第7話 身内の依頼は手間がかかる

身内の依頼は手間がかかる



マルテンサイト王国の騎士団は、ガーディアンと呼ばれる王族専用の護衛部隊と、ランサーと呼ばれる戦闘部隊、ファントムと呼ばれる諜報部隊の三つで構成されている。

それぞれの部隊には部隊長、大隊長、小隊長がおり、総括を総隊長が行い、昼夜を問わず王国の警備をしている。


そのファントム部隊の大隊長ストルスは、今は席を外している部隊長アレスの机の前で、手に持った小瓶を見て、薄ら笑いを浮かべている。

そして、躊躇うこと無く机に置かれた水差しに小瓶の中の液体が入れたのは、毒殺を目論んでいるからだ。


「ファントム部隊の部隊長の座は、私がもらい受ける。どんな手を使ってもな」


ストルスは、空になった小瓶をポケットに入れると、足早に部屋を出ていった。


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その頃、ベークライト王国は夜明けを迎えていた。


静寂の闇がだんだんと白んでいき、差し込む朝日は夜が明けたことを伝えてくる。

今日は天気が良いようで、日の光がだんだんと暖かみを増してくる。


カイルの部屋では、相変わらず二人寄り添い幸せそうに眠っている。

もはや、二人で寝るのは当然の事になっているようだ。


祝勝会が開かれてから既に一週間が経ち、カイルとセシルはギルドで簡単な依頼を受けながら、日常を過ごしていたのだが、ただ安穏と過ごしているわけではなく、今もベークライト王国の図書室で、

ハークロムの精神体を退けた、いわゆる「希望の光」と「精神体」について調べている。


ハークロムは必ずやってくると言っていた。

来るその時のために、希望の光を自由に使えるようにしておかなければいけない。


最初は町の図書館に行こうとしていたが、城にも図書室があり、町の図書館に出せないような

文献なども収蔵しているとセシルから聞いた。

それならばと、ベークライト王に事情を話すと無条件で快諾してくれた。

王族以外の閲覧を禁止している書物なども自由に見ていいと言うのは本当に助かる。


とは言え、ここは城の図書室で、これまでの歴史を物語るように、大量の本や文献が存在する。

これを全部見て行くのか? と、考えるだけで眩暈がしそうだが、セシルは上機嫌で本を読んでいた。


そう言えば、セシルの使う剣技もここの図書室で見つけた文献だと聞いた。

興味があったので、カイルもその本を見せてもらったが、書物自体は100年くらい前に書かれたものだった。

ベークライト王国に流れ着いた旅の剣士が伝えたものらしいのだが、長きに渡る戦乱の中で後継する前に途絶えてしまったらしい。


剣技の名称はついていなかったが、過去に城の騎士やギルドの冒険者にも伝わっていたようだ。

だが、激しさを増す戦争に巻き込まれ、徐々に衰退していったのだろう。

それでも、後世に記録だけでも残したいと綴ったものがセシルの見つけた文献、と言う事だった。


そう言った事実から、もしかすると図書室の中にはカイルたちの求める「精神体」や「希望の光」などが記録として残っているのではないか、と期待してしまう。


既に一週間、毎日ではないがこの図書室に来ているのに、読んだ本の数量は全体の1割にも達していない。


タイトルのついているものは、何となく内容が分かりそうなものなのだが、ここには無地の表紙のものが多い。

写本などではなく、覚書のようにまとめたものが多いため、表紙が無地なのだろう。

そうなると、ペラペラ捲っていたら見逃してしまいそうなので、ある程度は読まなければいけないのだが、これが結構時間がかかるのだ。


なにか良い方法は無いものか、と思案していると… コンコン、と図書室の扉をノックする音が聞こえた。


「姫様、カイル様、失礼してもよろしいでしょうか?」


扉も開けず、侍女が声を掛けてくる。

なんだ? と思いつつも「どうぞ」と返す。


すると、しばらくして扉が開いたが、顔を覗かせる侍女の顔がちょっと赤くなっている。

そして、カイルたちの様子を見て、ホッとしていた。


「マギー? あなた、扉を開ける前のその間はなんですの?」


マギーと呼ばれた侍女は、セシルに軽蔑に近い目を向けられる。


「い、いえ、姫様、た、他意はございません!!」


手を胸の前でブンブンと振って慌てているのが余計に怪しい。

もしかして、何か隠してるのだろうか?


「マギー?」

「ひ、ひぃぃぃぃっ!!」


セシルがゆっくりと立ち上がり、マギーに近付いていくと、マギーは涙目になって、後退りする。

やがて、マギーは壁に追い込まれ、これ以上下がれないところまで来てしまった。

それでもお構いなしにセシルがズンズン近付いていく。

マギーの視界がセシルの顔で埋め尽くされる。


「へ、陛下からのお達しですぅ」


恐怖の余り、とうとうマギーは口を割ってしまった。


「お父様? 内容は? マギー、ここまで来たなら観念して全て吐きなさい」


それでもセシルの追及は止まらない。

更に前へと踏み出そうとしている。


「お… お二人がご一緒にお部屋にいるときは、ノックしてもすぐには入らないこと。中から返事が来ても、少し間を開けてから中に入ること。そ、そして… もし、な、中で何かを見てしまったとしても、絶対に他言してはならないこと。でも、陛下にはご報告するように、とのお達しです…」


マギーは観念し、肩を落として国王から指示された内容を話す。


「お、お父様ったら、なな、なにを指示しているのかしら!?」

「本当に、なんてことを指示してるんだよ!?」 


セシルも戸惑いを隠し切れていないようで、真っ赤になりながら取り乱しているし、カイルも思わず突っ込んでしまうが、これ以上この話を続けていると違う方向に話が行ってしまいそうなので、修正する。


「ねぇ、マギーさん? 俺たちに何か用事があったんじゃないの?」

「そ、そうでした。お見苦しいところをお見せしてしまい、申し訳ありません。陛下がお呼びです。謁見の間までお越し下さいませ」


コホンと咳払いを一つ吐いてから姿勢を正して用件を伝えると、マギーは一礼して部屋を出ていった。


「さて、じゃあ陛下のところに行こうか」


まだ赤くなっているセシルを連れて、カイルは謁見の間に向かった。


「…マルテンサイト王国からの依頼ですか?」


謁見の間で国王より伝えられたのは、カイルに依頼したい仕事がある、とのことだった。


「うむ。実は私の身内のことでな… ギルドにも頼みづらい内容なのだ。そこで、カイルに頼みたいと思ってな。 …まずはこれを見てくれ」


あまり表には出したくないのだろう、複雑な表情が見て取れる。

そして、国王が軽く手を上げると、侍女が一枚の紙をカイルに手渡す。


「…ヘリサート洞穴にある賢者の泉から、水を汲んでくる…?」

「その水には、何か特別な効果でもありますの?」


カイルが紙に書かれた内容を読み上げると、セシルも覗き込んで疑問を投げかける。


「うむ。その水には、闇に捕らわれた心を浄化する奇跡が込められている、と伝わっておるな。

実際に効くかは分からんが、私の身内はそれに期待しているのだ。他に頼るものが無い、と言った方が正しいか… 何でも、教会の奇跡でも効果が無かったと言う事なのだ」


なるほど、国王の身内が欲しがっているのなら、確かに質の悪い冒険者なら自分に有益な条件を突き付けてきそうだ。

マルテンサイトのギルドなら、ウィルがうまく捌いてくれると思うのだが、あそこはここに比べると国とギルドの仲はそんなに良くない。

ならば、ギルドに依頼したくない気持ちも分かるか。


「陛下直々の依頼だし、俺の故郷の事でもあるから、この件はもちろん引き受けますよ。そのヘリサート洞穴と言うのは、どこにあるんですか?」


この城で自分が受けてる待遇への感謝もあるし、何より陛下のお願いなら断る理由はどこにも無い。むしろ命令してもらってもいいくらいだ。

ここだけの話、所属する国を変えようかと本気で考えてたりする。

だから、カイルは笑顔で答えた。


「おぉ! やってくれるか! すまぬな。助かるぞ! …して、場所なのだが…」


国王の表情が和らぐのを見て、カイルは安心した。

そして、また国王が軽く腕を上げると、侍女が地図を持ってくる。

受け取った地図を広げてみると、城の北西寄りの森の中、かなり奥に入ったところだろうか? 

近場の村からかなり離れたところに赤い丸印が書き込んであり、地図上にもヘリサート洞穴と書いてあった。

どうやら、地図が作られた時には存在していて、何かに利用されていたんだろう。


「距離があるので時間はかかると思いますが、問題はありません」


目的地への距離がかなりあるのは間違いなく、大雑把に見ても村を三つは越している。

しかも森の中にあるようだから、入り口は見つけにくいかも知れない。


「目的地は地図にも載ってるくらいだから、記録とか残ってるんじゃないかと思うんです。現地でも聞き込みをしますが、出発は図書室で前情報を集めてからでも良いですか?」


地図に載ってるほどの洞穴だから必ず人は入っていて、おそらくは冒険者が探索し尽くしている、と言う事が考えられる。

それならば、何かしらの情報はあってもおかしくはないはずだ。


だから、事前調査を行う事で少しでも危険要素が減らせるなら減らしておいた方が良い。

過敏かと思われるかも知れないが、慢心は油断を呼び、それが大きな事態を引き起こすものだとマリアから教えられている。


「構わんよ。大至急では無いと言っておったし、目的のものが本当にあるかどうかも分からんのだし、効くのかもわからん。だから、行ってもらえるだけでもありがたいのだ」


急ぎでないのは助かる。準備不足だけは避けたいからだ。


「ありがとうございます。では、早速準備を始めますので、行程が決まったら報告します」

「うむ、頼んだぞ」


陛下の依頼でもあるし、久し振りの冒険だ。

不謹慎だが楽しませてもらおうと考えていると、カイルの服の裾がクイクイと引っ張られた。


「あの… 私はどうすればよろしいのでしょうか?」


セシルが目に涙を溜めてこちらを見ていた。

その元気の無い声に心が痛む。


セシルと出会ってからと言うもの、二人での冒険は国内の、しかも近場だけしか受けてこなかった。

もちろん、セシルの実力を疑う訳ではないのだが、一国の姫をあちこち連れまわすのはどうかと思い、その辺りは気を使っていた。

だが、今回赴く先は国外で、当然ベークライト王の権力外になるため、万が一の事があっても対応できなくなってしまう。

つまり、セシルの身はカイルが責任を持って守らなくてはいけない。

と言うのは建て前で、実際のところはカイルがセシルと一緒に行きたいと思っていた。


「もちろん、一緒に行くだろ? 言っとくけど、セシルを置いてく気なんて無いぞ?」

「は、はいっ!! ありがとうございます!」


途端に満面の笑顔になる。

そして、陛下に視線を送ると笑って頷いてくれた。


その後、二人は図書室へ戻ると、ヘリサート洞穴についての記録を調べてみる。

これは「希望の光」「精神体」とは違い、すぐに見付けることができた。


早速内容を見てみると、今からだいたい200年くらい前には存在していた洞窟らしい。

随分と古い洞穴のようだが、記録があると言うことは、洞穴自体は更に前から存在していることになる。


この記録を書いた人たちは、チームでこの洞穴の探索を行っていたようで、洞穴内の地図は無かったが、魔物が棲んでいること、毒草が多数生えていること、侵入者防止の罠がある、と言うことが分かった。


流して読んだだけだが、かなり危険な洞穴のようだが、地図に載せたからには安全なルートがあるはずだ。

後は、最寄りの村が洞穴を利用している可能性が高いと思うから、そこで情報を収集するのが一番いいだろう。


「毒草とかありますのね。今もあるのかは分かりませんが、準備はしておいた方が良いと思いますわ」

「ああそうだな。それと、泉の水もどれくらい必要か分からないけど、大きめの水入れを用意した方が良いか」

「それなら、町の道具屋でいろいろと用意した方が良さそうですわ」

「そう言えば、セシルは異常回復とかの魔法は使えるの?」

「もちろんですわ。一通りは使えますので、その辺はご安心いただきたいですわ」


実は、カイルは治癒の魔法は使えるが、解毒やマヒの回復の魔法は使えない。

それは、万能になる必要は無い、仲間を作る予定なら仲間を頼れ。

その仲間もいなければ道具を使え。

と言うマリアの指導の下、覚えなかっただけなのだ。


だから、今まではアイテム頼りだったが、セシルのお陰で問題は解決することができた。

本当に助かる。


「では、ある程度の情報も収集できましたし、あとは町に行って買い物をするだけですわ」

「じゃあ、明日は町に必要なものの買い出しに行こう。そして、明後日の朝に出発だ。ざっくりと地図で見た感じだと、目的地のヘリサート洞穴まで、たぶん2日くらいかかると思う。だから往復で4日。それに2日くらいの探索期間を入れると大体6日くらいの行程だと思っててくれ。ところで、セシルは野宿とか大丈夫か?」


目的地まで遠いのは間違いないから、日程を大枠で決める。

野宿は冒険者にとって常識みたいなものだけど、お姫様のセシルはどうなんだろう?


「大丈夫ですわ。 …野宿とは違いますが、キャンプなどはしてましたし、城にいる騎士には女性もいますから。その方からも、女性冒険者としての心得を指南していただきましたのよ?」


その話を聞くと、キャンプは王族仕様のコテージではなく、ちゃんとテントを張ってやってたらしい。

今は無いが、戦争をしていた時代は行軍中と言えばキャンプであるため、そういう訓練も兼ねてたのかも知れない。

それなら、大丈夫そうだ。


「よし、じゃあ今日はこれくらいにして休もうか」


既に夜も更けている。

カイルは調べ物を中断し、腕を上に伸ばして伸びをした。

すると、セシルが後ろから抱き着いてくる。


「あの時、一緒に行こうって言って下さって、ありがとうございます。もしかしたら、置いて行かれるんじゃないかと思って、とても怖くなりましたの。でも、カイルは私を連れて行くと言ってくれましたわ。私はそれが本当に嬉しいんですの」


一人になるのは嫌だと言うセシルの気持ちが痛いほど伝わってくる。


「大丈夫。もう待たせるようなことはしない。約束するよ」


後ろから抱きしめられたセシルの手に自分の手を重ね、カイルも改めて約束した。


翌日、セシルと二人で町の道具屋へ買い出しに行く。

極力荷物は減らしたいので、食糧などは調味料だけを準備して、食べ物は現地調達することにした。

ポーションなどの回復系は多めにして、衣類や毛布などをいつもより少な目にする。

大型のバックパックを一つと、セシル用にショルダータイプのバッグも用意した。

調理道具は一式揃えたのには理由があり、荷物にはなるけど、あるのと無いのでは食事の内容に大きな違いがでるからだ。

常に危険と隣り合わせの冒険者たるもの、食事にはこだわりを持てと言うのが父ガゼルの言葉で、その食事が最後となっても後悔しないように、と言う意味合いらしい。


持ち物の準備が終わると、次は地図を広げてルートの確認を行った。

目的地の近くまでは街道が使えるルートで、途中三つの村があり、距離的に二つ目の村に到着して初日を終えるのがベストのようだ。

洞穴の場所次第で二日目が変わるが、聞き込みする時間を含めて三つ目の村で休むことにする。

それで片道二日となる計算だ。


そして、三つ目の村から探索して戻るまでは野宿になるが、それで二日くらい。

帰りは同じように二日になるから、当初の予定通り今回の行程は六日となる。


「よし、準備完了だ。さて、明日は早いから、今夜は早めに休もうか」

「はい、じゃあ寝ましょう」


いつも通り、二人でベッドに入り、明日から始まる冒険の話をしながら、お互いに寄り添うように眠りについた。


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「アレス部隊長!! 大丈夫ですか!? アレス部隊長!!」


マルテンサイト王国の一室で一人の若い騎士が、床に倒れている騎士に声をかけている。

倒れている騎士の名はアレス。

彼はマルテンサイト王国、ファントム部隊の部隊長だ。


その日の訓練を終えたアレスは詰め所の自室に戻ると、机の上の水差しからコップに水を注ぎ、一口飲んだ。

とたんに広がる喉の痛み。

そして、ほんの少しの間をおいて襲い掛かる激しい腹痛。


(まさか、毒を盛られた!? 一体誰が、なぜ!?)


水を飲み込んでしまった喉と腹は、あっと言う間に途方も無い痛みと熱を訴えてきた。


「~~~~~~~~っ!!!」


言葉に出そうにも、喉の痛みが言葉を発することを許さない。


瞬く間に体が動かなくなっていくと、急速に目の前も暗くなっていく。


(…まずい、このままでは…)


頭が警告を鳴らすが、体が動かない。

何とか椅子に寄り掛かろうするが、動かない体では何もできず、そのまま転倒した。

その弾みで机の上の水差しが床に落ち、派手な音を鳴らして割れる。

偶然にも、アレスの部屋の前を通りかかった若い騎士がその音を聞きつけ、部屋の中に入り込んで来た。


視界に飛び込んでくるのは床に倒れている部隊長の姿だ。

顔は蒼白になっており、小刻みに体が震えている。

若い騎士はすぐに駆け寄って頬を叩くが、いくら呼びかけても返事が無い。

どうやら意識がなくなっているようだ。

急ぎ、救急班を呼び寄せ、アレスを治療所へと連れて行った。


「アレスが毒を盛られた…?」


マルテンサイト国王は怪訝そうな表情で、報告に来た若い騎士を見る。


「はい。アレス部隊長を治療所へ運び、部屋の確認をしたところ、水差しの中に毒物の混入が確認されました。毒はこの辺では取れない珍しい毒草の成分、と言うことでした」


若い騎士が、状況と現時点で分かっていることを報告する。

毒の鑑定はギルドと教会が行い、両方ともに同じ見解になったため、毒殺の未遂事件として正式にファントム部隊が調査することになった。


「して、アレスの容態は?」

「はい。対象の毒に効く薬はありませんでしたが、他の薬草を使うことで、何とか生死の境は越えたようです。容態は落ち着いてますが、まだ意識が戻らず予断を許さない状況が続いております」


なんとか一命は取り留めたようで、国王も安堵のため息を吐く。

そして、次の一手を指した。


「よいか! 犯人は必ず探し出せ!! ファントム全部隊の威信にかけてだ!!」

「はっ!!!」


国王が指示を飛ばすと、若い騎士が敬礼をして部屋を出て行く。

部屋に独りになった国王は、力なく椅子にもたれかかる。


「…ストルスよ、お前はいったいどうしてしまったのだ?」


犯人を知る国王の嘆きは、深いため息と共に消えていくのだった。


『ドンッ』と何かを叩き付けたような鈍い音が、詰め所の廊下に鳴り響く。


「くそぉっ!! 悪運の強いヤツめっ!!」


自分の机を思いきり拳で叩きつけ、ストルスは憤慨する。

毒殺と言う実にシンプルなやり方は、味方しかいないこの詰め所では実に有効的で、見事アレスに毒を飲ませることに成功した。

だが、偶然部屋の前を通り掛った騎士のお陰で命拾いしている。

最後はアレスの運が勝ったようだ。

だが、幸いなことにアレスはまだ意識が戻らず、治療所で眠ったままである。


(…今なら簡単に始末できる! 計画を練らねば!)


ストルスの口角が不気味につり上がる。


「!? 誰だ!!!」


不意に感じる気配に、振り返りつつ声を上げ、驚愕する。

それは、誰もいないはずのストルスの部屋の中、しかも目の前に、漆黒の執事服を着た、白髪で口ひげを生やした初老の男性が立っていたのだ。


なぜ、今まで気付かなかったのかと思うほどの圧倒的な存在感は、見るもの全てを威圧する。

ファントム部隊で大隊長を務めるストルスでさえも、その眼光に身の危険を感じ、知らない内に距離を取り始めていた。

徐々に後退りを始めると、今度は後ろから肩に手を置かれた。


「後ろっ!? …はっ!!!」


一瞬、後ろに視線を向けてしまった。

すぐに前を見直すと、今まで目の前にいた初老の男性の姿が消えている。


(…一瞬で後ろに回り込まれた? …この老人は、一体何者なんだ? …しかも…!!)


後ろを振り返ろうとするが、一瞬にして硬直してしまった体は言うことをきかない。

何かをされたわけではなく、濃密な殺気に晒され、竦み上がっているのだ。

声すらも出せなくなるような殺気、全身からイヤな汗が止めどなく流れているのが分かる。

それに足もガタガタと震えていて止まりそうにない。

これは、ストルスにとって初めての経験だ。


「…あなたは、影からコソコソと小細工するしか能の無い方のようですが、その内に秘める深い闇は気に入りました。私が力を貸してあげましょう。その方が、あのお方もお喜びになる。…さあ、あなたを道化にしてあげましょう。ふふふふ…」


ストルスの背後にいるであろう初老の男性は、肩に置いた手に力を籠める。


「ぐぁっ、が、があぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」


突如、ストルスの肩から、自身の闇をはるかに超える猛烈な闇が入り込んでくるのを感じた。

それは、あっと言う間にストルスの心を侵食していき、一瞬にして全てを漆黒の闇で覆い尽くしてしまった。


「さて、せっかく私が準備をしてあげたのです。今回は特別に舞台に立たせてあげるのですから、せいぜい楽しませなさい」

「…畏まりました…」


ストルスを自分の手駒に変えると、ハークロムは薄く笑う。


「さて、次は舞台の準備ですね。場所はこの国で良いとして… 彼らの仕上がり具合の確認をしますか。ちょうどこの国に来るみたいですし、最高のおもてなしをしましょう」


こちらも楽しみだ、と言う表情を浮かべると自身を闇の中に溶け込ませた。


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「陛下、これから出発します。大枠なので多少は前後するかも知れませんが、探索も入れると六日くらいだと思います。洞穴に一番近いナロイ村での情報次第ですが、いい結果を報告できるように努力します」

「お父様、それでは行ってまいりますわ」

「うむ、よろしく頼むぞ。そして、無事に帰って来てくれよ」


ベークライト国王に出発の挨拶をすると、カイルたちの旅が始まった。


今回、カイル達の装備はハークロム戦での消耗もあり、ベークライト国王から新調してもらった。

新しい装備はなかなか良いもので、一見しても普通の冒険者では揃えることの出来ないような高価な品物であるため、できる限り大切に使わせてもらおとセシルと話していた。


カイルはブラックのシャツとズボン。鋼鉄製の胸当て、ブーツに小手を付けている。

それ以外の要所にはハードレザーの腰当て、膝当て、肘当てを付けた軽装だ。

愛用の剣を腰に下げ、両腕の外側には柄を下向きに短剣を装備している。


セシルは、胸元を開けているブルーのシャツに太ももまでのショートパンツ。

魔法銀で作られた胸当て、肩当、膝当て兼用のロングブーツ、肘上までの腕当てを付けた軽装だ。

そして、腰当の代わりに前が大きく開いたソフトレザー製のキルティングスカートに似たものを付け、腰の後ろに2本の小太刀をクロスして装着し、純白のマントを付けている。


初日の目的地は二つ目の村、カーネイト村で、そこまでは城下町を出て街道を道なりに進めば辿り着く。

街道自体は、国やギルドなどの見回りが定期的に行われており、街道を進む限り特に危険は無いため、比較的安全に歩ける。

馬車もあるのだが、セシルが歩きたいと言うからその提案を採用したのだ。

おそらく、馬車にすると移動日が極端に減るため、それを嫌がったのだろう。

ウキウキとカイルの隣りで嬉しそうに歩いている。


「いつも気になってたのですが、カイルはなぜマントを付けませんの? きっと素晴らしいと思いますのに」


セシルが大きいバックパックを背負ったカイルを見ながら聞いてきた。


「マントを付けてるとさ、風を纏った時にすごい抵抗がかかって、方向転換とか大変なんだ。一番初めにそれをやって首が絞まっちゃったからやめたんだよ」


カイルの得意とする風を纏った疾走は、当然空気の抵抗がある。

それを強引に方向転換とか進路変更をしなくちゃいけないから、抵抗は少ない方が良い。


だが、マントを付けているとマントの表と裏でそれぞれ空気抵抗を受けるので、安定性が悪く速度も落ちてしまう。

無論、マントを付けたとしても、戦闘を始める前には外さなければならないので、手間がかかるのだ。


「あの、カイルの得意技ですわね。やっていることは理解できましたけど、私にはできそうにないですわ。まず筋力が足りませんもの。…でも、もしカイルが筋肉質な女性が好みでしたら考えてもいいかと思いますの」


空中の踏ん張れない状態で姿勢を保つにはそれなりの筋力が必要になる。

それを鍛えるとなると当然ながら筋肉質になってしまうが、カイルが望むなら鍛えるのだと頬を染めながらセシルが言う。


「ならダメだな。セシルは今のままが一番良い。セシルは抱きしめた時の、あの「ふわっ」とした感じが良いんだ。それがちょっとゴツゴツになるのはいただけない。強さと引き換えにはできないなぁ」


隣でセシルが赤くなって俯いてしまった。


途中で休憩を入れ、一つ目の村のミルア村まであと少しと言うところで、珍しく魔物の群れに出会った。

十匹程度の小規模な群れだが、大型犬の魔物だからそれなりに頑丈で強い。

どうやら群れでの移動中に街道に出てしまったようで、索敵してもこの近くにはカイル達以外に誰もいないようだ。


「あら、魔物ですわ」

「街道で会うとは珍しいな。じゃあ、いつも通り俺が注意を引き付けるから、セシルは撃破していってくれ」


セシルもだいぶ戦闘に慣れてきたせいか、特に動じることも無い。

カイルの簡単な説明でもセシルは内容を理解してくれて、イメージ通りに動いてくれるから大助かりだ。


こういう時は先手必勝。

すぐに動き出したカイルとセシルは左右に分かれ、戦闘を開始する。

カイルは風の魔法を纏い、魔物の群れの中を縦横無尽に駆け回りながら蹴飛ばしていくと、魔物の群れがすぐに混乱する。

セシルは腰の剣を一本抜くと、炎の魔法剣を一瞬で発動し、混乱している魔物の群れに向かって斬り掛かる。

一匹、また一匹と数を減らす魔物の群れは、カイルに翻弄されて最後まで混乱から立ち直れず、最後の一匹もセシルによって斬り払われた。


「うん。いい感じだ。セシル、お疲れ様」


カイルは走り回りながら魔物を蹴飛ばしていただけだから、剣は振るってない。

結局はセシルが全て斬り伏せた。


「カイルの援護のお陰ですわ」


魔法剣を解除し、返り血が付いてない刀身を腰の鞘に収めてセシルが微笑む。


「それにしても、カイルの疾走はいつ見ても凄いですわ。私も何かできるようになりたいのですが、

カイルの望み通りに、余計な筋肉を付けなくても高速移動できる良い方法は無いのでしょうか?」


さっきの会話の続きになってしまってた。

カイルが難色を示す筋肉質にはなりたくないらしいのだが、それでも、何かできるようになりたいと思っているようだ。


「俺の風の魔法だって偶然思い付いたんだ。セシルも普通に生活していれば、突然閃きが訪れるかもしれないぞ?」

「そうですわね。今は焦らずに閃きに期待しましょうか」


やはり、焦っても良い事は無いし、こう言うのは閃いた事をじっくりとやっていった方が絶対に身に付くはずだ。

だから今は待つことにした。


そして、せっかく魔物を倒したことだし、もったいないから村で売ろうにも問題は運搬方法だ。

そう、マリアからの宿題はまだできてないのだ。


木の皮で作ったソリに倒した魔物を乗せ、腕を組んで考え事をしていると、当然のようにセシルが覗き込んでくる。


「カイル、何を考えていますの?」

「いや、前にソリで引いてたら母さんに笑われたんだよ。だからもっと効率のいい運搬方法があるのか聞いてみたら、魔法を使うとだけ教えてくれたんだ。そして、後は自分で考えなさいって。だけど、まだ思い付かないんだよなぁ」

「うふふっ、可笑しいですわ。カイル、貴方それ本気で言ってますの? いつも使っているのに?」

「ん? 何、セシルは分かったの!? って、何笑ってるんだよ」


セシルには答えが分かったようだ。

そして、カイルが全然気付かないことが可笑しいらしく、クスクスと笑っている。

しかも、それはカイル自身も使っている魔法らしいが、未だに分からない。


「ああ、ごめんなさい。つい可笑しくて笑ってしまいましたわ。もう、カイルはもっと自分のしていることを自覚すべきですわ。カイル、貴方は何を使って空を飛んだり走ったりしてますの? 良いですか? 飛ぶんじゃなくて浮かすだけですのよ?」

「飛ばすじゃなくて、浮かす… え? あ、あぁぁぁぁぁっ!! そうかっ! わかった!」


気付かなかった。

風と言えば飛ばすのイメージだったから、浮かすってのは思い付かなかった。

思いがけず、これで答えが分かったので、早速やってみることにした。


そして、加減を間違えないように、慎重に下から風の魔法を巻くようにすると、 …見事に浮いた。

更に、浮かばせると当然抵抗も少なくなるから、ちょっとの力で運搬することができた。


「なんて画期的な運搬方法なんだ… 快適すぎる。今までさんざん苦労して運搬してたのに… あっと言う間にセシルが解決してしまった」

「ふふん、もっと褒めていただいても構いませんのよ?」


あまりの快適さに感動していると、セシルが自慢げに胸を張る。

獲物を乗せたソリを快適に引きながら、セシルにもっと早く聞けばよかったと反省した。


そして、この遭遇以外は特に何も無く、途中のミルア村で魔物を売り、夕方近くには目的地のカーネイト村に到着した。


カーネイト村は想像していたよりも人の往来が多く、商人もいるためか村全体に賑やかさを感じる。

そして、村のほぼ中央くらいのところに小さいながらも宿を見つけた。


宿に入ると、受付のところに若い女性がいて「いらっしゃいませー」と挨拶してくる。

セシルがずいっとカイルの前に出て


「二人で一部屋。お願いできるかしら?」


ぎょっとした様子で宿の人の動きが止まったが、 …何かおかしなことを言っただろうか?


「え… と。お二人様で一部屋のご予約。これでお間違い無いですか?」


カイルとセシルを見ながら何故か聞き直される。


「そうだけど、何かまずい事でもあるの?」


気になるので聞き返す。


「あの… その、ウチの宿の部屋は壁が薄いんです」


宿屋の女性が恥ずかしそうに視線を反らした。


「…うん? 何だって?」

「それがどうかしましたの?」


カイルとセシルが怪訝そうに聞き返す。


「いえ… その… こ、声が、ですね… 外に漏れるかも知れません…」


女性は顔が真っ赤になってる。


「な、何を…」


ようやく意味を理解したのか、セシルも同じように赤くなり、言葉が途切れた。


「どんな想像をしてるんだよ!?」

「私たちのそう言う想像をされているのですわっ!!」

「ひ、ひえぇぇぇっ! も、申し訳ございませんっ!! ついっ!!」


全く、何を考えている事やら… 

まぁ、同じくらいの歳の男女二人から一部屋で良いって言われたら、 …そんな想像をしてしまうのだろうか。

確かに、寝る時は一緒なんだから、別に外れてるってわけでも無いのだが。


この宿屋で起きたトラブル以外、翌日も魔物や野盗に襲われることもなく、順調に最後のナロイ村に到着した。


ここから洞穴までは街道から外れる上、距離も半日くらいかかるだろうから、村に戻るまでは野宿することになる。

だから、ここでしっかりと準備を整え、情報収集を行うことにした。

洞穴が近いから何か知ってるかも知れないため、カイルたちは、酒場で食事をしながら洞穴について聞いてみた。

見た目四十代くらいの酒場の店員は洞穴の事を知っていて、十年以上前までは毎日のように洞穴に入り鉱石などを採掘していたらしい。


だが、最近では鉱石も値段が落ちているため、だんだんと洞穴に行くことが少なくなり、今では全く行ってないと言う事だ。

もちろん冒険者も訪れていないらしい。

それと、賢者の泉の事を聞いてみると、最奥に泉があるのは間違いないらしく、名前がついてないために、それが賢者の泉なのかは分からないそうだ。

そして、理由まではわからないが、洞穴に行くときには必ず「危険だから泉には近寄るな」、と言われ続けてきたらしい。


「洞穴内の最奥にある泉ってのが、いかにもって感じがするな」

「最近は誰も入ってないって言ってましたから、中は相当荒れてるかも知れませんわよ?」


洞穴に入る必要が無いなら誰も近付かないだろうし、人の手が入らなくなれば中は荒れてしまう。

入ってみないと分からないけど、中を進むのは大変かも知れない。


やれやれ、身内からの依頼とは言え、手間がかかりそうだ。


翌日、朝食を済ませた二人はヘリサート洞穴へと足を進めた。

深い森の中を進み、村を出て二時間くらい経った頃、突然目の前の木々がなくなった。

どうやら森を抜けたようで、続いて目に入ったのは、岩山の並んだ光景だった。

入り組んだ岩肌は天然のカムフラージュにもなるため、見る方向次第では、洞穴の入り口は見えなくなっているかも知れない。

見渡す限りの岩山の壁。

これは… 洞穴の入り口を探すのは大変そうだと、セシルと二人並んで目の前の岩山を眺める。


とは言え、ただ眺めていても仕方がないため、まずは休憩してから入り口を探す事に決めた。

そして、ヘリサート洞穴の探索が始まったのである。

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