第4話 スライム、そして次兄に絡まれるようです

 草やら葉やら体液やらで薄汚れた俺達は、正面玄関を通るのは憚られるということで、ぐるりと裏に回りキッチンに行くことにした。改めて歩くと、如何にこの屋敷が立派か分かる。外壁に目立つ汚れは一切無く、下草も綺麗に刈り込まれていて見苦しくない。庭師やメイド、執事達の働きには素直に賛辞を贈りたい。




 裏庭を通りかかると、ピンともヒュンとも聞こえる音に続けて、カッという軽い音が響いた。


 ――ボガードの弓音だ。チンピラ口調の割に、真面目に鍛錬するのかよ。 


 ハティを追いかけることに夢中になっていたが、今は朝食を終えた兄達が鍛錬を始める時間だと気が付き、辟易とする。しかし、ここまで来て引き返すのは徒労が過ぎるというもので、意を決して裏庭の脇、壁に沿うようにして通り抜けを図った。


 足音を殺したとは言え、姿は見えている。抜き足差し足忍び足で行く俺達を見逃すほど、この家の人間の目は節穴ではなかった。


「おいおい、コソコソ壁際を這う輩が見えたと思えば、役立たずのマックじゃねえか。てっきり、ジャイアントコックローチが出たのかと思ったぜ」


 裏庭の一角、藁束に木製の的を取り付けた案山子には、矢が幾つも突き立っている。次兄は嘲りの色を隠さず、鍛錬の手を止めてまで憎まれ口を叩いた。屋敷を囲う林を抜ける涼やかな風も、彼を経由するだけでじっとりと湿気を増す、そんな不快さがあった。


「鍛錬お疲れ様です、ボガード兄上。つまりは、この屋敷はジャイアントコックローチが出るほど掃除が行き届いていない、そう仰りたいわけですね。それは由々しき事態です。すぐに父上に注進しなければ。ちゃんと兄上からの報告だと伝えておきますから」


 キュイジーヌ家の家門を誇る、貴族の中の貴族であるアダムが、屋敷の掃除が行き届いていないことを許すわけがない。だからこそここまでの道のりは整っていたわけだが、ボガードの発言は屋敷の汚さ、つまりは当主であるアダムの手腕に不出来の評を叩きつけるようなものだ。


 彼もそこに思い至ったのだろう、途端に狼狽した様子で言葉を並べる。


「ちょ、ちょっと待てよ。報告は大丈夫だ。どうやら見間違えだったらしくてな。マックお前もそういう時あるだろ? な?」


 日頃の陰険な薄ら笑いは鳴りを潜め、彼は頭をかきながら必死に言い訳を取り繕う。焦りが滲み出た彼の表情には、胸のすく思いがする。


「優秀な兄上でも、そういった間違いをなさるのですね。勉強になりました」


 俺の分かりやすい煽りを受け、ボガードのこめかみに青筋が浮く。


 彼は劣勢を悟ったのであろう、切歯扼腕の情を湛えながらも、なんとか周囲に目を遣る。すると、俺の横にいるハティに目を止めた。


「何だお前は。薄汚ねぇ獣人がウチにいるとか、虫唾が走るんだよ」


 自分が絶対的優位に立てる相手には態度を大きくするあたり、良くも悪くも小物の感があり憎めない。


 俺はハティと兄の視線が交錯しないように、二人の間に立つ。


「この子は俺の専属メイドになるハティです。こう見えて大変優秀でしてね」


「……こう見えて?」


 背後のジト目を感じつつ、知らぬふりを突き通す。腰の辺りをつつかれるのが地味に痛いが、表情に出すことはしない。それは悪役貴族の振る舞いではない。


「つい先ほど、二人で獲物を狩ってきたところでして」


 俺がハティを手で示すと、彼女が両手に一匹ずつ掴んだスライムを掲げるように持ち上げる。なんだか小鼻をうごめかし、誇らしげだ。「スライム! 核、甘い!」ハティは楽しみで仕方ないという表情で尻尾を振っている。


 そんな俺達の成果を見て、ボガードは愉快で堪らないというように顔をくしゃくしゃにする。


「スライム? そんなもん狩ってどうすんだ。ゼリーでも作んのかよ」


 ――ほう、スライムはゼラチンのような性質があるのか。


 甘い香りの正体は核の香りだったらしい。ハティが木に叩きつけた際に潰れたのだろう。俺の倒したスライムは熱で死んだから、核も綺麗に残って透けて見えている。ゼラチンと砂糖が一緒になった生物なんて、途轍もなく有用ではないだろうか。スライムを見る目が変わってしまう。


「実はこれから俺も鍛錬でして。そろそろ行ってもいいですかね」


 これ以上言われるがままでいるのも馬鹿らしく、それに食材の鮮度が落ちてしまう。そろそろお暇させてもらいたいところだ。理解出来ないのだろう、眉を寄せている彼に背を向けて、キッチンへの途を急ぐことにした。





 キッチンには商人が食材を直接納入に来るための裏口が設えてあるのだが、普段はなんでもないその木戸が、今の俺には夢の国のゲートのようにわくわくした物に感じられた。


「マック、料理何作る!?」


 戸を押し開き、脇の流しにスライムを並べると、ハティが俺に尋ねる。


「待て待て、まずは洗うところからだ」


 地べたや樹上を跳ねるような魔物だ、恐らくかなり汚いだろう。料理人として、衛生には細心の注意を払わなければならない。


 俺は引っかけていたガウンを脱ぎ去る。この時、一瞬静かに立ち尽くし、ハティが注目するのを薄目で確認したその後に、ゆっくりと腕を抜いた。バサッと大仰に翻すことで雰囲気を強調するのも忘れない。


 ――これぞ悪役貴族。これぞマック・キュイジーヌだろう。咬ませ犬キャラの動作一つ一つまで描かれないから知らないけど。


 獣人メイドの呆れる視線を感じるが、自己陶酔が俺の悪役貴族ロールプレイを昂然と支える。


「我が従者よ! 時は来た! いざ、至極の美味を味わおうではないか!」


「それ変。似合わない。気持悪い」


 ハティの情け容赦無い直球に一瞬で熱が散らされる。


「はい……。それでは、今日のメニューは【ゼリー】と【野菜のテリーヌ】です……」


「いつできる? すぐ?」


 もう我慢ならんという表情で食いしん坊が詰め寄る。あれだけ動いたというのに嫌な臭い一つさせず、むしろ太陽をいっぱいに浴びた草のような、爽やかな彼女の体臭にくらりとする。


「ちょっ、ちょっと離れるんだ! みっともないだろう!?」


 頬の熱を隠すように彼女の体を押しのける。マック・キュイジーヌは、何を隠そう異性との交際経験が皆無なのである。そして前世の俺もそうだった。合算すれば三十有余年の女日照りに、急な降雨は毒だ。


 そんな主人の動揺を意に介さず、ハティは不満で頬を膨らませて「いつ!? すぐ!?」と繰り返す。




「まぁ、だいたい……四時間後だな」


 ハティはこの世の終わりのような虚無の表情を浮かべ、崩れ落ちた。

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