~白いキャンバス~(『夢時代』より)

天川裕司

~白いキャンバス~(『夢時代』より)

~白いキャンバス~

 何度か寝ようとするがもう眠れず、夢を見て〝夢の力〟を借りてものを書こうとするがそれが出来ず、もう夢を見せてはくれぬらしい。見たのは現実と夢の鎹の様な場所でのmy concertだ。私は少々、何かを、集まった観客に発表している様だった。私はイギー・ポップの真似をして歌って居り、何か気の利いたパフォーマンスが出来ぬものか客を見ながらずっと算段して居たが、結局、真似でしかなく、良いものが出なかった様である。

 昨夜から今朝に掛けて、私は眠る前、以前にこよなく青春の影響を受けた太宰治の文章と、現在に於いて質は違えど太宰と同等に好んで読み続ける川端康成の文章とを比較し、どっちが今の自分をやはり感動させるか、という自分にとっての純朴度の違いについて検討していた。私は、現在の自分の土台の様なものを保つ為に川端に勝って欲しかったが、見れば見る程、読めば読む程、太宰の流石の文章が切れ味良く、やはり私を魅了し、最後の最後まで〝立場〟、〝歯切れ〟、〝偏見〟、〝言葉選び〟、〝哀愁〟、〝青春の光〟、等全てを良いとしてしまい、あの頃に戻る事、進展のない自分、に嫌気がさした。しかしその内で、太宰の欠点とでも呼べるべきものを先ず二つ見付けた。一つは〝読点が無闇に多い事〟であり、態とらしさに伴う寒気を見付け、もう一つは、川端を読んだ後に再読すると、〝ていたらくを売りにした唯文章が上手いだけの他人に見えた事〟であった。私は川端に心酔していたのであろうか、やはり勝負を気にしている分〝俺は自分で自分に嘘をついて居り、思ってもない事をしている〟のだろうか。今やっと手に入れたもの、手に出来たもの、を失いたくなく、その為に〝太宰〟という旧い革袋を捨て、自分の新しい不動の財産を絶賛したかった様子が光る。とにかく、必要以上に私は太宰氏を自己追究した上で、自分の為の〝良い型〟に嵌めたいという衝動が抜けなかった様子で、その葛藤は今でも続いて居る。少々、青春をも罵倒した。

 夢現(うつつ)にこんな文句が浮んだ。

「子は、振りをしていては生きて行けぬ。自分で掴まねば何にも成らぬのだ」

これは自分に対する〝後押し〟の言葉の様に聞こえ、自分のたった一つの言葉の様に大事にしたくなった。私は何か他人に見せる事が出来る宝石を欲しがって居る様である。即席のものでも良いから人に見られて体裁良いものを掴もうと奮闘していた時期が在り、その悪影響が今尚残って居る様である。私はその癖を先ず止めなければとも思い、新しく自分だけの道を探す事に躍起に成って居る、という動機も在る。「無能」とは誰が決めるのか、神が決めるのか人が決めるのか、解らない辺りに自分の悶絶が在った。しかし前者なら〝人を生かす神の動機〟について自分なりに暗雲を漂わせる事に成り、〝それはないだろう〟と又勝手に決めて、解決し得ない神秘を現実に持ち込んで滑稽なヒントを自分で構築しながら、私は尚更現実的に成り、純粋な問題を私の世界だけで弄ぶ事と成る。しかし、これではいけない、と目を見開き、辺りと心を探しても丁度良い思考法が見付からないで、結局又「時」に解決して貰おうとズルをする。

 「もう一つの夢~俺の物書きの題材~」と題して〝夢がヒント、俺を知るには夢が一番良い。正直に書けるというものだ。何かここで、俺の前で永劫に残る一篇を書きたい。もし書き続けられるなら、俺は今携えている一生の夢を引き換えにしても良いと考える。物を書く際、夢は一番の題材に成る。そう思った〟との内容を又、眠前に認めていた。何も書けない、というのは本当に辛い事である。自分の存在の意味を見失う位に辛い事である。何も書く題材が浮かばないのは自分の〝作家の終わり〟を見せられている様で、ありもしない空想が飛び交う破目と成る。〝現実に於ける文章がどれ程稚拙なものか…〟と夢の境地に立って現実を眺めて呟く。〝白いキャンバスに己を描き切るが良い〟と、私の心にちらちら顔を覗かせる懐かしい人が言った。この者には、名前はあやふやだが、私と心を一つに出来る強みが在った。私は昼下がり、見知らぬまでも懐かしい誰か作家の様な人の家に居る。私は一階に居て家事をし終えた後、静寂の内で温かい珈琲を啜って居る。一服していると二階から気配がし、ギシギシ天井が揺れて、少し埃が落ちて来て、私は珈琲にその埃が入らぬ様注意しながらも何か、以前に観た〝古き良き時代の洋物映画〟の一シーンを思い出し、その時の感傷に浸った。私は二階が気になり、階段を上がる。階段は焦げ茶色した木製の古びたもので、私の好きな〝古くも丈夫なロマンティックな雰囲気〟を醸し出して居た。しかし同時に新たな展開に対する気構えさえも憶えさせる。私は二階のドアを「お邪魔しまーす…」と遠慮気味に持って居た珈琲を溢さない様にして開けて、顔をゆっくり右へ動かし、恐る恐る、中を覗いた。揺り椅子がゆっくり前後に揺れて居り、その前方には何やら黒と紺の絵の具を塗り付けた様な、画家が使う様なキャンバスが静かに在り、部屋の中はまるで〝屋根裏のアトリエ〟とでも言うべく古くこじんまりしたもので、天窓の様な小さな窓が、見える所に一つ在った。そこからきっと、朝、昼、夜、の色々な光景が見えるのだろうなァ、なんて思わせられながら、ふと我に還った私はその時、その窓の向こうに、何か大事な贈り物を積んだ馬車に行商屋の様な貴公子が跨って、大きな三日月を背景にしながら右から左へと、静かに鞭打ちゆっくり走って行くのが見えた。昼間でもその窓の向こうは夜であり、私はその事を不思議には思わなかった。使いかけのベッド、パレットの様な鉛筆入れと草稿用紙、椅子、額縁、今は止まって居るがシュッシュッ音を立てて主を急かしたのであろうストーブとその上のヤカン、そのまま残って居るが主が居ない。

 知らぬ間に私はその部屋の主に成って居り、それまで前の主が使って居たであろう芸術・家財道具を我が物顔で使って居た。私は前の主がかいたキャンバス上のものに自分のものを、パレットに絵筆をチョンチョンとした後、ずっと付け足して行った。窓を風か誰かがドンドンと叩き、落ち葉が舞い、風が吹いて、秋が来て、冬が来て、夏が来た。〝感じたままで良いんだよ、それを止めるのは馬鹿がする事だ。そんなのは一生掛っても自分の主と出会えない、酷く詰まらぬ事だ。良き伴侶の様に才能を宿らせれば良い〟と私は独りで誰かに呟いて、まだ温かい珈琲を飲みながら、そこが私の住処に成った様だった。又、映画の一シーンで観る様に、そのキャンバスの右下の方にはどこの国の言葉か判らないが、誰かの名前が書かれて在り、一枚キャンバスを捲(めく)った次ページにこう書かれて在った。

「君が見た真実をそのままかけばそれが不朽の名作と成る。諦めぬことだ。」

 私は身が軽く成り、嬉しく成った。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

~白いキャンバス~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ