兄妹としての夜
「お兄ちゃん……兄さん……う~ん?」
「どうした?」
ベッドの上で枕を抱きしめ、さっきからずっと優愛が唸っている。
ここはもちろん俺の部屋なのだが、夕飯と風呂を済ませてのんびりしていたところに彼女はやってきた。
「……よくよく考えてみたんです」
「うん」
「お兄ちゃんはちょっと幼すぎるかなって……だったら兄さんが高校生だし一番しっくり来るかなと」
「どっちでも良いと思うけどな」
「……う~ん……え~ん……お~ん……」
妹よ、その独特すぎる唸り方はなんだい?
その後に続くとしたらあ~んとかい~んか?
「か~ん……き~ん……」
「いやそうなるのかよ!」
思わずツッコミを入れてしまった。
優愛は土日にもこうして部屋に来たが、ああやって俺の使う枕を抱きしめるだけではなく、そのまま寝てしまうんじゃないかってくらいに布団に包まったりして横になる。
「引っ越してからずっとそうすること増えたけど楽しいのか?」
「お兄ちゃんはどうです? 枕からもベッドからも、私の匂いがしませんか?」
「そりゃするけど……」
それに関しては一切否定出来なかった。
同じ人間なのにどうしてこんなにも甘い香りがするのかと、そんなことを考えることも少なくない。
ニヤッと笑った優愛は、思いっきり掛け布団を頭から被って体を揺らしまくる。
「こうしてもっと擦り付けてやるんです!」
完全に暴走し始めた優愛にため息を吐き、トイレに行きたくなったので部屋を出た。
そのままトイレを済ませて部屋に戻るつもりだったけど、ついでに喉も渇いたのでリビングへ……そこにはテレビを見ていた母さんが一人残っていた。
「あら、明人君」
「どうもです。ちょっと喉が渇いたので」
「そうなの? 麦茶?」
「え? あぁ……良いんですか?」
「もちろんよ」
自分で淹れるつもりだったけど、母さんがやってくれるようだ。
優愛にそっくりな母さんが綺麗な所作で麦茶を淹れてくれる……父さんは本当に良い女性を見つけてきたなと、何目線か分からないがつい考えてしまう。
「父さんは?」
「今ちょうどお風呂に行ってるわ」
「あ~……疲れたし、風呂で寝てなきゃ良いけど」
「流石にそれは――」
「母さん知らないだろうけど、父さん何回かあったからね」
「えっ……」
いやいや、これが本当にあったんだよ。
溺れたりとかそういう事件に発展することはないけど、父さんって結構天然だしうっかり屋さんなので、こういうことも偶にある。
でも、微妙にシャワーの音が聞こえていたので今日は大丈夫そうだ。
「……ふふっ」
「どうしたの?」
麦茶をちびちび飲んでいると母さんがふと微笑んだ。
「いえ、私と明人君が出会ったのは先週だったけれど……もう大分馴染んだわねって嬉しくなったの」
「それは……確かにそうですね」
「昭さんもだけど優愛も言ってくれたわ。明人君に関しては何も心配は要らないって……でもやっぱり、ちょっとは大丈夫かなって考えてしまっていたから」
やはり母さんも色々と考えていたようだな。
新しい家族になる以上は、そう考えてしまうのもおかしくはないし不安もあったんだろう。
それこそ良い人だからと事前に聞いているとはいえ、実際に仲良くなれなかったりしたらその時のショックは大きいだろうし。
「なら、俺に関しては全然心配ないですよ。誰目線だよって思われるかもしれないですけど、父さんは良い人を見つけてきたって思いましたし」
「あら……そうなの? ありがとう」
「それに……優愛の母親だなって。あなたが母親だからこそ、優愛もあんなに良い子なんじゃないですか?」
これに関しては、本当にそう思う。
俺が母さんを知ってからまだ少しだけど、たったこの期間のやり取りだけで心を開くに値する人だというのは火を見るより明らかだ。
「……俺も、しばらく忘れてた母さんへのこととか……思い出しましたくらいですから」
「……そう、ならちょっと良いかしら」
「え?」
何を……そう言うまでもなく、母さんは俺を抱きしめた。
「茜さん……かつてのお母さんのようにしてほしいとは言わないわ。それでももう私はあなたの母親になったから……だから何かあったら相談してほしいし、甘やかせてほしいと言ったらそうしてあげる」
この人は本当に良い人だ。
何をされても、何を言われてもその節々に感じる優愛の影……優愛もきっと大きくなったらこんなに立派で優しい人になるんだろうことが容易に想像出来る。
「ありがとう母さん」
「まずは敬語を取ることからかしらね」
「あ~……じゃあそうっすっか」
「あら、早いのね」
たぶん、敬語があったのは僅かに壁を作っていたからかもしれない。
ギュッと抱きしめてくる母さんの温もり……本来の母さんを忘れるつもりはないけど、この温もりは今から俺が息子として大事にしていくもの。
「……よしっ、そろそろ戻るよ」
「えぇ、また何かあったら言ってちょうだい」
「うっす」
うん……とても良い時間だった。
でも久しぶりに母親に甘えたというか、温もりと優しさに触れたのもあってちょっと恥ずかしい。
たぶん今でも頬が若干赤くなっているだろうけど……せめて優愛に何も言われないことを願うのみだ。
「ただいま……?」
部屋に戻ると、先ほどまでの騒がしさはなかった。
というのも既に優愛が眠りに就いていたから……俺の布団に包まり、規則正しい寝息を立てて眠っていたのだ。
「こいつ……一応ここは俺の部屋なんだがな」
あまりにも気持ち良さそうに眠っているので起こすに起こせない。
ゆっくりと傍に近付き、端正な顔立ちをそっと見下ろす……すると僅かに口元が動いた。
「兄さん……好き」
「っ……」
小さな声だったが、俺の鼓膜は確かにその寝言を拾った。
結局兄さん呼びに決着したのかどうかもどうでも良い……ただの寝言なのにドキッとさせてくるあたりこの妹は本当に小悪魔だ。
『先輩って姫岡とどういう関係なんですか?』
『姫岡……迷惑とかしてんじゃないですか?』
『なんでこんな奴が姫岡の傍に……』
思えば、色んなことを中学時代に言われたもんだ。
それもこれも全部優愛と仲良くなってから……中には優愛が直接聞いたり、誰かから聞いて激怒し問い詰めた事件があったのも知っている。
「……ほんと、色々あったけど楽しかったよなぁ」
優愛と過ごすようになって毎日が騒がしかった。
俺が常に優しいとか色々言ってくれたけど、俺自身も優愛と過ごす日々に楽しさを見出していたのは間違いない。
同級生ではなく後輩だから……だからちょっと違うというか、生意気な妹が居たらこんな感じかなと思って接し合える関係性……俺もそれが楽しかったんだよ。
「……あれ?」
「起きたか」
しばらく待っていたら優愛は目を覚ました。
そしてすぐに眠ってしまったことを思い出したのか、バッと体を起こして立ち上がる。
「ご、ごめんなさい兄さん! つい寝ちゃって……」
「ちょうど困ってたからナイスタイミングだ」
「あう……ベッドという点では変わらないのに気持ち良すぎて……」
「そうか。それより呼び方は兄さんにしたのか?」
「はい! なんとなく、こっちの方が大人っぽいと言いますか!」
別にどっちでも良いけどさ。
それより今の俺はとても機嫌が良い……まあ仮に今じゃなくても言えることだけど、改めて言っておくか。
「優愛」
「はい?」
「お前と一緒に居るの楽しいよ。これからもよろしく」
「……………」
突然の言葉にポカンとした優愛だったが、何を思ったのか再びベッドの上に横になった。
「優愛?」
「……今日の私はこっちで寝ます」
「え……?」
「良いから兄さんもこっちに来てください! これは兄さんが悪いんですからね!」
「どういうことなんだよ……」
こうして……まさかの優愛と一緒に寝ることに。
もちろん色々と抵抗はしたんだが、もう彼女は梃子でも動かないと言わんばかりだったので俺の方が折れた。
「……えへへ~」
「……………」
ベッドの中は、優愛の香りで満たされている。
そんな中でどうにか平常心を保ちながら、俺はある意味で疲れる夜を乗り切るため奮闘するのだった。
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