第20話 恐怖の数日
建物から遠ざかっていたところ、そこからゼッシが出てくるのが見え、私の方に走って来たのが見えた。私は怖くなり、逃げるように走ったが簡単に追いつかれ子供みたいに肩を叩かれた。殺しにきたのではないらしかった。
「…。」
奴はにんまりと笑い、大きな封筒を私に持たせ、他の組員の方にも走って行った。おぞましいと感じたが、中身を見ないわけにはいかなかった。他の者も同様のモノを渡されるのだ。情報の共有も必要になってくる。
「何だ…これ…」
中には様々な器具が入っていた。ペンチ、ナイフ、ドライバー。工具のようなものが多く、不気味さを増大させるものばかりだ。封筒の中にも何枚か封筒が入っていて、ほかに見当たるのは、一枚の紙きれだった。私は器具が関係のないことを祈り、その紙を引っ張り出して目を通した。
(もちのろん、お前たちにも罰を与え、この組織の脆弱性を測る必要がある。自分の体の異なる一部を三つ、それぞれ封筒に入れて持参されよ。『大サービス、一つは歯がおすすめよ。』全員が揃わない場合、お前たちのボスはより苦しむことになると心得よ。もしも揃うなら、そっくりそのまま帰してやる。それができぬのなら、彼女を見捨て、組織を脱退するのが懸命ぞ。だが、枷の重みはいずれかの方法で味あわせる。心して待たれよ。)
それはこの器具たちを見ておぞましいという感覚に陥ったことにぴったりと重なるようなおぞましい内容であった。私はこれを見た瞬間、真っ先に一番楽に死ねる方法は何かと考えた。逆らえば、悶絶し死ぬことになる。こんな無茶な要求も、いくら彼女が大切でも飲むことはできない。放棄したとしても、奴らは何かしらの苦痛を私に与えに来るのだろう。完全に八方塞がりで、初めて生きている意味がないと思う程、突き立てられる苦痛が大きかった。皆だってそのはずだ。私が臆病で、彼女のために自分を引きちぎるようなことはできないと思っているのか?できるわけがない。そんな言葉が聞こえてくるようだった。私は足元がぐらつく恐怖を抱き、その日は帰った。
「残念だけど、ノマさんは諦めるしかない。全員にこんなこと共用できないし、私だって嫌よ。あの人の事は大好き。本当に…でも、こんな選択間違ってるでしょ?私は、この件からは手を引く。」
幹部である私たちと少数の部下は、一度集まり話し合った。ヴェミネはというと、この様に話し彼女も恐怖を感じているということを露わにした。幹部の中には、本当に自分の体の一部を献上した者は何人か居て、その殆どは病院送りになっていた。頓智を利かせたような、髪や爪(爪に置いては剝いだものであろうと)などは突っぱねられ、全てやり直しだと言われた者もいた。要するに、自分の何かを切断する痛みに三回程度耐えろという要求だった。麻酔なんて便利なものは存在しない。いや、悪用する者が多すぎて薬よりも出回っていない始末だ。
「だとしても、救える方法を探さなければ。あの人は今も…私たちが味わう以上の拷問を受けているんだぞ?」
彼女はずっと私たちの中で輝いていた。自分が動くとあれば自分を一つの資源として考えられるような人で、長としてはあまりに慈悲深かった。統治する者であると言い張っても他の組織からの反感が少ないと言えば、どれ程影響を与えていたかがわかるだろう。
「なら、カラー。お前はどうしてあいつらのように自分を犠牲にしない?」
幹部の一人が、私に指を指して深刻そうな顔でそう言った。これは責めているのではなく、同じ気持ちのはずだ。と言いたげだった。
「それは…私も、何度か試そうとした。指を切断したり、耳を削ごうとしたり。一度だけと言うのなら、出来るかもしれない。だが、そんなことを三度も繰り返せば正気ではいられない。」
分かり切っている。この会話も無駄だ。私たちは既に結論を出してしまっていると同じだった。この要求を飲まないことは我が身可愛さとはまた違うのではないか。いくら惜しい人でも。天秤に掛けると表現されるが、どちらが重いかと測る事自体が間違いなんじゃないのか。
「やめよう。残る奴だけ残れば良い。好きにしてくれ。」
また一人は、この様に言った。私たち全員が課題をクリアすることなど、できるわけが無かった。恐らく、忠誠心を試す行為そのものが無意味だ。誰もが無理だと思えば思う程、しようと思う者は少なくなり、負の連鎖が始まっていたのだ。抜け出せない。誰かが勇気を出して全員の前で腹を切るような熱意を見せても、見せしめに近く、恐怖が膨らむだけなのだ。ぞろぞろと立っては抜け出す者が出始め、最後に立ち上がったのはヴェミネだった。私たちは前まで軽い冗談で笑い合っていた。この時までは、良い奴だと思って接していた。
「ヴェミネ、せめてこれどうするかを一緒に考えてくれ。お前はこの中で一番強い。皆の活力にもなる。お前は、これまでも多くを切り開いて来たじゃないか。」
ヴェミネには力があった。私と違い、あの場で生き残れたのは運ではなかった。生き残るべくして生き残っていた面子だ。そんな彼女が救出を放棄すると言えば、指揮はどこまでも下っていく。自分が人を動かせると知っているのに、敢えてそれをしないことに私は憤りのようなものを覚えていた。
「無理。組織のままで居れば足が付く。奴らに骨の髄までしゃぶられるわよ?私は生きたまま解剖されるような拷問はごめんよ。」
彼女が間違ったことを言っているわけではないことは分かっていた。しかし、私は見殺しにするという選択がどうしてもできず、今もどこかで生きていると思うと再び会いたいと思えてならなかった。彼女は私の手を振り払い、冷めた目と悔し気な表情をこちらに見せ、出て行った。
「くそっ。残ったのはこれだけか?」
結局残ったのは、私を含む幹部が三人と部下が二人だけだった。もう、ノマを救う方法は存在しないのだろうか。完全に不可能となったと知った奴らは要求を変えるのか。果たしてそうなったとして、それを飲むことはできるのか。奴らの事だ。きっと罰だか何とか言って、更にとんでもないことを言ってくることは目に見えていた。それでも、救いたいという一身は私たちを動かした。
「そう、逃げちゃったわけ。こんなに簡単なのに。」
再び私たちはあいつらの前に立って、状況を説明した。部下の一人は腕を切り落とされ、激痛に蹲っていた。
「ツィーグ、ちと過大だったんじゃないのか?もう少し優しくはできんのか?これじゃあ、ノマが可愛そうだ。」
殆ど話していないため、ドゥイェンはこの中ではまともな印象に映っていた。本当はそんなことはない。
「まあ、怯えきっちゃってるしねえ。私たちもあの子を解放する選択肢は与えなくちゃ。もうだいぶ弱ってきて時間は少ないけど…ただもう少し…。いいわ、あんたら、逃げた奴の中から5、6人かっさらって来い。それくらい、できるわよね?」
ノマはまだ生きていてくれているらしい。多分、その連れてこいと言っているのは犠牲に近い意味だ。仲間を殺すことができるなら、大目に見てやると。
「…。」
するとゼッシは遠くから私たちに指を指して頭を傾けた。喋らないから何を言いたいのか分からない。
「ボスの意向よん。こいつらは幹部。まだ動けるわ。効きはするけど、用途は別ね。」
どうやら私たちが居るではないかと疑問に思ったらしい。私たちではいけない理由があるのは分かったが、内容は理解できなかった。
「用意しよう。」
一人の幹部はそう答えた。私は声が出そうになったが、私たちにとって現実的な範囲だと知り、抑えた。いくらノマが大切でも、組織の仲間に手を出すなどとんでもない。到底許されることではなかった。それこそ天秤に掛け、自分可愛さを認めるようなことだったからだ。結局、私は他人なら良いと思っているのだろうか。分からなかった。
それから私たちは言われた通り組織の者を襲い、手を染めた。中には過去に重要な任務を任された者も含んだ。下っ端だけではなく、全てを平等とするという、最後の汚すぎる慈悲によるものだった。私たちは本当の意味で泣きながら生け捕りにすることを続けた。中には噂を聞きつけ、自分がターゲットとなったことを知り、膝をついて命乞いをする者もいた。全てが暗殺のように気づかれずに起きたわけではなく、事前に知っていたケースもあったということだ。余りにも、苦しかった。これは自分を傷けるなら、この方がマシだと自らで謳っているのか。罪を重ねるたび、人間の醜悪さが心を突き刺した。幸いなのは、噂と言うのが組織全てに拡散されたわけではなく、既に組織は自然消滅した形となり、汚名が付くことはなかった。私たちが手を汚した過去は、簡単に消すことができる程、周知には行き届いていなかった。
それからまた時間が流れた。日数で言うと一週間くらいか。既に人員は用意し、奴らに届けていた。後はあいつらがどう言い、ノマを解放してくれるかだけだった。しかし、待てど暮らせど返答はなかった。聞いたのは、待っていろとの言葉だけだ。はやる気持ちの中、あの場所に行ってみたが、廊下は既にもぬけの殻で、別の場所に事務所を構えているらしかった。だが、完全に目が潰えたのではなかった。
「ああ、お前か。俺らは場所を移すことになった。ソム区に仮の拠点があるから安心しろ。今交渉中だ。今日は帰れ。」
最悪の予感に心臓を突き動かされ、人の気配がガラリと消えたドアを押し開けた所、ドゥイェンがおり、反故にしたのではないと知らせた。この時ばかりは安堵の気持ちがやって来て、史上最低の奴らではないと思うことができた。この時は。
私が奴らとの関係が消えたのは、その三日後の晩だった。私は、その日いつもの様に家に帰った。家には女手一つで育てた五児の娘が居た。私は危ない仕事も請け負っていたが、娘には絶対に及ばないように努力をしていた。それを知り、ノマも荒事はあまり回さず、健全な母で居られるようにと配慮してくれていた。もう私の手は汚れてしまったが、それは娘を守るためであった。ノマが居てくれるなら、この区は安全でインフラも整備が行き届いた状態が続く。彼女を失うという事は安全を失い、娘を危険に合わせるということに直結するのだ。
「なんだ、この煙は…「リナラ」、無事か?」
その日、家の前まで来てみたら煙が上がっているのが確認できた。まだ全焼の火災にはなっていなかったが、火の手は直ぐに回ることになるだろう。私は玄関のドアを勢いよく開け、中に入る。煙が立ち込め、火災はリビングで起こっているらしかった。勿論、そうと解っていても突き進んだ。リビングのドアは半開きで、そこからモクモクと煙がこちらに逃げ出していた。
「リナラ!どこだ!強盗か?あの子の姿がない。」
部屋は燃え盛っていたが、見渡すことはできた。部屋は散らかり、荒らされた形跡があった。しかし、抵抗してそうなったようでは無さそうだ。彼女の姿も見当たらず、少なくともこの部屋に居ない事だけはわかった。もう避難できているのか。この家は狭い。探すような場所も多いわけではなかった。
「残念だよ、カラー。」
私が踵を返そうと思った矢先、部屋の中から忌々しい声がした。ツィーグだ。さっきは気づかなかった。どこに居たのか。隠れられそうな所には粗方目を配ったはずだ。燃えているというのに、平然と火に囲われこちらを見ていた。
「お前か。娘はどこに!」
恐怖はあった。逆らってはいけないという抑圧も。だが、娘に手を出されることだけは許せなかった。例え、あの想像絶する苦痛を提示されたとしても、取り返す術があるのならやっていた。それくらい大事で、生きる喜びだった。
「さあねー。もう私たちの手を離れた。どうなるかは知らん。お前らのボスは、お前らの財産すら吐かなかった。それを言えば、苦痛は幾分楽になり、分散すると知っておきながら。もう怖い試練はないから安心しなよ。だけど、これは罰だよ。追える者はその罰を受けて貰っている。全員じゃないから良かったね。」
私たちは安っぽい財宝でしかなかった。金目の、ただの都合の良い組織。我々が保持してきた威厳は、そんな私利私欲の低能な考えに握り潰された。どれだけの意思や思いを抱えたとしても踏みにじられる。それを知った。
「殺してやる!お前を何としても!」
あの日、私がJ・ジャスムでの敗北と同じく、そんな言葉を吐いた。それを貫ける日など、ずっと来ないとは知らずに。
「かっこいいー。楽しみにしてる。でも今日は帰るから。」
私が前に出ると奴は火の中に入って行き、姿を晦ました。自分ではこの中にこれ以上踏みとどまるのは自殺行為だった。一酸化炭素が血流に入り、意識が薄れていくのを感じていた。私は舌を噛み切る思いで家から飛び出し、火が覆っていくのを待つしかなかった。
ノマが、娘がどうなったのかはその時代の最後の最後まで知ることはできなかった。前者に関しては死んだことは確かで、真相は定かではないが、終わりの方はずっと死を乞い続けていたとも聞いた。しかし、私たちが時代を生き残るだけの財産を残してくれたのもまた事実であった。奴らが分裂するまでは、私たちレティミストの生き残りは見つからないように泥に紛れるように暮らさねばいけなかったし、実際、再び見つかった者は良い出汁に使われてもいた。その日が、解放の時じゃなかったというわけだ。
私はフィアーズが分裂したと知った後も、娘を探すことに心血を注いでいた。名前すら聞いたことのないと言われるだけで、一度も目撃の情報は得られなかった。そうして時代が終わり、街も崩れた。娘を探すのもより困難になり、紆余曲折あり、力が必要と判断し、J・ジャスムに加入し、上官へと昇り詰めるまでに至った。それらは復讐と自分が強くあらなければいけないという強迫観念によるものだったが、また運命が交差することになるとは思ってもいなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます