第32話(下)ベルジアンの思惑
それからしばらくして国境で暴徒化したチェスキーの住民がティルキア国境になだれ込んでいると報告が入った。
ベルジアンは急いで国境に向かった。
そしてそこでアリシアが必死でチェスキーの民に話をして暴動を抑えたと聞く。
おまけに自分への感染も顧みずバードの治療を行っている姿も見た。
チェスキーといいここでもか?
そんな姿のアリシアは聖女様のように見えた。
まさか、そんなはずが…
ベルジアンは湧き上がる気持ちに急いで蓋をする。
ヴィルフリートたちティルキア国の警備兵も必死でチェスキーの人を助け手当てや食料支援をしている姿も見た。
ベルジアンの心は揺れた。だが、アリシア様を連れて帰ることは出来ない。
悶々と苦悩するベルジアンだったが、バードの感染者が落ち着いてチェスキーの住民が元の街に帰り始めアリシアもここを離れると聞いて、もう一度話し合いをしようとアリシアの元を訪れた。
「アリシア様あなたのおかげでチェスキーの人達は救われました。本当にありがとうございます。あなたは素晴らしい人です。あの…それであなたはこれからどうされるおつもりです?ひょっとしてグレン殿下の所に?」
アリシアがそう言えばもう止めることは出来ないかもしれない。
これほどの功績を上げれば国民の好感度はかなり上がっているはずだ。
「まさか。ベルジアン様最初に言いましたよね。私はグレンの所に帰るつもりはないんです。リオスの街はずれ辺りに診療所があるそうなのでそこで働こうかと思っています。多少ですが人を助けれる力もあるのでそれを生かして行ければと考えているんです。グレンには私を探さないように伝えて下さい。私はそれを望んでいると。彼はきっとわかってくれます。私の嫌がることは出来ないんです。何しろ私、彼の番ですから…」
「わかりました。ですが殿下はそんな事で諦めるような人ではありません。お判りでしょう?もしよければアリシア様は亡くなったということにして頂けないでしょうか?そうすれば殿下も諦めるしかありません。執拗にあなたを探し回ることもしなくて良くなります。いかがです?」
アリシアはきゅっと眉間を寄せた。
そんな事…グレンがどれほど悲しむか…でも、いつまでもわたしを探し続けることもきっと辛いはず。
私は二度と彼の元に帰らないって決めたんだから、だったら死んだことにした方がいい。
アリシアはこくんと首を縦におった。
「ええ、ベルジアン様の言う通りですね。私はバードの感染して死んだ事にして下さい。亡骸は他の感染者と一緒に荼毘に付されたとそう伝えて下さい」
「ありがとうございます。ではそのようにグレン殿下にお伝えします。それで…形見と言うのもあれなんですが…アリシア様が持たれているペンダントと同じものを殿下に形見としてお渡ししてもよろしいですか?」
アリシアは胸に下げているペンダントをぎゅっと握りしめた。
見間違いかも知れないが手のひらの中で橙月貴石が光り輝いた気がした。
「お願いです。これだけは…これだけは奪わないで。私の命と同じくらい大切な物なんです。どうかベルジアン様お願いします」
その声は震え、橙月貴石が熱を持ったせいか感情のせいかわからないが握りしめた手の中が汗でぐしょりとなる。
「もちろんです。それと全く同じようなものを準備しますので。ご安心ください。では約束しましたよアリシア様。どうかお元気で」
ベルジアンはそう言うとアリシアの元を離れた。
そしてマコールに急いで向かった。
グレン殿下にアリシアが亡くなったと伝えるために。
***
王宮に戻ったベルジアンは急いで執務室に向かった。
執務室の前でここが国王の部屋であると改めて思うベルジアン。
「グレン陛下ただいま戻りました」
そうなのだ。グレンは国王になった今までは殿下と呼んでいたがもう陛下とお呼びするべきお方なのだ。
ベルジアンは改めてグレン陛下と呼べる幸せを噛みしめた。
「ベルジアンか、それで?アリシアの行方は分かったのか?」
グレンは執務机の前で立ち上がってベルジアンを迎える。
その顔は緊張もしているが期待の方が大きく見えた。
ベルジアンの胸はつまされた。本当の事を言うべきなのでは…一瞬心に迷いが浮かんだが、一時の感情に任せられることではないと自分を叱咤する。
ベルジアンはグレンの向かいに立つ。
「実は陛下…申し訳ありません」
これから言うことを思うと胸が焼け付くようになりベルジアンは思わず身体を折り曲げた。
「なんだ?俺はそんなに心の狭い男ではないつもりだ。いいからベルジアン言ってみろ。どうせアリシアが帰らないって言ったんだろう?あいつの事だ。困っている人を見過ごすわけにはいかないとか何とか…そうなんだろう?」
グレンはまだ余裕だとばかりベルジアンを元気づける。
ベルジアンはふぅーと息を吐くと頭をゆっくり上げた。そしてもう一度息を大きく吸い込むと
「残念ですがアリシア様はバードに感染されて亡くなり…」一気にそう言葉を紡いだ。
言葉は最後まで言えないままグレンが大声を上げる。
「べ、ベルジアン貴様がついていながらアリシアが死んだ?死んだだと?」
グレンが力任せに執務机を叩いた。
「どがっーん!!ばごっ、どっしーん!!」
どっしりした大きな執務机が真っ二つに割れて地震でも起きたかのような音を立てて崩壊した。
「グレン…へい、か…お気を確かに」
ベルジアンは予想はしていたもののそのパワーに圧倒される。
グレンはそのままベルジアンの前に来るとベルジアンの首を掴む。
その瞳は真っ赤になって細長い瞳孔が広がって行く。彼の怒りが最大級な状態にあるということだ。
「へ、いか。落ち着いて…」
「アリシアが…俺のありしあが…ベルジアン。それは本当か?違うと言え。アリシアは生きていると…」
ベルジアンは首を掴まれたまま宙に浮いたまま首を横に振った。そして上着のポケットからペンダントをグレンに差し出す。その手は小刻みに震えていた。
「これは…」
グレンはベルジアンを掴んでいた手を離すとそのペンダントをぐしゃりと掴み取った。
執務室に言いようのない沈黙が落ちた。
グレンは身体が頽れ床に膝をついて手のひらに乗せたそのペンダントを食い入るように見つめている。
ベルジアンは息を詰めてその光景を見守ることしかできない。
ぐっと唇を噛みしめやっぱり本当のことを言った方がいいのではと心の中で葛藤が始まる。
すぐにでもアリシア様が死んだなんて嘘なんです。生きて元気にしていらっしゃいます。ただグレン陛下の元にはもう帰りたくないとおっしゃっているんです。
ベルジアンはもう本当の事を話してしまおうかと喉元まで言葉が出かかった。
だが、貴族だった時の記憶が蘇る。貴族社会は血筋や家柄そして噂を重視する。アリシアが罪を犯した人間となっている事を知られれば貴族たちは容赦しないだろう。例えそれが真実かどうかなど関係ない。結果がすべてだ。やはりアリシアは王妃にはふさわしくない。これはベルジアンがこれまでの人生で得た教訓だ。
私は間違ってはいない。そう何度も心に言い聞かせる。
ベルジアンがふっと床に視線を落とす。グレンが跪いている床が濡れていた。
はっとグレンを見る。
グレンの目からはとめどない涙が流れ落ちている。彼はその涙を拭おうともしない。
「うそだ。うそに決まってる。いやだー!アリシア。アリシア。アリシア…」
ベルジアンはたまらなくなってグレンに駆け寄る。
「陛下。アリシア様はみんなを助けてチェスキーの人たちをずっと治療し続けてそれでご自分も感染したそうです。亡骸はバードで亡くなった人と一緒に荼毘に付されました。それで私がペンダントだけでもと…申し訳ありません、私が必ずお連れすると言ったのに」
「そんなのうそだー!俺は信じない。おれは…」
グレンはアリシアとそろいの橙月貴石のついた剣をつかむとそのまま執務室を飛び出して行った。
すぐに王宮の外を金色と銀色の混じった毛色の狼が口に剣をくわえたまま猛スピードで走り去っていく姿が見えた。
グレンは感情が抑えきれず野生の本能で狼に変身したらしい。
それっきりグレンの姿は消えてしまう。
ベルジアンはあらゆる手段を使ってグレン陛下を探し始める。
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