した場合だ。
だが、その場合は範囲が限定される傾向にあり、今回のように2つの国をまたぐような事は無いし、隣接する国では飛び火を警戒して、観察程度の記録くらいは残している可能性がある。
それでも公に残したくない場合は、資料の中に現象を知るものが見れば分かるような細工をしているはずだ。
いずれにしても、何らかの表現でカイルたちの助けとなるような情報があると確信していた。
「ここの資料室は無期限で使えるから、ある程度は時間をかけても良いだろうな。ずっと本を読んでいるのも疲れるから、休憩を挟みながら進めよう。他にも何かをしたければ声を掛けてくれ」
カイルとセシルの経験上、この程度の本の数なら今日1日で終わるだろう。
有力な手掛かりがあればそれを求めるし、何も無ければ世界のギルドを回って依頼書を探すのも試したい。
冒険者ランクを上げる目的もあるから、どこかのタイミングではギルド巡りをすべきだろうと考えていた。
「ねぇ、カイル。自分の読みたい本があったら、それを読んでも良いの?」
セレンが目を輝かせている。
これで尻尾があれば、パタパタと振ってる姿が見えそうなほどの喜びのようだ。
魔法を使う者がこのような資料室に入れば、興味をそそられるのは当然の事だろうし、その結果としてセレンの能力が上がるのであれば申し分ない。
「もちろん良いぞ」
「わーい! ありがとう!」
カイルにお礼を言うと、セレンはパタパタと奥の方へと駆けて行った。
「魔法使いの性なのでしょうか… ずいぶんと嬉しそうですわ」
「セレンには宝の山に見えるんだろうな。 …さて、俺達も宝探しを始めるか」
セシルと笑顔を交わすと、カイル達も本棚に向かった。
それから、本を探し続けて半日が過ぎ、だいたい本棚は全部調べ尽くし、残りはそれぞれが見ている本だけになった。
すると、セシルが一冊の本を差し出す。
「カイル。これを見て欲しいんですの」
それは『剣士の放つ希望の光』と言うタイトルで、始まりのところを簡単に見てみると、光を放って敵を倒す剣士の物語が書かれているようだった。
いかにも、と言う感じがするけど、初めての手掛かりに嬉しくなる。
「やったじゃないか! 凄いぞ、セシル」
「うふふ。もっと褒めていただいても構いませんのよ?」
つい、セシルの頭を撫でてしまうが、当の本人は嬉しそうに頬を染めて目を細める。
そんな仲睦まじいカイルとセシルのやり取りを視界に入れることなく、セレンは一冊の本に夢中になっていた。
むしろ、集中し過ぎてカイル達のしていることが見えていないほどだった。
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~資料室に入ってだいぶ経った頃~
セレンはウキウキと本棚に向かい、カイルに頼まれたものを探しながら、自分の興味を引く本が無いか見ていた。
本を手に取ってペラペラと見て行くと、大体が依頼内容の補足資料だったり、ギルドの日報や冒険者からの問い合わせ、報告だったりした。
さすがは冒険者と言うべきか、自国だけではなく外国での出来事も報告されている。
もしかしたら、と思い読み進めたが、自分たちに必要な情報は無かった。
そうして幾つかの本棚を確認していき、次の本棚に移った瞬間、その本が目に入った。
それは、セレンの使う古代魔法の本だった。
(うそっ! ホントにあった! どれどれ…)
ギルドの資料室には、設立時からの記録が保管してあると、ニーアムが言っていた。
それなら自分の使う魔法についても、何か記録があるんじゃないかと考えてたが、まさか本当にあるとは予想もしていない事だった。
この前の黒衣装の敵には、自分の魔法は極大のものしか通じなかった。
もっとカイル達の助けになるためには、何とかして力を手に入れたいと思っていた。
そうして見つけた本を読んでみると、そこには古代魔法以前に使われていたと思われる魔法がシンボル付きで載っていた。
セレンが食い入るように本を読み、その中に書かれているシンボルを見るたびに、なぜか読むことのできる古代語の内容を読むたびに、セレンの頭の中に新しい超古代魔法の記録が書き込まれていくのを感じた。
セレンの使う古代語の魔法は、ある事件を切っ掛けに使えるようになった。
なぜ使えるのかも分からないし、何かを参考にして作り出したものでもない。
いつの間にか頭の中に魔法書のようなものができていて、それを行使しているだけに過ぎない。
危険極まりないことを直感で感じ取っていたため、人前で使うことは滅多になかったが、たった一度の過ちで全てを奪われてしまった。
セレンにとって呪われた力であり、忌むべきものであったが、カイル達との出会いを経て、自分の力を正しく使おうと考え直すことができたのだった。
(これは私の使う文字よりも少ないし、読みも少し違う。でもこれは使えそう。私にこの力がなければ、今の生活も無いし、掛け替えの無い新しい家族を守るためにも、もっともっと強くならなきゃ…)
これは、セレンが禁断の扉を開ける第一歩だった。
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「ふぅ。これは良いものを読ませてもらったわー」
超古代魔法の本を一通り読み終わり、満足した顔でパタンと本を閉じる。
そして、棚に戻そうとしてふと思いつく。
(これって、他のギルドにもあるかも知れないって事?)
セレンが知る他のギルドはアルマイト王国しか無い。
だが、あそこはあまり良い感じがしなかったし、ニーアムのように気を利かせてくれる事も無いだろう。
おそらくは、お願いしたとしても、事務的に断られて終わるのが目に見えていた。
「どこか他の国で、私たちの事を良く扱ってくれそうなところは無いのかしら…」
思い出したようにカイルを見ると、デレデレしながらセシルの髪を撫でていて、セシルは満面の笑みを浮かべてふにゃふにゃになっていた。
しかも、こちらの視線すら感じていないようだ。
これが野外ならそんなことも無いのだろうが、いくら屋内の安全地帯だからといって気を抜き過ぎているのではないか? と思いつつも、セレンはマギーへの報告のためにその様子を観察し、頃合を見計らって声を掛けた。
「ねぇ、カイル。セシルの髪を撫でながらで良いから聞いて?」
「うん? どうした?」
本当に髪を撫でながら、しかもセシルから視線を外すことなく会話を続けようとしているし、セシルもふにゃふにゃのままだ。
まぁ良いやと諦めると、小さい溜め息を一つ吐き、セレンが資料室で思ったことを聞いてみた。
「ここのギルドはいわゆるホームみたいなもので、ニーアムさんも協力的なんだけど、どこか他にこう言う風に私たちを特別視してくれそうな国は無いの? 私、もっと他のところの資料も見てみたいのよ」
そこでやっとイチャイチャが終わり、カイルがちょっと真剣な表情になる。
そして、ちょっと考える風な仕草をしてセレンの問いに答えた。
「ここ以外なら、マルテンサイト王国だけだな」
「そこは、カイルの出身地ですのよ?」
これは初めて聞いた。
思い返すと、こう言う話しはしたことが無い。
いや、あえて聞かなかった。
聞けば自分の事も話さなければいけないから、セレンはその話を避けるようにしていた。
二人には後で必ず話すと言ったから、私が話し出すのを待っていてくれるのだろう。
だから二人は、セレンを気遣って自分たちの事も必要以上に話さないことも気付いている。
「じゃあ、マルテンサイト王国のギルドなら、もしかしたら資料室を見せてくれるかな?」
「どうだろう? でも行ってみる価値はあると思う。 …セシルがこれを見付けたしね」
そう言って、カイルがセレンに一冊の本を差し出す。
それは『剣士の放つ希望の光』と言う物語の本だった。
セレンが本を受け取り、パラパラと捲っていくと一枚の紙がひらひらと舞いながらセレンの足元に落ちた。
拾い上げてみると、それは誰かが手書きで書いた地図だった。
城の絵が書いてあるところから赤い色で線が引かれており、森の中に赤い×印がついている。
「あー… 何となく理解したわ。この地図の示す印が私たちの求める次の目的地で、それはマルテンサイト王国にあるって事ね」
「ご名答ですわセシル」
「でもさぁ、これってただの落書きかも知れないんでしょ? それなのに行くの?」
「マルテンサイト王国に行きたいって言ったのはセレンだぞ? それに、ギルドで他の仕事もできるなら、別にこれが外れでも良いと思わないか? 冒険者ランクを上げるためにも良いと思うけどな」
カイルも、この根拠の無い落書きのような地図を信じているわけでは無い。
それでも、マルテンサイト王国に行って冒険者ギルド長のウィルに頼めば、もしかしたら資料室を見せてくれるかも知れないのだ。
もし、それがダメならギルドでカイル達の求める依頼が無いか探せばいい。
どちらにしても、悪いようにはならないと言う確信だけはあった。
「うーん… まぁ、この資料室も調べ終わったし、これ以上ここにいても特にする事も無いしね」
「じゃあ、決まりですわ。お父様に報告しましょう」
地図は写しを取って、オリジナルを本に挟んで棚へと戻す。
そして、ニーアムにお礼を言ってベークライト城へと戻ると、早速国王へ報告するために玉座の間へと向かう。
国王は執事のクラウスと話をしていたが、カイル達を見つけるとにこやかに微笑み、迎えてくれた。
そこで、カイル達はギルドで見つけた本と地図の話をして、確認に行くことを報告した。
「そうか、次はマルテンサイト王国か。そなた達もなかなか忙しそうだな。私としては、子供たちが一気に三人もいなくなると寂しいのだがな」
国王が寂しそうに笑う。
そう言えば、城に来てから長い時間滞在したことは無いかも知れない。
長くてもせいぜい2~3日のレベルだ。
こまめに帰って来るのは良い事なのだろうが、すぐに出掛けてしまうのでは一緒に生活していても寂しさを与えてしまうだけだ。
とは言うものの、カイルたちにもやらなければいけない事もあるため、どうしたものかと困った表情をするカイルを見て、国王がニヤリと笑みを浮かべる。
「あぁ、そなたらを困らせようとした訳では無いのだ。こう言う時に、もっと子供でもいればなぁ、と思ったりするのだ。なぁ、セシルよ」
「し、知りませんわ!」
なるほど、そっちか。
顔を赤く染めてセシルがそっぽを向くと、してやった、と言う顔の国王は大きな声で笑いだす。
「わはははは すまん、すまん。ついそっちに話を向けてしまった。いや、でも予想通りの反応で嬉しいぞ? セシル。わははははは」
本当に嬉しそうに笑う国王は、ぷるぷる震えているセシルを余所にしばらく笑うと、表情を元に戻す。
「さて、私が寂しいのは仕方のないことだな。だが、それもそなたたちの戦いが終わるまでだ。それまではじっと我慢しておるよ。だから元気な顔で帰って来なさい。出発は明日だろう? なら、今夜は楽しい食事にしようじゃないか」
国王がにこやかに微笑んでくれ、その日の夕食もいつもより豪勢で、ゆっくりと時間をかけて家族みんなで楽しく食事をした。
そして、明日からのマルテンサイト行きに期待して部屋へと戻り、休むことにしたのだが、夜も更けてみんなが寝静まった頃… カイルはまだ眠れずにいた。
理由は簡単。
また、悪夢にうなされる気がしたからだ。
今まで悪夢なんて見たことも無かったのに、昨夜のような夢だけは見たくないと思っていても、悪夢を見せてやると言う声が耳元で聞こえるから、眠ることができないのだ。
どうしたものかと考えていると、隣から視線を感じた。
頭を横にして見ると、セシルと目が合う。
どうやらまた寝ぼけているようで、ぼーっとした目でカイルを見つめている。
「…どうしたの? 眠れないの? …ねぇ、何かあったの? 悲しそうな顔してるよ?」
「何でも無いんだ。ちょっと夢を見ちゃっただけだから。もう寝るから心配しないで」
セシルに心配をかけないように優しく微笑むと、頭を戻して目を閉じた。
すると、隣で体を起こす気配を感じたので目を開くと、セシルが悲しそうな目をしてカイルを見ていた。
思いも寄らない展開に飛び起きてセシルを見る。
「ねぇ、カイル。私達は夫婦なんだよ? …まだ結婚はしてないけど、もう一緒に生活してるし、一緒にお風呂に入って、一緒に寝てるの。私はそう思ってるけど、カイルは違うの? カイルが一人で悩んでるのに、私には心配をかけたくないからって何も言わないで… 私がそれで満足すると思うの? …逆だよ。カイルのその態度は私を酷く傷付けてるの。カイルと同じくらい私の心も痛いの」
迂闊だった。
良かれと思ってしていた事が、実は全て裏目に出ていた。
一番傷付けてはいけない大切な人を、偽りの優しさで深く鋭く傷付けてしまっていた。
改めて、自分の事しか考えていなかったことに気付かされる。
自分の情けなさにうなだれていると、ふわりと頭を抱きしめられた。
「…でも、私も逆の立場だったら同じことをしちゃうかもね。やっぱり大好きな人には笑っていて欲しいし、心配もかけたくないよ。 …でも、それは相手を傷付けちゃうんだよね。 …だから私は、嬉しい事も悲しい事も、なんでもカイルと半分こにしたいの。そうすれば、悲しければ二人で慰められるし、嬉しいなら一緒に喜べるもん」
カイルの頭を抱きしめ、髪を撫でながら微笑んでいる。
これから先、ずっと一緒にいるからこそ、良いも悪いも分け合いたい。
同じ気持ちを共有したいと思うのは当然な事だと思った。
「…それが夫婦なんだって思うの」
既に、カイルの心を覆っていたどす黒いモヤモヤは、朝日を浴びて霧が晴れるように、スーッと溶けていった。
そして心に暖かな光を感じていく。
だが、セシルがカイルの頭を放してくれないから、胸に顔を埋めたまま話し出す。
「…昨日が初めてなんだけど、悪い夢を見たんだ。俺がセシルを… 剣で… やめてくれって何回も叫んだけど体が言う事を聞かないんだ。 …そんな夢なんて見たくないのに、声が聞こえるんだ。毎晩悪夢を見せてやる、って。 …だから、怖くて眠れないんだ」
やがて、セシルが開放してくれて顔を目の高さに合わせられる。
そして、カイルを安心させるようににっこりと微笑む。
「大丈夫。私は絶対に殺されない。だってカイルが守ってくれるもん。カイルの体が言う事を聞かないんじゃなくて、それが偽者のカイルだから言う事を聞かないんだよ。本物のカイルじゃない。本物のカイルはそんな偽者に負けないもん。だから、安心して眠って良いよ。大丈夫、悪い夢なんて見ないから。私が良い夢を見れるようにおまじないをしてあげるね」
そう言って、セシルがにっこりと微笑むと、キスされた。
男女のそれとは違う、慈愛に満ち、相手を想いやり、落ち着かせるための優しいキス。
それだけで何だかカイルの心は救われたようになる。
「…ありがとう、セシル。もう大丈夫だ」
セシルに微笑むカイルの眼からは、もう怯えの色は見えなくなっていた。
「うん。よろしい。じゃあ、これはご褒美だよ?」
セシルがにっこりと微笑んで、チュッと軽くキスされた。
そして、カイルの腕に抱き付いてくると、小さなあくびをして、そのまま眠ってしまった。
セシルに心を救われるのは、これで何度目になるだろう?
そう思いながら、セシルと共にベッドに横になるとカイルも眠りにつく。
この日、カイルが悪夢を見る事は無く、朝までぐっすりと眠ることができた。
翌日、カイルはすっきりとした目覚めを迎える事ができたのは、セシルに心を救われ、安心して眠れたのが良かったのだろう。
当のセシルはまだ夢の中にいるようで、幸せそうな顔をして小さな寝息を立てている。
その寝顔を見ていると、ついセシルの髪を撫でてしまう。
きれいに手入れがされているセシルの髪は本当に滑らかで、いつまでも触れていたくなるような髪だ。
「う… ん… カイル? うふふ、嬉しいですわ… 朝から髪を撫でて下さるのね」
目を覚ましたセシルは、自分が髪を撫でられていることを知り、気持ちよさそうに目を細めている。
「セシルにまた助けてもらったからな。おかげで元気になれたよ。ありがとう、セシル」
「うふふ。貴方のお役に立てたのなら光栄ですわ。それが私の務めですもの」
セシルの髪を撫でながら昨夜の事を思いだし、改めて感謝の気持ちを伝えると、セシルが嬉しそうに微笑む。
そして、顔を赤く染めてモジモジとしながら何かを言い淀んでいるようだ。
「どうした? セシル。言いたい事があれば言っても良いんだぞ?」
「…良いのですか? オホン! では… わ、私に… ご、ご褒美をくれても、良いんですのよ?」
「へ? ご褒美? セシル、お前もしかして… 寝ぼけてたわけじゃないのか?」
「い、いえ… 最初は寝ぼけてたんだと思いますわ。ですが… その… 後半の方は…」
「そう言う事か… なら、納得したよ。寝ぼけてるのに、あんなに会話できてるのが不思議だったんだよ」
どうやら、昨夜はベッドから起き上がったくらいで目が覚めていたらしい。
でも、急に言葉を戻すと怪しまれそうだったので、そのままで通したようだ。
だとすれば、あのキスは勢いでしたのかも知れない。
「どっちだとしても、俺が救われたことは事実だからな。 …で、ご褒美が欲しいの?」
セシルがガバっとベッドから凄い勢いで起き上がる。
真っ赤な顔をして、目も潤んでいるようだ。
そして、じっとカイルを見つめる。
「…は、はい。 …ほ、欲しいです」
更に顔を真っ赤に染めて、消え入りそうな声で答える。
本当に恥ずかしそうだが、その表情がまた良い。
セシルの赤くぷっくりとした唇に目を奪われ、不謹慎だがドキドキが止まらない。
カイルが優しく微笑み、優しく髪を撫でてから肩に手を掛けて顔を近付けていくと、セシルも目を閉じる。
もう少しでお互いの唇が触れる、と言う時に、
「ヤッホー!! 朝だよぉー! おはようのキスはお済みですかぁー! …っ!? あ… って、えぇっ!?」
いつものように、ノックもせずに扉を開けるセレンが、目の前で起きようとしている光景に動きを止めてしまう。
ベッドの上でカイルがセシルの肩に手を乗せて、顔を近付けているのだ。
これは、間違いなくアレだ。
おはようのキスをしようとしてるのだ。
突然の出来事に驚いた二人も、そのままの体制で動きを止める。
そして、せっかくのキスを邪魔した犯人が誰かを突き止めるように、ゆっくりと部屋の入り口に顔を向けと、入り口のところには、セレンが呆然と立ち尽くしていたが、その顔は驚きから焦りに変わり、今は恐怖に引きつっている。
「セレン… あれほどノックしなさいと、貴女に毎日毎日言いましたよ…」
セシルはベッドから降りると、素足のままゆっくりとした足取りでセレンのところへ向かう。
いつの間にか雷を纏っており、一歩足を踏み出すたびに、セシルの体から迸る雷の激しさが増していくが、これは魔物を始末するとき以上の出力にさえ感じた。
「セシル…? あ、あははは… ご、ゴメンね…」
「セレン。貴様は今、絶対にしてはいけない事をしたのだ。 …それは死すらも生温い。この雷で死なない程度に感電させ続けようか? それとも、自分を焼き焦がす匂いを嗅いでみるか?」
セレンが後ずさりを始めるが、セシルに気圧されてうまく動けない。
セシルの言葉遣いも変わり始めていて、とても一国の姫が使うような上品な言葉ではなくなっている。
と言う事は、本気で怒っているようだ。
マルテンサイトの宿屋でも、寝るところを邪魔されて怒っていたが、これはその時よりも凄い。
これは冗談で済まされることではなく、このままだとセレンが危険だ。
いつまでも見ているのではなく、早く止めなければ。
「セレン!! 今ここで貴様の犯した罪を償えっ!!」
「ひ、ひぃいいいいいいい!!」
と、ブチ切れしたセシルが雷と化してセレンに向かおうとした瞬間、セシルはカイルに後ろから抱き止められた。
セレンがその場にペタンと座り、呆然としている。
「カイルっ!! 放してください!! 今度と言う今度は許せないのです!!」
「セシル! 落ち着け!」
カイルに止められたことで多少頭が冷えたのか、言葉遣いはほんの少し大人しくなるが、未だに凄まじい力でカイルを引き剥がし、セレンに攻撃をしようとしている。
向こうで呆然とするセレンを余所に、カイルがセシルに何かを耳打ちした。
「!? そ、それだけでは足りませんわ。恥ずかしいのを我慢してやっと言ったのに、私の初めてのおねだりが台無しにされましたのよ? 到底許すことなどできませんわ!」
「わ、分かった! それなら、これはどうだ?」
カイルに何を言われたのかは分からないが、振り解こうとする力は激減し、動揺するような仕草を見せるも、まだ怒りの方が勝っているようだ。
カイルはちょっと考えると、再びセシルに何かを耳打ちする。
徐々にセシルの目が大きく見開かれ、あれだけ迸っていた雷も一瞬で霧散し、セシルが真っ赤になって大人しくなった。
「わ、分かりましたわ。それなら… 仕方ないですわね。 …でも、約束は守っていただきますわよ? カイル。 …それとセレン、不本意ですが貴女を不問としますわ」
「ああ、もちろんだ。約束だからな」
「…助かったぁ…」
涙目になるセレンが、生き永らえたと思えた瞬間だった。
「ホントに死ぬかと思ったわよ」
「事実、殺すつもりでしたわ」
「セシルはやり過ぎだ。セレンはこれに懲りたらノックをしてくれ」
「はいはーい。次から気を付けまーす。 …でさ、カイルはあの時セシルに何て言ったの??」
まるで反省の色が見えないセレンは、カイルがセシルに何を言ったのかが気になるようだ。
そのおかげで助かったともいえるが、その内容が気になる。
怒り狂う雷神を一瞬で鎮めたくらいだから、凄まじい破壊力があるはずだ。
それが知りたくてたまらない。
「そんなこと言える訳無いだろ!? セレンに言ったらみんなに筒抜けじゃないか」
まず、マギーと国王の耳に入るのは間違いないだろう。
その後は国王からの弄りがひどそうだ。
楽しそうに笑いながら、二人をからかう国王の姿が容易に思い浮かぶ。
「あらぁ? 私は良いのよぉ? 見たままを報告するし、その他にも私が想像を膨らませて話すから。カイルはどっちが良いの? 真実を話して欲しいのか、私の豊かな想像を話して欲しいのか。 …言っておくけど、私の想像力は逞しいから生々しくて凄まじいわよ?」
「ぐ… その二択しかないのか…?」
突然、掌を返したかのように態度が豹変し、カイルに何を言ったのか詰め寄ってくる。
しかも、選択肢とは呼べないような内容を選ぶように強要してきた。
どちらを選んでも全員にばれてしまうが、問題はその内容だ。
一方は正直に伝わるものの、もう一方はセレンの想像力を盛大に膨らませた内容になる。
それは、おそらく城中では済まず、間違いなくギルドにも伝わるし、町行く人に肩を叩かれて微笑まれるかも知れない。
絶対に後者の選択をしてはいけないのだが、そうなると、自白するしかない。
即ち、カイルが負けを認めたことになってしまう。
他に何か方法は無いか頭を悩ませていると、隣りからパリパリと聞こえてきて、再びセシルが雷を纏っていた。
「いいえ。セレンの口を封じる、と言う選択肢もありますわ」
「あら、良いの? セシル。こう言っちゃ悪いけど、私のおかげなのよ? カイルに何を言われたのか分からないけど、セシルにとっては良い事だったんでしょ? なら、これからも同じような事があるって思わないのかしら?」
「そ、それは考えてませんでしたわ。確かに、あり得ますわね…」
「そうでしょ? ひと時の復讐を果たすよりも、今後も転がり込んでくる美味しい現実を選んだ方が、セシルのためになると思わない?」
まるで悪魔の囁きのように、いつの間にか立場が逆転してしまった。
悔しいが、魔法使いであるセレンの頭の回転は異様に速く、的確に弱点を突いてくる。
自分にとって有利な部分を武器に、相手からの反撃をものともしない攻撃を仕掛けてくるのだ。
既にカイル達は反撃することもできず、窮地に追い込まれて最後の選択を迫られると、最終的に、セシルがセレンに耳打ちしてこの騒動は幕を下ろした。
恐ろしいほどの満面の笑みを浮かべたセレンが部屋を後にするのを、部屋の住人二人はただ見送ることしかできなかった。
朝からひどく疲れた出来事だったのに、お互いに顔を見合わせて笑っている。
「朝から疲れたけど、セレンらしかったな」
「そうですわね。あれこそセレンですわ」
カイルは「ふぅ」と息を吐くと、セシルの頬に手を添えて優しくキスをした。
「カ、カイル!?」
「約束だろ? 毎日のおはようのキスと、お休みのキス。さぁ、着替えて食事に行こう」
顔を赤く染め、カイルの唇に触れられたばかりの自分の唇に指で触れ、ポーっとしている。
そこから元のセシルに戻るまで、しばらくの時間が必要だった。
それを見ながら、とんでもない約束をしたものだと、カイルは頭を掻くのだった。
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マギーの部屋
今日は来客が来ている。
本日の立役者であるセレンだ。
二人はテーブルを挟み、楽しげに話をしている。
「いやぁ、さすがはセレン様です。私にはできない事もやってのけるのですねぇ」
「ふふん。あの二人をそっちの方に動かすのは簡単な事よ。 …死にかけたけどね」
「おかげさまで、Aにも最高の報告ができますよぉ。 …では、これをお納め下さい」
「確かに受け取ったわ。引き続き、旅での報告は任せてね」
二人は微笑み合うと、硬く握手をする。
そして、金貨の詰まった袋を持ち上げて、セレンがマギーの部屋を後にする。
「おはようとお休みのキスを毎日することが決まった… ですかぁ。 ふふふ…この様子ならお世継ぎ誕生も時間の問題ですねぇ。 …さて、Aへの報告書を書きましょうか」
マギーは嬉しそうにペンを走らせるのだった。
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