そして再び勧誘される。

 憲兵隊の拠点を出てクーナと帰路を歩いている最中、彼女がふいに尋ねてきた。


「レイズさん、一つだけ聞いても良い?」


「ああ、良いよ」


「どうして、知り合いでも無いクーナの為に、あそこまでしてくれたの? すごい危ない事だったのに」


 彼女からすれば当然の疑問だが、僕にしてみるとそれはとにかく難しい質問だった。


「……なんて言ったら良いのかな。僕にもよく分からないんだ」


「ええ、なにそれ」


 恰好の良い返答を期待していたのか、クーナは少しがっかりしていた。とはいえ、期待されても困る。体が勝手に動いたとか、そんな話なのだから。


「なんとなく、放っておけなかったから。見過ごせなかったから。そうとしか言いようがないんだ。目の前で女の子がさらわれそうになっていたら、助けるのが人情だろう?」


「けど、なんとなくであそこまでしちゃうんだ。レイズさんって良い人だね」


 なんとか彼女の好感は取り戻せたようで、クーナはそう言って笑った。


「そうで在りたいね。僕は悪人にだけはなりたくないんだ」


 親と子は違うのだという事を、世間に証明し続けなければ生きてはいけない。僕は善人でなければならないんだ。


「それならクーナが保証してあげる。レイズさんは絶対良い人。クーナね、すっごい嬉しかったんだ。私の事を人間だって言ってくれた人は、初めてだったから」


「……君、家族はいないのか? 故郷は―――」


 どこか、これまで人との関りを絶たれてきたかの様な物言いに、僕はそう訊き返した。


「クーナは昔、どこかの山奥に住んでいて、その頃からすでに一人だったの。だから、ずっと家族はいない。捕まって商人に売られてからも色々な所に行ったけど、クーナを珍しいとか、変わっていて面白いって言う人はいても、いつだって物扱いで私の内側を見てくれる人なんていなかった。クーナを、一人の人間として見てくれる人なんていなかったんだ」


 子供には相応しくない、ひどく暗い顔をしていた。言葉で語る以上に、人の暗い側面ばかりを見てきたのだろう。それは、人に絶望している目だった。


「クーナさん……」


 この子にそれだけの業を負わせるものは何なのかと気の毒に思っていると、クーナは唐突に明るい笑顔をこちらに向けた。


「だからね、貴方が怒ってくれた時、本当に嬉しかったんだよ。貴方に買われて、貴方の所に行けたなら良いなってそう思ったの。だから、だからね、貴方がクーナを絶対に見捨てないって言ってくれて、一緒に行こうって言ってくれて、本当に嬉しいの」


 この娘が明るく笑う理由がそれだというのなら、僕はそれを守らなければならないと思った。

 僕はずっと笑えなかったから、この子の希望は繋いであげなくちゃいけない。


「君が、それを望むなら努力するよ。僕らは今日から家族だ」


 そう伝えると、クーナは驚いた顔をして、それから涙を流した。


「あれっ、おかしいな。嬉しいのに……本当よ。なのになんで、涙が出てくるんだろう―――」


 嬉しい時でも涙は出る。そんな当たり前の事を知らないのだろう。

 クーナは自分の涙に戸惑って、隠すように顔を手で覆った。

 僕はこんな時に、どう対応したら正解なのかよく分からない。だから、彼女の前で少し屈んで、その頭を撫でてあげた。そのくらいしか、器用じゃない自分にはどうにも思いつかなかったのだ。



「路上で女の子泣かせるなんて、なかなかワルだね、レイズ君」


 ふいに聞き覚えのある声がして顔を上げると、そこにミニケがいた。昼間訪れた、潰れたギルドのマスターだ。


「ミニケさん! なんでこんな所に」


「おかしい事は無いだろう。ボクだってこの街に住んでるんだから。今から酒場でヤケ酒がてら晩飯さ」


 冗談めかしながら、ミニケは肩をすくめる。


れびずざん、ごのびどレイズさん、この人はは?」


 鼻をすすりながら、クーナが訊いてきた。


「おっと、これは初めましてお嬢さん。ボクはミニケ。一応、冒険者ギルドのマスターさ」


 僕が答える前に、ミニケからそう名乗った。

 一見普通の挨拶だが、事情を知っていると"一応"の文言がひどく虚しい。


「クーナです」


 クーナもミニケに対して頭を下げながらそう名乗った。

 ミニケはそんなクーナの姿を見て、妙にテンションを上げる。


「クーナちゃんか。いやあ、実にめんこい。美少女は良いね。うんうん。それにしても、まさかレイズ君の対象範囲がこんなに低かったとはね。ロリっぽさではボクも負けていない自信が有るのだが、どうだろう?」


「どうだろう、じゃない。人をロリコンみたいに言わないでくれ!」


「レイズさん、ロリコンって?」


 クーナが首を傾げた。


「クーナさんは知らなくて良い事だよ。てか、うちの子に変なこと教えないで!」


「なんだよぉー、さっそくパパ気取りかー」


「やめてくれ。急にいかがわしい!」


 奴隷の子を引き取って父親ごっことか、想像しただけで目も当てられない。ただ面倒見ているだけなのに、言い方ひとつでどうしてこうも印象が変わるのか。

 クーナが、なんでいかがわしいの? という顔で首を傾げているが、知らなくて良い事もある。


「というか、まだ諦めてなかったんですか」


「そりゃそうさ。君のような人材が今、宙に浮いているというのだから、これを勧誘しない手は無いだろう。後も無いしね」


「レイズさんって、冒険者なの?」


 僕らの会話を聞いてそう結論付けたのか、クーナが訊いた。


「似た様な事をしていたけど、正確には冒険者だったことは一度も無いんだ」


 ギルドに雇われてはいたが、記録係は冒険者ではない。あくまで彼らの後方支援と活動の記録に徹しているために、業務そのものが異なるのである。

 おかげでずっと安日給だった訳で、僕の貰える分は同行していたフルシ達と比べても、その半分ほどしかなかった。


「だからボクのギルドで冒険者にならないかと誘っているのに、断られてしまってね」


「どうして?」


 ミニケの言葉を鵜呑みにして、不思議がるクーナ。ミニケは肝心なところを話していない。


「理由は単純。この人のギルドには人が一人もいない。つまり、僕一人だけ入っても仕事ができないんだ。ダンジョンに単身で乗り込んでいくのなんて、どんなに強い人でもやらないよ」


「じゃあ、二人なら、どうかな?」


 ためらいがちに、クーナが言った。その意味が瞬時に分からず、僕は訊き返してしまった。


「二人?」


「クーナね、やってみたいなって。その冒険者ってやつ。魔法の拘束が無かったら、戦うのとかちょっと得意だし。あっ、でも、レイズさんが駄目って言うなら諦めるよ」


 僕の顔色をうかがうクーナ。保護者になる事は決めたが、彼女の行動をそれで制限しようなんて僕は思っていない。やりたい事はやればいい。


「僕にそういう気は使わなくていいよ。やりたい事はやりたいと言って良いんだ。まあ、早い段階だとクーナさんくらいの歳でダンジョンに潜る人はいるからな……様子見程度にやってみる?」


 実際クーナの怪力を一度目の当たりにしているので、冒険者として素質のある子だとは思っていた。

 本人がやる気を見せるなら、一緒にやっていくのも悪くはない。

 僕の了解を得られて嬉しいのか、クーナは弾むように喜んだ。


「いいの! やった!」


「なーんかレイズ君、クーナちゃんに甘くない?」


 何でか知らないが、ミニケがねていた。


「そんな事はありませんよ」


「いやあ、ボクとは対応違うじゃん。甘いよ。あまあまのあまだよー」


 なんだよその無駄に語呂の良い煽り文句は。呪文か何かか。


「まあ、確かにミニケさん相手なら雑でもいいかなって、ちょっと思ってますけど」


「えっ、なんで! ひどくない!」


 大げさに振りをつけて驚くミニケ。こういうじゃれ合いが、なんだか心地良いからふざけてしまうのだろうか。

 僕らのやり取りを見て、クーナが吹き出した。

 楽し気な彼女の笑い声を聞いて、僕もミニケも笑顔になった。


「なんか和むわ。子はかすがいとはよく言ったもんね」


 ミニケさん、それは夫婦間で使う言葉では?


「まあ、なんだ。つまり、そういう事って期待して良いのかな?」


 ミニケは改めて、真面目な顔で訊いてきた。


「……まあ、断る理由はなくなってしまいましたね」


 二人でダンジョンに潜るなら、確かに問題はなくなったわけだ。


「それじゃあ、もう一度最初から。レイズ君、クーナちゃん。私のギルドに入ってはもらえないかな?」


 ミニケは手を差し出して、僕らに再びそれを訊ねた。

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