第35話 決着

「敵は殆ど居ないわね。元フィアーズは死んでるし。流石生命栓キラー。」

 この建物は5階層まであり、4階は雰囲気が変わらず、敵は死滅していた。ここ、5階はより取っ散らかった内装をしており、最早地震でもあったのかと思うくらい、商店とは関係のないものが散乱し、その名残すら予測できないものだった。私は窓のない廊下を進み、最後を感じさせる扉を開くことにした。感じさせると言っても、通り道がここにしかなく、誘われたという方が最適なのだろうけど。

「研究チームが自害してる…早い決断。っていうか、ここは何?」

 部屋に入ると武器を持たない死体がゴロゴロと転がっていた。部屋の隅に飾られたライトだけが部屋を照らし、暗闇に近い空間で、大きな企みを感じさせるような感じさせないような、そんな雰囲気だった。というのは、沢山の見慣れない機器や道具が見つかったが、どれ一つ動いておらず、誰一人生き残りが居なかったからだ。ただ、ここが最深部で、重要な事柄が隠されたことを知ることはできた。

「ここでも動物実験を?…いや、そんなちゃちなものじゃない!嘘よ…これまでの事も、全部?」

 部屋の奥には、机の上に「ruler」と書かれた標識があり、傍にはタイプライターとモルモットの死骸が入ったテラリウム気質の水槽が乗っていた。初めは私も被検体か何かだと思っていたが、近くに積まれている資料の束からこの存在が何たるかを知った。

 こいつがまさにボスで、クラウズ・スレデムの本体だ。様々な指示を出し、フィアーズまでを束ねたのが、こいつ。あるわけがないだろう、そんなおとぎ話みたいなことが。しかし、こいつに向けられた信仰心は文によっても綴られ、このモルモットを始末しようとした者が消されていっていることも発覚した。研究所のリーダーとかでもなく、クラウズ・スレデムのボスなのだ。私たちが苦しみ、挙句戦争になったことが小動物という存在によってその残酷さが助長された。また、フィアーズ側のボスはここに居たものの、祈るような姿勢のまま、服毒によって殺されていた。きっとここの奴ら同様、崇拝に溺れ、死んだ。私のフィアーズとの戦いももう幕を閉じていた。

 詰まるところ、クラウズ・スレデムとはこのモルモットによって出来たカルト的な集団から始まり、それ以上の暗躍を見せたから、クラウズ・スレデムと名乗り、組織としての動きを見せ始めた。ガスによる支配を現実にできないフィアーズと仲良しの研究所は、この組織と結託し、勢力を伸ばした。芋づる式にフィアーズも過去の栄光を自分たちが求めたものへと返り咲かせるため、一緒くたになったというわけだ。そして肝心なのは、それを誘導していった首謀者が、今横たわっている弱弱しい鼠という点だ。通りで情報が挙がらなかったわけだ。

「ガスの開発の援助もこいつか。うーん。カラーは分離実験とか言ってたな。その賜物だと思うことにしよう。でも、そうなると研究所で生まれたっていうことに成っちゃうか。順番が前後する。迷宮入りね。ま、いっか…。ナニコレ?」

 資料を漁っていると、この部屋の間取りと暗号化された信号が乗せられており、私にはなんのことかさっぱり分からなかった。

「おお、でかしたよビクター。制御装置か。あんた、こいつらの事も多少知ってるもんね。良いスパイだこと。」

 ビクターは暫くそれを見つめた後、部屋の隅に行って色んな所を突っつき、隠し扉を出してくれた。中はモニタールームのようになっており、監視カメラの映像は使い物にならなかったが、あらゆる場所に毒ガスを流せるように仕込まれていた。そして、お誂え向きに停止ボタンまで用意されていた。制御装置のカギは先ほどモルモットの下敷きになっていたのがあったため、権限を得た。後は長いガス地獄を終わらせるだけ。私はレバーを引き、終止符を打った。

「あれ、おかしい。ガスが止まらない…いや、止まってはいる。何で…はっ!ビクター、まずいよ。どこからこんなものが。」

 装置は停止したが警告ランプのようなものは赤く光ったままで、終局を示してはいなかった。血眼になって装置の隅々まで目を通した後、ふと我に返った。そして先ほどまで充満していたものを確認するため部屋を振り返った。ガスは濃度が極限まで薄れ、効力を無くしたようだ。だが、もっと危険なモノが存在していた。瘴気だ。私たち人類が世界から分断され、この世界を瀕死に追いやった最悪の権化。それが漂っていた。瘴気もガス同様、視覚的に認知できる。色は全くないが、それらが漂う場所は陽炎のような景色の屈折が現れ、不鮮明な景色に変わるのだ。街の一番高い所から外壁を確認すると、砂嵐のような土地が幾つも見える。それを見てきたから、一目でわかる。そして、私の死が確定してしまったことも。

「意味がわからない。嫌よ…。」

 私は後退し、動揺の余り制御装置に強く体をぶつけた。ここまで広がって来る。あの中を突っ切っていくことはできない。それができるなら、とっくにしている。じわじわと視界が悪くなっていくのを感じながら、私は部屋の隅で震えた。死にたくない。

「ふう、ふう。覚悟を決めなきゃ。私は傭兵よ。フフフ。あれ、ビクター、あんた瘴気も大丈夫なの?どんなけビックリボディなのよ。良いよ、あっち行きな。私は、もう死ぬからさ。」

 人はこんな時、死にたくないと発狂でもするのだろう。しかし、自分の死に時について考えてみると、呆れて冷静になれた。私は好きなように生きて、この街が終わっていくのと同時に死んでいくのだとずっと考えていた。世紀末のような世界だったけど、それはそれで私は好きだった。だったら、こんな終わりも世紀末っぽいではないか。いや、それは私への言い訳に過ぎないな。本当の所、自分が生きるために何かを賭けて戦わなければいけないという状況が、一番大きかった。その中で、自分が意外と人に左右され、望んだ生活のために行動してしまうのだと知った。私は自分の平穏な暮らしが戻る瞬間が欲しかった。それ以外のことは度外視し、最低限度の信頼を保って生きる。それが私で、それが生き方だった。だから、絶対的ではないけど、自分が抗った結果が報われ、死を受け入れられている自分が居た。

「もう、良いのに。これもまた、催涙ガスみたい。げほっ、ゴホッ。涙が…ガスのせいよ、泣いてない。息苦しいし。意識がぼやけてきた…。ああ、弱ってるときに傍に居てくれるのって、こんなに暖かかったんだね。あの日のミルク、美味しかった?あんたは最高の相棒だ、ビクター。カラーが無事だと良いね。ギハイド区に行くんだ。戦争は終わった。きっと、あんたにとっての平穏な暮らしが待っているわ。私たちは、多分だけど、街を救えた…の…。」

 ビクターは心配そうにくっついてくれていた。あまり苦しみがないのが救いだった。暗闇に落ちて行く恐怖があったが、ずっとその間手を握っててくれるような安心感もあり、孤独に絶望するような最期ではなかった。既に体は言う事を聞かず、意識は薄れていくばかりだった。

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