第45話 役割とは即ち敗者を分かつ区分点である
意外に思われるかもしれないが、ハスパエールは前までの職業柄、人の考えていることがなんとなくわかる。
そこはやはり、一歩踏み外せばそのまま死に直結する裏社会を綱渡りで何とか生き抜いてきたが故の能力だろう。
ともあれ、そんな彼女の目が、とある事実をハスパエールへと伝えてくれた。
(こいつら……)
何とも奇妙極まりない風見鶏がいななく刃紅葉の谷の戦場は、今すぐにでも血に染まる災害が襲い掛かる直前である。
吹き荒れる強風は、皮膚を容易く切り裂く赫もみじの紙吹雪を齎す災厄。その中に巻き込まれようモノなら、対策をしていなければ体中を切り刻まれ血だるまとなることだろう。
しかも、鉄鼠の衣を装備しているだけでは安心できない。なにしろ、このアクセサリーはあくまでもただのマントに過ぎず、手を使って全身を覆うように纏わなければ強風から身を守ることなんてできないのだ。
だから、ハスパエールは目を疑った。風見鶏の声を聞いてすぐに退避しようとした自分とは全く別の世界に生きる三人に。
(まさか、強風の中で戦おうとしているに……?)
刃紅葉の谷の強風は脅威だ。普通なら戦う手を止めて、等しく襲い掛かる自然の猛威に耐え忍ぶこの場面。しかし、ハスパエールを除いた三人は誰一人としてそうしようとはしない。
それもそうだ。
なにしろ、この場にいるのは――
(全身を切り刻まれるってなら一番ENDが高い私が一番有利! コラテラルダメージ、コラテラルダメージ♪ 最低限の守りで残りをHPで受けて、最低限死ななければいいだけ!)
振り切れたアマノジャクと、
(この状況、赫もみじの紙吹雪を優先するだなんて常道な思考をソルトシュガーがするとは思えない! 強風を凌ごうとすれば敗北必至。ならば、私は攻撃に転じた無防備な一瞬を斬る……! 動きは最低限。強風を凌げる、最低限を見極めなければ私の負け……!!)
どこか頭のイカれたPKと、
(ああ、こんなところでまだ終わりたくない! でも、もう終わっちゃう! さっきの一撃を受けた私に次ぎはない! 嵐を凌げない! なら……ここで爪痕をッ!!)
人格の破綻した狂人が、この戦場という大舞台に立つ主役なのだから。向かってくる脅威を凌いでから戦いを再開するだなんて、そんな平々凡々な展開は訪れない。
故に。
(……これ、わちしも行動しないとやばいにぃー)
彼女は発動する。
「〈
九面煉獄ガシャドクロウの面に備えられし、唯一のスキルを。
―――――――――――――
理由はない。
理由はなかった。
灰汁田川にはここでシュガーを裏切る理由はなかった。
けれどそれでも彼女は裏切った。姉すらも巻き込んで。
灰汁田川は破壊することに躊躇しない。謀ることに遠慮しない。裏切ることに頓着しない。破滅することに配慮しない。
彼女は理由もなく破綻する。
昨日までの友情を簡単に破壊するし、つい先ほどまでの仲間を簡単に謀るし、瞬間的に裏切るし、その後の破滅なんて知ったこっちゃない。
なぜそんなことをするのか。なぜそんなことができるのか。
結局、灰汁田川の性質を言葉に表せばこうだ。
――あの子の世界には、自分とそれ以外しか存在しないのですよ。
彼女をよく知る人間が、あえてそこに付け加える言葉があるとすれば。
――その上で、破綻しているんですよ。あの子は。普通、人間が何かをするときは考えるはずです。自己保身だったり、善悪感情だったり。それをやる理由と、やってはいけない理由を。だから普通だったら、自分のやることのリスクってものを認識し、自分の立場を、社会に居るための足場を守るために行動を起こせなくなります。誰しも、底なしの奈落に落ちたくありませんから。しかし、その点であの子は欠けているんですよ。あらゆる意味で。
――どうしてそんなことをするのかって? ……あの子は証明したいんですよ。結局は。ほら、隣の芝生は青いって言うじゃないですか。だから。
――価値のない自分に、価値が欲しいだけなんです。
――誰かの邪魔をして。
――貶めて。
――陥れて。
――台無しにしたいんですよ。
――自分は最も価値のない人間だと心底信じているから。
――本気で思ってるんでしょうね。価値は奪えるものなんだって。価値とは、作り上げるモノだというのに。
――だから破綻してるんですよ。
―――――――――――――――
私のお姉ちゃんはすごい人だ。
テストをやれば学年一位は当たり前で、運動をしても右に出る者はいない才色兼備。誰もがうらやむ自慢のお姉ちゃん。
だけれど、私は知っている。
お姉ちゃんがすごいのは、お姉ちゃんが誰よりも努力しているからだって。お姉ちゃんが誰よりも負けず嫌いだからって。
だから、体育で自分が気に入らない結果を一つでも残せば、日が暮れるまで学校で自主練習に励むし、眠る時間を削いでまで勉学に費やし、その上ゲームのランキングまで気にして怠らない。
どうしてそこまでやるのか。そう訊いた時、お姉ちゃんは当たり前のように言った。
「負けるよりも勝った方が楽しいじゃないですか」
当たり前のことだった。誰だって、負けるよりも勝てた方がいい。じゃあさ。
生まれた時からお姉ちゃんに負け続けた私は何なんだろう?
勝った方に価値があるのなんて当たり前。負けた方に意味がないなんて当たり前。
無意味で、無価値で、惨めで、散々で。
だから私も、お姉ちゃんに負けないように頑張った。同年代で負けなしだった。なのに、勝ったのは私の方なのに、みんなの方が楽しそうで。
私が惨めになるぐらい、綺麗だった。
私だけが違った。
私だけが独りだった。
なんで、私だけ――――――
その綺麗な姿を壊したら。
みんな、私のところまで堕ちてきてくれるのかな?
―――――――――――――――
「無価値だ」
強風が吹き荒む刹那、灰汁田川は思った。
ああ、なんて今の自分は無価値なんだろうか、と。
この戦場で自分がしたことと言えば、無価値に争いを生み出したことぐらい。そんな無価値なら、最初からなかった方がいい。
だから、ここで、今――
「私は! 今! ここで!」
迫る強風を自分は耐えることができない。だから、この一瞬が勝負。強風が訪れる刹那の中で、何かを為せねば無意味に終わる。
ここで。
ただ。
無価値に果てる。
「させるかにぃ!」
しかし、その言葉が全てを遮った。何かを為そうと振り上げた右腕。それが振り下ろされるよりも先に、何もなかったはずの中空から現れた拳が灰汁田川を打ち据える。
どんなアイテムのどんなスキルで透明になって気配を消しているかわからないけれど、ハスパエールが使うスキルは見事に灰汁田川の弱点を突いていた。
なにしろ、灰汁田川は防御を完全に召喚獣である墨犬に頼り切っている。しかし、ハスパエールが使う〈
相手が悪すぎる。
しかも、その威力は必殺と言っても過言ではないダメージで、最後に叩き込まれた一撃によって灰汁田川のHPは全損し、死亡が確定してしまった。ここで誰かが、蘇生効果のあるアイテムでも使ってくれれば状況は変わるかもしれないけれども。
そんなことをしてくれる人はいない。
だからこのまま、彼女は戦場から離脱する。死体を残すことなく、ゲーム特有の光の散りとなって消えていく。次に目覚めた時には、彼女が拠点としているリスポーン地点だろう。
けれど。
「〈
灰汁田川の行動は、既に終わっていた。
――――――――――――――――
その時、彼女は動けないことに気づいた。
「これ、灰汁ちゃんの……!!」
左手に狂闘狼の短槍を構えたシュガーは、突如として動くことができなくなった自分の状態が、灰汁田川のスキルによるものだと見抜く。
やはりそこは野生の勘か。何はともあれ、絶体絶命だ。
なにしろ、現在シュガーはリスクを取って六華に攻撃を仕掛けている真っ最中。そのリスクとは今すぐにでもシュガーの、或いは六華の体を包み込もうとする赫もみじの強風である。
この嵐に晒されれば、如何にENDを高めた装備と言えどただでは済まない。けれど、その嵐の中で彼女は戦う道を選んだ。この一瞬こそが、勝負を決着する最大の隙だから。
ここで炸裂したのが灰汁田川のデバフスキル〈
ハスパエールがとどめを刺して邪魔をしていたのに、どうして〈
それは、彼女が墨と筆からなる【墨士】に連なるユニークジョブの使い手だからに他ならない。
墨とは記すモノ。記し残すものだ。
それこそが【墨士】が誇る最たる特徴。自らの魔力で描いた墨絵があれば彼女はスキルを発動できるのだ。たとえそれが、事前に仕込んでおいた墨絵だったとしても。
だから彼女は潜ませていたのだ。密やかに、〈
それが今、致命的な形で表に姿を現した。
「くっ……私まで巻き込みますか、灰汁田!!」
自らの姉まで巻き込んで。
改めて言うけれど、灰汁田川は破綻している。
彼女の世界には“自分”と“それ以外”しかおらず、“それ以外”にはもちろん血を分けた姉だって含まれているのだ。だから彼女は、この戦場を台無しにするために〈
相手の死にざまを拝めないのなら、せめてリスポーン地点で自分の姉の悔しそうな顔でも見ておこうかな、なんて短絡的な理由から。いや、そんな理由があるのかすらも怪しい。
つくづく、時限爆弾のような妹だ、と六華は思った。同時にこうも思う。
(次に私と戦う時に備えて嘘の情報を教えておくようなソルトシュガーや手の内を知り尽くしている私相手に、気づかれずにスキルを仕掛けておくだなんて……つくづく、天才と言わざるを得ませんね……)
異常な願望に破綻した性格。そこに加えられる天賦の才覚によって、彼女は姉をして質が悪いと言わざるを得ない。
そのすべてが、自分には価値がないと思い混んでいるところから始まっていることを含めて、救いようがない妹だ。
けれども。
「その程度の裏切りの可能性を、私が考慮していないとでも……〈シールド〉!!」
アクセサリーには、追加のステータスを得るモノや、常在効果を発揮するもののほかに、スキルを追加するものも存在する。
九面煉獄ガシャドクロウもその一つだ。
そして、六華がここで発動したそれもアクセサリーによって追加されたスキル。
その名もスキル〈シールド〉。
その効果は、5秒間ENDを二倍にするというモノ。アクセサリースキルということもあってクールタイムは長く、ここぞという場面で使う切り札的な生存スキルである。
「我慢比べと行きましょう、ソルトシュガー……!!」
〈
故に、灰汁田川が残したそれは致命的だった。
けれども、六華には対策があった。アクセサリーで増強したEND。そこに加えられる五秒間だけのEND二倍バフ。これでもかと耐久に割り切った六華の装備が、残りHP600を残して刃紅葉の谷の強風という大災害を乗り切るのは必然だったと言えよう。
とはいえ、彼女が持ちうる4000以上のHPがたった五秒で削られてしまったのだから、やはり刃紅葉の谷の強風は災害と言って過言ではないことがよくわかる。
ただし。
「は、はははははっ! 耐えた! 耐えたよ六華ちゃん!」
「……まあ、そうでしょうね」
そのような災害でも、アマノジャクは殺せなかった。死亡直後ならば蘇生可能という破格のポーションも使えず、攻撃中ということもあって全身を鉄鼠の衣で覆い隠すこともできずに赫もみじの葉が舞い乱れる強風に晒されたというのに、彼女は耐えきったのである。
それは偏に、新調した防具と一万を超える破格のHPのおかげだけれど。なによりも自分は耐えきることができると判断した狂気的な賭けにこそ、六華は戦慄した。
そして見事、耐えきって見せたことにも。
「……〈ブレードスラッ――」
とはいえ、ここまで来たならば相手も瀕死。全身を切り刻まれて損なわれたHPは六華を大きく超えているだろう。だから、六華は野太刀を構えて――しかし、その動きを止めた。
それもそのはずだ。
――うっきぃいいい!!!
ここに来て、よくやく彼の魔物は戻って来たのだから。
灰汁田川が齎した大波によってどこかへと流されてしまった猿が。
「こうなったら……背に腹は代えらませんね……」
瀕死の状況。三つ巴の戦況。たとえ一人に勝てたとしても、リソースを吐き切った状態でもう一人に勝つことは不可能と言える膠着。
故に彼女はその刀を抜いた。
最後の切り札を。
こんな状況にでもならなければ、使いたくもなかった鬼札を。
「手を貸しなさい、〈ガシャドクロウ〉」
真っ白な骨の刀が、その姿を露にする。同時に、六華の脳裏に一つのアナウンスが響いた。
『ジョブが変更されました』
『ユニークジョブ【髑髏武者】が装備されました』
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