第8話 罠は大抵単純に引っ掛かる

罠は大抵単純に引っ掛かる



休憩を終え、お互いが見える距離で二手に分かれ、洞穴の入り口の探索を行う。


「カイル、こちらに来ていただけます?」


一時間くらい経った頃、セシルが向こうから呼んできた。

見ると、目の前の岩壁に人が1人入れる程度の、小さな入り口のような穴が開いていた。

中を覗き込んでみるが、漆黒に包まれているためにここが探している洞穴七日が分からない。

入り口が小さいため、見付けるのに手間取ってしまったようだが、これは手掛かりの一つとなる。


「ここか…? いや、入ってみないと分からないか」


カイルはセシルに声をかけて中に入り込む。

洞穴内は当然ながら光は届かず漆黒の暗闇で、ランタンを灯しているが、足場の悪いところでは注意が疎かになるため、襲撃されたら不利になるのは間違いない。

慎重に進んでいくと、道は右に左に曲がりながら続いているが、不思議と分かれ道は無い。

しかも、魔物がいると記録には書いてあったが、だいぶ進んだ今でも出て来ないし、索敵にもかからない。

やがて、目の前が明るくなってきているのが見える。

どうやら次の曲がり角の方から漏れてくる光のようだ。


警戒と索敵を続けながら角を曲がると、そこには巨大な空間が広がっていた。

正面には大きな滝があり、上の部分が外と繋がっているために、ここから光が入るのだろう。


「これは… 賢者の泉… とは違いますわね」

「俺もそう思う。この滝は外の川から入ってきてる。でも、途中に分かれ道は無かった」

「それに、鉱石を採掘していた形跡もありませんでしたわ」

「ハズレだな。ここから出よう」


そして、洞穴から外に出ようとしたとき、異様な感覚を検知した。


「…セシル、外に何かいるようだ。警戒してくれ」


セシルに小声で話掛けながら、二人は戦闘態勢をとる。

注意しながら外を確認すると、珍しいものが洞穴を出たところでこちらを待ち構えていた。


見上げるほどの大きな人型で、歪な黒い岩を幾つも組み上げて作ったような形をしている。

胸には深紅に光る丸いコアのようなものがあり、顔と思われる部位には目や口のようなものは無い。

ただののっぺらぼうな岩肌で、手の部分にも指が無い。

見ていて気持ちの良いものではなく、むしろ嫌悪感を抱いてしまう。


「…あれはなんですの?」


これまでに見たことも無い気味の悪いものを見て、セシルが顔をしかめている。


「ああ、あれはゴーレムだな。いろいろな種類があるけど、あれは見た通り岩がベースなんだろう。だとすれば、動きは遅いけど恐ろしく硬い。で、この洞窟に誰か入ると起動する仕掛けのようだ。外れの洞穴だったけど、誰かが罠を仕掛けていたんだろう」


剣を抜きながらカイルが答える。


「罠…ですの?」

「たぶんだけど、面白半分で誰かが仕掛けたと思う。迷惑な話だろ?」

「何の目的でそんな迷惑な罠を仕掛けますの?」

「父さんに聞いた話だと、魔術師とか錬金術師が自分の研究成果を確認するためにやるらしい。自分の開発したものがどれくらいの性能を発揮するか、って理由だそうだ。それと、実験用の被検体を確保するためらしい」


セシルが呆れてやれやれとため息をついているが、確かにそうだろう。

どうやってゴーレムが起動したか分からないが、魔法の働いた痕跡は無く、誰かがいたわけでも無い。

だが、スイッチも無かったにも関わらず、起動したゴーレムが目の前にいる。

考えられるのは、洞穴の入り口に何らかの仕掛けをしておいて、誰かが入り込んだ時点で発動するようなものだろうか。

いずれにしても、邪魔されるのは目に見えているため、排除しなければいけない。


「セシル、あいつを倒すぞ。既に俺たちは捕捉されてるから、どのみちゴーレムを倒さないと進めない。コイツも先手必勝で行こう。やり方は… いつも通りだっ!!」


カイルは洞穴を出るなり、すぐさま風を纏ってゴーレムに向けて疾走する。

一瞬で間合いを詰めると、青白い炎を纏った魔法剣を、ゴーレムの左の首へと斬り付ける。

魔法剣が首筋に当たった瞬間、甲高い金属音が鳴り響いた。

ゴーレムの体を形作る黒い岩には斬撃を防御する効果があるのだろうか、傷ひとつ付いていなかった。


「くそっ! やっぱり硬い!」


間を置かず、カイルが射線上から外れるのを確認し、セシルが光の魔法で追撃する。

光の尾を幾つも伸ばし、文字通り光速でゴーレムに直撃するが、ダメージがあるようには見えない。


「魔法と斬撃が効かないのか!!」

「かなり強力な魔法防御ですわ!」


カイルはゴーレムから距離を取り、体勢を整えると再びゴーレムに向かって疾走する。


「これならどうだ!!」


疾走する凄まじい速度をそのままに、ゴーレムのコアを目掛けて魔法剣を突き刺すと、ゴーレムのコアに魔法剣が深く突き刺さった。

どうやら、コアは体ほど防御力は無いようだ。


「よし、刺さった!!」


カイルは剣を手放してその場を離脱すると、セシルが叫んだ。


「これでも喰らいなさい!!」


セシルがカイルの手放した剣を狙って、電撃の魔法を打ち込む。

ゴーレムは声も出さず、発せられる雷の衝撃に体を震わせ、体のいたるところから黒い煙を出すと、そのまま膝から崩れ落ちる。

ピクリとも動かなくなった体を構成していた岩がボロボロと転がり落ち、その場に瓦礫のように積みあがった。


「お見事。この上なく良いタイミングだったよ」

「お褒めに預かり光栄ですわ」


ゴーレムの胸に刺さる剣を回収しながら、セシルの攻撃を褒めると、セシルがにこやかにお辞儀した。


「この洞穴は間違いでしたのね… では、本物はどこにあるかしら?」

「一つ思い付いた。もしかしたら魔法力によって隠されているかも知れない。なら、索敵で見つかるんじゃないかな? ちょっと試してみるけど、広範囲に展開するから集中しないと難しい。だからセシルにはその間、俺を守ってて欲しいんだ」


索敵で魔法力を探せば、魔法力で隠してるものも見つかるはずだと、思い付いた。


「お任せください!! 私、全力でお守りいたしますわ。だからカイルは安心して集中してくださいませ」


任せられたセシルは、嬉しそうに自分の胸を叩く。

そして、カイルは目を閉じると索敵を開始する。

範囲はできるだけ広域。

どんな小さい魔法力でも見つけられるくらいの繊細さ。

セシルが守ってくれているからこそ、完全に索敵に集中することができる。


(さぁ、見つけてやるぞ… どうだ? っ!! …見つけた。ここからだいぶ離れてるようだが、まずは行ってみるか)


スッと目を開き、セシルに微笑みかける。


「セシル、こっちみたいだ。行こう」

「あら、もう見付けましたの?」


早々にカイルの守りの任務が終了したことに、物足りなさを感じているセシルを伴い、索敵で見つけた場所へ向かう。

近くに来ると、薄いけど結界のような魔法力を感じる。


「確かに、ここまで来れば私でも分かりますわ」


目的地に着くと、セシルも魔法力を感じ取ったようだ。

どうやら結界を張っているみたいだが、こんなに弱い結界で入り口を隠しているのだろうか?


カイルが不思議そうに結界を解くと、物凄い魔法力が溢れ出してきた。

おそらく、先ほどの弱い結界の目的は、入り口に張った強大な結界の魔法力を抑えるためのもののようだ。

入り口を隠す結界を強く張り、その強い結界を隠すように外側にわざと弱くした結界を張れば、弱い外側の結界のせいで見付けにくくなるからだ。

そう言う意味では、この結界を張った人物はよく考えていると思った。


だが、ここまで念入りに隠していると言うことは、中には知られたくない何かがあるに違いない。

村で聞いた「泉に近寄るな」に関係してるのだろうか?


すると、結界を解いた事で漏れ出した魔法力につられたのか、索敵に動きを感じる。

どうやら、辺りから続々と集まりつつあるらしい。

ムダな戦闘は避けた方が良いと判断したカイルたちは、結界の先に進むことにした。


それから少し進むと、洞穴の入り口らしいものが、ぽっかりと穴を開けているのを見付けた。

その入り口の両側には、太い二本の大木があり、入り口を守るように更に強力な結界が張ってあった。


「凄まじいほどに厳重な守りだな。ここは本当に泉があるだけなのか? それとも、泉とは別の隠さなければいけない何かがあるのか? いずれにしても、これほどの強力な結界を張る必要があったんだろうな。もしかして、これが村で聞いた泉に近付くなって事か?」

「では、どうしますの? 私はどこまでもカイルに付いていきますわ。私の事は気にせず、カイルの信じるままに進んで下さいませ」

「ありがとう。じゃあ結界を解くから、十分に注意してくれよ」


セシルの言葉に背中を押され、この洞穴に入る事を決めた。

結界を解いて中に入ると、まるで待っていたかと言わんばかりに、壁にあるたいまつが順番に灯り出していく。

侵入者防止と言うよりも出迎えのような感じだ。

明かりを持ちながら移動しなくても良くなったが、意味も無くこのような仕掛けが施されている以上、余計に警戒しなければいけない。


洞穴は、自然の岩をくりぬいたような作りで、人二人が並んで歩けるくらいの広さだが、

天井が低いので、剣を振り上げたらぶつかりそうだし、何よりも足元と天井の所々で岩が飛び出ていて歩きにくい。


「カイル、ここを見てください。これは採掘の跡ですわ」

「よし、ここでアタリだな」

「でも、天井が思いのほか低いので、ここで戦闘はしたくありませんわ」


すると、ここで戦闘はしたくないと言ってるそばから、犬型の魔物が十数匹、前方から走ってくるのが見えた。

通路が狭いから剣は使わない方が良いと状況を即座に判断し、剣ではなく両腕に挿している短刀を二本逆手に抜き取り、炎の魔法剣を発動する。


一歩、後ろに引いたセシルは静かに詠唱を始め、自身の周りに小さい光の玉を幾つも浮遊させ始めた。

お互いに準備が整ったところで、カイルがいつも通りに飛び出す。


敵の前で足を止めることなく擦り抜け様に、逆手に構えた二本の魔法剣で迫りくる魔物を斬り刻んでいくと、一匹、また一匹とカイルの間をすり抜けてセシルの元へ向かう。

だが、セシルの周りに浮遊する光の玉がそれに呼応するかのように、一つ、また一つと魔物に向かって放たれ、次々と魔物を撃退していく。

最終的にはカイルが最後の一匹を斬り裂き、後ろを振り返ると、そこには数匹の魔物が倒れていた。


「相変わらずすごい命中精度だな。これなら安心して背中を任せられるよ」


戦闘中、無防備な背中を守ってもらえるのはとても助かる。

もちろん、セシルを無条件で信用しているため、カイルは戦闘中、一度も後ろを気にすることが無かった。


「うふふ、安心していただきたいですわ。カイルの背中は私のものですもの」


そう言って、セシルが嬉しそうに微笑んだ。


危なげなく戦闘を終えた二人は、先を進んでいき、途中にある分かれ道はマッピングをしながら進み、やがて右側が崖になっている、緩やかな下りの道に出た。

らせん状に右に下っていくような通路だが、崖の下は漆黒の闇で、小石を落としても音が聞こえない事から、かなりの深さがあるようだった。


「わわっ!? き、きゃあぁぁぁ!!」

「セシル!!」


突如、セシルの足元が崩れ、バランスを大きく崩し、崖下に落ちそうになる。

すぐにカイルが手を伸ばし、上手くセシルの腕をつかむと、グイッと引き寄せて腰に手を回す。

危ないところを回避できたが、お陰で二人はちょうど抱き寄せるような形になってしまった。


「あ…」


零れるようにセシルから言葉が漏れ、頬を赤く染めると、カイルの心臓も鼓動が速くなっている。


(くそっ! この「ふわっ」と感がたまらんのだ!!)


だが、今は探索中だ。

このような浮ついた気持ちでは、簡単な落とし穴にでも落ちてしまうかも知れない。

まずは落ち着かなければ。

気付かれないように浅く深呼吸して、自身を何とか落ち着かせる。


「な、慣れない探索で疲れたろう? この辺で一旦休憩しないか?」

「え、えぇ、そうですわね。賛成ですわ」


このまま抱き締めたままだと、色々とまずいことになりそうだったので、誤魔化すわけではないが休憩しようと提案すると、セシルも賛成してくれた。

何より、セシルにとっては初めての洞穴探索と言うこともあるし、足場が悪い上に魔物も出る。

ずっと緊張したままならば、当然疲れもたまるだろう。

良い意味で、落ち着くための休憩を取ることにした。


幸い、この洞穴にはカイル達以外誰もいない。

通路を塞いだとしても特に問題は無いこともあったので、通路を目一杯使って十分に体を休める事ができる。


荷物を置くと火を起こし、お湯を沸かして簡単なスープを作る。

野菜は薄く切れば火も通りやすい。

干し肉を入れて、塩で味付けをすれば完成だ。

簡単な調理だが、冒険者にとって野外での温かい料理は何者にも勝る。


「できた。さあ、熱いから気を付けて飲んで。疲れが取れるよ」

「ありがとう」


カップとスプーンを差し出すと、セシルが受け取る。


「あぁ… 体に沁みますわ…」


一口飲み、目を閉じて「ほぅ」と息を吐く。


「探索は緊張しっぱなしだから、疲れもたまりやすいんだよ。せっかくだから、少し横になると良い。眠らないまでも、横になるだけでだいぶ楽になるんだ」

「このゴツゴツしたところで寝ろと言いますの?」

「ちゃんと毛布は厚めに敷くよ。そのために多めに持ってきたんだ」

「いえ、そこまで本気で寝ようとは思いませんわ、ただ…」

「ただ?」


聞き返すと、セシルが赤くなっている。

なんだろう?


「その… 肩を貸していただけると嬉しいですわ」


どうやら、本気で寝るわけじゃないけど、仮眠くらいしたいから肩を貸して欲しい、と言うことらしい。

それくらいなら全く問題無いので快諾すると、「ありがとう」と微笑んでカイルの肩に頭を預ける。

そして目を閉じると間もなく、すーすーと寝息を立て始める。

余程疲れていたんだろう。

時間はまだ十分にあるから、このままゆっくり寝かせてあげよう。


それから一時間くらいしてセシルが目を覚ます。


「ふぁ… おかげさまで良く眠れましたわ」


あくびをしてから立ち上がり、軽く体を伸ばす。

どうやら、体の疲れはだいぶ取れたようだ。


それから、もう少し休んで出発する。

この下りの道は、右回りの円を描くように下へと続いていて、どんどん進んでいくと、やがて一番下に着いた。

体感的には、城の天辺から地下までの距離と同じくらいは下りてきたと思う。


そこは巨大な円の形をしており岩ではなく土があり、草が生い茂っていて、真ん中あたりに泉があるのが見えた。

泉は楕円の形をしていて、水は透き通るように透明だ。

かなりの深さがあり、壁や底は岩がゴロゴロしていて土は見えない。

底から湧き出ているのだろうか、時々、下の方から小さな気泡が浮き出てくるが、生き物の姿は見えない。

水草や苔すら生えてないのは、水自体が生き物を住まわせるためのものではないからだろうか?


辺りを見渡しても、他に通路のようなものは確認できなかったことから、ここの泉で間違いないだろう。

それにしても、ここは不思議な場所だ。

地底で日の光も入らないのに、土に生えている草は青々と茂っている。

明かりは、周りを取り囲むように置いてあるたいまつだけで、しかも誰かが来ないと点かない仕組みだ。

泉の水面も青白く発光しているが、魔法力は一切感じない。

ただ、この水は普通のものではないと言うのは肌で感じていた。


「不思議な場所ですけど、この草は… 毒草には見えませんわ」

「むしろ薬草の類じゃないか? 似たのを地元の山で見た事がある。でも、ホントに不思議だな。ここは地下なのに何で植物が生えてるんだ?」

「泉も発光してるようですし、これが影響してると思うのですわ。魔法力は感じませんが、あまり良い場所でもなさそうですし、本音としては長居はしたくありませんわ」


それについてはカイルも同意見だったため、早速荷物から水を入れるための袋を取出すと泉の水を汲み始める。

その間、セシルは辺りを警戒しながらカイルの作業を見守っていた。


そして、水を汲み終えたカイルが頭を上げると、視界の片隅に何かがあるのをを捉えた。


(…なんだ?)


慎重に近付いてみると、そこには小さめの石碑のようなものが一つ置いてあった。

カイルがそれを見ていると、セシルも何事かと近寄ってくる。


「何かありましたの?」

「いや、石碑のようなものがあるんだけど… 何か書いてある… これは…っ!? まずい!! 罠だ!! セシル、俺から離れろ!!!」


石碑に書かれていた文字を読んでいたカイルが叫んだ瞬間、セシルが弾けるように距離を取る。


「カイル!!!」


距離を取ったセシルの目の前で、カイルが苦しむように膝を付く。

やがて、カイルがゆっくりと立ち上がるが、その瞳はぼんやりとしていて、いつもの力強さは感じられない。

精神操作系の仕掛けがあったのだろうか、カイルのあの感じは操られているようにしか見えない。

セシルは、一瞬にして恐怖に足が震えた。


(どうすればいいの!?)


カイルがいなければ何もできず、何をすればいいのかすら分からない。

自分はこんなにも無力だったのかと、今まさに痛感した。

だが、カイルをこのままの状態にしておくこともできない。

どうすればいいか頭を悩ませていると、カイルがゆっくりとこちらを見た。


『コノ聖域ヲ犯ス者ニ疑心暗鬼ノ呪イヲ掛ケル。己ノ仲間ヲ己ノ手デ打チ倒スガイイ!!』


(カイルの声じゃない!! 疑心暗鬼? 己の手で打ち倒す? 何を言っているの?)


セシルが混乱している間にカイルがこちらに向かって歩き出し、剣を抜いて襲い掛かる。


「カ、カイル!! お願い、止めて!! 正気に戻って!!」


必死に呼び掛けるが、声は届いてない。

その間にもカイルが剣を振り回して攻撃してくる。

ただ、操る体では剣技が使えないらしく、ただ闇雲に振り回すだけなのだが、セシルはカイルに剣を向けられていることが信じられなくて、いつものように動けない。

そして、カイルが振り下ろす剣を自分の剣で受け、お互いの顔が近付く。


「カイル、お願い! 元に戻って! 私のところに戻ってきて… お願い…」


いつものカイルに戻って欲しいと懇願するセシルの目には、溢れんばかりの涙が溜まっていた。

すると、カイルの胸元がうっすらと輝き出す。

これはあの時の「希望の光」のようで、カイルの動きが止まると、内なる何かと戦っているように苦しい表情を浮かべながらセシルに向かって声を振り絞る。


「ぐ、うぅ… セシル… 俺を、泉に落として… くれ… あの水なら… 恐らく…」


苦しそうに、賢者の泉に自分を落としてくれと懇願する。

今も何とか動きを止めてくれているカイルの頼みを受けると、セシルは意を決してカイルに向かって抱き付き、そのまま泉に飛び込んだ。

水は思ったほど冷たくないが、水に浸かるだけでは何の変化もなさそうで、今もカイルは苦しそうな顔をしている。


(なら、どうすればいいの?) 


徐々に「希望の光」の効果が薄れてきたのか、セシルから必死に離れようとしているカイルを押さえ付けながら、セシルが必死に考える。


(水に浸かるだけじゃダメですわ。それ以外ですと… 水を飲ませる? 内側から浄化するということですの?)


このままでは埒が明かない。

それならば、思い付いたことは片っ端から検証して正しいかどうかを見極めればいい。

セシルはカイルに水を飲ませようと水の中に引き込もうとするが、カイルが暴れてうまくいかない。

やはり水の中とは言え、力ではカイルに敵わないようだ。

すでに、セシルは全身がずぶ濡れになっていて、水もいっぱい飲んでしまっているが、カイルは器用に頭を水の上に出して抵抗を続けている。

ここまで水の中に引き込まれたくないところをみると、泉の水から逃れようとしているのだろう。

そう言う意味では試してみる価値はある。

自分自身が既に結構飲んでいるが、体調に異変は現れないため、即効性の毒などは含まれていないと言える。


ただ、今もカイルが激しく暴れるため、そのたびに口の中に水が入り、息が苦しくなる。

そして、だんだんとカイルを押さえ付けている手に力が入らなくなってきた。

着衣のまま水の中で動いていれば、体力を消耗するのは当たり前のことだが、このままだと、カイルに逃げられてしまう。

もしそうなったら、セシルにはカイルを捕まえる術はもうなく、また愛しい人に剣を向けられてしまう。


(それだけは嫌。絶対に嫌!! 例え操られているとしても、カイルにだけは剣を向けられたくない…)


セシルの目に再び涙が溜まってくる。


(でも、どうする!? どうすればいいの!?)


すると、水を飲ませるための方法が頭に浮かんだ。

しかもやることは簡単で、尚且つ確実な方法だ。

そして、一気に顔が赤くなり心臓の鼓動も速くなる。

こんな時だと言うのにドキドキがうるさい。


だが、一つの不安が頭をよぎる。


「わ、私の方からしてもよろしいものなのでしょうか? はしたないと思われないでしょうか?」


情けない事に、一刻を争うこんな時でもこんな事を考えてしまう。


(…考えている場合ではありませんわ …逃がしたら終わりなのですから!! 恥ずかしがらずにやりなさい!! セシル!!)


自分に喝を入れると、セシルは覚悟を決めた。

泉に顔を入れて、口いっぱいに水を溜め込む。

そして、カイルの頭を押さえて口付けた。


ほどなくして、暴れていたカイルの動きが止まると喉が動き、セシルから口移しされた水を飲み込んだ。

それを確認したセシルは、一度顔を放してカイルの様子をうかがう。

水を飲んだあたりから暴れなくなったが、見た感じでは変化もしてないように見える。


(…あれ? もしかして、何とも無いの? なんで? …もしかして、もっと必要なのかしら? はっ!! そうよ! もっと必要なのよ!)


これは、必要な事だから仕方のない事なのです。

と、セシルはちょっとニヤついてしまう自分に言い聞かせると、もう一度口移しで水を飲ませる。

今度は、さっきよりも時間をかけてじっくりと飲ませてみると、カイルは素直に水を飲んでいく。

唇を離して「ほぅ」と息を吐くが、もうドキドキが止まらない。


(…どうかな? …え? まだ足りないって? もう… 仕方ないなぁ。特別だぞ?)


ちょっと気分が良くなってきた。

調子に乗ってもう一度口移しをしようと顔を近付けて、カイルがぐったりしていることに気付いた。


「…あれ? カイル? た、大変ですわ!! …って、気絶してるだけですのね」


お楽しみの時間を終え、カイルを何とか泉から引き上げる。

念のため、泉から少し離れたところで火を起こすと、セシルは脱げるものを脱ぎ、カイルも脱がすと後ろから抱きしめて肌で温める。

濡れた服は体温を奪ってしまうため、こういう時は裸になって人肌で暖めるのが一番だと、以前座学で学んだことを思い出していた。


幸い、この空間は寒くないし泉の水温も思ったほど低くなかったので、体温が著しく下がる事はなかった。

しばらくカイルを温めながら様子を見てみると、穏やかな顔になったため、一旦毛布の上に寝かすと、脱いだ服を乾かすために火の近くに広げた。


そして、カイルのところに戻り、何となく膝枕をしてあげる。

この空間には魔物が来ないと直感が言っている、本当は一緒に横になって体を休めたいところだが、万が一と言う事もあるし火の番も必要だ。

カイルを見ると、さっきまでの禍々しい気配は感じられず、ただ気を失っているだけだ。

あとは泉の水の効果を祈るしかない。


セシルは、この待っている時間がもどかしかった。

特に一人だと負の感情が湧き上がり、イヤなことを考えてしまいがちになる。

カイルと二人でいる時はそんなことは無いのに、こんなにも依存してしまっていると気付いてしまった。


(…早く …お願いだから、 …早く、私に元気な姿を見せて…)


祈るように目を閉じると、疲れてしまったのか、睡魔が襲ってくる。


(…ああ、火の番をしなきゃ… でも、ちょっとだけ… ごめんなさい…)


やがてセシルも意識を手放した。


深い闇の中、燃えるような憎しみに支配されていた心は、いつの間にか解放され、慈愛に溢れた暖かさに覆われていた。

頭に言いようの無い柔らかさと暖かさを感じ、カイルが目を覚ます。

まだ意識がぼんやりしてるけど、どうやら横になっているようだ。


でも、この暖かさは何だ? 手を伸ばし、頭の下のものに触れてみる。

スベスベしていて柔らかい。この暖かく滑らかな手触りは、ずっと触れていたくなるようだ。


だが、セシルを一人にはできない。

そろそろ起きなければと、名残惜しそうに手を放す。


「あら… もう、満足しましたの?」

「うわっ!!」


上から降ってきた声に驚いて、飛び起きた。

後ろを見ると、真っ赤になったセシルと目が合った。そして、お互いほぼ下着だけの姿に

なっていることに気付き、更に驚く。


「あ、あれ? この状況って、俺… 何してたっけ…?」


直前のことが思い出せない。

ここに降りてきて、泉の水を汲んだことは覚えているのだが、その後が思い出せない。


「もう! あまり心配を掛けないでいただけます? 私、胸が押し潰されそうでしたのよ? それなのに、貴方ときたら… でも、よかった。無事に戻ってきてくれました。 …本当に、良かった」


最初はプンプン怒っていたセシルだが、最後は涙を流しながらカイルに抱き付いてきた。


「…怖かった。貴方がいなくなってしまうんじゃないかって思ったら、怖くて、怖くて…。 本当にそうなっちゃったら、私はどうすれば良いのですか…?」


抱き着く腕の力が強くなる。

セシルをここまで怖がらせてしまったことを深く反省する。


「ゴメン。俺が悪かったよ。約束する。絶対にセシルを一人にはしない。気を付けるよ」


誓うように抱き返すと、腕の中で「ほぅ」と吐息が漏れた。


「単純な罠に引っ掛かるような方に言われても、説得力がありませんわ」


頬を染めながら、セシルがいたずらっぽく微笑むその目には、もう涙はなかった。


「なるほど、石碑が罠だったのか。疑心暗鬼とか、本当にいやらしい罠だな。それにしても我ながらそんな罠にかかるとは… 情けない… これじゃあ、両親に指をさされて笑われちゃうよなぁ」


服を乾かしながら、セシルに事の顛末を聞いて、改めて自分の行動の軽率さに項垂れた。


「で、でも! 私が何もできずにいた時、カイルが自分から泉に落とせ、って言いましたのよ?」


セシルが必死にフォローしてくれる。

対処法らしいことを言ったようだけど、自分の起こした問題だなら、それくらいは当然だろう。

いずれにしても、浮かれてしまったがために、本来警戒するはずのものを無意識の内に安全だと決め付けてしまったのだ。

その結果がセシルを悲しませ、怖がらせ、挙句の果てには泣かせてしまった。

守ると誓ったはずなのに、逆に守られてしまった。

あまりの情けなさに溜め息が出そうになるも、セシルの頑張りが無駄になってしまうため、そんな態度は見せない。

だから、セシルを引き寄せて抱き締めると、その腕にちょっと力を込める。


「カイル…?」

「ありがとう。セシルの勇気ある行動が俺を救ってくれた。俺はセシルに二度も命を救われたんだ。このことは絶対に忘れないよ」


心からの感謝を伝えると、セシルもカイルの胸に顔を埋め、優しく抱き返してくれる。

二人は暫く抱き合ったまま、お互いの体温を感じていた。


そして、服もほとんど乾いたので着替えを済ませると、ここを出ることにした。

帰り道は魔物が出るわけでも無ければ、前のように入り口で何かが待っていることも無く、

無事に出てくることができた。


「カイル、マッピングはどうしますの?」

「これでお終いだよ。洞穴内部の探索が目的じゃないからね。この途中までのマップは、城の図書室にあった記録に挟んでおくよ。後は、記録が悪用されないように陛下に話をしておけば問題はないだろう」


記録に挟んでおけば、もしまた必要になった場合、すぐに行くことができるだろう。

石碑の注意も記載しておいたから、よほどのバカじゃなければ同じような間違いは起こさないはずだ。


念のため、解いた結界を張り直すが、今回は追加して認識を阻害する結界で包む。

こうする事で、この場所を知っていない限りこの近辺を認識できなくなるはずだ。

いわゆる迷いの森のような感じで、知らない者は絶対に辿り着くことはできないだろう。


しかも、あの呪いは相当厄介で、今回はセシルがいてくれたからカイルも生きて帰還することができた。

だが、もしこれが一人だったら、村まで出てきて暴れまくったかも知れないし、最悪なケースは魔王として世界に戦いを挑んだかも知れない。

そしてその結末は、多くの犠牲者を出して自分は誰かに討伐されると言う、最悪のパターンが想定される。

恐らくだが、前も同じことがあったんじゃないだろうか。

それで強力な結界で蓋をしたのだが、カイルたちが封印をといて同じ過ちを繰り返そうとした。

誰でも入れるようにしていては、同じ過ちを繰り返してしまうかも知れない。

それならば、そんな危険要素は見つからないように封印した方が良いだろうと思った。

これも記録に残しておこう。


そして、夜もこれからと言う頃、ナロイ村に帰ってきた。

宿で宿泊の手続きを済ませ、荷物を置いてから消費したものの買い出しに出ると、村の一角に人だかりができている。

何事かと思って近付いてみると、旅の行商が露天を開いていた。


「カイルっ! カイルっ! 見て下さい!! アクセサリーですわっ!!」

「へぇ、商人が来てたのか」


セシルが急に元気になり、やけに興奮気味に食いつく。

品物を見てみると、アクセサリーの他にも薬や食材、武器や防具などが売られていて、恰幅の良いおばさんが声高に、周りのお客さんと話をしていた。

幾つか手に取って見てみると、それなりに質は良いようで、その分値段も高くなっている。

魔法が付与されているものでは無いみたいだから、純粋な行商人のようだ。

村には女性もいるから、アクセサリーなどはそれなりに需要はあるだろう。


(…セシルには、どんなアクセサリーが似合うだろう?)


セシルは普段からアクセサリーを全く付けてないのだが、前に聞いた理由は


「見るのは好きですけど、あまり付けたいとは思いませんわ。目立ち過ぎるし、動くときに邪魔ですの。ましてや、自分で買うものではありませんわ」


と、言うことだった。

言い換えれば「誰かに買ってもらえるなら付けますわ」なのだと、自分の中で勝手に変換してしまった。

だからちょっと真面目になり、いろいろと選んでみようと商品に目を落とす。


幸い、城に住むようになってからはお金を使う機会が全くない。

だから財布はそれなりに入っている。

それなら、ちょっとくらい良いだろうと、陛下に感謝しながら真面目に選ぶ。


(…おっ!? このシルバーリングは似合いそうだな)


手に取って見てみると、それは細めのリングで、中央には小さな丸い青い宝石が埋め込まれている。

セシルは赤系の髪や眼をしているから、青が映えると思った。


「よし!」と、買うことを決めると、隣から視線を感じた。

見るとセシルが顔を赤らめてこちらを見ていて、その期待をこめる目に思わず微笑んでしまう。


「これ、セシルに似合うと思うんだけど、 …どうだろ?」

「ええ、もちろん似合いますともっ!! いただけるんですのっ!! すごく欲しいですわっ!!」


選んだリングをセシルに見せた瞬間、すごい勢いでリングごと手を握られる。

それを見ていた店のおばさんが、大笑いしながらセシルの指に合わせてサイズを調整してくれる。


「ほら、後はアンタがその子に付けてやりな」


おばさんがニヤつきながらリングを差し出してくる。

カイルはリングを受け取ってセシルを見ると、真っ赤になったまま微笑んで右手を出してきた。

つられて、カイルも赤くなりながらも、右手の中指にリングを嵌めてあげると、セシルが満面の笑みになる。

時間を忘れて見惚れてしまう、とはこう言うことだろう。

店のおばさんが見かねて声を掛けるまで、カイルはずっとセシルを見ていた。


ちょっとしたイベントが終わり、食材も忘れずに補充した。

そして食事を済ませ、明日に備えて寝ようという時も、セシルは自分の指に輝くリングを見てニコニコしている。


「喜んでもらえたみたいで何よりだよ」


心からそう思った。

まさかこんなにも喜んでくれるとは思っても見なかったからだ。


「公務で付けるアクセサリーにはうんざりですのよ? あんな、高価なだけで必要以上に大きくて宝石とか付いたリングなんて、邪魔で重くて仕方ありませんの。これ見よがしに見せ付けるだけのネックレスやブレスレット、イヤリングもそうですわ。だから、このようなシンプルだけど、毎日付けていられるものが一番嬉しいんですの。特に… 貴方からプレゼントされたものなら尚更ですわ」


普通の女の人なら宝石の方を選ぶと思うのだが、やはり付け慣れてるセシルは見るところが違うらしい。


「それに、こうやって寝るのも、ずいぶん…久し振りに感じますわ… ふわ…」


小さなあくびをして、もぞもぞと寄り添ってくる。

そして、すぐに寝息を立て始めた。


セシルにとって、今日は大冒険だったはずだ。

体も心もかなり疲れているだろうから、今夜はゆっくり休んで欲しいと思った。


それにしても、またセシルに命を救ってもらった。

だからこそ、この命はセシルのためだけに使わなければならない。

セシルの望むように、喜ぶように、悲しませないように、全てを賭して守ろう。


「おやすみ、セシル」


カイルは新たな誓いを胸に目を閉じた。

そうして、二人寄り添い深い眠りにつくのであった。

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