第34話 帰還
私は真っ先に足の腱を切られ、もう立ち上がることができないように、足先は潰されていた。最初は執拗に足を抉られ、弄ばれた。ドゥイェンの押さつける力は凄まじく、痛みに跳ねても手から抜けることは一度もなかった。
私にはその時間は永遠だった。ノマがもっと酷い拷問を受けていたと思うと、涙が溢れてくる。こいつらは、形が無くなるまで責めを続けていたのだろう。膝も破壊され、脚はこの短時間で骨まで見えていた。脚の感覚が麻痺し、完全に使い物にならなくなり、生涯、歩くことを許されなくなった。そうすると、指に移行した。ゆっくりと爪を剥がされ、剥いだ場所にゆっくりとナイフを突き立てる。とこんな遊びを続けられていた。痛みに関しては鋼の精神を保ってきたつもりがぽっきりと折れ、私は声が千切れるほど絶叫を繰り返した。
「おい、何かが流れ込んでくる。ゼッシ、離れた方が良い。ゼッシ!」
意識が途絶えかけた時、異変が起こったようで勢いよくドゥイェンが私から離れて距離を置いた。頭を上げる気力すら潰えた私は、その異変の正体を奴と同時に気づくことはなかった。
「…!」
私は体がピリピリすると感じ始めたと同時に、拷問を趣味にし、拷問に夢中になっていたゼッシがのたうち回りだした。以前、ヴェミネが切ったと言っていた首筋は、栓が抜けたように傷口が開き、血が噴き出していた。
「畜生!俺もか!ああああ。痛え。耐え難い…はあ、はあ…あああ!」
次に、奴も苦しみだし、倒れこんで横になった。私の目に映ったのは、以前私が奴に開けた腹部の穴が、再び開いていたことだった。数分くらいか、こいつらは苦しみを訴えながらも死ぬことはなく、動きが鈍っていった。
「お母さん!お母さん!」
もう意識が保てないとこまで来た。それなのに誰かの声が聞こえる。お母さん?人は死ぬときに幻聴を聞くのか。しかし、そいつがやって来て何かを私に刺すと、意識が戻り、痛みは冴えてしまったが生きていることを実感した。今ここに居るのはエーツだ。死で頭がイカれたわけじゃなかった。
「お母さん?何を言ってるんだ?」
こんな機械にお母さんと呼ばれる日が来るとは。非常に奇妙ではあるが、悪い気分ではなかった。
「ううん。此処から出て、治療を開始します。色々と、話したいことがあるんです。」
エーツは咳払いし、私を負ぶった。拷問は末端だけで済んだが、心のダメージは相当で、もう立つことはできないと思うと激しい悲しみがやって来る。建物から出ると、用意されたバンに乗せられ、走りだした。運転手は誰だ。どうやら安全な位置まで運んでくれているようだが。
「ヴェミネとオーシャはどうした?」
応急処置を受ける中、私はエーツに問いかけた。体を起こしてみたが、運転席の人影はやはり見えない。
「オーシャさんはもう…。ヴェミネさんは最後の戦いに行きました。」
それを聞き、支援することが最優先で浮かんだが、辛い現実が突きつけられていた。私はこれから先、戦うこともできなくなったのだ。
「私はこの傷で済んで良かったと思うべきか。」
その後、コットが言っていたギハイド区のビルに私は降ろされ、エーツによる治療が始まった。器具は揃っていた。そういえば、ヴェミネの旧アジトは廃病院だったか。そこから持ってきたのだろう。そして、運転していた者は予想するにしては容易い、コットだった。
「ヴェミネを迎えに行ってくる。エーツ、頼んだぞ。」
一言だけ残し、一瞬顔を出して彼は行ってしまった。爆撃は何によって行ったのか、ここまで手の込んだことを誰としたのか。作戦の詳細も知りたかったが。今の体力ではそれはきつい。痛みか疲れかで、私は直ぐに眠ってしまった。
「おはよう。ずっと付いててくれたのか…。痛みがかなりマシだ。」
再び目覚めると、鎮痛剤が効いていて話す元気は戻っていた。治療も大体は完了しており、どうも麻酔も用意していたみたいだ。どこからそんな貴重なものを。廃病院にあるような代物でもない。
「おはようございます。はあ、安心しました。酷い怪我でしたから。」
エーツは私の手を取り、包帯を巻いてくれた。よく出来ている。この程度の作業なら可能に成ったのか。まだぎこちないが。
「エーツ、さっき話したいことがあると。話してくれ。」
話す空気になったため、私は促した。エーツの最近の行いは少し奇妙だと思う節があった。情緒が安定していないというか。機械には疎いモノで、そういうものなのかもしれないとも思う。
「言うつもりは無かったのですが…。どこから話せばいいんでしょうか。あの、ですね。単刀直入に言います。私、もともとリナラでした。最初に言っておきますけど、酷いことされてエーツになったわけじゃないですからね?」
一瞬手が止まり、エーツは意を決したように私にピタッとくっつき、もう聞くことはないと思っていた名前を口にした。私の思考が凍り付く。
「意味が解らん。冗談だったらぶっとばすぞ。」
いたずらのようなものではないと解ってはいた。それでも、彼女の言いたいことが自分の考えと合致しないのだ。
「とんでもない。そんな傷つくようなこと、言いませんよ。覚えていますか、カラーさ…お母さんが私と疎遠になった日の事。恐らく、お母さんは私が居ないことに気づいて、どこに行ったのか探したのだと思います。」
今の私ではヴェミネから聞いたのだろうとしか思えなかった。お母さんなどと呼ばれても、こいつがリナラなんて。
「その通りだ。それがどうした。」
冗談でないというのなら、最後まで聞かなくてはならない。ずっと、探していた生きる糧を、一欠けらでも取り返すために。
「私も、全部を覚えているわけではありません。私は研究所に居ました。色んな実験があって…死んで…それから…」
それから、たどたどしくも詳らかにエーツは過去を語った。分離実験に関する内容も合っていた。エーツだというだけの言質は存在していた。ただ私の勘が悪すぎるだけなのか。
「大体のことは解った。しかしなあ。お前がリナラなのか?どうも私は…」
信じたくても信じられない。リナラは死んだと、私は受け止めた。それが違うと否定されようとしているのだ。
「四歳の誕生日プレゼントを覚えてま…覚えてるの。ピンクのマフラー。来年は、雪遊びしようって、約束したの。その年は降らなくて、きっと来年には雪が降るだろうからって。お母さん、私はここに居るの。ねえ、こんな姿だけど、リナラだって解って欲しいの。」
誰も知らないようなことを知っていた。明らかに、疑う余地などなかった。私は現実がひっくり返るような感覚に今度は体が固まった。なぜか涙が頬を伝い、機械だけでは見出せない、暖かな面影に息を飲んだ。
「リナラ?リナラなんだな?でも、母さんは、お前に対して何も…」
あの日が流れる。美しく、甘美な毎日。私の全てを捧げても、守りたかった日々が。ゆったりと、優しく残酷な現実が心を満たしていく。ヴェミネが言いたかったのはこのことか。リナラは、変わってしまった。私の理想とはかけ離れたものに。私は喜びの中に居たが、その過酷さは切り離せるものではなかった。それなのに、自分が諦めた全てが今ここにあることは心に行き渡り始めていた。
「そう、そうなの。お母さんは、いつだって優しくて、私の宝物だったよ。居てくれるだけで嬉しかったの。お母さん、こうして居たかった。」
私の手を引きよせ、抱きしめる。私は迎えに行き、その体を抱きしめた。体温はなく、錆の匂いと冷たい鉄の温度が直に触れる。ただ、この世に居てくれたという奇跡がその冷たさを踏んでいた。リナラは居るんだ。居てくれたんだ。今はそれだけでいい。
「ああ、こうして居よう。リナラ、今私は、ようやく生きていて良かったと再び思えた。愛してるよ。」
ヴェミネが言ったように、変わり果てたものだったとしても、それで良かったと思えた。どんな過去が彼女にあったとしても、今を受け止めてあげるのが母親の責務だ。私は、新たな一歩を歩みだそうと思えた。私が重ねた罪にも向き合わなくてはいけない。
涙が流れなくなるまで抱きしめていた。時間が経って、また治療を受けていると、コットが帰って来た。行って帰って来るには早すぎる。こちらに顔を出し、暗そうな顔を見せた。
「行ったんじゃなかったのか?」
リナラからは薬には時間の制約があると聞いた。あまりもたもたとやっている時間はないはずだ。
「それなんだが…非常に残念だ。行けなくなった…僕だって嫌だが…捨てるしかないようだ。」
ようやく大団円に近づいたというのに、コットからの言葉は予期しないものだった。また何かを失うのか。見捨てるなどあっていいはずがない。私はその意図を問いただすことにした。
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