第28話 孤独な姫と三法師
秀吉と高虎は戦慄した。秀長が名前を出した三法師とは、亡き信長の嫡男信忠の子にあたる。血筋としては織田家の後継者に適任であったが、多くの家臣らは跡継ぎとして名前を挙げていなかった。それはまだ三歳の幼児であったからである。
それを逆に利用しようというのが秀長の策であった。誰も名前を挙げていない者を推挙することで丹羽長秀の虚を突き、年齢的な問題を解消する意見を出せれば反対することは出来ない。信雄を推して交渉するよりも勝機があると秀長は考えたのだった。
冗談を言った様子でもなく、いたって真面目な表情で策を献じている秀長を見て秀吉は動揺した。高虎は想像以上の秀長の奇想天外な策に口があんぐりと開いたままであった。
秀吉は耐え切れず、声を震わせたまま秀長の策に反駁した。
「ちょっとまて!三法師君はまだ三つぞ!さすがに権六も丹羽さまも納得しまい!なんなら池田殿を説得するのも厳しかろう!」
「その点は少し危惧しております。しかし、三法師君が当主になられたのちの具体的な策を提示することが出来れば、柴田さまはともかく丹羽さまと池田さまを納得させることはできようかと存じまする。」
「具体的な策とはどのようなものじゃ?」
「たとえば兄上が三法師君の後見として元服まで支える、などが良いかと存じます。まぁ細かいところはしっかりと練っていく必要があるかと存じまするが。」
「細かいところはそなたに任せる。儂は会議に向け玄以と話をしておくでな。」
「かしこまりました。人たらしの高虎に、三法師君に会いに行かせまする。」
高虎が会いに行った二人目は、亡き織田信忠の妻であり、三法師の生母である松姫であった。三法師を当主にする上で秀吉の立場をできる限り上にあげるため、今後発言力が強くなるであろう松姫に話に行く必要があった。しかし、松姫は織田家と敵対して滅ぼされた武田家の出(信玄の娘)ということもあり、現状織田家内での発言力は無に等しいほど低かった。信長の孫の生母であるにも関わらず、である。
こうした状況は松姫の心を蝕んでいた。織田家の後継者を決める評定の開催が決まっても家臣のほとんどが挨拶にすら来なかった。そんなところに現れた高虎は、まるで暗闇の中に現れた太陽のように思われた。
部屋に入った時の松姫のあまりに嬉しそうな表情と、過度な受け入れ姿勢に高虎は動揺した。
三法師は乳母と遊んでいた。しかし、高虎と同行してきたシュウに興味を持ったのか、シュウに近づいてちょっかいをかけ始めた。シュウは最初こそ動揺した表情を浮かべたが、三法師の求めに応じて一緒に遊び始めた。シュウは人の心のないものだと思っていた高田路は驚いたが、シュウの新たな良さを見ることが出来た気がして気付かぬうちに笑顔を浮かべていた。
松姫がこちらを怪訝な顔で伺っていることに気付き、姿勢を正して松姫に向き合った。松姫は高虎よりも若く、色も白いまさに“姫”という言葉の通りの美貌の持ち主であった。その雰囲気は市に似ているようであると高虎は思った。しかしその表情は対照的なものであった。
「松姫さま、この度はこのような機会を設けていただき感謝申し上げます。」
「私こそありがたいと思っております。誰も会いに来てくれず、私と三法師の二人で過ごす日々。寂しかったのです。それにあなたの評判は聞きました。あの信包さまと会って意気投合したそうですね。それだけであなたの人の良さがわかりますわ。」
「い、いえ私はそのような者では。あまり褒められることがないもので、このように面と向かって褒めていただけるとさすがに照れてしまいまする。」
「謙遜せずとも良いのです。ここに来てくださるだけで、藤堂殿は私にとって大切なお方。私に力になれることがあれば何でもおっしゃってくださいませ。」
高虎は疑った。織田家に嫁いできた姫が、織田家家臣の陪臣に過ぎない自分にここまで寛容な態度を示すのだろうか。しかし、松姫の目には裏表は感じられなかった。高虎は秀長の想いも背負ってこの姫にかけてみることにした。半刻に渡り今後の織田家のことについて語り合った。三法師が当主になった時、羽柴家はどのような役割を担うのか、そしてと高虎を織田家の直臣として迎えたいという話まで飛び出した。気付けば日が暮れ、再び話をすると約束をして一度解散となった。
想定していた以上の成果に、高虎の心は踊った。横にいるシュウもシュウで三法師と良いかかわりを持てたのか清々しい笑顔を浮かべていた。シュウのそんな表情を見たことがなかった高虎は思わず噴き出した。シュウは横目で高虎を睨み、高虎は申し訳なさそうに笑った。勝利を確信した二人の余裕であった。
高虎から報告を受けた秀長は、さっそくにも秀吉の元へ向かった。夕餉もとうに過ぎた戌の刻であった。
「よっしゃ!!!あと三日間このことを決して漏らすでないぞ!権六の慌てる顔が目に浮かぶわ!」
「兄上、油断は禁物にございます。明日には三法師君とお会いになり、親しくなって置くことが肝要かと存じまする。私も同行いたします。」
「うむ。分かった!」
清須に流れる時代の潮流は完全に秀吉の方へ流れていた。しかしそれを察していたのはごくわずかであった。
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