第43話 欺瞞とは即ち生存競争における定石である


「うーん……達磨!」

「どちらかと言えば蓑笠じゃないですか?」


 立ち上がったロンログペシミアの姿を見た私と六華ちゃんは、視覚情報から得たイメージをそんな言葉で出力した。


 髪の毛のようにも見える頭部の体毛は横に広く、まるで笠でも被るようにロンログペシミアの顔の上半分を覆い隠している。それだけならば、ともすれば流浪の剣客とでも言い表すこともできたであろうに。


 というのも、かの猿の胴体は、ともすれば着ぶくれした男児が如く真ん丸としたシルエットを描いた体毛で覆われているのだ。例えるならば羊。シルエットだけで見れば達磨か、或いは蓑を羽織った人と言ったところ。


 そんな丸いフォルムから突き出るのは、まるで枯れ木のように細く長い手足。見ようによっては、雪だるまを作る際に無造作に添えられる枝のようにも見えるそれは、しかして油断することはできない武器だ。


 さっきの突進。赫もみじの木の幹でさえ容易くへし折る爆発的な威力は、あの枯れ木のような手足から放たれたものなのだから。


「それよりも、今の見たお姉ちゃん?」

「信じがたい光景ですけどね。予想は、悪い意味で的中してしまったようです」


 彼女ら二人の言葉の意味は、ロンログペシミアの足元に散らばった赫もみじの刃を見ればわかることだ。


 目の前の猿はあれを頭から被った(体勢的にはお尻からだけど)はずなのに、何ともなかったかのように怒り狂っている。いや、怒り狂ってる時点で何かあったんだろうけど、そこに赫もみじによる傷は含まれていない。


 だから。


「さて、私はどうしましょうか」


 六華ちゃんの得意技〈ブレードスラッシュ〉の一撃必殺には期待できない。


「何はともあれ、攻めれずとも守りだけは固めててよお姉ちゃん――〈狗流々々途くるくると〉!」


 私たちが各々の武器を手に持つように戦いに備えるように、筆を構えた灰汁ちゃんが墨の黒を中空へと滑らせる。描かれたのは犬。速筆ながらも拙速とは呼ばせない出来栄えのそれは、のっぺりとした平面の姿から一転して、産み落とされるようにずるりと立体的に浮かび上がった。


 これが【墨士見習い】が誇る五つのスキルが一つ、墨犬を召喚するスキル〈狗流々々途くるくると〉である。墨犬は一匹一匹は大したことない獣でしかないけれど、驚くべきことにこのスキルは墨犬を描けば描くほどに無尽蔵に生み出すことができるのだ。


 一応、リリオンにて召喚獣を扱う場合、使役にコストが存在し、ジョブによってそのコストに上限が設けられてて、同時使用できる召喚獣の数にも限りがあるはずなんだけど――一介のスキルでしかない〈狗流々々途〉にはそれがない。


 MPが続く限り、文字通り無限にこの犬は湧き続ける。


 無論。


「とりあえず三匹!」


 MPは無限ではないから、無尽蔵に墨犬を生み出すことはできないけど。


 三匹目となる墨犬が描かれたところで、ようやくこちらを睨むばかりだったロンログペシミアが動き出した。


 狙いは私。誰よりも前に立つことを意識していたこともあってか、狙い通りに狙われた。


――きっ、ききぃッ!!!


 ロンログペシミアと私の間には、誰よりも近いとはいえそれなりの距離がある。目算約八メートル。徒手空拳はもちろんのこと、剣や槍の間合いではない。それでもロンログペシミアは攻撃を開始する。


 弾ける様な猿叫と同時に繰り出されるのは蹴り。しかも、ただの蹴りではない。


「そ、そんなのあり!?」


 伸びた。


 足が。


 ぐにょーんと。


 意味わかんないんだけど!?


「わわっと!?」


 驚き半分、困惑半分。最後に残った一厘の冷静さを使って、私はまっすぐとこちらに伸びてきた足を鬼刃鉈の幅の広い腹で防御する。


 びりびりと伝わってくる手の震えは、ロンログペシミアの攻撃力に比例するもの。まともに喰らえば、高防御高HPの私とてそれなりのダメージを受けてしまう。


 さて、ここで攻撃を終えた伸びた足が、しゅるしゅるしゅると糸に巻かれるように元の長さに伸縮していった。ふむ、どこぞの麦わら帽子と考えていいのだろうか。


 いや、あっちは打撃無効で斬撃が有効だったから別モノか。


「相も変わらず厄介だなー……」


 辟易としたような言葉が、相対する敵手の手ごわさにつられて漏れ出てしまう。けれども同時に、お腹のあたりからソワソワとした好奇心がこみあげてくるのもわかった。


 こんな手ごわい相手は、どのような手段で倒せるのか。


 気になって気になって仕方がない。


「ご主人、悪い顔になってるにぃ」

「素敵な笑顔でしょハスパエールちゃん♡」


 悪い口へのお仕置きは後にするとして。はてさてどう対処したものか。


「来ます。備えてください」

「あいさ」


 くるくると鬼刃鉈を手首のスナップで回しつつ、対応策を思案する。けれども、何かを思いつく前にロンログペシミアのターンが来てしまう。私まだ行動してないんだけど!?


 いやまあ、ターン制RPGだとしてもボス格のモンスターの二回行動は一般的な挙動か。それがアクションRPGともなれば尚更――


――きょぇええええええ!!!


「うるさっ!?」


 耳を塞ぎたくなるような雄たけび。同時に加速するロンログペシミア。驚くべき速度だ。私たちの方に突っ込んできたときよりは若干遅いけれど、それでもAGI特化のハスパエールちゃんに並ぶほど。


 それが、私たちの陣形を中心に時計回りにぐるりと動く。


「にゃにゃっ!?」

「厄介な……!!」


 その動きに反応できたのは、高いAGIを誇るハスパエールちゃんと六華ちゃんの二人だ。どちらもロンログペシミアの動きを目で追って背後に振り返る。


 遅れた私も、狂闘狼の短槍の〈狂乱〉のおかげで何とかギリギリ速度に追い付けたものの、灰汁ちゃん一人が対応に遅れてしまった。


 それを慮る相手ではない。先ほど足が伸びたように、しかし今度は四本の手足を使って攻撃を仕掛けてくるロンログペシミア。


 ゴムのように伸長し、鞭のように滅茶苦茶にしなるそれは私たち四人全員に等しく脅威として襲い掛かる。如実に表れたのはAGIの差。ロンログペシミアの動きについてこれた私たち三人は何とかこの攻撃に対処したものの、未だその影を追うことしかできていない灰汁ちゃんは無防備な背中を晒したままだ。


「灰汁ちゃん!」


 背後を向いた渡した、数瞬前のロンログペシミアを見つめる灰汁ちゃんの視線が交差する。その瞬間、私は背中から迫る脅威を名前を呼んで伝えるけれど、とても間に合う速度ではない。


 灰汁ちゃんに攻撃が――


[がうっ!]


 瞬間、飛び出し注意とでも言わんばかりに墨犬が灰汁ちゃんの盾となって攻撃から彼女をかばった。


「うわっ、あ、あぶなーっ!! ギリギリセーフ! だよね!?」

「ダメージ喰らってないなら万事オーケー!」


 なるほど、と私は思った。

 あの犬は、攻撃のためではなく防御のための召喚獣。主への脅威を身をもって取り除く騎士なのだ。


 ならばこそ、彼女の安否を気にする必要はないのかもしれない。少なくとも、墨犬はロンログペシミアの攻撃に対応できるみたいだし。


 ただ。


「うーん……今の攻撃、六華ちゃんはどう思う?」

「さて、適正レベルが間違っていないことを祈るばかりですね」


 呆れた風にそういう六華ちゃんは、やはり私と同じことを思ったらしい。


 思ったこと。今の一連の攻撃から感じたのは、ロンログペシミアのステータスだ。


 私が受け止めた攻撃の威力は、STRに振り切った重い一撃。しかしその肌はENDに特化していると言えるほどに強靭であり、ひとたび走ればAGIに長けた速度で戦場を駆け巡る。


 なんとなく思ったのは、フィールドで会えるボスにしては特徴的な能力を持ち過ぎじゃないかなということ。もちろん、これが私たちのジョブのレベルが刃紅葉の谷の適正レベルに達していないからくるステータス差なら、まあ説明はつくけれども。


 道中の敵との戦闘を鑑みるに、その可能性は低い。


 ならば。


「タネがあるね」


 ロンログペシミアのパワー、ディフェンス、スピード。その何れかに、或いはすべてに何らかのタネが仕掛けられている。このタネがわからなければ、十中八九私たちは苦戦を強いられることになるだろう。


 はてさて、どんな種が仕掛けられているのか。


「――なんて考察しても、事実確認をすれば話は早いか」


 ギリリと、私は鬼刃鉈を握る手に力を入れる。


「とりあえず、不な敵の手の内を明かしてこようかなっと!」

「吶喊ですか」

「耐久力が私の売りだからね~! ……ハスパエールちゃん曰く」

「無策の特攻は愚行かと思いますけれど?」

「なら六華ちゃんもこの状況を覆す一手を考えてよね!」


 はてさて、そんな風に言葉を交わしてから、私は牽制とばかりに物を投げてみる。


「またユニークボスが現れないといいですねぇ」

「意外と根に持ってる!?」


 投げるのはもちろんシャレコンベ産の骨だ。なんだかんだ言って余らせているこれらは、手になじむちょうどいい大きさなので投げるのに向いている。しかも鉱石が引っ付いていることもあって礫としてはそれなりに威力が高い。


 なので投げ得なのだ。いけーい、ポイポイポイポイ~!


「あ、見て見て六華ちゃん頭蓋骨!」

「牽制するのならばしっかりと牽制してください!」

「ちぇ~……」


 適当に取り出していたら小袋から出てきた見事な頭蓋骨を六華ちゃんに見せてみたが、普通に叱られてしまった。残念だ。まあ戦闘中だから仕方ない。


 何はともあれ、牽制もほどほどに。


「か、ら、の……――〈狂乱〉!」


 SP消費による一時的なSTR、AGIの上昇スキルを重ねて、いざ出陣! 


――ッ!!


 ポイポイと何かを投げてくるばかりだった私が突然迫ってきたことに目を見開いたロンログペシミアが、声も上げずに驚いている。それを最大の隙だと感じた私は、ニヤリと笑みを浮かべて肉薄した。


 接近、と同時に攻撃。


「やあっ!!」


 左手に持った狂闘狼の短槍による直線的な刺突だ。


 一撃の威力に重きを置いた鬼刃鉈と、その間隙を鋭く突くことができる短槍の組み合わせは、私の持つ武器の中では限りなく完成した戦闘スタイルだ。それゆえに、新武器さんの出番が無くなっちゃってるんだけどね~……。使いやすいのが悪いよ使いやすいのが。


「へいへいキャッチャービビってる~!」


 私の攻撃に対してロンログペシミアが選択したのは回避。おかしな話だ。刃紅葉の谷の刃は気にしないくせに、私の刺突は気にしするだなんて。


「そこっ!」


 もちろん、回避の後隙を狙わぬ私ではない。上段から振り下ろされたるは、鬼刃鉈に備え付けられし攻撃スキル〈唐竹割り〉。回避不能のそれを、ロンログペシミアは――


――ッ!!


 見事に回避した。


「はは~ん……そういうことね!」


 しかしそれは悪手だ。なにしろ、彼は見せてしまったのだから。高速移動のタネを。


 体勢的に明らかに回避不能な一撃。しかし、ロンログペシミアは先ほど見せたように突如として足を急激に伸ばすことにより、伸びた足で強く地面を蹴ってロケットのように離脱した。


 おそらくは、それが高速移動のタネ。足が伸長する勢いを、そのまま推進力に変えているのだ。


 意気揚々と見つけ出してみた相手の速度の仕掛けを自慢すように振り返った私は、大声で六華ちゃんたちにこのことを伝える。


「おーい! ロンログペシミアは足の伸長で高速移動してるよ! だから、多分直線的な移動しかできない――」


 振り返る私。


 此方を見る六華ちゃんたち。


 そこで私はようやくある事実に気づいた。


「……あ」


 いつからだろうか。


 いつから、


 先ほどの荒れ狂いようから一転して静かなロンログペシミア。風音すら聞こえない不気味な戦場。なによりも――


「〈――――――――〉」


 役立たずと自称しておきながら、野太刀を構える六華ちゃんが、何よりの答えだった。


「やっば――!!」


 静寂広がる世界に刻まれるのは、間合いを超越した長距離斬撃。深く腰を落とした姿勢から、次の瞬間には千里先の獲物すらも両断して見せよう威圧が戦場の端から端まで響き渡る。


 それを感じ取った時にはもう手遅れ。一文字に結んだ須らくが、その一刀のもとに切り伏せられてしまうのだから――


「先ずは一つ、ですか」


 静寂が解け、音が戻る。


 聞こえてきた六華ちゃんの声は、私から奪い取った戦果を示していた。


「やるねぇー六華ちゃん」


 右腕が持ってかれた。


 致命傷は避けたものの、それでも右腕の肘から先が無くなってしまった。ポーションをかけて止血をしてみるけれども、大きな戦力低下に違いない。

 何よりも――


「まさか、こんなところで襲い掛かってくるとは思わなかったよ」

「まさか、私たちのことを仲間だと、本当に心の底から信用していたのですか?」

「まさかのまさかだよ。ほら、前だって共同戦線楽しかったじゃん? 同じユグ汁のプレイヤーとして仲良くしようよ~!」

「まさかのまさかのまさかなご回答ありがとうございます。とはいえ、お忘れなきように」


 右腕を失った私。


 どういうわけか、胸元に太刀傷を負ったロンログペシミア。


 にやにやと笑う灰汁ちゃん。


 その中で、相も変わらずクールな六華ちゃんは言う。


「私はPKプレイヤーキラー。損得の歯車さえかみ合えば、背中を合わせた味方だろうと切り伏せるのが私たちPKの在り方だと、私はあなたから学びましたよ?」

「お、つまりそれは私のことが大好きってことか~。困っちゃうな~!」

「もっと困ることがあるでしょうに……」


 何はともあれ、状況はややこしいことになった。


「思わぬ儲けではありますが、ロンログペシミアにも私の刃は通用するみたいですし……ここは大人しく、すべてをかっさらうと致しましょうか」

「ふふふふふふ! あー、やっぱこの瞬間がたまらないよ! ねぇ、お姉ちゃん!」


 野太刀を構える六華ちゃんと、灰汁ちゃん。


――うきゃっ、ほっほほっっ……ぎゃぎゃぎゃっきゃぁああああああ!!


 流れた血筋に指を添えて嘗め取り猛るロンログペシミア。


「さーてさてさて、どうしようかこの状況」


 そして手負いの私。


 戦況は不条理な三つ巴と姿を変え、ただただ素材を取りに行くだけだったイベントが、混沌とした戦場へと変容する。


 その中でも、私は。


「期待通りだよ二人とも♡」


 にこりと、三日月のような笑みを浮かべた。

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