第20話 大司教話が違うんじゃ?


 鍾乳石に囲まれたオルグに泉は洞窟に貫通させた天井の穴から陽の光が差し込んでそれは美しく輝いていた。


 静かな水面はここで魔界の扉が開いたことなど嘘だったように静かに凪いでいる。


 「あの、何か支度は?」


 「ああ、あちらの青の湧き水で身を清めなさい。せっかく今、聖女服を着たばかりだがすまんな」


 「とんでもありません」


 アリシアは何のてらいもなくオルグの泉のすぐそばにある湧き水が出ている滝の前に立つ。


 この湧き水は鍾乳石の中を通って上から流れ落ちている。


 この水は聖水として日々の祈りや儀式のときにも使われているそれはありがたい聖水なのだ。


 水の色は光が差し込むと青く光りとても神秘的でまるで神がそこにいらっしゃるのではと錯覚をおこしそうになる。


 アリシアはそっと滝の中に脚を入れてゆっくり全身にその聖水を浴びる。


 せっかくキレイにしてもらった髪も聖女服も濡れてしまったがそれでもこんこんと湧き出る水に頭から打たれると身が引き締まる思いがした。


 確かに身を清められた気がするから不思議だ。


 アリシアは両手を組んで祈る。


 どうかしっかり祷りを捧げれますように。


 魔狼を呼び寄せて魔界に帰せますように。


 祈りを終えるとアリシアは滝から身体を離した。


 「大司教。準備出来ました」


 「ああ、十分だろう。では、頼む」


 「はい」


 アリシアはオルグの泉にゆっくり入って行く。


 この泉の入り口は浅瀬になっていて十歩ほど入るとそこから深くなって行く。


 「アリシア、もっと深い所までしっかり身体を泉につけたほうがいいだろう」


 「ええ、そうですね」


 アリシアはどんどん泉の中に入って行く。


 「いいかアリシア。お前の魔力の発生源は唇だ。だから唇を泉の水に浸かるようにしなければならん!」


 大司教の声は大きく威厳に溢れている。


 アリシアはなるほどと思いながらしっかり唇が浸かるところまで入って行った。


 つま先を立てているせいで足元がふらついたがそんな事を言ってはいられない。


 「では頼む」


 「はい」


 アリシアは目を閉じて祈りを始めた。


 唇に力があると聞いて唇は泉に浸したまま一心に祈りをささげた。


 ***


 「…な、なにを!」


 アリシアはいきなり顔を泉に押し込まれる。何が怒ったのかわからないままパニックになって身体をばたつかせる。


 つま先立ちになっていたせいでバランスが崩れると頭まで水に浸かる。


 慌てて顔を水面に出そうともがくがぐっと頭を抑え込まれていて顔を出すことが出来ない。


 「た、すけ…うっ、も、ぐぅ…」


 何とか息をしようともがいてやっと顔を上げる。


 するとそばにいる大司教の顔が見えた。


 「だ、いし……?」


 何をしてるの?どうして?


 訳も分からないまま、また大司教がアリシアの頭をぐっと水面に押し込んだ。


 「ぅぐほ、げっほぉ、ぶほぉ…」


 水が口から入って来て苦しくてもがく。それでも息が出来なくてアリシアは手や脚をばたつかせてもがいた。


 もがいてもがいてそれでも頭の抑え込まれて水面に顔が出せずだんだん意識がもうろうとして行った。


 「アリシア許せ。国を救うためだ。お前の犠牲は無駄にはしない。魔狼を呼び寄せるには魔力の強い聖女の魂が必要なんだ。お前が死ねばお前の魂がオルグの泉を光り輝かせるらしい。その時こそ魔狼をおびき寄せる事が出来るのだ。アリシア喜べ。お前が役に立つときがやっと来たんだ。出来損ないのお前を引き取った甲斐があったというものだろう」


 ガイルはそんな事を言いながらさらにアリシアを抑え込む手に力を入れた。


 「ぶぐぅ、ばちゃ、ばちゃ‥‥…」


 アリシアの身体は動かなくなる。


 そこにいきなり大きな影が現れた。


 その影は泉に真直線に向かってくると水の上を飛んで大司教の身体をぐしゃりとつかんだかと思うと一撃で吹き飛ばした。


 「バーン!!」


 大司教は洞窟の鍾乳石に激しくぶつかり意識を失った。


 「アリシア!アリシア!しっかりしろ!おい、しっかりするんだ。くそぉ。お前殺す!」


 激しい憎悪の顔をしながらもグレンはぐったりなったアリシアを泉の中から引き上げた。


 岩場にそっと横たえアリシアの身体を揺する。


 その仕草はさっきまでの荒々しい行動からは考えられないほどの優しい動きだ。


 「うそだろ!息してない…」


 グレンの声はつまり自分が息をする事さえ忘れた。


 すぐに息をしていないアリシアの口に自分の口を押し当てて息を吹き込む。 何度かそうやるとアリシアが「けほっ」と息を吹き返した。


 「アリシア!しっかりしろ!くっそ」グレンはすぐに治癒魔法をかけ始める。



 しばらくするとアリシアの顔に赤みがさして来た。


 グレンはさらにかざした手に力を込める。そしてどうかアリシアが助かるようにと…


 すると、アリシアがはっと意識を取り戻した。


 グレンはあまりのうれしさに思わずアリシアに抱きついた。そのぬくもりを肌に感じるとどうしようもない感情が込み上げた。


 自分でも驚くほど目を奥がじんじんして今にも泣きそうになる。


 いままでで一度も泣いたことのない俺が?


 「‥ぐっふっ!」


 アリシアは苦しかったのかうめき声を上げた。


 グレンは力いっぱい抱きしめていたことに気づくとㇰシャリと唇を噛みしめて急いで腕の力を緩めた。


 そして急いで身体を起こすと一度息を吸い込みやっとアリシアに声を掛けた。


 「アリシア気が付いたのか?お前息してなくて…俺…でも、もう大丈夫だ。良かった。本当に間に合って良かった」


 声はグレンの本心をむき出しにした。


 アリシアはその声に反応してゆるりと目を開ける…


 目の前に見えた顔は…一瞬まだ朦朧として現実感がない。


 「…グレン?どうして…」


 一瞬、重なった瞳が混ざり合うかんじゃないかって思うほどアリシアはグレンをじっと見た。


 グレンもアリシアから目を離せずにいた。


 ふたりの瞳が混ざり合って互いの瞳の色が重なって透き通るような琥珀色になった気がした。


 「……俺の、つがい…」


 「えっ、なんて?」


 アリシアの瞳が揺れた。


 グレンは唐突に我に返る。そして次の言葉に詰まった。


 アリシアはまだグレンの腕の中に抱かれたままで。


 グレンはぎゅっと拳を握りしめた。


 「あ…アリシア。と、とにかく無事で良かった」


 「どうしてここに?」


 「何だか嫌な予感がして、アリシアに危険が迫っている気がした。突然、俺はここに行かなければって思ったら転移していた」


 「どうして…?」


 アリシアの瞳がまた揺れる。


 どうしてだか君にはわからないだろうな…そんな事を言うつもりもないがさっき言葉が漏れて焦った。


 グレンは君は番なんだ。そう言えたらどんなにいいだろうな。


 自分の気持ちをぐっと押し込む。


 そして頬に張り付いたアリシアの黒髪をそっと振りほどくと蕩けるような微笑みでアリシアを見つめるしか出来ない。


 アリシアはそんなグレンを見たのは初めてなのと、先ほど起きたショックもあるのか次の言葉が出てこない。


 泉に頭から抑え込まれて息も出来ずに…あのままだったら死んでいた。それを思い出すとまた身体がぶるりと震えた。


 「アリシア、もう大丈夫だ。俺がここにいる」


 グレンは動揺しているアリシアに優しく声を掛ける。


 それにしてもとまたふつふつと怒りが湧いてきた。


 「あいつの殺されるところだった。俺が間に合ったから…くそ。何が魔狼をおびき出すためだ。よくもアリシアを殺してまでそんな事をしようなんて!」


 グレンは大司教のやっていることを瞬時に理解した。


 転移魔法でここに移動している間から、恐ろしい事が起きていると感じていたのだ。


 アリシアは自分のためにこんなに取り乱しているグレンに驚く。


 少し落ち着いてくるとやっとグレンが怒っていたことを思い出した。


 「グレン?あなた怒ってたんじゃ…」


 「俺は怒っていたわけじゃない。あれはお前が…」


 「とにかくここを出よう」


 グレンはアリシアを抱き上げた。


 アリシアは迷うことなく彼に抱きついていた。




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