靴袋と背中

sui

靴袋と背中


ピシャンと鳴った玄関口。

誰の趣味かも分からない、古ぼけた絵画。下駄箱の上で埃を被るレースの敷布。

ドスドスと踏み鳴らしながら歩く廊下は外との明暗差でやや先が見難い。


線香の香りが何処となく漂い、かなり遠くから年寄りの皺枯れた咳が聞こえてくる。


今時らしからぬガラス戸を引き、そこが無人であるのを確かめる。

ブゥンと音を立てる古い冷蔵庫。傷んだ箇所が補強された食卓。

ピチョリ、ピチョリ。締まりの悪い水道から水が滴っている。いつかいつかと言いながら、誰も直しはしない。その癖金絡みでの文句は言い合うのだ。

それが気に入らなくて些細な反抗をしようとも、本気で腹を立てたり根本の水道を何とかしようと考えたりはしない。

いつかいつかで時は過ぎる。


音を聞くうち、喉の渇きを覚えたけれどもそれ以上に覚えた物が腹の中にあった。

踵を返して庭先へ向かう。

ギシギシと床が鳴ったが一つ分。やはり誰も居ないのだ。


今は使う人間がいない、家の最も狭い部屋。庭が見える分だけ暗く窮屈であるのが強調されている気がする。

鴨居から吊るされた洗濯物と素材の傷んだプラスチックケースが邪魔で寛ぐ事なんて出来やしない。

人の二、三歩分位。僅かに見えている畳の上に重たい荷物を落とした。落とすと言うより投げつけた。

ドサリドサリ、物音が立つ。一つの音は甲高かった。

開ければ何かが割れている、その可能性が少しある。

これでも注意の怒声は飛んでこない。


好都合だろう、そうだろう。


引き戸を開ける。

物干し竿に洗濯物がぶら下がっている。

知らん顔をして袋の中身を取り出し、一つ二つと並べる。

つま先を押し入れ、踵を潰す。


外からここは覗けない。

理解していても周囲はしっかりと見回す。それから空に向かって蹴っ飛ばす。

明日の天気が見たかった。


晴れ。

曇り。

晴れ。

晴れ。

曇り、晴れ。


履いては蹴り、履いては蹴りを繰り返す。

時折洗濯物にぶつかって転がった。物干し竿をカンと鳴らした。それでもやはり知らん顔。

只管靴を蹴り上げる。



何時になっても靴は裏を向きやしない。悪天候は出て来ない。


雨になれよ、なってしまえよ。

履いては蹴り、履いては蹴りを繰り返す。


いっそ自分の手で望む結果を出してしまいたい。

けれども決して認めたくない。

そんな事、誰が出来ると言うんだろうか。

あくまで神と運が働いている、そういう風であるべきだ。そうじゃあないか。



馬鹿げているとは分かっている。

口を塞ぎ、ヘラヘラ笑って手を振って、現実逃避に占いを頼れば、結局呪いをかけているんだ。


ただただ気に入らない。

どうせ誰も聞いちゃあいない。

言ってしまえば良いんだ。どうせ格好なんかつきゃしないんだから。




「あいつが気に入らねえんだよ、見捨てやがって。置いて行きやがって、あいつとあいつ、あの背中がさ」

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