第5話 働かざる者食うべからず、そしてレッツクッキング

 暫くすれば太陽が中天に差し掛かる頃、ファイ王国有数の名門貴族、キュイジーヌ家のキッチンは窓から差し込む陽光の下で酷い寒暖差に見舞われていた。


 「野菜……嫌……」陰鬱な表情を浮かべる狼メイドハティと、「久しぶりの野菜だ!」と輝くばかりの笑顔を浮かべる俺。察するに、彼女はどうやら野菜が苦手のようだ。犬や狼の消化器は食物繊維セルロースの消化に適していないというのは学んだことがある。


「野菜を食べるとお腹を壊したりするのか? 勿論、無理して食べる必要は無いが」


美食を追求する悪役貴族として、体質に合わない食べ物を強要することは許されない。それは全く優雅な振る舞いとは言えない。……と思う。


「野菜は苦くて臭い。美味しくない」


 どうやら子供の野菜嫌いと同じ理屈のようだ。調理技術やレシピの乏しいこの世界では、野菜の不快な側面を感じることも多いのだろうと合点がいった。昔の野菜は味が濃かったのぉ~フガフガ、みたいな爺様婆様がいるが、それも良し悪しかもしれない。


「――上手い野菜料理を食わせてやる、と言ったらどうだ?」


「そんなの無理。野菜、食べない!」


 駄々っ子のように舌を出し拒絶するハティを見ると、俺の中の料理人の血が沸き立つ。嫌いな食材を克服させて、腕を認めさせることの達成感というのは、料理人にとっての至福だ。ハティの野菜嫌いを克服できれば、どれほどの喜びを味わえるだろうか。そう思うと、俺はニヤリと挑戦的な笑みを浮かべていた。





 この世界、いやこの国特有の考え方の可能性もあるが、多くの野菜が地面の近くに実を付けることから、低く見られがちな食べ物=貴族の食べるものではないという価値観があるようだ。これは昔のヨーロッパの感覚に近いかもしれない。いつの世も、貴人の価値観というのは似るのだろう。


 そんなつまらないことを考えながら、大袈裟なエフェクトと共に漆黒のコックコートに身を包む。気分はさながらプリキ○アだ。これも【料理】で生み出したものだが、スポーツ選手が練習着やユニフォームを着用するように、【料理】持ちがキッチンに立つということは鍛錬であり実践である。


――コックコートって普通は白だと思うけど……。


悪役貴族が純白のコックコートなんて着るわけがない! という製作者のこだわりに苦笑しつつ、調理に集中する。


 流しに詰め込まれたスライムは、核が潰れた個体が一つと綺麗な状態の個体が一つある。


「ハティ、核はそのまま食べるのか?」


「うぅ……そのままだと甘くて酸っぱい。果物みたいな味する」まだ野菜を怖がっているのか、弱弱しい返事だ。


「その周りは?」


「核といっしょに溶かしてゼリーにする」


 スライムは核と身肉? の部分で美味しいゼリーが作れるようになっているようだ。俺の中でスライムの評価がうなぎ上りである。


「洗って煮ればいいのか?」


「うん。中の液、気を付ける」


 考えてみれば、溶解液の問題をどうするか……。前世では水を流しながら包丁を入れることがあったことを思い出し、それを試すことにした。


 潰れたスライムの表面をスキルで【水洗い】し、普段屋敷の料理人が使っているのだろう、よく砥がれたナイフを表面に当てる。緊張しながらナイフを押し当てると、薄いゴムの膜を突き破るような一瞬の抵抗の後、案外軽く刃が沈み、スライムを二つに割ることが出来た。身肉の厚みは3センチ程度で、中には野球ボール大の核が溶解液に浮かんでいた。


 溶解液と水を流しに捨てると、ゲル状の核と身肉が残った。薄い黄色の核はまだしも、水色の身肉はアメリカのアイシングケーキのようで気味が悪いが、食べてみないことには始まらない。キッチン中央に据えられたレンガ造りのモダンな竈に鍋を置き、核と身肉、焦げ付き防止に水を加えて潰しながら煮る。


「ハティがする!」


「お前はそそっかしいのだから、大人しくしていろ。火傷でもされたら迷惑だ」


 竈の側にあった干し肉を食いしん坊に投げ与えると、ハティは空中でそれを咥え、夢中で噛り付いている。どこまでも犬のような狼メイドだ。


 今の内だと鍋に集中すると、つい先程火にかけたばかりのスライムは、既にはっきりとした形を失っていた。


――火にかけてすぐに溶けたってことは、スライムはゼラチンに近いのか。


寒天は高温でないと溶けない。すぐに溶けるのなら、それはゼラチンだろうと当てを付ける。当然のことかもしれないが、スライムは動物性だったらしい。


 次第に、キッチンには鍋から溢れるようにしてレモンのような爽やかな良い香りが充満した。


 シトラス系の甘酸っぱい香りに食欲を刺激されたのだろう、干し肉を咥えたまま興味津々に鍋を覗きこむハティは、今にも涎を垂らさんばかりだ。ばっちぃ。


「果汁を加えてもいいのだろうが、今日はスライム100%で行こう」


 かれこれ15分程で溶けたスライムを、金属製のバットに流し入れる。色は黄色と水色が混じり、緑茶のような薄緑色だ。


「井戸水で冷やす!」


 どうやら、普段から、冷やしたいものは井戸水に浸ける習慣のようだ。バットを手に取り、今にも裏に駆け出しそうなハティを呼び止める。


「氷魔法の冷蔵庫とか無いのか?」


「ん? 魔法使い、戦場行く。料理なんてしない」


 ハティは何を言っているのかと言わんばかりの怪訝な表情を浮かべ、首を傾げた。魔物の脅威に曝されているこの世界で、戦闘向きのスキルを授かった戦える貴族達はすべからく戦場に向かう。冷蔵庫のために氷を生み出す、なんてことはありえない。


「なら、貸してみろ。――【冷却】!」


 キッチン中央の作業台にバットを置くと、手を中空に突き出して、ダイアモンドダストのような冷気のエフェクトをイメージする。すると、バットの表面に薄く結露が張り、作業台を中心として涼やかな空気が台所に広がった。


「涼しい! これもマックのスキル?」


「あぁ、便利なものだろう?」


「凄い! 気持ち良い!」


 ハティは子供のように無邪気な笑みで冷気を楽しんでいる。ただ、いくら竈の側が暑いと言っても、エプロンドレスのスカートをばっさばっさと上下させるのは見苦しい。手で押さえるとセクハラになりそうで、「下品な行いは慎め」と言うに留めた。





 ゼリーはこれで大丈夫だろう。次はテリーヌの調理に移る。今回作るテリーヌは、簡単に言えば野菜のゼリー寄せである。ポイントさえ押さえれば、何ら難しい料理ではない。


 まずは使えそうな野菜の確認が先決だ。平民である使用人達は日常的に野菜を食べると聞いているので、どこかに保管されているのだろう。


「ハティ、野菜はどこに保管してある?」


「……教えない」


 主人に反抗するなど、使用人の立場であるメイドとして到底許されない態度である。しかし、この程度のことで気分を害されていては、誇り高く優雅な悪役貴族にはなれない。次兄のような三下貴族になるのは勘弁である。


 ハティの無駄な抵抗は放置して、野菜を探す。


「まぁ、教えてもらえなくとも探すだけなんだが――。おぉ、素晴らしいじゃないか!」


 キッチン脇の戸を開けると、窓が無く薄暗い部屋があった。壁際には棚が置かれ、沢山の木箱や麻袋が並んでいる。見るからに食料庫だ。木箱や麻袋には全て日付が印字され、どれも昨日や今日の日付のようだ。手近な袋の口を開き、中を覗くと、鮮やかな緑が目に飛び込んだ。


「これは……アスパラガスか!」


 幸先良く素晴らしい野菜に出会えたことで、気分は小躍りしている。無論、表情には出さないが、口元が浮つくのは仕方のないことだ。


 その後も、ハティの責めるような視線を背後に感じつつ棚を漁った俺は、ミニトマト、ニンジン、トウモロコシを発見した。今日のテリーヌには、これらを使う。その他にも色々な野菜があったので、後日使わせてもらおう。





 一つの木箱に野菜をまとめてキッチンに戻った。不躾な専属メイドはぶすくれて俺を見つめている。


「本当に作る?」


「まだ言うか。勿論作るに決まっている」


 野菜の下拵えをする手を止めることなく、素っ気なく答えた。ミニトマトは艶々と張っており、ニンジンは橙色が濃く鮮やかだ。トウモロコシは抜かりなく立てて保存してあり、ヒゲもしっとり感が残っている。どれも鮮度が素晴らしいのが一目で分かる。


 味を見ようとミニトマトを一つ洗う。太陽の色を濃縮したような目の覚めるような赤が可愛らしい。唇に触れる瞬間はパンと張っているが、奥歯で噛むと甘酸っぱいジュが炸裂して、俺の顔を綻ばせた。


 品質に満足した俺は、気分良く野菜の処理を続ける。洗い終えたら、ミニトマトは湯剥きし、ニンジンは皮を剥いて棒状に切る。トウモロコシは粒を軸から外し、アスパラガスは根元の硬い皮を削ぐ。


 そして、このアスパラガスの皮と干し肉、トウモロコシの芯といくつかのハーブを鍋に入れて水で煮出す。


「食べ物で遊んじゃだめ。干し肉勿体ない」


 俺が何をしているのか分からないのだろう、ハティが子供の悪戯をしかる親のような口調で窘める。


「コンソメが無いからな、出汁の出るもので代用しているんだ。こら、言ってるそばから干し肉を取り出そうとするんじゃない」


 ハティは好物を釜茹で地獄から救出しようとでも思ったのだろうが、それを許すわけにはいかない。


 体で鍋を隠すようにしてハティから防衛すること三十分弱。出汁が色づき始めたのを確認し、味見をする。


――即興でやってみたけど、なかなかイケるな。


 トウモロコシの芯とアスパラガスの皮はとても美味しい出汁を取ることが出来る。干し肉の旨味とスパイスも良い。少し塩を足せば、上等な味だ。



 ――じゅる。



 粘着質な水音の聞こえた方向に顔を向けると、狼耳をピクピクと揺らしながら純白のエプロンに涎を垂らすハティがいた。


「――やらんぞ。味見は料理人と手伝いの特権だ」


「い、いらないっ!」と慌てて背けた彼女の顔は、少し赤らんでいた。


「お前の強情には、まったく呆れ果てる。俺の料理で笑顔にしてやるから、少し待っていろ」


 ハティも興味が出てきたのだろう、あまり待たせるのは可哀そうに思えたため、作業の手を速めた。


 野菜を茹でて皿に上げると、先程の出汁に刻んだスライムの身肉を入れた。溶けたところで、底の深い何かの焼き型に野菜を並べ、スライム液を静かに注いだ。


「あとは、これも冷やして調理終わりだ」


「あとは待つだけ!」


 ハティは作業台に身を乗り出し、ゼリーとテリーヌを眺める。待ちきれないとばかりに瞳を輝かせ、尻尾を左右に揺らしているのが微笑ましい。


「食べないんじゃなかったか? 随分と楽しみにしてくれてるようで」


 俺の茶化しに彼女の顔がさっと赤らんだ。目を大きく見開き、言葉を探すように口をもごもごしている。時折見せる彼女の年齢相応の可愛らしさに、無意識に頬が緩む。


「すまんすまん」


 狼耳の上から頭を撫でると、彼女は少し照れくさそうに微笑んだ。

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