第31話 グレンおたおたする


 グレンは翌日やっと屋敷に帰って来た。


 国王に任命されて膨大な仕事を徹夜でこなして休むこともせず指示を出しやっと少し落ち着いて屋敷に帰って来たと言うのに…


 「アリシア~アリシア。ただいま。ごめん遅くなって怒ってる?いいから早く顔を見せて。もう、悪かったって言ってるじゃないか。あんまり怒らないでくれよ。これでも必死で仕事を片付けて帰って来たんだからさぁ~」


 まだ屋敷の門を入ったばかりだと言うのにグレンはグダグダの疲れをいやしてもらおうとアリシアを呼ぶ。


 だが、そこに出て来たのはアリシアではなかった。


 「アリシアはどうした?どこにいる?」


 グレンは青い顔をして出て来た侍女に尋ねる。


 「アリシア様は診療所に行くとおっしゃってまだ帰っておられません」


 「帰ってない?どういうことだ?」


 途端にグレンの顔が鬼のような形相になる。


 侍女は綿綿と言い訳をする。


 「あわわわ…旦那様.アリシア様は、忙しかったら診療所に泊まり込むかもしれないとおっしゃっていましたので、と、特に気にしていませんでした。アリシア様はきっと診療所が忙しくて…」


 侍女の声はどんどん小さな声になって行く。


 後から出て来た侍女たちもグレンの怒りがふつふつと湧き上がる様は恐ろしくて見てはいられないとばかりに顔を俯ける。


 「はっ?昨日から帰っていない?どうして迎えに行かない?いくら泊まり込むからと言われていたとしても‥それに俺に黙っていたというのはどういうわけなんだ?いったいお前らは何をしてる?主人の唯一が帰ってこないと言うのに誰も迎えも出さずにそのままにしていただと?」


 グレンの目は赤く染まり始める。いつもは細長い瞳孔がインクを垂らしたかのように真っ黒く広がり始める。


 ベルジアンが走って来て慌てて言う。


 「殿下。そんな事よりアリシア様をお迎えに参りませんか。きっと忙しくしてらっしゃったんでしょう。殿下を見ればきっとアリシア様が大喜びされるのでは?」


 グレンが口元をっふっとほころばせる。


 「そうだな。もういい!お前らの給料は減給だ。アリシアが帰って来なかったら迎えに行くのが当然だろう。ベルジアンさあ急ぐぞ」


 まだ機嫌は直らないものの、アリシアを迎えに行くと思ったらそれどころではなくなったらしい。


 「ベルジアン、馬で行く。帰りはアリシアと一緒に馬に乗って散歩でもするか」


 「はい、それはよいお考えですね。さあ、参りましょう殿下」


 ベルジアンは侍女たちに食事と湯あみの支度をしてくようにと伝えてグレンの後を追う。


 ***


 街はずれの診療所に出向いてアリシアが来ていないことが分かると大騒ぎになった。 


 グレンはすぐに全軍を国中に出してアリシアの捜索を知ろと騒ぎ立てた。


 「殿下落ち着いてください。まず全軍をアリシア様の捜索に使うことは出来ません。それに今はバード感染者が多くとてもそんな余裕はないんです。殿下は国王としての責任があるんです。アリシア様だけに関わってなどいられないんです。どうかここは私に任せて殿下はアラーナ国の民のために。きっとアリシア様もそれを望んでおられます」


 「いやだ。ベルジアンもしアリシアに何かあったらどうする?俺はアリシアさえいればいいんだ。国王などもうどうでもいい。すぐにアリシアを探しに行く。そこをどけ!」


 グレンは馬にまたがるとベルジアンを押しのけようとする。


 ベルジアンはグレンの乗った馬の前を動かなかった。


 正確には動けなかった。ここでグレンを暴走させればこの国はどうなる?それを思うと恐ろしくてとても動くわけにはいかなかった。


 「ベルジアン!いいからそこをどけ!」


 「いいえ殿下。わたしはどくわけにはまいりません。殿下いいですか。よく聞いてください。アリシア様が見つかった時、殿下がわがまま放題に国王としての責任を果たしていなかったとわかればアリシア様は何とおっしゃるでしょうか?きっと殿下の事を嫌いになられるに違いありません」


 グレンの目が見開かれる。


 アリシアに嫌われる。その言葉はグレンが何より聞きたくない言葉だ。


 「どうしてそう思う。アリシアは俺が探していたと知れば喜ぶに決まっている」


 「いいえ、違います。アリシア様は何よりあなたの事をお考えになるお方。殿下が国王としての責任を果たしてこそアリシア様は殿下にまた惚れ直されるのです。ここは私にお任せください。アリシア様を必ず殿下の元に連れて帰ります。どうか殿下お心を落ち着けられて王宮にお戻りください」


 「ベルジアン貴様アリシアを絶対に見付けられる自信があるというのか?」


 「あります。アリシア様が頼られる方は兄のヴィルフリート・バルガン様しかおりません。必ずやアリシア様を殿下の元に」


 べりジアンは首を垂れてグレンの前に跪く。


 グレンの内心は…


 いやだ。アリシアがいないと俺は何もする気が起きない。


 嫌だ。嫌だ。


 アリシアを抱きしめて彼女の香りを鼻腔一杯に吸い込んでその香りで身体じゅうを満たしたいんだ。


 温もりを感じてその柔らかな胸に顔を埋めてすりすりしてキスもいっぱいして…


 ああ……


 今ここで土の上に寝転がって嫌だ。嫌だと駄々っ子のように転げ回ってそう叫びたい。


 グレンの顔は悲壮感で溢れていた。


 ベルジアンは神妙な面持ちでグレンを見つめる。


 「殿下?」


 そんな気持ちを知られたと思うと何だか気まずい。それくらいの羞恥心はまだ残っていた。


 「ベルジアン。言うな!」


 「お気持ちはわかりますが…どうか、どうかわかって頂けませんか?」


 「それくらいわかっている。どうせまたいい大人がと思っているんだろう?」


 「決してそのようなことは…番と離れるのがどれほどの辛さかわたしには想像もつきません。ですが…どうか」


 「もういい!そのかわりアリシアを必ず連れ帰ってこい。いいな!」


 グレンにだってその方がいいと思える。


 ぐだぐだになってアリシアを探し回っているより余裕で仕事をこなす国王の方がかっこいいに決まっている。


 仕事も出来て愛する妻も大切にする夫。


 これこそアリシアの理想の夫像に決まっているではないか。


 だがアリシアは番なんだ。


 ったく。そう言うところがだめなんだろう?!


 グレンは決心する。


 「アリシアが見つかり次第結婚式を挙げる。今度こそアリシアを正式な妻にする」


 「はい、もちろん。アリシア様を王妃にですね。きっとアリシア様もお喜びになります。では、私はすぐにアリシア様捜索に入ります。殿下くれぐれも執務の方よろしくお願いいたします」


 「わかった。ベルジアン頼んだぞ!」


 「我が命に代えてもお約束いたします。では、失礼します」


 ベルジアンは頭を下げるとくるりと向きを変えて颯爽と馬に乗って去って行った。


 グレンは馬から落ちそうになりながらもようやく気持ちを立て直し一度屋敷に戻った。


 「旦那様、こんな手紙がお部屋に…」


 侍女が手を震わせて手紙を差しだした。掃除のときに机に置かれた手紙にやっと気づいたのだった。


 今度はなんだ?!グレンは急いでその手紙を見る。


 「こ、これは…」


 グレンの身体がかしいだ。


 アリシアは自ら出て行っただと?


 おまけにアリシアが俺の妻にふさわしくないだって?何を馬鹿な…俺のアリシアはそんな事を考えていたのか?


 俺が君と離れられないってわかってるのか?番はその人と一生離れることはないって言うのに…


 アリシア、君は番ってものがどんなものか知らないからそんな事を思うんだ。


 一瞬すぐに馬にまたがりアリシアを探しに行こうと脚が動く。


 だが、今まで自分がどれほどアリシアを頼って生きていたか思い出す。


 いつもアリシアのそばを離れられなくてアリシアを困らせてばかりだった。


 こんな男だからアリシアは…


 でもアリシアは俺が嫌いになったわけではないんだ。


 しっかりしろ俺!


 そう思うと少しは痛む気持ちが和らいだ。


 そうだ!


 今やらなくてはいけないのは自分が頼りがいのある男だとアリシアにわかってもらわなければならない事かも知れん。


 うん?頼れる男か…そんな言葉が身体の芯を貫くと体が硬直した。


 ベルジアンも言っていたじゃないか。


 王としても責務を果たしてアリシアを出迎え王妃として迎える事がやるべきことだと。


 グレンはマントをひるがえすと王宮に戻った。


 一心不乱に執務を再開する。


 だが、それは何度も執務机にほおづえをつき、窓の向こうを眺め大きなため息を吐きながらだったが。




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