第二章 寸胴一つあれば大抵どうにかなる

一日の始まり、そして領都へ向かうようです

 朝の光がカーテンの隙間から寝室の静謐を切り裂き、俺はゆっくりと目を覚ました。相変わらずの天蓋付き豪華仕様ベッドの中で一晩かけて強張った体を伸ばす。未だ開ききらない寝ぼけ眼を擦ると、嫌々ながら起き上がった。


「今日は何を――」


 貴族になり、折角だから昼前に起きるという優雅な生活をしたいものだが、そんな怠惰を許してくれるような家ではない。いや、正確にはメイドではない。


 部屋の外からドタドタと朝の静けさに喧嘩を売るような騒がしい足音が聞こえる。


 ガチャ、「マック、ご飯だよ」


「お前はいつになったらノックを覚えるんだ、まったく」


 ボヤく主人を置いてハティがベッド脇の化粧台に歩み寄る。大理石製のそれは、優雅でありつつも華美でない、瀟洒なデザインの一級品だ。高価な鏡は薔薇の華麗な縁取りが美しく、目を凝らすとその花弁に鮮血を思わせる色合いの宝石が埋め込まれていることが分かる。


 彼女は椅子の背凭れを引くと、「ん、座る」と端的に促した。クッションをぽんぽん叩き催促している。


「あぁ、今日もよろしく頼む」


 柔らかな座面の感触に身を任せる。鏡に目を移すと、朝日を受けて部屋を照らす照明器具の役割を兼ねた鏡面に、紫紺の瞳が穴を開ける。光を吸い込むような深いその色合いに魅入ることも、最近は少なくなってきた。


 ――マック・キュイジーヌとしての生活にも随分と慣れてきたもんだな。


 ウェーブのかかった銀糸のような髪が、寝起きの今は千々に乱れている。情けない自分を見ていると、段々と意識が浮き上がり、腑抜けた寝坊顔は鳴りを潜め、普段通りの厳かな表情と自信に溢れた目元を取り戻した。


「髪、ぼさぼさだね」


 笑うような彼女の呟きは、朝特有の静けさに満ちた部屋に溶けた。絡まった髪を梳かし始めると、幼子を撫でるような、思いの外丁寧なその仕草に一瞬目を剥く。鏡にはされるがまま撫でられ続ける俺がいて、何故だか無性に恥ずかしくなり、眠くも無いが目を閉じた。


 数分経ち、多数決で二度寝に傾きかけていた脳内会議を、「終わった。ばっちり」という甘い声を合図に解散した。ゆっくりと目を開くと、鏡にはいつも通りの凛とした表情の似合う完璧な俺がいた。


「ありがとう」


 礼を述べ、着替えは一人でやるからとハティを部屋から追い出した。


 肌触りが良く豊かな光沢の白いシャツに袖を通すと、化粧台の前に立った。深く息を吐き、この世界の空気を肺いっぱいに吸い込むと、今日もマック・キュイジーヌとしての一日が始まる。







「マック、貴様は領都カンパーニュに戻れ」


「……はい?」


 父上の発言を聞き返すなど許されたことではないが、聞き返さずにいられなかった。先日のカロリーヌとの出会いから弟子入りを経て、段々とこの世界の料理への理解を深めていた俺に、まさかの辞令が下された。


「トーマスから陳情が来てな、領内に魔物共が増えつつあるらしい。私は北部防衛線の件で軍部に呼ばれてしまってな。ついでに社交を熟さねばならぬゆえ、クロエもここを離れることが出来ん。オーガスティンとボガードもここから学園に通う。お前が【料理】で生き抜くと抜かしたのだ、覚悟は実績で示してみろ」


 有無を言わせぬ迫力だった。その双眸は猛禽のように冷ややかに俺を見据え、言葉は鋭く食い込み、拒否の余地など与えられていないことは明らかだった。


 心臓を握られるような緊張に、ダイニングルームの空気まで張りつめたように感じられた。皿と食器の触れる僅かな音がやけに耳につく。唇を舐めると、存外乾いていることに気が付き、心中で苦笑する。グラスのワインを一息に干すと、まだまだ洗練されていないその味に顔を顰め、緊張の色を上塗りした。


「御下命承りました。造作ないことです」


「ごめんなさいね、マックちゃん」


「いえ、お気になさらず。社交の場もある意味では戦場と言いますからね」


 予想外の事態ではあるが、功績を積むにはうってつけだろう。スープを口に運んで、吊り上がりそうな口角を誤魔化した。降って湧いたチャンスに胸を躍らせる俺を茶化すようにして、兄達が食って掛かる。


「な~にが造作ないことです、だ! 料理しか能の無いお前がどうやって魔物を片付けるんだ。父上の前で恰好つけるのもいい加減にしとけよ」


「そうだ。下手に虚勢を張るのは自分の首を絞めることになるぞ。弁えたらどうだ」


 未だに【料理】が非戦闘スキルだと思っているのだろう。正確には”戦闘にも使えるスキル”なのだが。俺の対面に並びで座る二人の背後には大きな窓があり、父上こだわりの庭園が広がっている。何度目かも分からない煽りは、海馬を素通りして窓から逃げていった。


「弁えるもなにも、容易いことですから。お二人が聖剣学園で実践的な訓練を積むように、俺は実戦経験を積むだけです」


 俺は二人の顔を見ることもなく、食事に意識を戻した。最近、カロリーヌはスポンジのように貪欲に俺から料理の知識と技を吸収している。


「あ、そうだ、カロリーヌは連れていきますから。彼女は俺の弟子ですからね」


「「「「「「「え?」」」」」」」


 どうやら彼女は既にこの屋敷の胃袋を掴み始めていたらしい。執事やメイドを含むダイニングルームにいる俺以外の全員が、いや、俺と俺についてくる気満々のハティを除いた全員が呆けたような絶望の表情を浮かべていた。いい気味だ。

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