第6話 テリーヌ、そして不本意ながら弟子が出来たようです

 じょぼぼ、ざーざー、パリン。ぱっぱっ、きゅっきゅ、ガシャン。


 スライムの解体で汚れた流しを洗い、鍋を洗い、木匙を洗い、包丁を洗い。スライムゼリーの甘い香りを窓から逃がすと、裏の林から漂う青い香りが取って代わる。俺は長閑なキッチンに響き渡る甲高い音に胃をキリキリさせつつ、料理の片付けをしていた。


「マット、またお皿割れた」


「また割ったの間違いだろうが」


 ハティは淡々と報告してくるのだが、貴族の家の皿が一体いくらすると思ってるのか。食器棚に皿や調理器具を戻すだけで皿を割るのは、もう一種の才能だと思う。


「皿が弱いのが悪い。貴族の家にあるまじき!」


 遂には、ただの皿に貴族家の一員である心意気を持てという無理難題をふっかけ始めた。名門貴族家のメイドにあるまじき言動の彼女が言えたことではないと思うが。皿を反面教師にした、これからの彼女の頑張りに期待しよう。







 躾のなっていない狼メイドと戯れていると、表が俄にわかに騒がしくなった。料理人が昼食の用意に来たらしい。昼餐のためにという訳ではなく、キュイジーヌ一家に使用人の食事まで一手に引き受けるには、かなり早い時間から調理に取り掛からねばならないからだ。


「この香り、スライムゼリーか。久しぶりに嗅いだな――って、マック坊ちゃん! それに、何だか涼しい?」


 母屋に続く扉から現れたのは、短い赤茶けた髪と女性にしては高い身長、健康的な肌色が印象的な女性だった。扉を開けたその姿勢のまま固まり、思わぬ先客に目を丸くしている。


「すまないな、カロリーヌ。借りているぞ」


「キッチンもキュイジーヌ家の物ですから、断っていただかなくてもいいんですが……。坊ちゃんがキッチンで一体何を?」


「キッチンですることなど、料理しかあるまい?」


 だから驚いてるんですけど……と言わんばかりの怪訝な表情を崩さないカロリーヌは、俺の脇に目を遣った。


「ハティ、あんた、また飯たかりに来たのかい? 残念だけど干し肉と野菜くらいしかないよ」


「マックが料理作った! 部屋冷やした!」


「坊ちゃんが料理だって? 料理の修行なんてしたことないのに、どうやって作るってんだい」


 貴族家の人間が、使用人と同じ仕事をするなぞ、考えられないというのが一般論だ。カロリーヌが疑問を持つのも当然だろう。しかし、今後キュイジーヌ家で料理をするとなれば、カロリーヌとの関わりは避けて通れない。それに、この世界の料理の道を生きる彼女には、色々と教わることがあるだろう。


「実は授与の儀で【料理】というスキルを授かってな。折角だから極めることにした。部屋が涼しいのもスキルの影響だな」


「便利なスキルですね。ただね、坊ちゃん。料理の道というのは、そんな思い付きで選ぶような楽なもんじゃありませんよ。汚れるし、臭いし、体力だって半端でなく必要なんですから」


 料理というものを軽んじられていると思ったのか、眉をひそめてじろりと俺に一瞥をくれた。貴族家のキッチンを預かる者としての自負と料理人としての誇りが彼女を形作っているのだろう。そうでなければ説明のできない凄みを感じた。


 俺は視線を押し返すように彼女の双眸を覗く。


生半なまなかな覚悟で選んだ訳じゃない。――丁度、二品作ったところだ。冷えたら、その味で見極めてくれ」


「一つはスライムゼリーですね? もう一つは……何ですかこれ?」


 キッチンに入り、中央の作業台に歩み寄ると、その上のバットと焼き型をカロリーヌがめつすがめつ眺める。


「野菜のテリーヌ。言い換えれば野菜のゼリー寄せだな」


「野菜のゼリー寄せ? そんなの美味しいわけないですよ。不味くは無いでしょうけど、ソースが無いとパンチが足りないでしょう?」


 これまでのマックの記憶を探ると、キュイジーヌ家の料理はスパイスやソースで食わせる類のものが多かったように思える。王宮の料理も、如何に高価なスパイスを大量に用いることが出来るか、如何にソースで一皿の旨味を増幅出来るのか、という部分に価値観が置かれているものが多かった。


「このテリーヌは、あくまで前菜だ。これが濃厚だったら、メインまでに食べ疲れてしまうだろ」


「……分かってるじゃないですか。なら、お手並み拝見といきましょう」


 勝気な彼女の表情に、料理人として認められたい自分が首をもたげた。







 挑戦状を叩きつけた俺は自室に戻り、普段通りの昼食を食べ、キッチンが落ち着いた頃を見計らって乗り込んだ。


「たのも~!」


「はいはい、お待ちしておりましたよ。早速ですが、味を見ましょうか」


 カロリーヌが人数分の皿とカトラリーを用意して待っていた。先ずは、安定のゼリーからだ。バットにナイフを突き立てると、一口大に切り取る。


 純白の皿に透き通った黄緑のゼリーが静かに揺れる。表面には微細な泡が散り、光を受けるたびにキラキラと輝く。少し落ち着いたものの、変わらず爽やかな柑橘の香りを放った。


 口に含むと、スライムゼリーは香りのイメージそのままの味だった。ちょっと良いレモンゼリーという感じの、甘酸っぱい爽やかな味わいだ。舌触りは滑らかで、飲み込むと口内に心地よい余韻が残った。


「おいしい!」


 ハティは尻尾をふりふり、スプーンで直接バットから掬おうとして、カロリーヌに窘められている。誰でも作れる料理だが、だからこそ素晴らしい料理だ。


「まぁ、ゼリーは失敗する方が難しいですからね。問題は、この野菜のテリーヌとやら……」


「自信作だ。とくとご覧あれ」


 型から取り出すと、ちゃんと固まっていたことに胸を落ち着ける。


 ナイフの先端が柔らかなテリーヌに滑り込むと、野菜の美しい色彩が炸裂した。ミニトマトやトウモロコシ、アスパラガスにニンジン、様々な素材がそれぞれの色と形をもって鮮やかな模様を描いている。層を為すようなその断面は、一種の芸術品のようだ。


「「綺麗……」」


 見開いた瞳に映る色とりどりの野菜が、星のように輝いている。野菜嫌いのハティも、鼻をふんふんさせて興奮を隠しきれない様子だ。


「そのままだとぬるくなるぞ。味を損なう前に食べてくれ」


「わかってるわよ」


 遮るようにそう言うと、カロリーヌはテリーヌを口に運んだ。数度咀嚼すると、大きく目を見開いた。


「ともすれば少し華美にも見える外見に反して、繊細な味わいね。使われている野菜はミニトマトにトウモロコシ、アスパラガスにニンジンね。比較的癖のない食べやすい野菜を選んだのはハティのためかしら? オーク干し肉の戻し汁が味わいを支えているけれど、他にも何か……」


「トウモロコシの芯とアスパラガスの皮。それにハーブを幾つか」


「なるほど、野菜くずにこんな使い方があるのね……」


 カロリーヌは頷きながら、次、またその次と確かめるようにテリーヌを口に運ぶ。


「甘い! 酸っぱい! 肉の味もする!」


 バクバクとがっつくハティを見るに、お気に召したようだ。対照的に、カロリーヌは眉根を寄せて悔し気だ。


「どうやら合格のようだな」


「マック凄い。野菜なのに美味しかった!」


「確かに、これは遊びで作った料理の味ではないでしょう。緻密な計算と知識を感じます」


 カトリーヌは、料理の味を認めると、俺に向かい姿勢を正して頭を下げた。


「御見逸れしました。これまでの無礼をお許しください」


「いや、君もこのキッチンを預かる人間だ。温室育ちのボンボンが出張って大きな顔をすれば、良い気持ちはしないだろう。俺の方こそ喧嘩を売るようなことを言った。詫びよう」


 頭を下げることは出来ないが、極力偉そうに謝罪をしてみる。いつの日か自然な悪役貴族の振る舞いを身に着けたいものだ。


「何を仰いますか。マック様のテリーヌで、私は自分が料理人としていかに驕り高ぶっていたのか気付きました。これからは、マック様の弟子として、一から料理を学びなおしたいと思います」



 ――ゑ?



 弟子志望者の顔を見ると、覚悟を決めた表情の彼女には、退くという言葉が見つかりそうにない。料理で屈服させた時点で、俺は勝ったと同時に負けていたのだろう。


 嵐のような勢いで、いつの間にやら弟子が出来ていた。正直頭が回っていないのだが、キッチンを使いやすくなったと思えば、悪くないのかもしれないと思いなおす。腹を括れば、世の中大抵どうにかなるのだ。


「もう一切れどうだ?」


「食べる!」「いただきます!」


 二人の元気な声にクラクラするが、今は難しいことは横に置いて、目の前の料理に舌鼓を打つことにしよう

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る