第31話 局面

 エーツが出向いてから2週間、私はもう依頼人も居ないため完全に浮浪者だった。エーツは作れる準備が整ったと5日前くらいに言っていたけど、それから通信が無い。コットが情報共有を主に担い、彼自身が落ち着いている様子だったので特に気にもしていなかった。変わりに彼はかなりの頻度でどこかに赴き、アジトへ顔を出すことは少なくなった。  

 今日、オーシャと共に街の巡回をしていると、安全だと思っていた区域が毒に侵されていた。街は何やら騒がしく、あいつらの言うパーティの雰囲気だった。どこからともなく不協和音が主旋律となって轟き、花火なのか爆弾なのか、爆発音が大きな街で幾つも聞こえて来ていた。

「想定外だ。ここまで毒ガスが噴き出してる。ほぼ全域がガスまみれだ。街の中央に避難するぞ。そこは恐らく修羅場だ。あいつらもこれを狙ってるはずだ。」

 進行は想定の何倍も速く、ガスによって淘汰するという強硬手段に似たもので、後先考えずに街を滅ぼすようなあってはならない事態だった。数時間体に晒されれば死ぬものを隅まで散布すれば、どうなるかはサルでもわかる。この世の終わりだ。

 私たちは直ぐに戻ってこの悪事を伝えに行った。しかし、既に誰もおらず、カラーは私たちと同じく中央で落ち合うという旨の手紙を残していた。

「コットが居ない。昼にはここに居たのに。何処に行くか聞いてる?」

 私は外まで駆け、オーシャに伝えた。律儀にバイクは放置されている。この分だと異常が出たのが早かったのはカート区か。この場もガスに満たされ、逃げるしかなかった感じだ。

「知らん、何にせよ行くぞ。戦う時間も考慮すれば時間はない。あっちも毒にまみれていないとは限らんからな。」

 そのバイクに彼は腰かけたまま私を急かした。運転するのは私か。私はバイクに跨り、オーシャを乗せて中央のクレート区に飛ばした。

 目的地に到着したものの、空気が尋常ではなかった。ガスは普通に満ちているが、蔓延してるとか、そんなことは気にならなくなる。私たちが感じた世紀末を全面的に肯定するような情景で、この街の生き残りが屯し、敵によって飾り付けられたであろう朽ちた建物を見上げていた。建物は大きく、商業施設か何かだったと予想できる。イルミネーションやスピーカー、ペンキ、そんなものに好き放題飾られていた。

「どうなってるの?これは何?」

 掻き分ける程の人数は居なかった。それもそうだ。重要な組織は全て潰され、情報の薄い浮浪者はこの急な事態に飲まれたのだろうから。ガスマスクだって、そう簡単には手に入らない。私はラッキーだっただけだ。屯する中にはカラーの後ろ姿があり、そこまで行って声を掛けた。

「残りかすは纏めて処理してやる。だそうだ。あいつらのやり方的に、ここまで来て潰しに来いと言いたいんだろう。少し前、エーツからの通信があった。クラウズ・スレデムと思しき団体の移動が確認できたと。恐らく、組織のボスもこの中だ。」

 こいつらは何をそんなに急いでいるのだろうか。私は余裕があるようには受け取れない。自分たちにも害があるものを街中に撒いてまで。J・ジャスムまで看破した実力があるなら、普通はゆっくりやるのが定石だ。本当にこの街を滅ぼしたいだけなのか。

「全員渋ってるな。俺たちは袋の鼠だからな。だが、奴らは無毒化できる何かを持っているはずなんだ。でなければここも毒が浸透してるのは考えられん。行くしかないのはこいつらも理解しているようだが。」

 オーシャはそう言って、見知らぬ人間の近くまで歩みを進め、その一人に説得しだした。そいつは怯えたように首を振り、この中に入る危険性を語っているようだった。他もその声に賛同し声は大きくなった。私たちの知らない間でも、フィアーズの意向に染まったクラウズ・スレデムの狂気的な犯行や拷問を目にした者も居るようで、それは単なる未知から来る恐れではなかった。

「此処が本拠地…。カラー、何とか部隊を編成することはできない?」

 時間がないのでこちらはこちらで話し合った。小隊を組むことができるなら、進行は楽になる。罠だとしても個人で行くよりましだ。

「どうだか。J・ジャスムに居ない私を信用すると思うか?それに、私は一度部隊編成をして挑み、敗北している。あの時より弱い陣営で何かできるとは思えん。」

 カラーも考えにはあったようだが、肯定的ではなかった。過去に受けたトラウマが今になって邪魔をしている。群衆から漂う負の空気が伝播しているようだった。

「やるしかないんじゃないの?どうせ勝てないって解ってても…。知ってるよ、多分さ、今回も…ほんとうに言いたくないんだけど、敗北したら簡単には殺して貰えない。拷問の玩具にされるって。怖いのよ、私も。ただ、まだ間に合うって所に私たちは居る。」

 カラーは再び結託した後日、自分の身体を捧げるという要求を受けたときに、如何にして楽に死ぬかを真っ先に考えたと話した。私もあの時は死に物狂いでその恐怖や苦痛から逃れたいと思った。人間は脆い。それを知った。だから、その脆さに凭れ掛かった。自分がこの街で倫理観を振り切って生きたかったのはそれが理由だ。

「そうだ、私は、この期に及んで恐れている。見ろ、建物の前を…あれは先に突っ込んでいった人間だ。何時まで経っても、私たちはあいつらの惨い遊びに人生をぐちゃぐちゃにされる。そんな幻想が消えない。ケッペルも死んだ…私に残されてるものは何だ…今も、復讐心と恐怖が混在しているんだ。殺してやりたくて仕方ないのに、余りに巨大で歯が立たない。」

 建物の入り口付近には人の首や腕が、潰されたりあらぬ方向に曲がったりした状態で無造作に投げられていた。それを見て思い出すことは多くあった。自分が蹂躙された過去が、現在が、象徴されて存在した。

「そんなことない。ドゥイェンと戦ったでしょ?あいつは本気だった。最初から負けるって決まってない。そりゃあさ、超越者三人がこの中にいるだろうって事実は激ヤバだけどね?死にに行くんじゃないんだよ、私たちは。」

 カラーの心の傷は開いていた。ケッペルには何が何でも恩を返したかったと、彼女からは聞いた。それができなかったとなると、全てを失ったように思えるのだろう。私を今突き動かしているのは、仕方のないという感情と、この悪夢から覚めたいという思いだったが、強い憎しみを孕んだ彼女の思いは、日に日に廃れていっている。娘の敵を取ってやると楯突いて、絶対に無理だという現実を既に味わっているのだ。

「もう、何も…残ってない。くそっ。私は何を言っている。やらねばならんのだ。この人生を、もう救いようがないものだとしても…報いなければ…。なのに。」

 彼女は自分自身と葛藤し、複雑な感情を表に出した。昔から、強い意志に引っ張られているような態度がカラーにはあった。虚勢ではなかったものの、本来の彼女は温和なのではないかと時々思う。リナラとしてのエーツと話しているとその想像が本当のように感じてくるのだ。

「あんたの娘は!…いや…ねえ、カラー、例え全部形が変わったとしても、自分が思っていたものが取り返せるとしたら、それでも良いと思う?」

 私はあのこと言いかけたが、やめた。受け入れられるかも分からないし、今知っても混乱するだけだと思ったからだ。私は遠回しにも直接的な質問に切り替えてしまった。

「どういう…そうだな、あの日々が戻って来るならば、形なんてどうでも良い。例え私が私でなくとも。だが、なぜそんな事を聞く?」

 私の質問の仕方が悪かった。カラーの言葉からは伝えて良い要因は見つからない。でも、望んだ方には転んでくれそうだ。

「私たちはあの日から、何が変わった?ただの堕落?私はともかく、カラーは違うと思う。あんたがJ・ジャスムの隊長だって知った時はビビったのよ?それに、取り戻せるものがあるって私が保証する。今は言えないけど、カラーにとっては物凄く大事な話。はあ、誰かを鼓舞する日が来るなんて。私らしくないなあ…」

 私はわざとらしくため息をついた。ガスマスク越しだから表情の細部は見えないだろうが、自分の感情は伝わったはず。敵を倒せばいい。そのシンプルな目的が私にはありがたかった。

「さっきから何が言いたいのかわからん。しかし、ヴェミネが太鼓判を押すなど珍しい。組織に居た時も流れのままという性格だったのにな。こうして再開したのは運命やもしれん。ありがとう。決心がついた。」

 私も少し変わった。昔は自分でも今ほど無茶苦茶な性格ではなかったと断言できる。浮浪者になってからの生活はかなり過酷だった。揉まれてしまったのもあるのだろう。それが活きたと思いたい。

 オーシャは私たちの考えを理解してくれていて、群衆を一か所に集め、耳を傾けるだけの態勢を整えてくれていた。全員、乗り気という言葉は全く似合わなかったが、対話にはなりそうな雰囲気だった。

「聞いてくれ。私は元、J・ジャスム第三部隊隊長のカラーだ。この中にも、私の顔を知っている者は何人か居るだろう。脱退の噂もな。無論、私は敗北し、不名誉によって抜けざるを得なくなった。その原因は、この伏魔殿の凶人どもだ。私は全てを奪われ、ここに居る。そんな私に耳を貸す者などいないだろう。だが、それでも、諸君に貢献するだけの力はあると自負している。諸君らはなぜここに居る?ただ死ぬためか?どうか、力を貸してくれ。私を信じてくれ。この街は今日終わる。それを止め、私たちの日々に戻ろう。」

 威厳ある風格に戻り、自分の汚れた過去を差し出し、人々に訴えかけていた。話を一通り聞いた面々に火が付いた。悪い意味で。恐怖に対するストレスをぶつける先を見つけたように、一人の「お前は負けたんだ。」という言葉から、次々と罵詈雑言の言葉がそこに居る溜まりから湧いて出た。カラーは一切動じることなく、言い返すこともせず、何かを投げられようとも、避けずに群衆に対して目線を送ることを続けていた。この瞬間、彼女の内にある空気が重く漂い、荒れる人々はその波に飲まれ、次第に声を荒げる者も少なくなり、彼女の反応を伺う者が増えた。ただ黙って立っているだけで人を動かすことは、そうそうできることではない。どこまでも頼もしい指揮官としての風格は、自然に伝わってしまっていた。やがて人々は互いに制止し合い、成否を決めるためにもう一度カラーの言葉を待った。

「解っている。私は敗者だ。これが終わったら、殴るなり蹴るなり好きにして構わない。それはさて置き、諸君らはどうか。やつらの非人道的な行いは、身に染みて感じているはずだ。ここに、あいつらを解放しても良いと言う奴は一人も居ないはずだ。同じなんだ。倒さなければいけない敵がいるというのは。歯向かう理由は十分にあるはずだ。ここに留まり、弱った我々を見て奴らは何を企むと考える?好きにしていいものか?

 我々はこの時代の最後の英雄だ。絶対的な力を持つと高を括っている鬼畜を根絶した日の朝は、どれ程日の目が綺麗だろうか。ここ数日、街は陰気臭い上、空気も淀み切っている。ここは我々の地だ!我々の自由だ!違うか?この戦いに勝利を納めたい者は前へ!歓迎する!」

 私の目からも、輝いて見えた。カラーは喝を入れ、目の前にいる人々を奮い立たせた。それでも、行くか行かないかの空気だったが、ある男が心動き、前に出た。それを受けて、一人、また一人と集団心理が働き前に出た。必ずしも、戦うという現実を直視できているとは限らない。ただ、この短時間で纏められたのは、最後に相応しい切れ味だった。

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