第29話 秀吉と勝家
三日後、迎えたいわゆる”清須会議“当日。秀長と高虎はその日の朝からソワソワしていた。想定より一刻ほど早く目覚め、城内を散歩している時にばったりと二人は遭遇した。
「高虎、お前もか。」
「殿もでございましたか。朝から落ち着きませぬな。」
「あぁ。胸の動悸がどうにも治まらぬ。それに比べ実際に会議に出る兄上は、まだまだいびきをかいてぐっすりと眠っておられるそうだ。」
「さすが秀吉さま。肝が据わっておられますな。」
秀長と高虎はまさに切っても切れぬ絆で結ばれていた。傍から見ても相棒と呼べるほどであった。
秀吉はいびきを立てて寝て、はいなかった。部屋の外で待つ馬廻や、会議を前に心を乱している家臣らに、肝が据わった様子を見せつけて安心させようという秀吉なりの策略であった。秀吉の狙い通り朝から城下では秀吉の評判でもちきりだった。次代の天下人にふさわしい動きであった。
六月二十七日、巳の刻となった。会議の仕切りを行う前田(徳善院)玄以が四人の家老に先立って入室。織田家後継者を狙う信雄・信孝兄弟は隣室に入った。玄以に遅れること数分、勝家と長秀、そして恒興が入った。そこへ三法師を抱きかかえた秀吉が満面の笑みで現れた。それを見た三人の家老の反応はさまざまであった。
秀吉から事前に計画を聞いていた恒興はニヤリと笑みを浮かべ、秀吉に強い対抗心を燃やしていた勝家は口を大きくあんぐりと開けたまま固まっていた。そして秀吉が味方につけるべく狙っていた長秀は意味ありげな苦笑いを浮かべている。まるで虚を突かれたとは思えないような表情であった。
秀吉は着座すると同時に話始めようとした。それに待ったをかけたのは当然勝家であった。
「秀吉!三法師さまを抱きかかえて何のつもりだ!」
「柴田さま。織田家の次期当主さまを前にそのような態度をおとりになるとは、織田家筆頭画廊と称される貴方さまらしからぬ御了見ですなぁ。」
秀吉はニヤリと勝家を見た。勝家は今にもはち切れそうなほど顔を真っ赤に張れ上がらせている。
「なにをいうか!次期当主は御屋形様の子であられる信孝さまこそふさわしい!」
「その道理で申すなら信雄さまの方がよろしいのでは?信孝さまは三男、信雄さまは次男。信雄さまが当主になるが筋。」
「信雄さまと信孝さまの生まれた順には様々な疑惑がある!加えて申せば信雄さまには当主となりうる器量はない!」
隣室からガタンと物音が聞こえた。動揺した信雄が立てた音だと思った恒興が肩をすくめながら鼻で笑った。
「大前提として、後継にふさわしいのは、今は亡き信忠さまの御嫡子であるこの三法師さまがふさわしいと思うが?」
「三法師さまはまだお若い。お若いどころかまだ三つの子供でござる。」
「それならば後見を立てればよろしかろう。信雄さま信孝さまのお二人にそれを任せれば済むお話ではござらぬか?」
勝家は答に窮した。信孝を選ぶという考えに固執し三法師という案が浮かばなかった自分の至らなさを恨んだ。しかしここで折れるわけにはいかないと思った勝家は立ち上がり反論をしようとした。しかしそれを諫めた男がいた。丹羽長秀である。
「秀吉殿の考えは分かった。それならば私も秀吉殿の考えに賛同いたす。」
「おい五郎左!何を申すか!」
秀吉は歓喜を押さえることが出来なかった。
「丹羽さま!よくぞ考えを改められた!それでこそ御屋形様の懐刀よ!」
長秀は言葉を発することなく静かにうなずいた。勝家はうつむいたまま小刻みに震えていた。その拳は強く握りしめられており、ぽたぽたと血が流れていた。
勝負はわずか四半刻で決した。その報せは別室で待つ秀長と高虎の元へもすぐに届けられた。二入で同時に深呼吸をすると同時に立ち上がり叫び合った。まるで羽柴家が天下を握ることが出来たかと思わせるほどの喜びであった。そこへ秀吉が満面の笑みで入ってきた。
「兄上!」「秀吉さま!」
「やってやったぞぉ!!」
一週間に及ぶ激闘から解き放たれた三人は、主従の関係も忘れるほどに喜び合った。
しかし、羽柴家がそのまま天下を握れるかと言ったらそういうものではなかった。まだまだ幾多の試練が待ち受けていた。そのひとつ目がすぐにも訪れた。織田家の正当な後継者に決まった三法師の後見となった信孝が、会議の結果に不服を唱え三法師を自らの居城岐阜城に閉じ込めたきり外へ出そうとしなかった。織田家の居城である安土城に移す秀吉や信雄の求めに応じなかったということであった。
この信孝の行動の裏に勝家がいることは、誰の目からも明白であった。出来る限り事を荒立てず織田家内をまとめていきたいと秀吉や信雄は考えていたが、それがほとんど困難な状況になったということだった。
勝家の織田家内での立場を失わせるためには、信孝という存在を消すことが必要だと秀吉は感じていた。しかし、織田家の一家臣でしかない秀吉は表立ってそういう発言はできない。そこで必要とされたのが三法師の後見の座を受け入れた信雄の鶴の一声であった。信雄と信孝は長年いがみ合ってこそ来たが、兄弟は兄弟。苦渋の決断ながら、信雄は秀吉に信孝の征伐を命じたのだった。
秀吉の部隊が向かってくることを知った信孝は動揺した。さすがに主家の一門である己に刃を向けることはないと高を括っていたのであった。さっそくにも武力衝突に向け、反秀吉と思われる織田家内の諸将に協力要請をしたが、頼りの柴田勝家は雪のために居城北庄城から動けず、岐阜城に近い大垣城に腰を据える稲葉一鉄は態度を一転させ羽柴方についた。戦っても勝ち目がないと判断した信孝は、岐阜城を明け渡し、三法師を安土へと送った。岐阜城下の屋敷に軟禁され、稲葉の監視下に置かれることになった。
勝家側について羽柴方と対立するのは信孝だけではなかった。関東の北条氏に手を焼き、家老の立場ながら清須会議に間に合わず苦杯をなめた滝川一益も、勝家への強い恩義から自らの居城である伊勢国の長島城にて挙兵したのだった。長島城はあの信長ですら攻略に手を焼いた堅城であり、秀吉方の攻撃にも難なく守り続けていた。さらには一益の弟益重と一益の子一忠の二つの別動隊によって、秀吉方で信雄が治める伊勢の城々が次々に落とされていったのだった。
流れが勝家側に流れているかといえばそうではなかった。勝家の養子であり、もともと秀吉の居城であった長浜城の城代を任されていた柴田勝豊が羽柴方に寝返ったのである。重要拠点を任されている一門の謀反は、柴田方に大きな衝撃を与えた。
どちらの勢力も勝利に向けた決定打は打てずにいた。しかし、そんな中で沈黙を貫いていたのが丹羽長秀であった。清須会議の場では秀吉方についたものの、勝家とは古くからの友。彼の決断がこの勝負を分けることは明らかであった。
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