第6話 つく嘘と明かす嘘

 今までの記憶が高虎の脳裏を駆け巡った。餅屋の男から受け取った路銀を手に、ついに再び近江の土を踏んだ。心の中にある弱さを言い訳にしてきた高虎はもういない。大名になるため、自らの力で腐りきった乱世を変えるために立ち上がることを決断したのだ。もう誰にも自分の人生を委ねない、待つことなく自分でどん欲に求めていくことを高虎は誓った。


 遠くから蹄の音が聞こえる。静かな森の中に突如現れた異音が、高虎の耳をくすぐる。その音は段々と高虎の元へと迫り、ついには目の前で止まった。

「藤堂殿!探しましたぞ!よくぞご無事で!」

聞き覚えのある青年の声だった。

「渡辺殿か。再び山本山へ戻れというのだな。先に言っておくがそれはできない。御免。」

「お待ちくだされ!殿の命でこちらへ参ったのではありませぬ。ぜひとも高島郡へ向かってほしいのでございます。」

「なに?どういうことだ?」

「某の一存にて、どうにか藤堂様が身を寄せられる場はないか探しておりました。そして、浅井家旧臣の寺村小八郎殿から、藤堂殿が以前磯野員昌様の元で戦働きをなさっていたことを聞きました。そこで私が実際に高島郡を訪れ、磯野様との約束も某が取り付けてまいりました。」


 高虎は度肝を抜かされた。初めて会った時から了のことを変わった男だと思ってはいたが、想像以上だった。この行動力と、狙ったことを実現させる実力は改めて目を引くものであった。

自分が決意を固めて初めてであった男が了であったことは、ある種の運命ではないかと高虎は感じた。ならばこの“運命”に乗ってみる他はなかった。

「分かった。向かおう。」


 高島郡のちょうど中心部に磯野員昌の屋敷はある。員昌が二人を出迎えた。員昌の風貌は、佐和山城主、そして浅井家家臣だったころと比べるとやや落ち着いたように思えた。ただ相変わらず一軍を率いるだけの風格と覚悟を持っていることが、高虎にも感じ取れた。


「これまでのこと。すべて了から聞いた。大変であったな。」

初陣前、声をかけてくれた員昌の変わらない優しい微笑みに、高虎は目頭が熱くなるのを感じた。員昌は続けて言葉をかける。

「直近で貞征から裏切られたばかりで、儂のことも疑っておるだろう?それは当然のこと。隠す必要もない。儂は儂なりに、そなたの夢や目標を叶えるために尽くしたいと思っておる。もしそなたも儂のことを信じられるようになったら、その時から儂のために働いてくれ。」

 決壊寸前で保っていた涙の川が、堰を切ったようにあふれ出した。初陣を前に、本当の弱さに気付いていない自分の背中を意図せず押した員昌が、今度は自分を“藤堂高虎”という一人の男として認知して言葉をかけてくれた。そのことだけで高虎にとっては十分だった。


 そこからの二年間は高虎にとって大変充実し、自らの生を実感する素晴らしい時間が続いた。何より武芸という自らの武器を活かせたのが大きかった。越前一向一揆鎮圧戦に員昌の傍仕えとして参陣し、戦で初めての首を挙げた。さらには、四年前に織田信長を狙撃し行方をくらませていた杉谷善住坊を、屋敷近くの寺で発見し捕縛するという大手柄を挙げた。

 しかし、最初から受け取っている八十石という禄から加増されることはなかった。出来なかった、という言い方のほうが正しいかもしれない。磯野家は浅井家家臣時代と異なり、城すら持たない小領主に過ぎず、その中でも新参の高虎の受け取れる禄には限りがあった。しかし、高虎はこの状況を苦と捉えてはおらず、それどころか大名になるうえでの貴重な経験ができたことに謝意すら抱いていた。


 高虎が二年間を充実させる一方で、員昌は二年間を緊張しながら過ごしていた。自分は阿閉貞征の熱心な頼みで藤堂高虎という若者を召し抱えたが、当の本人は貞征を恨んでいる。なぜ高虎を召し抱えたかという理由を明言できず歯がゆい思いをしている一方で、高虎が自分の家臣として数々の実績を残していく。言葉にすることの難しい居心地の悪さのようなものを員昌は感じていた。

 

そろそろ熱りが冷めたころだろうか、員昌は考えた。そして、ついに高虎に召し抱えた本当の理由と、阿閉家へ戻るべきということを伝えるべく、員昌は高虎を自らの屋敷へと呼びだした。


「高虎よ、調子はどうじゃ?」

「万事順調にございまする!これもすべて員昌様が私を拾ってくださったからにございます!改めて御礼申し上げまする。」

「おう、そうか。それはなによりなにより。」

他愛もない会話をするだけでも員昌は心苦しかった。つき続けた嘘をついに告白する。一見すると重たい鎖から解き放たれる行為にも思えるが、員昌にとってはさらにもう一重の鎖をかけられる程の辛い行為であった。高虎の前にいるだけで心がすり減っていくのを感じ、世間話を一巡でやめて本題へと入った。

「今日は話が合ってそなたを呼び出した。」

「話とは何でございましょうか。ついに加増でございますか?私は大名を目指しております故、加増いただけることは何よりうれしゅうございます!」

 高虎は冗談めいた口調で言った。正直なところ、常に笑顔で接してくれていた員昌の思いつめたような表情を初めて見たため、この気まずい空気を打破したいという狙いがあったのだ。

 員昌は覚悟を決め、鉛のように重たくなっていた口を開いた。その時だった。


家臣がものすごい足跡を立てながら部屋へと駆け込んできたのだ。そして、慌てたような表情で話し始めた。

「御注進、御注進!」

「何事じゃ!」

「織田信長様から火急の報せにて、直ちに岐阜城へ参られよとのことでございます!」

「なに!呼ばれておるのは家臣団皆か?」

「いえ、員昌のみとのことでございます!」

 滅多に家臣を集めない信長が、自分のみを呼びつけている。何かがあるに違いない。嫌な予感が員昌の脳裏をよぎり、心中の戦慄を感じた身体のいたるところが震えだした。


 今は高虎と話している場合ではなくなってしまった。員昌は一度決めた覚悟を胸にしまい、高虎に別れを告げて信長の居城がある岐阜へと出立した。 


 順調に回りだしていた高虎の人生の歯車が、小さな音を立てながら僅かにずれ始めた。

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