後悔と謝罪

ラトビ

後悔と謝罪

「例えこの体が壊れようと、貴方だけは――」


 そう言い残し、彼が私に背を向けてから、早いもので一年が過ぎた。

 かつての匂いが残るその丘の上で、吹き付ける風に目を細める。

 眼下に広がる青々とした草原には、拭いきれない過去の痕跡が所々に散っている。


「彼も、この景色を見ていたのでしょうか」


 後ろに控える従者に聞いたが返答は帰ってこない。

 それも当然だろう、彼女の唯一の家族であった男を私の一存で失ってしまったのだから。

 それでも彼女が私の従者を続けているのは、――この場所へと連れてきたのは。


「……一つだけ、聞かせてください」


 細々とした声が、それこそ風にかき消されてしまいそうなほど頼りない声が聞こえた。

 勿論、彼女の声だ。

 私はわざとらしく鷹揚に振り返り、彼女の顔を見つめた。


「何かしら」


 斜め下、彼女の足元にひっそりと建てられた灰色の石碑。

 それから視線を外すことなく、彼女は続けた。


「貴方は、後悔をしたことがありますか?」

「勿論、私だって人間だもの。これまでに感じた後悔は一つや二つじゃないわ」


 冷静に、平静を保って。

 できるだけ彼女を納得させられる言葉を。


 音を立てず蠢く私の心情を知ってか知らずか、彼女はすぐに次の言葉を紡いだ。


「それでは、その後悔の中に……私の兄は入っていますか」

「難しい質問ね」


 少しだけ、間を開けて考えた。

 難しい質問だというのは紛れもない本心だ。

 なぜなら、自分でもこの感情の拠る所が分からないのだから。


 それでも、口を開くことはやめない。

 彼女に言葉が届くのはこれが最後だと、そんな確信めいた予感があったから。


「確かに――彼に関する後悔はしているわ」


 私の独白めいた台詞にも、彼女は眉一つ動かさず言葉の続きを待っている。


「ただ、それが彼本人を失ったことを悔いているのか、そのきっかけになってしまったことを悔いているのか。私は今でも分からないの。

 ひどい話でしょう? 人の人生を終わらせていながら、それを悔いているのか分からない、なんて。

 それでも、私はこんな時になっても分からない。

 私が本当に後悔しているのは、選択をしたことによって生じた結果か、選択をした私自身か」


 肺に留まっていた息をふうと吐いて、やおら空を見上げる。

 鈍色に薄く広がった空は檻のようで。

 あの日から変わらず私の心に燻り続けるその感情を、その感情を湛えた私ごと、この場所に閉じ込めているようだった。


「本当に、分からないの」


 言って、ふと頬が緩んだ。

 喜びでも、嘲りでもない、無色透明の笑顔。

 この状況には不相応な表情であるにも関わらず、止めようとは思わない。


「でも、そうねぇ」


 もし、――もしも。

 あの時の私が、違った選択をしていたとしても。


「多分、後悔はしていたと思うわ」


 最後の方は、掠れた声になっていたかもしれない。

 それすらも分からないほどに、私の思考は鈍っていた。

 下腹部から流れ出る生暖かいも、もはや気に留めるだけの気力はない。


 ただ、せめて、もう一言だけ。

 これを言うと、怒られるのだろうけど。

 次第に薄れ始める視界の中に、悲愴を浮かべた彼女の表情だけがぼんやりと映った。


 私の体に添えられた彼女の手を両手でつつむ。

 声にならなくても、せめて。


 慟哭が、衝撃となって伝う。

 それが、私に与えられた最後の世界だった。


 その言葉は、彼女に届いただろうか。

 その気持ちは、彼に届いただろうか。


 もし届いてないのだとしたら、それは、間違いない。

 優柔不断で、意気地なく、最期すら他人の手に委ねてしまうような。

 弱い、弱い私の後悔だ。


 ――ごめんなさい。

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後悔と謝罪 ラトビ @Minatanu551

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