第37話 継がれる火種は仄かに明るく③


 わからない。


 太陽が傾き始めた午後一時。削られた山の側面に収まるようにできたホラーソーンの、鉱山街らしい高炉のもくもくとした煙に見下された町の中を走る私。


 一心不乱にロラロちゃんを探すけれど、頭の中は溢れ出んばかりの疑問符で埋め尽くされていた。


 わからないという、疑問符に。


 私にはわからなかった。


 ハスパエールちゃんの不満も、ロラロちゃんの悩みも、ウィズさんの目論見も、何もかも。


 結局、私には、人の心が理解できないのだなと。そう思うことしかできない。


 工房に訪れる前に、もう少し詳しくハスパエールちゃんから事情を聞いていればよかったのだろうか

 それとも、ハスパエールちゃんが凶行に至ろうとしたときに、その思惑に気づいて引き留めていればよかったのだろうか。

 もしくは、なんて、後悔ばかりが募っていく。けれど、そのすべては偏に、私が何にも理解することができていなかった事実によってもたらされている。


 好奇心のままに不思議を探求することが私の目的なのに。

 謎に満ちた人の心の断片すらも探ることができないだなんて。

 とんだ笑い話だろう。


「……やっと見つけた」


 さて、どれだけ町の中を走ったか。端末の時計を見たところでわからないけれども、ステータスに『疲労』の状態異常が表示されるぐらいには、ロラロちゃんは隠れ上手だったみたいだ。


 結局、工房近くの路地裏の行き止まりの、何が入っているのかもわからない廃棄された木箱の上で、ロラロちゃんは膝を抱えて蹲っていた。


 それを私は、ちょっと遠い所から見ている。さて、どうやって登場しようかな。ここは一つかっこつけて登場して、是非とも好感度を稼いでおきたいところなのだけれど……なんて、考えてるから人の心がわからないなんて言われるんだろうなぁ。


 リアルの世界だと勘違いしてしまいそうなほどに、このゲームのリアリティは優れている。もちろん、ゲームとしか思えないような箇所も多いけれど。それでも、彼女たちNPCたちの振る舞いは、どう見たって人間のそれにしか見えないから。


 ならば。


「やっほ、ロラロちゃん。いきなり飛び出してどうしたんだぜいっ」


 私は私として、体当たりでこの世界に触れていくべきなんだろう。


「……し、ししょ……」


 私の存在に気づき、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げるロラロちゃん。あーあー、かわいい顔が台無しだ。ここは一つ、余った布で縫い上げたハンカチを上げようじゃないか。


「えーい、女の子に涙は似合わないぞぐりぐりぐりぃ!」

「し、師匠! ちょっと、顔は……今、み、見ないで……」

「だーめ。泣いてる女の子ほっとくとか、私にゃとてもじゃないけどできないよ」


 もちろん私が涙を拭う。なんでって? そりゃ美少女の涙を拭った奴が主人公だからだよ。結局、自分で自分の尻を拭ってるだけかもしれないんだけどさ。


「……んで」


 いろんな意味で赤くなったロラロちゃんに向けて、私は改めて向き直る。真正面から、ちっちゃなちっちゃなロラロちゃんのお顔を見据えて、正直に訊いた。


「何があったのさ、ロラロちゃん」


 空気が読めないなりに、土足で。


「いやまあ、私はロラロちゃんが作った盾も結構いい感じの出来だと思ったよ? そもそも、頼んだのも、素材を用意したのも、私だし。私さえ文句を言わなきゃ、問題ないと思うし」


 この際、ハスパエールちゃんのことは勘定に入れない。彼女が何を考えているかなんて、やっぱりわからないから。私にわかる、私だけの、私の意見だけを。


「私は別に、ロラロちゃんは悪くないと思ってる」

「……」


 ただ、私の目を見て話を聞いたロラロちゃんは、すぐに俯いてしまった。やはり、私は何かを間違えてしまったのか。


 そんな風に、私が私の不出来に苛まれたとき、ぽつりと。水滴が落ちたような静かな声で、彼女は呟いた。


「わた、しが……悪いんです」


 ロラロちゃんは悪くない。それが私の意見だけれど。


「お父さんに甘えてしまった私のわがままが、ハスパエールさんにやらせてしまった私の嘘が、師匠に頼ってしまった私が情けなさが、全部全部悪いんです……ぜんぶ、ぜんぶ……」


 ぐずぐずと、止まっていたはずの涙がロラロちゃんの瞳から溢れ出てきている。それを見かねた私は、とりあえず――


「不安ならお姉さんに話してみんしゃい。これでもそれなりに社会経験はあるからね。どんと、胸に飛び込んできてもいいんだよ」


 かっこつけた。おいおい、かっこいい自分を演じず、かっこわるい等身大な私でこの世界に立ち向かうって言わなかったっけ? 建前だよ。女の子にだって、かっこつけたくなる時ぐらいあるさ。


 あ、ちなみに胸当ては既に外してあるよ。胸に飛び込んで来いって言っておいて、胸当てでカウンターとか泣きっ面にハチ過ぎるからね! ふふふ、そこまで大きくはないけど豊かな母性で包み込んであげようじゃないの。


 とまあ、そんな風にかっこつけて、かかってこいと両腕を広げる私であったが。遠慮してか一向に来てくれないロラロちゃんに業を煮やして、最終的にはかっこ悪くこちらからがばりとハグをしに行った。


 情けない姿である。格好がつかない。


 まあでも、この子の笑顔に比べたら、私のかっこよさなんてどうでもいいか。


「わ、私は……」


 胸の中で、ロラロちゃんは言う。


「私は……お、おとうさん、に、憧れてたんです……」




 ――――――――・・-・ ・・-・ 

 



 ロラロが逃げ出し、それを追いかけたシュガーが飛び出していった工房には、二人の人間が残っている。


 ウィズとハスパエールだ。


 寡黙とわがまま。どちらもとてもじゃないが社交的とは言えない性格であり、必然そこに仲を深めるような小粋なトークが生まれるはずがなかった。


 既にお互い手持ち無沙汰。何をするでもなく、出て言った二人を待つばかりの時間が流れていく。


「〈ファイア〉」


 そんな折、懐から葉巻を取り出したウィズが、魔法を使って火を点けて、か細い紫煙をふぅと漂わせた。


 それを見ていたハスパエールが言う。


「煙草があるなら言うに。わちしにもよこすに」

「ダメだ。これは大災害で死んだダチのもんだからな」

「ケチにぃ……」


 ハスパエールは普段から煙草を嗜んでいるわけではないけれど、少し前までは吸っていた。それも、大災害のせいでファストリクスに繋がる物流のルートが途切れてからは、まったく吸えていなかったのだけれど。


 大災害は多くの物を唐突に変えた。世界も、人々も、変わらざるを得なかった。


「工房、にゃにも、急に閉店にする必要あったかに?」


 大災害ほど大きな変化ではないけれど。ここでも一つの変化があった。葉巻の一本が、二人の間にあった壁を一枚、取り除いたようだ。


「聞くか?」

「巻き込まれた側としては、知る権利ぐらいあるにぃ」


 なんてことはない、井戸端会議の一環でしかないけれど。ハスパエールにとって、雑談程度には訊いておきたいことだった。


「ま、俺がハンマーを握れない以上は閉めるしかねぇよ」

「ロラロが居るに」

「だったんだけどな。ただ、あいつには無理だったみたいだ」


 大きく吸い、特大の紫煙を空に浮かばせる。


「大災害の時に俺たちが住処にしてた大空洞が崩落した。その際、ロラロの上に落ちてきた石からあいつをかばって、二人共々生き埋めになった」


 霧のように蠢く煙の中に、ウィズはかつての記憶を見る。


「死んだ家内から託された子だからな。俺の唯一の家族だ。失うわけにはいかなかった」


 ロラロの母親は、ロラロを生んですぐに死んだ。死んだ妻の残した忘れ形見。ウィズにとって、ロラロはどんな宝石よりも眩い光だった。


 だから、自分の工房には自由に出入りさせていたし、技を知りたいと言えば惜しげもなく町一番と言われた腕前を披露したものだ。


 けれども、大災害が全てを変えた。


「落石からロラロをかばった時、背中をやっちまってな。生き埋めになって、何日も放置したのが悪かったらしい。歩ける程度にゃ回復したが、どうにも力が入らねぇ。もちろん、ハンマーだって握れやしないよ」


 友人は死んだ。弟子も死んだ。隣家の長生きばあさんだって死んだ。自分と、娘だけが生き残った。


 今まで生きてきたすべてを失った自分と、まだ何も手に入れることもなく世界へと放り出された娘だけが。


「あいつぁ、才能の塊だ。想像以上だったな」


 けれども、娘は天才だった。


「たった二年で、はるか遠くの地の技術を伝える本一つから、実際にそれを編み上げちまったんだ。ロラロとダンジョンに行ったんなら、お前も見たろ。魔導甲冑を」

「ああ、あのもっさい鎧にか。確かに、あればっかりは見たこともにゃい技術だったにぃー」


 魔導甲冑はここから遠く離れた帝国の技術だ。それを、ロラロは本から知った知識一つを極限まで考察し、たった二年で実用段階にまで発展させたのだ。


 その技術は、例えハスパエールであろうと手放しに称賛する程のもの。


 しかし。


「あいつは、屑石程度の価値しかねぇ俺に縛られてやがる」


 ロラロは父に拘った。


「せっかく手に入れたって言う知識も、せっかく編み出したって言う技法もなにもかもを封印して、ただ一つ。化石みたいな俺の技に固執したんだ」


 ハスパエールの言った『嘘つき』とはそこにある。


「お前が言ってくれなきゃ、俺が言うつもりだった。ありがとな、ベスティア族」

「ふんっ。最高の装備を作るって言っておいて、自分ルールで手を抜かれちゃ困るだけに」


 ロラロは過去に縛られていた。魔導甲冑を生み出すほどの技術を有していながら、仕事の際には帝国の技術を一切封印し、未だ習熟しきっていない父親の技術一本で当たっていたのだから。


 それは偏に、自分のお父さんがすごかったことを証明したかったから。


 すべてを失った父親が。それでも、素晴らしい技術者だったのだと、世に知らしめたかったから。


「自分の得意を無くした鉄打ちがどうなると思う? ま、見るも無残なのは見ての通りだ」

「端からそう教えればよかったんじゃにゃいかに?」

「言ってたつもりなんだけどなぁ……」


 なんとも口下手な父親であるけれど、それも仕方のない話だ。


 お父さんの真似をすると言い出した娘を、誰が止められようものか。


 深い深いため息が、紫煙に巻かれて空虚に渦巻く。


「結局俺は――」


 最後の最後。すべてを諦めたようなウィズが何かを呟こうとしたその時だった。


「話は聞きましたよウィズさぁああああああああああん!!!!」


 叩き潰されでもしたのかという轟音で叩きあけられた扉の向こうから、仁王立ちした黒が大声を上げて二人の会話に入って来た。


「うわっ、たばこ臭っ!? って、そんなことはどうでもよくて……ロラロちゃんから聞きましたよウィズさぁん!」

「聞いたって……何をだよ」

「海千山千津々浦々のすべてをね!」

「言葉の意味が違うにぃ、ご主人……」

「シャラップハスパエールちゃん!!」


 現れたのは、もちろんシュガーである。小脇にもこもことした何かを抱えた彼女は、ずかずかと工房内に入って来ては、ウィズの前に立った。


「ロラロちゃん!」

「ひゃ、ひゃい!?」


 どうやら彼女が抱えていたもこもことはロラロだったらしい。長い長い特徴的なくるくるヘアを全身に巻き付けた彼女は、工房から飛び出した以上はウィズに合わせる顔がないと思っているらしい。


 けれども、人の心がわからないシュガーには関係ない。いや、関係あるけど気づけない。


「お、おとう、さん……」


 小脇に抱えられた状態から降ろされたロラロは、申し訳なさそうにしながらもまっすぐ、ウィズの目を見て言う。


「わ、私は……」

「……」


 何度も止まる彼女の言葉。それでも、続きを紡ごうと彼女は必死に呼吸をする。


「私は……!!」


 力強く、彼女は叫ぶ。


「お父さんを超えます……!!」


 その言葉に、ウィズは返す。


「超えるって、何をだよ」

「お父さん、は、すごい人、だから……」


 飽きるほどに聞いたその言葉。偉大なる父の背中に感じた憧れが、今となっても重い想い思いとなって、ロラロの肩にのしかかっている。


「私の、技を、認めてくれないかもしれない……けど……!!」


 覚悟を決めた目に、もう涙はない。


「認めてもらう……私の、すべてを……!!」


 そう言われて、初めてウィズは気付いた。


「……すれ違ってたんだな」


 誰にも聞こえないような声でそう呟いたウィズの言う通りだ。


 彼は、ウィズの技に縛られた娘を憐れに思っていた。エルゴ第二鍛冶工房の主は既にロラロなのだ。であるならば、帝国の技術であろうとなんであろうと、そのすべてを総動員させて仕事に当たるべきだと、望んでいたはずなのに。


 ロラロは自分が修めた帝国の技術が、父親が許してくれるようなものではないと、思っていたのだ。曾祖父の代から継がれたエルゴ工房は、代々冶金と合金に関する技術を継いできた。それを、自分の代で大きく変えるだなんて許されないと。


 そのすれ違いに気づいたウィズは、自分の愚かさを大いに嘆いた。


 けれど、同時に。


「やれるものならやってみろ、ロラロ」


 彼は笑みを浮かべた。


 集落一にして、ガガンド族でも五指に入る腕前を持つ自分をして、敵わないと言わしめた才能の全力を見られるのだから。


 あと少しで、自分という屑石の柵から、ロラロが飛び立とうとしているのだから。


 彼は、笑ってその挑戦を受け入れた。


「お前の技がこの工房に相応しいか。俺が確かめてやるよ」


 ともすれば、これで出てきたものに欠陥一つでもあろうものなら、斬って捨てんとでもいうばかりの殺意を込めて。


 彼は笑った。


 

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