第29話(下)グレンとの別れ


 アリシアはマコールの街で国境行きの馬車に乗った。


 乗合馬車には王都ではやり病が猛威を振るい始めたせいか家族づれが多かった。


 馬車は無事に国境の街チェスキーに着いた。


 もう空は夕暮れに染まり始めている。


 一緒に乗っていた客も途中で降りたり今日はここで宿を取る。


 アリシアも安い宿を探す。


 明日にはティルキア国の北の故郷警備隊に入ったヴィルを頼って国境を超えるつもりだった。


 何しろ身分証の名前はアリシア・シーヴォルトとなっているのだ。


 戸籍は入れてはいないもののグレンは何かあった時の為にと作ってくれた身分証だった。


 これはさすがに使えないだろう。だとすれば事情を知っているヴィルを頼るのがいいかも知れないとアリシアは考えていたのだ。


 それにお金はあった。


 でもこれからの事を考えると無駄使いは出来ないと考えやっと一部屋空いているという宿に決める。


 食事はなしで寝るだけの宿だった。


 アリシアは近くの食堂に夕食を取りに出向いた。


 食堂は家族連れや仕事帰りの男たちでにぎわっていた。


 「おい、知ってるか?マコールでも流行り病が多く出ているらしいぞ。おまけに国王も亡くなったって話だぞ」


 「そりゃ本当か?こっちに広がるのも時間の問題じゃないのか?そうなるとどうすりゃいいんだ?」


 「やっぱりティルキアに逃げ込むか?」


 「そんなこと出来るのか?だってティルキアには結界があるだろう?」


 「ああ、前は完璧な結界だったが、新しい聖女になってからは穴だらけだって話だぞ。あちこち結界にはほころびがあって入れる場所があるらしい」


 「そうなのか。だったらお前が逃げるときには俺にも声を掛けてくれよ。何しろバードにかかったら命はないって言うからな」


 「ああ、何が何でもバードにはなりたくないからな」


 そんな話を男たちがしていた。


 アリシアは話を小耳に挟みながら、まあ、あのマイヤじゃあねとため息が出た。


 でも、それは自分のせいでもないし国が決めたことなんだから私が心配することじゃないからとも。


 はぁ…せっかくの美味しい魚のソテーや蒸し野菜がまずくなるから考えないようにしようと思いながら食事を終えて宿に戻った。


 もう二度とあんなことには関わらまいと心に固く誓ったのだから。


 やっと部屋に入ると少しほっとした。


 でも、だんだんグレンが探しているのではないかと思うと心穏やかに過ごす事も出来なかった。


 ベッドに横になるとアリシアは自分でも思いもかけない心境になった。


 3年間夜は毎日グレンの温もりと匂いに包まれて眠りについた。愛の言葉を囁かれ愛されて最後はトロトロになってグレンの胸の中で眠りについた。


 だが、これからはもうグレンの温もりや匂いを感じる事も出来ない。


 隣には誰もいない寂しさ。


 伸ばした腕の先にはグレンはいない。


 そのかわり冷たいシーツが手のひらにひやりとした感触をもたらした。


 心が寂しさでいっぱいになる。


 「グレン…ああ…グレン。グレン。あなたに会いたい」


 言葉がひとりでに零れる。


 胸を掻きむしられるような苦しみ。


 身体中を駆け抜けるグレンへの想い。


 理性を超えて衝動に突き動かされそうになる気持ちを必死で抑え込む。


 アリシアは初めて知る。


 番と離れることがこんなに辛いなんて知らなかったと…


 魔族の森に言った時、女魔族が言っていたことを思い出す。


 『あんた番と一緒に入れるなんてなんて幸せもんだね。番は片時もそばを離れたくないし、決して離れられないんだ。あんたもグレンが番だってわかってるんだろう?』


 その時アリシアは『自分は番かどうかわからない』と誤魔化した。


 『そうなの?でも、相手が番だって言うんだ。だからあんたを片時も離さないだろう?』


 『ええ、そうなんです。グレンったら少しでも離れると寂しがってどうしようもないんです』


 『あんた幸せもんだね。グレンを大切にしてやりなよ。番は決して裏切らないんだからね』


 『ええ、もちろんです』


 あの時はまさかこんなことになるなんて思ってもいなかった。


 会話が脳内で何度も再生されてアリシアは嗚咽を漏らした。


 ああ…なんてことを。グレンから離れるなんて出来るわけなかったのに。


 それに加えて、自分の寂しさだけでなくグレンを悲しませていると思うと余計辛くなった。


 あんなに心に決めたのに3年もグレンに愛される生活を続けていたせいだ。


 やっぱり引き返そうか…アリシアの心はもうすでにグレンを求めている。


 もう!しっかりしなさいよ。何を弱気になってるのよ。


 そんな事出来るはずないじゃない。


 早くグレンのいない生活に慣れるしかないのに…


 私がグレンのそばにいてはいけないってわかってる。


 でも…でも…


 そんな事をひとりで悶々と苦しみながら寂しくて寂しくてとうとう一睡もできない夜を明かした。



 そして翌朝、出発しようとしたアリシアに宿の人が心配して声を掛けた。


 「お客さん。昨晩は何か不都合でもありましたか?目の周りがひどい隈ですどい事になってますけど?」


 「いえ、この宿のせいではありませんから、ご心配かけてすみません。大丈夫ですから…では、失礼します」


 アリシアは慌てて宿を出る。


 通りに出ると人がたくさん行きかっていた。


 どうやら街を脱出しようとする人たちらしくどこもかしこも人、人、人で溢れていた。


 国王が亡くなって人々に不安が一気に広がったこともあるのだろう。


 アラーナ国のこれからに不安を覚えた人や、バードの広がりに恐怖を覚えた人など。


 グレンは大変だろうな。きっと今頃この状況を収めるために必死で頑張っているんだろう。


 彼はそう言う人だったもの。


 愛した人がそんな誇らしい人だと思うとうれしくなった。


 そんな時に自分は逃げ出して良かったのだろうか?また一抹の不安が沸き上がる。


 アリシアは激しく首を振る。


 だって、私には無理だもの。


 出来るわけがないじゃない。


 国王の妻なんて。


 王妃なんて!!


 ううん、違うのグレン。


 あなたと離れるのがどんなに苦しくても私はグレンにふさわしくはないってわかってるから。 


 だから…




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