第7話 ずれた歯車

 織田信長の居城岐阜城に到着した員昌は、二の丸にある謁見の間へと通された。信長に会うのは二度目だったが、一度目は佐和山城での面会であったため、噂に聞く謁見の間に入るのは初めてだった。入ってみるとその様相は想像以上で、南蛮渡来と思われる妖異な品々がそこかしこに並んでおり、どことなく差し込む陽が弱い気がするほど薄暗い部屋だった。


 コツコツコツという足音が迫ってくる。南蛮の靴を履いた天下人織田信長が員昌の横を通り過ぎ、部屋の奥にあった複雑な形状の椅子に腰かけた。話始めることなく、肘をついて員昌のことを冷たい視線で見つめている。員昌は覚悟を決めて口を切る。

「この度は、近江の小領主に過ぎぬ私をお呼びいただき、恐悦至極に存じまする。」

信長は未だ姿勢を変えずに、員昌をじっと見つめている。員昌は信長の様子を見ながら、恐る恐る続ける。

「此度のお呼び出し、いかなる御用向きでございましょうか・・」

員昌が続きを話し出した途端、信長は立ち上がり員昌の顔を観察するように覗き込んだ。そして一息つき、再びコツコツコツと音を立てながら立ち去って行った。


 員昌は何が起きたのか分からなかった。なぜ自分が呼ばれたのか聞けずじまい。ただ、そんなことで呼び止めては、自分が殺されるのではないかということが想像に難くなかった。

「ここからは私が説明いたしましょう。」

信長の横にいた中年の男が話始める。

「あなたは?」

「申し遅れました。私、織田家家臣明智日向守光秀にございまする。」

 明智光秀といえば、信長の信頼厚く、各地の戦に参陣しては結果を残す織田家随一の出世頭である。そんな男がわざわざ話をする、それだけでかなり重大な話であることが員昌にも分かった。

 

「単刀直入に申しましょう。磯野殿には養子をお取りいただきます。」

 員昌は当惑した。

「し、しかし、私には行信という倅がおりまして後継者には困っておりませぬ。」

「承知しております。それ故、嫡男としての養子ではありません。」

員昌はさらに困惑した。このご時世、嫡男にする以外の養子など聞いたことがない。

「では、一体・・?」

「磯野家ではなく、磯野殿が以前守っておられた佐和山城と、磯野殿の信頼のおける家中の方々、半分くらいでしょうか、を新たな養子にお預けいただくことになります。」


 予想の斜め上を行く要求に員昌はうろたえた。だが気になるのはその養子がどこの誰なのかということだ。

「ところでその養子というのは、一体どちら様なのでございましょう?」

「あっ、これは失礼いたしました。言っておりませんでしたね。信長様の亡き弟信勝様の子、信澄さまにございます。ちなみに、信澄さまの妻はわが娘にございます。」

 良くて織田家重臣の次男や三男だと思っていた員昌は度肝を抜かれた。さらに、明智光秀という有力者とのつながりが生まれたことも衝撃的だった。様々な感情が脳内で渦巻き、員昌の脳は思考することをあきらめたようであった。そんな員昌の様子に気付いていない光秀は二つの書状を手渡してきた。

「こちら信長様からの正式な文にございます。そしてこちらが、磯野殿が信澄様にお預けいただく家臣団の一覧にございまする。」


 一覧の中に“藤堂高虎”という四文字があるのを員昌は見逃さなかった。

「それは困りまする!なぜ手放す家臣までそちらに決められねばならぬのですか!」

員昌は憤慨した。しかし光秀は焦る様子もなく淡々と続ける。

「信長様の命にございますれば。」

 光秀はささやかな笑みを残して立ち去った。薄暗い部屋に一人残された員昌に、心に存在する複数の感情を吐き出す捌け口はなかった。


 これはまずいことになった、と員昌は思った。正直佐和山城のことはもう治めてもいないのでどうでも良かったが、家臣を半分譲り渡すとなると話は別だ。ましてや高虎をとなると貞征、そして長政様との約束を守れなくなってしまう。

 

 所領に戻った員昌は、早速高虎を呼び出してことの顛末を告げた。

「こういうことで、そなたには一月後に佐和山城へ移ってもらうことに相成った。儂の力不足だ。申し訳ない。」

高虎は複雑な表情を浮かべた後、力強い眼光を浮かべて員昌に言い放った。

「殿の責任ではございませぬ!殿にはこの二年間大変よくしていただきました。感謝の言葉しかございません!私は私なりに新たな地で励みまする!」

 高虎の言葉には生気が宿り、その風貌もまさに武士という勇ましいものに変わっていた。召し抱えたあの日の高虎とは見違えるようであった。それを員昌は逆に涙をこぼし、高虎との別れを惜しんだ。貞征に頼まれて召し抱えたが、ここまで愛着を抱くとは員昌自身でも思っていなかった。


 一月後、高虎らの出立を見送った員昌は、急ぎ山本山城へと奔った。焦りと非力な自分への憤りで員昌の心中は穏やかでなかった。

「貞征殿!まずいことになった!」

「員昌!話は聞いておる。一旦落ち着け!」

「どうするのだ。高虎はもう佐和山へ向け出立した。もう信長の手に落ちたも同然だ!」

「員昌!声が大きい!誰かに聞かれておったらどうするのだ!この件はすでにこちらで手を打っておる。」

「手?」

「実はもとより高虎をこちらで再び面倒を見るつもりはなかったのだ」

「なんだと!ならば何故返せと言ったのだ!」

「だから、落ち着け!羽柴秀長様にお預けするつもりだったのよ。」

「羽柴秀長?長浜におる秀吉の弟か?何故そのような者に?」

「自分でも分からぬ。ただあの男には我らにはない才がある気がするのよ。必ずや高虎という殿の思いを乗せた若武者を、立派な武人にしてくれると思うのだ。高虎が佐和山へ向かうと知って、すぐに秀長さまへ文を出した。秀長様もどうにか手を回してくださるとのことだ。」

「そなたがそこまで言うなら間違いないか・・。高虎は将来大名になりたいと言っておった。あいつの願い、できるだけ叶えてやってくれ。頼んだぞ。」

 員昌はまたしても力になれない自分を恨んだ。一人の家臣の運命すら良い方向に変えられない。もう高虎に合わす顔はなかった。

 員昌はこの三年後、突如として織田家を出奔することになるが、それはまだ先の話である。


 一方佐和山城に到着した高虎は、新たに城主となった信長の甥、織田信澄との対面を許された。初陣を控えたあの時以来の佐和山城。あのころとは比べ物にならないくらいの自信と、余裕が高虎にはあった。

 しかし、信澄との面会は拍子抜けするようなものだった。高虎が今まで仕えてきた三名にあった風格や力強さを、信澄からは全く感じられないのだ。猫背でおどおどした表情で高虎を見つめ、“よしなに頼む”の一言だけを告げて立ち去って行った。


 愚鈍なだけならまだよかった。信澄の悪癖は、自らの責任を家臣に押し付け所構わず喚き散らすということであった。高虎も最初の二月で何度理不尽に怒鳴られたか覚えていない。

 ここにいては大名になるどころか、成長し出世することは夢のまた夢だ。高虎は絶望の淵に立たされた。

 

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