第27話 織田家の未来

 市の柴田勝家への嫁入りに誰より衝撃を受けたのは秀吉であった。密かに市に好意を抱いていた秀吉は、市に恨まれている事実と政敵勝家に嫁ぐほどの恨みの深さに心がえぐられるようであった。会議を三日後に控えた七月十三日、秀吉は自室から外を眺め、天井と睨みあう虚ろな日々を送っていた。

 こんな秀吉の様子を見て危機感を抱いたのは弟の秀長であった。この会議で織田家、いや羽柴家の運命が決まる。負ければ凋落、勝てば天下人。秀吉が自ら動けないならば自分が動くしかない、そう改めて思った。自ら動くと同時に、純粋な性格で人に気に入られやすい高虎を織田家内の様々な重要人物の元へ送り込んだのだった。

 市に部屋を追われた次の日、高虎は二人の人物の元を訪れた。

 

 一人目は織田上野介信包であった。信包は信長の弟にあたり、信長ら十二人兄弟の仲の四番目。上の三人はすでにこの世にいなかったため、会議前の時点で織田家の長老にあたった。そのため、織田家内での発言力は市に匹敵するものであった。一門衆であるため会議には参加できないが、事前の根回しを任せることが出来れば大きな成果を得られるだろうと秀長は確信していた。

 しかし、最大の懸念点は信包の性格にあった。信包は家中どころか畿内全体に知られる程の“奇人”であった。他の将どころか家臣や家族とも関りを持つことを嫌い、戦や評定がない日は必ず一人で過ごしていた。伊勢国の長野家から迎えた妻と一夜を過ごすことも最近ではめっきりと減っていた。そんな信包と面会にこぎつけることが最初にして最大の難関であった。

 

 しかし、意外にも信包は高虎との面会をすんなりと受け入れた。これには信包の狙いが関わっていた。信包に天下を握ろうという意図はなく、伊賀に数万石を食む自分の現状に満足していた。勝家が推す優秀な信孝が当主になると、働かない自分を排除するかもしれない。逆に愚鈍な信雄が当主になることで、この現状を守りぬける。その過程で秀吉が天下の実権を握っても構わない、今のうちに秀吉に接触しておけば立場が危うくなることもないと思っていた。

「信包さま、此度はこうしてお話しする機会を設けていただき、感謝申し上げまする。」

「うむ。迷うまでもなきことよ。秀吉にはたいそう世話になったでな。」

「はっ。ありがとうございまする。さっそく本題にございますが、」

「言わずともわかっておる。三日後に迫った評定の前に、信雄が当主になるように根回しせよということであろう?」

「お、仰せの通りに。」

高虎は驚いた。信包は前評判によると風変りな奇人であるとされていた。しかし、目の前でにやりと笑う細身の男は、まさに信長の弟という雰囲気を醸し出し、頭のキレも天下人信長の姿を背後に感じさせるものであった。


「秀吉のやりたいことは分かっている。儂もそれに乗ってみようと思っている。」

「ありがとうございまする!」

「ただ」

「ただ?」

「条件がある。」

「条件?」

「あぁ。第一に儂の領土及び家臣らに手を出さぬこと。」

「無論にございます。」

「第二に柴田勝家を要職から遠ざけること。あの男は妹市を無理に引きずり込み力を握ろうとしておる不届き者。元より儂はあの男が嫌いだったがな。」

「善処するようお伝えしておきまする。」

「そして最後に、天下は秀吉殿が治めること。」

「い、今なんと?」

「兄上と信忠がいない現状、そして信孝を除外するならば織田一門に天下を治められる器量の者はおらぬ。儂もしかりじゃ。織田家の筆頭家老として治めるもよし、織田家を利用し秀吉殿が天下人になりあがるもよし。どちらにせよ秀吉殿しかいないのじゃ。」

信包の目に光はなかった。なにか自らの希望はどこかにすべておいてきたかのようであった。高虎は慄いた。

「そこまでお考えとは。わが主秀長を通し、秀吉殿にすべてお伝えしておきまする。では。」

 高虎はぞっとし、足早に信包の部屋を後にした。信包というここまで優秀な人間がたったの数万石に押し込められ、奇人呼ばわりされている現状に何か深い闇を感じた。そして信包の無欲な態度、そして絶望すら感じさせる表情に、羽柴が織田に代わって天下を治める必要性を再認識させられた。

 しかし、ようやく清須に入って一つ目の大仕事を成せたことに変わりはなかった。清須にはシュウ以外の家臣らを同行させていなかったため、孤独な戦いであった。しかし何とか達成することが出来たという安堵が不安や絶望の中に入り混じるように発生した。


 信包が羽柴派の高虎と対面し、今後の織田家の方針に関して大枠の合意をしたという情報はすぐにも清須城内に知れ渡った。この報に慄いたのは柴田勝家に推されている信孝と、柴田派の織田家家臣らであった。すぐにも勝家と共に新たな策を討ち、羽柴派の勢いを削がなければならないと早っていた。しかし、当の勝家自身は意外にも冷静な態度を示していた。信長の妹市を自らの妻として迎えたことに相当な安心感を覚えているようであり、それは傍から見れば大いなる油断であると見受けられた。

 その様子を聞いた秀吉は勝機が巡ってきたと感じ、生気を取り戻して秀長と高虎を呼び出した。


「高虎!上野介さまとの会談まっこと見事じゃったな!」

「ありがたきお言葉!」

「おみゃあさんのおかげであの憎き権六(勝家のこと)めも落ちるところまで落ちるで!」

「兄上、元気になられたご様子で何よりでございます。」

「もう落ち込んでばかりもおられんわ!この勝負絶対勝たないかんでな!」

 秀長は笑みを浮かべた。人たらしとして名を馳せた兄が本気になればこの勝負なぞ目でもないと思っていたのだ。ここで一つ策を献じることにした。

「ならば私に一つ策がありまする。相手の意表を突く奇策でござる。」

「申してみよ。」

「評定に参加するはあくまで四人。兄上と柴田さまを除いて残るはお二人。そのお二人のうち丹羽さまは柴田派、池田さまは羽柴派でしょうからこれでは議論は紛糾する一方でございましょう。」

「それもそうじゃな。」

「なればこそ、この丹羽さまをこちらに引き入れるほかないのでございます。」

「しかし丹羽殿と権六は昔からの親友じゃでなかなか難しいぞ?」

「それ故に意表を突く奇策申したのでございます。」

「してその奇策とは?」

「柴田さまは信孝さまを次期織田家当主として担いでおられます。そして我らが担ぐのは信雄さまである、そう思っておられるはずです。」

「事実故そうであろうな。」

「あえて別の者を担ぎ上げるのでございます。」

「なに?もう信雄さまとは話をつけておる。いまさら変えるというのは、、」

「それ故奇策なのです。

「そうか。ちなみに誰じゃ?高虎が会いに行った信包さまか?」

 秀長はにやりと笑った。


「亡き信忠さまが子、三法師君がよろしいかと。」

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