第4話 作られた大仕事

 あれからどれほどの季節が廻っただろうか。あの日と同じ青空。長政さまは今の儂を見てどう思うだろうか。


 高虎が長政から脇差を授かったあの日から約二年後、浅井家の居城小谷城は織田軍の猛攻撃を受け炎に包まれた。長政は何度も投降を呼びかけられながらも、決して心折れることなく燃え盛る炎の中で自害して果てたという。今際の際まで美しいお方だ、小谷城落城の報せを受けた高虎はそう感じた。


 長政が去り際に残した悲しげな笑顔を、高虎はいまだに忘れることが出来ないでいた。まるで自分だけあの夏の日に取り残されたような感覚だった。長政が手を尽くすと言っていた仕官の話も、まだ来ていない。その日も相も変わらず朝から屋敷の庭で草木の手入れをしていた。

 

「藤堂高虎殿はおられるか!」

柵の外から声がした。

「私が藤堂高虎だ。」

高虎が屋敷の敷地を出て声をかけた。

「拙者、山本山城城主阿閉淡路守が家臣渡辺了と申す者。藤堂様にお会いしたいと殿が仰せでございます。ぜひとも山本山城にお越し頂けぬでしょうや。」

やっときた、高虎は思った。

「こちらこそ是非、!すぐにでも出立の支度をしてまいりまする。」

これでやっと武士としての出発点に立つことが出来る。そのような期待で胸を躍らせていた高虎は、一切躊躇することなく誘いに飛びついた。


 阿閉家は代々近江守護京極家に仕える家系であったが、現当主淡路守貞征の代で新進気鋭の浅井家に鞍替えした。貞征は、北国街道を守るための要害山本山城を新たに任せられるほど、長政からの信頼が厚い人物であった。御年七十五を過ぎても健在で、北近江では指折りの発言力の持ち主であった。

 長政の言っていた“身に合う仕官先”とはまさしくここである、と高虎は確信した。加えて、高虎への使者として藤堂村を訪れ、ともに山本山城へ向かった渡辺了の存在も高虎の緊張を緩めた。十四になったばかりの青年で、近江に所領を持つ小土豪の子であるという共通点から高虎との会話が大いに弾んだ。今後長く阿閉家に身を置くうえで大切な友を早く見つけられたことに、高虎の心中は大いに悦喜していた。


 山本山城に着いたのはその日の夜のことであった。夕餉も終えたころの時間であったが、阿閉淡路守貞征はすぐさまは高虎を大広間にて迎えた。名君と呼べる風格すら漂う優しげな笑みを浮かべていた。

「阿閉淡路守である。そなたの話は亡き備前守様から聞いておる。弱気であられた備前守様に対して激励したそうじゃな。その強気な姿勢と真っ直ぐな志に備前守様は感心しておられた。嬉しそうな表情で儂ら家臣に語っておられたでな。そのように有望な若者を召し抱えられること、儂は大変に幸せに思っておる。」

“召し抱える”、その言葉が高虎の胸を強く打った。ついに正式な武士としてこの日の本のために戦える時が来たのだ。高虎の目にはうっすらと涙がにじんだ。

「真にありがたきお言葉にございまする。備前守様から脇差を頂戴したあの日のことが今でも昨日のことように思えまする。」

「備前守様はもうこの世にはおられぬが、この儂がおる。この近江はこの儂が老体に鞭を討ってでも守って見せようぞ。」

「この藤堂与吉高虎、亡き備前守様の思いも背負い、阿閉様のもとで近江のため、そしてこの日の本のために粉骨砕身働く所存でございまする。」

 山本山城での初日、武士としての滑り出しは好調であると高虎は思っていた。裏で訝しい陰謀が巡らされているとは、高虎には露程とも思うことはできなかった。


 粉骨砕身働く。言ってみたものの高虎には何もできることがなかった。近江国はすでに全域を織田家に抑えられ、阿閉家もその傘下に入っているため、近江で戦が起こる気配はなかった。武芸のみでここまで生き抜いてきた高虎にとって、この状況は飼い殺しの狼にでもなったようであった。

 勘定や兵站について学ぶべく蔵に入ってはみたが、どうも性に合わず二刻足らずであきらめた。


 なぜ今になって阿閉家は自分を召し抱えたのだろうか。亡き長政の意ならばもっと早く召し抱える手もあったはずだ。冷静になった高虎にある疑念が浮かんだ。“罠”かもしれない。考えれば考えるほど疑念の色が濃くなっていくのを感じた。


 しかし、そんな高虎の負の感情を吹き飛ばす出来事があった。主貞征から初仕事の命が出たのだ。具合的な仕事内容は、阿閉家の相続に関して貞征に異を唱えていた阿閉家一門衆阿閉那多助と、その言動・行動を支持する家老広部文平を闇夜に消し去れというものであった。簡単に言えば要人の暗殺だ。

 武芸を活かせるこの仕事は、高虎にとって願ってもない最高の初仕事であった。暗殺という手段こそ気乗りしなかったが、主の後継者を決めるための仕事を見事成功させることが出来れば、阿閉家内での出世は間違いないと高虎は確信した。貞征の求めに応じ、三日後の丑の刻に闇討ちを決行することに決めた。


 与えられていた屋敷は一人で暮らす高虎にとって多少広いものであったが、歩きながら考えをめぐらす高虎にとっては好都合であった。

 三日後に迫る大仕事に向け作戦を練ろうとしたが、重要な問題があることに気付いた。まず第一に、兵法書になど指一本触れたことのない高虎に作戦を立てることは不可能であった。第二に六尺三寸という大柄な体格では、敵の屋敷に隠密に踏み入ることが出来ないということだった。

 二日間屋敷から一歩も出ずに考えて高虎のとった作戦は・・


 正面から堂々と押し入り、真っ向勝負で首をとるというなんとも無骨なものであった。しかし高虎の不安をよそに円滑に事は運び、わずか一刻のうちに阿閉那多助と広部文平の両名を討ち取ることに成功し、その首はすぐさま貞征の待つ本丸へと送られた。事が済んだことを確認した高虎は、おぼつかない足取りで屋敷へと戻った。


 三日間の張りつめた緊張感から解放され、大仕事を終えたという安心感は疲労となって高虎を襲った。屋敷に着くや否や吸い込まれるように寝床に入った。明日以降のわが身の出世に思いを馳せると、高虎はすぐに夢の世界へと誘われた。


 玄関で物音がした。外はまだ暗かった。その途端、片手に松明、もう一方の手に槍を携えた集団が屋敷へと乗り込んできたのだ。夢かうつつかわからない高虎に追い打ちをかけるように、集団の頭領と思わしき男が口火を切った。

「藤堂高虎!殿の命にて捕縛いたす!神妙にいたせ!」

「殿とはだれのことだ!」

「決まっておろう・・。阿閉淡路守様よ。」

 高虎に言葉はなかった。発しようとした言葉もすべて喉の粘膜が吸収した。


 すべてが罠だった。山本山に着いたあの日から、すべての歯車が回っていたのだ。高虎は集団に引きずられるように連れていかれ、大広間に放り出された。

 貞征が上座に座っている。これから天下のために尽くせる、という希望に満ち溢れていたあの日と同じ光景だった。高虎の周りを阿閉家家臣団が取り囲んでいた。そこに渡辺了の姿はなかった。貞征の浮かべている笑みが、あの日とは正反対なもののように高虎の目に映った。

「そなた、何故今こうなっておるかわかるか?」

貞征の不敵な笑みに、高虎は怒りを抑えきれなかった。

「罠にかけたな?長政さまがどのようなお気持ちでこの世を去られたかお忘れになったか!」

「そう、その長政が褒めるほどの男だ。どれほど気骨のある若武者かと期待しておったが、ここまでの能無しだとは思わなかったわ!儂の大切な親族と重臣を殺すなどと馬鹿なことをしおって!」

「お前が儂に殺れといったのではないか!」

「口の利き方には気をつけろよ小僧。儂が親族と重臣を殺せなどと命を出すわけがあるまい。それに儂には貞大という一人息子がおる。相続問題などあるはずがないのよ!戯言を申すのも大概にせよ!」


 高虎は強い怒りに襲われた。その怒りの対象は目の前にいる性根の腐ったおいぼれではなく、自分だった。なぜここまで信用してしまったのか、罠だと少しでも疑ったときに逃げなかったのか。今までの後悔が迅雷のように高虎の脳裏を駆け抜けた。


「長政はお前の話を儂らにした日から、”人間誰もが何かしら弱さを抱えている”という言葉を口癖のように発しておった。そなたが教えたそうじゃな。」

高虎は唇を噛みしめながら固く口を結んだ。

「儂からもそなたに教えておいてやろう。この世は血で血を洗う汚い世界じゃ。弱いと思い込んだ人間から勝手に消えていくのよ。残念じゃったな。そなたはもう用済みじゃ。殺れ。」

貞征は家臣らに目配せをした。それを合図に、一斉に周りの家臣らが立ち上がった。

 

 兄の分まで人生を戦い抜くと決めたあの日から五年。高虎の胸中には後悔と自責の念が溢れていた。自然と涙がこぼれた。それを隠すように瞼を閉ざした。


 その時だった。何者かによって大広間に鳥の子が投げ込まれた。目を瞑っていた高虎も、音で異変を察知し瞼を開けた。そして何者かが高虎の腕を強くひいた。襖が開く音が聞こえた。そしてそのまま外へ放り投げられた。振り返っても誰一人見当たらなかった。


 高虎は走った。どこを目指すわけでもなくただひたすらに走った。自らの不甲斐なさと、兄からの言葉をいとも簡単にひねりつぶされたような感覚が高虎を襲っていた。渦巻く感情から逃げるようにただただ走り続けた。


 どれだけ走っただろうか。ここはどこだろうか。暗い森の中に高虎は立っていた。

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