変化の言葉
そういえばの話になるんだが。
最近はもう俺と母さんの間に壁はなく、普通に接することが出来ているのは言うまでもないことだが、それは優愛と父さんも同じだった。
「……?」
特に順番の拘りはないが、基本的に一番風呂は俺が多い。
そうして風呂を済ませて戻ると優愛と父さんの会話が聞こえてきた。
「今まで詳しく聞くことはなかったんだが、優愛ちゃんはそれで明人に懐いているんだね」
「はい! 私にとって兄さんは本当に恩人ですし、何よりずっと傍に居たいと思う人です!」
たとえ扉を隔てても、向こうから話し声は聞こえる。
なんて恥ずかしいことを言ってるんだあの妹は思いつつも、そこまで想ってくれることの嬉しさはあって……心が温かくなる。
父さんはどんな顔をして話を聞いてるんだろうか……母さんも傍に居るだろうし、これはちょっと声を掛けずらいぞ……。
「ということでお父さん! 兄さんに関しては何も心配ないですよ! もし良い人が出来なくても私がもらってあげますから!」
「ははっ、それなら明人も安心だなぁ!」
「全くもう……逆でしょ? 明人君があなたをもらってくれるの方が正しいんじゃない?」
「むぅ……それは言ったらお終いですよお母さん!」
……ねえほんとに何の話をしてるんだ?
もらうとかもらってあげるとか……まあ父さんも母さんも面白がっているのは分かるけど、色々と意識してしまうから止めてほしい。
……意識するって時点でちょっとアレだけど。
「はぁ……」
俺はリビングに入ることも、声を掛けることもせずに部屋に戻った。
いつもなら風呂上りを伝えに行くところだけど、それっぽい理由を付けて既に部屋に戻ったことをメッセージという形で優愛に送っておく。
「……………」
すぐに分かりましたと返事が来たので、優愛には伝わったようだ。
「……もしかして優愛の奴、事あるごとにあんな話をしてるんじゃ?」
でも母さんはいつも優愛から俺の事を聞いてたって言うし、父さんも母さんも俺と優愛が話をしているのを見ると微笑ましそうにしてるし……何だろうこのまるで外堀が埋められていくような感覚は。
「外堀が埋められるか……俺は優愛をどう思ってんだろうなぁ」
しばらくボーッと天井を眺めながら優愛について考える。
そうしていたせいか段々と眠くなり、このままじゃ寝てしまうなと自覚しながらも、やはり眠気には勝てなかった。
▼▽
元々、俺にとって姫岡優愛という存在は何の絡みもない存在だった。
街中でナンパされていたのを助けた時も、これから彼女と話をする瞬間も決してないだろうと思っていた。
「あ、来た……待ってましたよ水無瀬先輩!」
「……え?」
翌日、彼女は突然に目の前に現れた。
学校が終わって下駄箱を出た際に、友人も周りに居た俺の元へ彼女は現れたのである。
中学時代でも人気の女の子だった優愛の登場に、思考停止する俺とは別に友人たちの驚きは大層なモノで、一体何があったんだと俺と優愛に視線を向けていたのもまだ覚えている。
「突然ごめんなさい先輩」
「いや……どうしたの?」
「お礼を改めてしないと、そう思ったんですよ。それにちょっと、個人的に先輩が気になりますぅ!」
こんな状況で気になるなんて言い出したらどんな反応が広がるのか彼女も分かっていたはず……それなのに堂々と宣言した優愛は、クスクスと状況を楽しむように笑っていて……その瞬間、俺は優愛という人物像が瞬時に分かったね――この子は状況を引っ掻き回すというか、気に入った相手を揶揄うタイプだって。
「せんぱぁい……ダメですかぁ?」
「うぐっ……」
俯いたかと思いきや、瞳を潤ませて顔を上げた優愛に慄く。
分かってる……更にこういう奴だってのを確信したってのに、不覚にもその表情があまりにも可愛くて言葉を失ってしまった。
そして、ニヤリと俺にしか分からないように笑った優愛は、俺の手を取って歩き出す。
「それじゃあ先輩はお借りしますねぇ!」
「お、おい!」
立ち止まろうにも、意外と優愛は力が強かった。
そのまま校外へと連れて行かれ、どこに向かうのか聞けば行きつけの喫茶店だという。
「あ、先輩はお金を出さなくて良いですよ? 私が全部出しますから」
いやいや、流石にそれは俺でもダメだと首を振った。
まあ彼女に連れ出された身ではあるが、自分の分くらいは自分で払えるくらいの小遣いはもらっていたから。
「……すみません先輩、いきなり連れ出しちゃって」
「今度はいきなり謝るのかよ……」
コロコロと表情の変わる子だった。
それでもどこか憎めないのが優愛の魅力だったのかもしれない……それか、すぐ前に見せられた表情に俺自身が魅せられた可能性もあったか。
「先んじて言ってく。俺は礼が欲しいわけじゃないし、人気者の君に恩を売ろうと考えたわけでもない……放っておけなかっただけだ」
「……………」
「後は……いや」
母さんとの約束が胸にあっただけ……もちろんそれは口にしない。
その時ジッと見つめていた彼女の視線は、どこか不思議なモノで……何か内側を探られそうなものだったけれど、それ以上にそれさえも構わないと思える何かがあった。
結局のところ、俺たちは互いに波長が合ったんだ。
そこから優愛と仲良くなって、色々なことを話したりした……出掛けたりしたし、とにかく沢山のことを経験した。
「……優愛との日々は楽しいよ凄く」
それは間違いない……俺はずっと、それが続けば良いなっていつも思ってるんだ。
▼▽
体に重みを感じて目を開けた。
「……………」
俺に覆いかぶさるように、優愛が目の前に居た。
頬を赤く染め、ジッと見つめてくる彼女の綺麗な瞳と見つめ合う。
「何を……」
「……………」
俺の言葉に優愛は返事をしない。
だが、こうして見つめ合う距離はあまりにも近く……そして、あまりにも彼女という存在を身近に感じてしまう。
「兄さん……好き」
「っ……」
ボソッと呟かれたその声は、しっかりと聞こえていた。
優愛はようやくハッとしたように我に返り、用事を思い出したと言ってすぐに部屋を出て行った。
隣の部屋で何かに引っ掛かったのか、盛大に転げた音が聞こえてきたのでよほど慌てていたのが伝わってくる。
「……用事ってなんだよバカタレ」
思いっきり気になる言葉を残していきやがった。
しかもタチが悪いというか、いつもの揶揄うような表情ではなく本当に優愛自身が予期しない言葉だった反応みたいで……っ!
「……クソッタレ」
頬が熱い……あまりにも熱い。
俺は……俺は明日からどう優愛と顔を合わせれば……あぁいや、優愛のことだし絶対に明日には元通りだ……だから何も心配は要らない!
そう、俺は思っていた。
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