第12話 堕落と血気

 バイクでの敗走を終えた私は、カート区に辿り着き、そこを根城とする方針を立てた。モノさえあれば生活の基盤を元に戻すことはできた。私の生活水準は余りにも低かったから。しかし私はどうにでもなれと言う気持ちのまま、段取りをすっ飛ばして酒を流し込んで苦痛から解放される選択をした。安い酒しかない、客層も品のないバーに入りびたり、吐くまで飲むという行為を日夜何度も繰り返して日を跨いでいた。

「ビクター…わらしはずっと一人らんだよ。お前はわらしだ。孤独。行くとこもねえ。」

 酔っては鳩に語り掛けるというなんとも惨めな醜態を晒していた。私の愚行を止めるだけの利巧さは持ち合わせていないのか、こいつはいつもと同じ表情で私を見つめているようだった。私は敗北そのものではなく、仲間を奪われ、自分が何も変えらなかったことに強いショックを感じていた。私は一人でも生きていけると思っていた。しかし、そんな力はないと上から押さえつけられた気分だったのだ。

「おめえはなんか特別らんか?私と違ってよおお。」

 ビクターはガスの中を突っ切っても何も影響がなかった。他の生物で臨床実験をしていないからどれだけの実害が出るかは知らないが、人間だけに効くというのはおかしな話ではないか。

「私はひでえなあ。昔、金稼ぐために、スト…ストルィ…脱ぐ仕事してたんら。客ぶっ飛ばしたけろ。今じゃ、色気もねえ。これからだって無様に死ぬんよなあ…おい、やめろって、わあったよ。はああ。」

 時々、ビクターが言葉を理解しているとしか思えない時がある。卑屈な話を続けていると、手の甲を突つかれ怒ったように刺激してきた。愚痴はいくらでも聞いてやるが、そんなことは言うなとも言いたげだった。放任しているということなのか。

「くそお。フィアーズが何だってんら。あのオワコンども…ラベンダー…メイクは復讐って言ったんらぜ?無理だろ。ああ、むっしゃくしゃするー!マスターもっろ酒だ。」

 現実逃避したかった。なのに、この憎しみが悔しさのような軽い文言で片付けられないと理解していた。自分の周りを侵害されていくのを、黙って指をくわえて見届けるなど、私にはできない。そういう奴らは始末してきた。上に立とうとする奴らも、引きずり降ろして、自分の安泰を保ってきたのだ。感情のままの意味の平和はなく、気ままに生きることが阻害されていた。私はただ、揺蕩うように生きていたいだけだ。それを阻んでくる要因は、意外にも多くこの世には存在すると知った。

「ビクター、ビクター。お前賢いんだろ?楽園にでも連れてってくれよー。前にこれ、見つけてくれたみらいによお…ちっ、なんだてめー!」

 意識も朦朧としてきていた。酩酊を通り越そうとしていた。しかし、そこで横から誰かにコップ一杯の水を掛けられ、酔いが幾ばくか冷めてしまった。

「ヴェミネ、お前は何をしているのかと思ったら、こんな所で飲んだくれてるとはな。はあ、お前と同類と思うと心底嫌気が差す。」

 偉そうな口調かと思えば、それはカラーだった。しかし以前のように覇気はなく、彼女の言う様に落ちぶれているような気配が漂っていた。おまけに目にクマまでできている。

「お前なあ、人が折角飲んで忘れようってしてんのに、油を差すな。何だってんだよ、ああ?随分とお辛そうで?構って欲しいのか?」

 私はカラーの胸倉を掴み、殴る勢いだった。こいつに何があったかなんて聞く気はない。どうだって良い。お悩みを聞いて欲しいなら金でも払え。

「喧嘩と言うのなら受けてやるぞ。お前を見ていると腹が立ってくる。だが、酔いは完全に覚ませ。一対一の勝負だ。」

 目に生気は無かったが、奥の奥では炎が揺らめいている風に私には見えた。一瞬、私の中で同情のようなものが光ったけど、きっと気のせいだ。

「ああ、そうね。酔ってなくても殴り合いの喧嘩でもしたい気分。明日、開けといて。ボコボコにしてやるから。」

 私は胸倉を掴む手を離し、カウンターに小銭をバラまいてバーから出て行った。あいつは私の気を知らない。土足で踏み込んできて、下らない説教を。殴るにはちょうど良かった。

 次の日の夕暮れ前、酔いも完全に冷めた中、空き地に私たちはバーの前から移動してきて、睨み合った。隠れる場所も段差もない、正真正銘腕の勝負になる場所だった。

「これを使え、私と同じものだ。」

 カラーはお互いに距離を置いた後、刀身が少し長いサバイバルナイフを放り投げた。深く刺せば、致命傷を与えるには申し分ない武器だ。切れ味も十分、これなら殺し合いと言う方が表現は正しいだろう。

 私がナイフを握って構えると、早速カラーは地面を蹴って接近して切り付けてきた。鍛錬を積んだ切れは凄まじく、余裕を持って動いたのに腕に傷がついてしまった。私も切り返し、攻撃する。私もぐーたらしていたのではない。同様に、カラーの頬には赤い線が入った。ナイフで受けることができないため、戦いは如何に上手く体を動かし、切り付けるかと言う勝負になった。私も今回においては卑怯な手を使う気はなく、正々堂々切り合った。

 体術も混じり、切り傷は深くなり、お互いに致命傷は追わずとも、一瞬の油断でそれが現実になる攻防が続いていた。あっちも私の命を考えていないようで、殺さないように手を抜くような戦い方ではなかった。殴り、蹴り、切り合っていた。実力的にはほぼ互角で、お互いに目に見えて劣っているところはなかった。

「こればかりは私のテリトリーね。相手が悪かったわ。」

 ずっとそうしていたが、ついに勝機が私に傾き、私は肘打ちでカラーの溝内をどつき、カウンターによるナイフを突く手を払い、首を掴んで地面に投げ倒した。そのまま馬乗りになり、相手の口を押さえてナイフを首に当てた。

 勝負はついたので私はナイフを離し、馬乗りのままカラーを見下げた。別に殺す理由がなかったからだ。

「私は、私は、どうしてお前如きに!今まで、ずっとずっとずっと、強くなるために生きてきたのだ。なのに、なぜなんだ!浮浪者でしかないお前が、私の上を行くんだ!」

 カラーは涙こそ流さなかったが、その声は慟哭に似たものだった。そして、憎しみだけが私に向けられていたのではなく、自分に向けられているようでもあった。

「カラー、驕るな。私だって胡坐かいて生きてるんじゃないの。生きるために必死なの。」

 生きるのに必死と言う自分の言葉に、私自身が今自分に降りかかっている問題と照らし合わせ、胸が痛んだ。

「だったらどうだ?なぜお前はそこまでの実力を持ちながら、のらりくらりと生きようとする!?私は全部を賭けたって、上手く生きられないというのに!」

 今度はカラーが私の胸倉を掴んだ。もう片方の手で拳を握りしめ、私を殴ろうと震えていたが、それが向かってくることはなかった。

「私は平穏に暮らしたいだけよ。カラー、何があった。」

 この時、初めてこいつに何があったのかが気になった。これも同情ではなく、落ち着かない心のせいだった。

「キラーゴーストに敗れ、部隊から蹴られた。惨めなものだろ?今日も負けて。」

 その名を聞いて、頭痛が起こった。カラーは見たところ、信頼の厚い隊長だった。部隊を脱退させられるとは相当なものだ。フィアーズ、やはりあの鬼畜が絡んでいるのか。

「私もあいつらに仲間全員と住処を奪われたわ。同じ穴の貉とはねえ。カラー、今日ばかりはお互い汚い言葉吐くのは止そう。お前もその様子だと、随分と傷ついてるってとこだろうし。」

 私は掴む手を手で覆い、ゆっくりと引き離して地面に置いた。カラーは眉間に皺を寄せていたが

「お前はどうする?私は復讐しなければいけない。絶対に。」

 と冷めた表情になって言葉を返した。その言葉の割に、前に進もうという気合はそこまで大きくなかった。彼女もフィアーズを恐れているのだ。

「はああああ…お前もかあ。何とかする。この街は明け渡さない。ここしかないし。」

 この街の外は、人の住める環境ではない。それはガスとかそんな次元ではなく、何をしても生きていけない。他にも街は幾つか存在するが、全ての街が同じ条件だ。街同士の間で人々の情報が行き来するのは「電報パイプ」と呼ばれる通信手段だけだ。こちらから出向くことも出来なければ、誰かがやって来ることもない。だから、私たちはこの大きな街を地球のように捉えている。私が立ち上がると、遠くからビクターが飛んできて私の肩に止まった。

「ヴェミネ!私は屈辱的だ。今日のところ、お前を悪くは言わないが、それでも、いつだってお前が…」

 離れていこうとする私に、カラーは消えない怒りをもう一度表した。カラーにとっては、毎日強くなることだけを考えていたのに、好きに生きている私にその強さで負け、これまでの日々が否定されたように映っていることだろう。

「カラー、鍛錬も知らない雑魚と違って私は強いから。気を落とさないで。お前の真っ直ぐな所は嫌いじゃないわ。自分が今やるべきこと、見つけなきゃね。」

 然れども、私がカラーにどう映っているかは、結局のところ興味はなかった。例え殺す程に憎いと言われても、そこまで動じはしなかっただろう。私にとって大きかったのはフィアーズがそこに居り、因縁が再び業を煮やしはじめたことだ。復讐と言う言葉に酔いはしなかったものの、飲んだくれて全てを忘れようなんてことはするべきではないと思えた。私はカラーを置いてその場を離れ、路地にまた家を作ることにした。

「ビクター、銃とガスマスクのフィルターが居る。私たちも動くとしよう。」

 こう言ったものの、私は今自分がすべきことをはっきり捉えられてはいなかった。動こうという言葉も、私は何もしていないわけじゃないという、自分への言い訳に近かった。その点で言えばカラーと同じなのだろう。抗うために足りないことを補う必要があったが、あらゆるものが足りない感じがしていた。

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