第3話 受難はやがて希望へと変わる
受難はやがて希望へと変わる
穏やかな昼下がり、ベークライト王国の城門へ一頭の馬が、もの凄い勢いで駆け込んで来た。
何事かと駆け付けた門兵に、馬上の騎士が大声を出す。
「侍女を呼んで、姫様を部屋へとお連れしろ!! それと、すぐに医者を呼べ!!」
騎士の腕の中では、血にまみれたセシルがぐったりとしている。
荒い息をしており、苦しそうな表情をしている。
誰が見ても重症だ。
「急げ!!! 一刻を争うぞ!!」
再び騎士が大声を上げると、呆けていた兵士が慌てて動き出し、穏やかだったベークライト城の昼下がりは一変して騒然となった。
玉座の間では、ベークライト王が怒りに震えながら顔を赤く染めている。
さすがに、物や人に当たるような真似はしないようだが、その分内なる怒りを抑え切れていないのが見て取れる。
その様子は、今にも暴れ出しそうだった。
報告に来た騎士は立ち竦み、その隣にいる侍女に至っては、顔面蒼白で今にも倒れそうになっている。
「…すまないが、…もう一度、話を聞かせてくれるか…?」
王は自身を落ち着かせるために目を閉じて、なるべく声を荒げないように注意して騎士に二度目の説明を求めた。
どうやら、一度目は頭に血が上り、まともに聞こえていなかったようだ。
「は、はい! ご報告申し上げます!」
騎士も二度目になるが、説明を求められれば答えない訳にはいかず、再び話し出す。
「自分は城下の巡回中、教会近くの路地で姫様が倒れているのを発見しました」
教会は墓地の管理も行っているため、城下町の端の方に位置している。
セシルは時間ができると教会に通い、孤児の世話なども率先して行ってきた。
この辺りは治安も良く、セシル自体が普段から教会へ行き来しているため、一国の姫がお供も連れずに歩いていても特に問題は無かった。
それに、姫は住民からも愛されており、誰も傷付けるなど思ってもなかったからだ。
「悲鳴もありませんでしたので、巡回中の自分が発見するまでは、その場に倒れたままだったと思われます。すぐに周りを確認しましたが誰もおらず、争った形跡もありませんでした。流れ出た血の量が多かったので、すぐに外傷を確認し、動かしても問題無いと判断しましたので、急ぎ馬を走らせました」
騎士が言うには、悲鳴も上がらず、周りには誰もおらず、顔面が血まみれの状態で姫が横たわっているだけで、顔の外傷以外は見ても分からなかった。
騎士の判断で、治療所よりも城の方が安全であり、治療具や薬も充実しているため、無礼を承知で姫を馬に乗せ、城まで大急ぎで戻ってきて、今に至る。
「すぐに町の門を全て封鎖し、城下と町の外へ小隊を走らせました。ただいま捜索を行っております」
騎士は城に戻るなりすぐに隊長へ報告し、その後玉座の間へ向かった。
隊長はすぐさま小隊を配置すると、犯人が町から出ている可能性も考慮し、町の外側を四方での捜索も行わせている。
「そうか。ご苦労だった。 …して、セシルの容態だが、医者は何と?」
王は騎士に労いの言葉を掛けると、次は侍女に向けて一番気になる本題に入った。
「…ひ、姫様のお命に別状はありません。 …しかし、お顔に付けられた傷は... そ、その... 跡が残ってしまうと言う事です。 …また、 …誠に申し上げにくいのですが、 …その …ひ、左の御眼は、 …もう見えない、と言うことでした...」
セシルは額の左側から左の頬にかけて、大きな斬り傷を付けられた。
何で傷付けたかは分からないが、鋭くないもので刻まれており、幅も大きく歪な形になっている。
その傷が左眼を通過しているため、もう左の眼は完全に機能せず、閉じたまま何も見ることはできない、と言うのが医者の診断の結果だった。
侍女は汗だくで生きた心地はしなかったが、何とか医者から聞いたことを伝えきることができた。
「……………………」
王は一点を見つめて、何かをブツブツ言っている。
そして、勢いよく立ち上がると、大きな声で指示を出す。
「よいか!! このことは他言無用だ!!! 絶対に外に漏らすな!!! 自分たちの家族にもだ!!! そして、セシルを襲った者を絶対に探し出し、生きたまま連れて来い!!! これは命令だ!!!」
「「「「ハッ!!!」」」
その場にいた兵士、騎士、大臣、侍女全てが跪く。
そして、すぐさま全員が動き出した。
皆を見送った後、王は深いため息を吐き、重い足取りでセシルの部屋へと向かうのであった。
16歳と言う年齢には大きすぎるベッドの上で、セシルは汗を浮かべながらうなされていた。
それは、包帯が巻かれた左眼が疼いて熱を持ち、眠ることもできずに精神を蝕んでいたからだ。
一体、自分の身に何が起きたのか、思い出そうとしてもうまく考えることができない。
いや、心が思い出すのを拒絶しているかのようだった。
理由は分からないが、そうでもしないと心が砕けてしまう恐れがあるから、本能的に記憶を封印しているのかも知れない。
(もう、思い出そうとするのはやめよう…)
セシルは考えることを手放すと、自分の内側に深く潜り込んでいった。
そして、国王がセシルの部屋に近付くと、ちょうど部屋の中から医者が治療師と司祭を連れて出てくるところだった。
「…セシルの容態はどうだ?」
重い口調で国王が医者に尋ねる。
医者たちを見る眼光が鋭いのは、まだ気が高ぶっているせいだ。
医者は、一瞬戸惑う素振りを見せたが、気を取り直し国王を見据える。
そして、一呼吸おいてゆっくりと話し出した。
「姫様は、お顔に付けられた傷以外に外傷はありませんでしたが、 …左の御眼は、残念ながら手の施しようがありませんでした」
少し間を空け、緊張に顔をこわばらせながら医者が一番重要な事、すなわちセシルの左目はもう見えないと言う事を告げる。
国王の目が大きく開かれ、通路の壁を振り払うように思いきり殴りつける。
医者たちは国王の凄まじいまでの怒りに驚き、その場に立ち竦んでしまった。
「…顔の傷跡はどうなる?」
拳は壁に打ち付けられたまま、怒りに顔を赤く染め、睨み付けるように医者へ訪ねる。
「そ、それが… 魔法で治癒を施しても …傷跡は無くせませんでした。呪いが掛けられた事も考慮して教会の奇跡も施しましたが… その… 効果はありませんでした」
通常、切り傷などの外傷は治癒の魔法で綺麗に治る。
これは、細胞自体を活性化させ、負傷した箇所を補うからで、骨折や欠損は治せないが剣などによる斬り傷、魔法による火傷や凍傷ぐらいなら治癒魔法で治せる。
ただし、呪いによる傷は治せないため、その時は教会の奇跡か聖水が必要になるのだ。
額に汗を浮かべつつ、絞り出すように医師が答える。
「まだ16歳だぞ!!!」
再び国王が吼える。
まだ16歳の少女に、なんて過酷な試練を与えるのか、神は何をしていたのだと、これからますます成長し、女性としてお洒落にも興味が出てくるだろう。
これからたくさん楽しいことが待っているというのに、セシルにはその楽しみすら味わうことが許されないというのか。
壁に打ち付けたままの拳をギリギリと握り締めていると、やがて血が滲んできて、壁を朱に染める。
そして、ぽつりぽつりと、国王の足元に透明の雫が零れ落ちる。
それは、悔しさのあまり流した国王の涙だった。
「…神よ、セシルが一体何をしたというのだ… このような仕打ちは、あまりにも酷過ぎる。もはや、何を信じろと言うのだ…」
神への失望を口にすると、国王はその場に膝から崩れ落ちるのだった。
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卒用試験から数日経ち、今日もカイルはマリアと実戦を想定した訓練をしていた。
マリアも自粛して本気を出さないようにしているため、戦績としてはほぼ五分五分だ。
今日も、午前の訓練を終えて二人が家に戻ると、ガゼルが手紙を読んでいるところだった。
「マリア、どうやら仕事のようだぞ」
「その顔を見ると、それなりに厄介ごとみたいですね」
いつになく真剣な表情のガゼルに、マリアの顔つきも変わった。
カイルが父と母の真剣な表情を見るのは珍しいことで、仕事と言うのも随分久しぶりに聞いた。
おそらくは何かあったのだろう。
カイルが考えていると、マリアに声を掛けられる。
「カイル、私達はちょっと話をしなければいけません。あなたは今夜の食材を狩って来て下さい」
しかも、息子の追い出しに掛かったと言うことは、よほどの内容なのだろう。
(息子にも聞かせられない話ってなんだ?)
カイルは疑問に首を傾げながら狩場へと出掛けて行った。
そして、狩場から獲物を担いで戻ってきたカイルは、あまり聞き慣れないことを聞いたので、ガゼルに聞き直した。
「え? なに? もう一回言ってもらえる?」
「だから、お前の誕生会を近々やるって言ったんだよ」
「私たちの仕事が、思った以上に厄介みたいなのです。近く出発するのですが、それではあなたの誕生会に間に合わない」
マリアも困ったように眉毛を下げている。
「誕生会なんて、別に仕事が終わって二人が帰って来てからでも良いんじゃないの? これまでもそうのはあったと思うんだけど?」
これまでの誕生会は当日ではなく、数日過ぎてからやったことだってある。
なのに、今回は初めて前倒しでやることになった。
カイルは誕生会なんて、別にいつでも良いと思っていたのだが、どうやら違ったようだ。
「そんなことできるか!!」
「過ぎてもいい期日をも過ぎたらどうするんです!! だから、こう言うけじめは必要です!!」
二人がすごい剣幕で猛反対してきた。
もしかしたら、今回の誕生会が大切なものなのか? マリアの言う「過ぎてもいい期日」って言うのは、もしかしたら数ヶ月掛かる仕事なのかも知れない。
だからこそ、今の内にやってしまおうと考えたのだろう。
結局、カイルの誕生会は三日後に開かれる事になってしまった。
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ベークライト王国。
セシルは部屋のカーテンを全て閉め切り、何も見えないように明かりも一切消し、真っ暗にしていた。
それは、まるでセシルの心を表しているかのように深い闇となっている。
襲撃事件が起きてから今日で5日目。
セシルはまだ立ち直れず、ベッドの中で丸くなっていた。
一滴の水も飲まず、食事すら摂っていない。
心が小さくなってしまい、何もできなくなっているのだ。
医者や、食事の用意をしている侍女が部屋に入っても、セシルは何の反応も無い。
まるで、部屋の中には誰もいないように気配すら感じさせていないのだ。
事件の翌日、朝から事情を知る人だけが見舞いに来てくれたが、国王が面会謝絶にしたため、皆はドアの前で声を掛けていくだけだったが、セシル自身、誰にも会いたくなかったため、国王の配慮はありがたかった。
だが、3日目からは皆が気を遣ったのか、誰も来なくなった。
不思議なことに、聞きたくない時に限って聞こえてくる励ましの声は、今の誰も来なくなったという事実と突き合わせると、あれが別れの挨拶だったのでは? とすら感じてしまう。
だんだんと自分自身が弱っていくのを感じながら、セシルは薄っすらと思う。
(…私は、このまま動く事すらできなくなるのでしょうか? …もう、私は死んでしまうのでしょうか? …死んだら、誰か悲しんでくれるのでしょうか?)
(………助けて ……お願い …誰か ……誰か、私を助けて…)
声にならない想いは、暗い部屋の中に掻き消えていった。
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「全然足りませんね」
夕方、狩りから戻ってきたカイルがマリアに言われた第一声がこれだ。
明日開かれるカイルの誕生会に出す料理用に獲物を捕ってこい、と言われたのがお昼頃。
自分のお祝いのために自分で獲物を用意するのもどうか… と、思ったが、ウィル達も来る事を聞き、そのために準備しようと気持ちを切り替えた。
そして、夕方近くに家に戻ったのだが…
収穫としては、熊1頭、イノシシ2頭、大型の鳥2羽。
時間にして約半日でこんなに狩るのは正直大変だった。
一番の問題はどうやって持ち帰るかだったけど、ソリを作ることを思い付き、まずは木の皮を剥がし、引っ張るための蔦を結ぶ穴を開け、即席のソリで引っ張ってきた。
相当な重量だったから大変だったけど、あれこれ試して何とか持ち帰ることに成功した。
なのに、その大量の獲物を前に、腕を組んだマリアが言った言葉がアレだ。
「え? これで足りないの? どんだけ人を呼んだの?」
もともとログハウス的な家だ。
間取りだって両親の部屋、カイルの部屋、リビング、キッチン、風呂にトイレと、一般的な家のつくりだろう。
来客だってそんなに来るわけではないからリビングだってそんなに大きくない。
なのに、この獲物の量で足りないって、何人呼んだんだろう?
「そういう話をしているのではありません。間もなく冬になるので保存食もついでに作るのです」
腰に手を当てて、当然のようにマリアが言うのだが、そもそも内容が違う方向になってるけど、それはお構いなしのようだ。
最初から言ってくれてれば、それなりに狩って来たのにと思い聞いてみた。
「それって、誕生会が終わってからじゃダメなの?」
何も全てを同時進行させる必要は無いんじゃないかと思った。
一人での輸送は数や重さに限りがあるわけだし、いちいち家に戻るのも無駄足だ。
ならば、その時に必要な最低限の量で良いんじゃないか? その方が効率的だと思った。
「やれる時にやってしまうのも冒険者ですね。いつできなくなるか分かりませんから」
当然のように言い切られた。
ちなみに、両親はどうやって大量の物資を輸送していたのかを聞いてみたら、魔法を使うと言う返答が返ってきた。
もちろん、何の魔法を使うかまでは教えてくれないし、自分で考えなさい、と言う教科書どおりの回答だった。
「しょうがないなぁ… まぁ、獲物は索敵を使って探せば大丈夫だけど、それを持ち帰る方法は自分で考えろ、か。魔法を使うと言う事は教えてくれたから、あとはいろいろと試してみるしか無いか」
カイルは気持ちを切り替えると、再び獲物を求めて狩場へと足を向けた。
季節はもう秋だけど、まだ気温は高くちょっと動けば汗ばむような陽気だ。
川に行けば、熊が冬ごもりに備えて魚を捕ってるかもしれないと思い、まずは川へと向かった。
その道中、ふいに前方の草むらから大きめのイノシシが現れ、カイルに狙いを定めて突進してきた。
どうやら、獲物が向こうからやって来たようだ。
カイルは腰の剣を鞘ごと抜き取り頭上に構える。
そして、突進してくるイノシシの頭を目掛け、一気に構えた剣を打ち下ろす。
その一撃で見事に脳天を割られたイノシシは、突進してきた勢いも殺され、その場に倒れ込む。
「よし、まずは1頭、きれいに仕留めた。これなら全身の毛皮が使えるな」
毛皮も売れるため、なるべく獲物をキズ付けないように狩るのも技術の一つだと教わった。
でも、これでも足りないんだろうと思いながら、カイルはイノシシを担ぎ上げると川へと向かった。
水辺が近くなってきたと思った瞬間、『…助けて…』と弱々しい声がカイルの耳に聞こえた。
カイルは思わずその場に立ち止まると、姿勢を低くして辺りを見回すが、自分以外に誰かがいる気配は無い。
だが間違いない。
声は弱々しかったけど、聞き間違うはずが無い。
あの時の声だ。
卒業試験で死を覚悟したカイルの窮地を救い、勇気を与えてくれ、勝利に導いてくれた声だ。
(その声が助けを求めている…? 一体、何が起きてるんだ?)
カイルは耳を澄ませて当りの音を聞き取る… が、声はもうしないようだ。
でも、確かに聞こえたし、あれは決して空耳なんかじゃない。
カイルを救ってくれた声の主が、今度は助けを求めているのは間違いなさそうだ。
姿勢をそのままに辺りの気配を探るが、やはり何も感じない。
今の状況を事実だけで考えると、どうやらこの場に実体は無く、想いだけが届いたような状況だ。
そんなことがあるのか? と思ったが、たった今起きたことを思い出し、考える。
(あの時もそうだったが、どうして俺に聞こえるんだ? そして今の状況で俺に何ができる…?)
そして、さんざん悩んだ挙句、一つの方法を思いついた。
(…俺はあの声に救われた。なら、俺も声で励ますことができるかもしれない。 だが… 俺が… 言うのか? ああいうのを...?)
声が届くか分からないが、やらないで後悔するなら試した方が良い。
カイルは顔を赤くしながらも、羞恥心を抑えて言葉を選ぶ。
言葉に想いを乗せるのだから、言葉遣いはいつも通りじゃないとダメだろう。
カイルは目を閉じると、深呼吸を一つしてから、声の主に向けてゆっくりと語り出した。
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ベークライト王国のセシルの部屋では、未だに真っ暗な中、ベッドの中で丸くなったセシルは意識も混濁し始めてきていた。
(…あれから、どれくらい経ったろう? …今日は何日? …私は …まだ生きているの?)
セシルの生み出した闇は、セシル自身を完全に飲み込もうとしている。
ほんの少しだけ残されている自我だけが、セシルを生へと繋ぎとめていた。
生と死の堺に来てしまったセシルには、自身でできることなど何もない。
何かをする、と言う行為そのものができないのだ。
そして、確実に死に向かって時間だけが無常にも過ぎていく。
いよいよ、僅かに残されたセシルの自我を握りつぶそうと、闇に染まった手がゆっくりと伸びてくる。
(…あぁ、とうとう私は …死んでしまうのですね。でも、もう疲れ果てました。未来も何もかも失い、私は生きる希望すら失ったのですから…)
そして、自我を闇が包み始めたその時、
『…俺の声を聞いてくれ』
突如、力強く優しい声がセシルの内側へと響き、胸が薄く光輝くのを感じた。
体も何かに包み込まれたように暖かくなっていく。
驚いたように闇がその手を開くと、その光に恐れおののくように消えていった。
セシルの指がピクリと動いた。
『俺は君の声に救われたことがあるんだ』
セシルの頭はまだぼんやりしているが、この声だけは心に直接響く。
そのお陰か、頭の中にかかっていた霧のようなものが段々と晴れてくるのが分かる。
男の声だけど、まだ声が若い。
もしかしたら自分と同じくらいなのかも知れない。
声の主は、自分の声に救われたと言うが、セシルには全く心当たりがない。
『君は今、自分の力では抜け出せないところにいるのかも知れないな』
(その通りだけど、なぜあなたが知っているの?)
セシルは戸惑う。
そして、やっと頭の中の霧が晴れ、少しずつ考えることができるようになってきた。
『君の声は、強大な敵を前にして竦んでしまい、死を覚悟した俺を救ってくれた』
(救ったって、そういうレベルなの!?)
あまりの事の大きさに驚きを隠し切れない。
『俺の魂を震わせ、勇気を溢れさせ、力を漲らせた。それは全て君の声のおかげだ』
セシルには心当たりがなくとも、彼はセシルの声だと言い切る。
本心で話しているようで、どうやら彼は本当に救われたようだ。
自分にそんな力があるはずも無いのに…
でも、もしそれが本当だったら何て素晴らしい事なんだろうと、セシルの気持ちが温かくなる。
『君の声には、優しさの中にも力強さがある。なら、君自身にもその力があると思うんだ。 …だから、苦しいだろうが決して諦めず、負けないでくれ』
彼は、セシルには力がある。
だから諦めるな、負けるな、戦えと言っている。
セシルは先ほどから胸がドキドキしている。
弱っていたはずの、止まりそうだった心臓は、嘘のように大きく鼓動を伝えてくる。
でも…、まだ踏み出せない。
やはり、女の命ともいえる顔に大きな傷があり、片目も見えないのは大きな負い目となり、それがセシルにしがみついてくる。
『もし、君の心が折れそうになっていて、どうしようもないのなら… 俺がそこに行くよ』
「!!?」
ガバッと飛び起きた。
「えぇっ!? い、行くっ!? どど、どうするの? 来るの? 来ちゃうの?? ここに?」
顔を赤く染め、思わずどもってしまう。
体は今までに無いほど火照り、胸は相変わらずドキドキとうるさい。
『俺が不安な事から君を守るよ。君は俺の命を救ってくれた。なら、俺の命は君のために使うべきだ』
(私を不安から守ってくれる、私に命を捧げてくれる…?)
なんか、物凄いことを言われている気がする。
「こ、これって告白なのかしら!? だって、私に命を捧げるって...!! はっ!! 違うわ! これは求… 婚… あわわわわ、ど、どうしましょ!? こ、心の準備が…」
もう、胸のドキドキが止まらない。
いや、更に早くなった気がする。
本心で言ってるっぽいから尚更だ。
『俺の名はカイル。君の名前を教えてくれ。必ず探し出すよ。約束する!』
「えっ? えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ!!」
「ど、どうしよう!? 約束されちゃったよ!?」
さっきから口調が素になってるが、そんな事はどうでもいい。
「わ、私、どうすれば良いの!? 名前を言うべき!? 名乗られたんだもの、こっちも言わないといけないよね!?」
「あ、あれ? え?」
気付くと、自身を包み込んでいた暖かさは無くなり、暗闇の静けさだけが残っていた。
(…夢? …でも胸はまだドキドキしてる …私、求婚されちゃった。守ってくれるって。 …私に命を捧げるんだって)
「ぷっ、あはははははははっ!」
思わず笑い出してしまった。
さっきまで弱り果てて、いつ死んでもおかしくなかったのに、今は逆に心臓は凄い勢いで鼓動しているし、体は芯から熱くなり、顔は間違いなく真っ赤になってる。
「うふふっ、あの声のおかげなのかしら… うふふふっ」
一人、ベッドの上で顔を赤く染めながら笑っていると、扉を開けて国王が飛び込んできた。
「セシル!! どうした!? 何があった!?」
血相を変えて聞いてくる。
それはそうだ、部屋に閉じこもり、誰とも合おうともしなかった娘の部屋から、突然笑い声が聞こえてくれば、何かあったと考える方が自然だ。
「あぁ、お父様。ごめんなさい。何でもありませんわ。 …それよりも、いろいろとご心配をお掛けして、本当に申し訳ございませんでしたわ」
目に涙を溜めて、笑いをこらえながら父親に謝る。
「私は、もう… 大丈夫ですわ。生きる希望を見付けましたの。それよりも、久し振りに笑ったせいかしら、お腹が空きましたわ。うふ、うふふふふ」
まだ小さく笑いつつ、セシルはお腹をさすりながら空腹を訴えた。
「セシル… 良かった… 本当に良かった…」
国王は目に涙を浮かべ、喜びをあらわにした。
そして、張りのある元気な声で侍女たちに指示を飛ばす。
「食事の用意だ! セシルに何か食べるものを持ってきてくれ!!」
にこやかな顔で指示すると、扉の外で控えていた侍女たちが走り出した。
「よろしければ、お父様もご一緒にいかがですか? こんなに沢山、食べきれませんわ」
「そうだな、では、私も一緒にいただこう」
ベッドの脇に用意されたテーブルには、食べやすいスープや柔らかいものなど、
数日間食べてなかったセシルを気遣った料理が所狭しと並べられていた。
父親である国王も、セシルが閉じこもってからは食事がろくに喉を通らず、
ほとんど食べてなかったのだ。
親子二人で笑いながら食事をしている姿を見て、侍女たちも安堵の涙を流している。
セシルが笑い出した理由は教えてはくれなかったが、右の瞳に宿る光はこれまで以上に輝いていた。
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『俺の名はカイル。君の名前を教えてくれ。必ず探し出すよ。約束する!』
(あぁ、言い切っちゃったよ。これで向こうが教えてくれなかったらどうすんだ?)
自分が言った事に羞恥心で悶えていると、背後の草むらから何かが飛び出してきた。
咄嗟のことで、迎撃体制もできていない。
こんな至近距離なのに、まったく気付かなかったのは痛手だ。
それよりも、アレを誰かに見られていたら、そのことの方がダメージが大きい。
剣の柄に手を掛けながら凄まじい勢いで振り向くと、そこには大きな熊が立っていた。
「なんだよ! 人だと思ったら熊かよ!! このヤロウ、獲物のくせに! 俺は今、大事なとこなんだから邪魔すんな!!」
人じゃなくて安心したら逆にイライラしてきた。
「コイツ、どう料理してやろうか…」
カイルが睨みをきかせていると、目の前の熊がゆっくりと崩れ落ち、その背後にはマリアが立っていた。
が、様子が変だ。肩のあたりが小刻みに揺れているが... あれは、もしかして笑いを堪えてる??
「あぁっ!?」
思わず声が出た。
「ぷっ、ぷふ、うふふっ カイル、ふふっ、よ、余所見は、いけませんよ? あ、あはははははっ」
マリアが我慢できなくなり、ついに笑い出した。
「…母さん。 …なんで… 笑ってるのさ?」
自分の顔がどうなってるのか分からないけど、たぶん赤くなってると思う。
「オホン! 失礼しました。なかなかに良い言葉でしたが… ぷっ、うふふふっ」
(ちくしょう、まだ笑ってるよ)
「イノシシを担いだまま言うセリフではありませんね」
そしてまた大笑いされたが、父さんには内緒にしてくれることを約束してもらった。
一番聞いて欲しくなかった人に聞かれてしまった、と、やり場の無い恥ずかしさに悶絶する。
(まぁ、こっちは言うこと言ったからすっきりした。 …名前は聞けなかったけど)
未だに笑っているマリアに頭を撫でられながら、カイルはあの声の主に、ちゃんと想いが伝わったかが気がかりだった。
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