少年編 アメリア⑥

 雨足が強くなり、先ほどまでポツリポツリと滴るようだった水滴が、目を開けづらくなるほどに降り注いでいる。

 傘を差していない人もいなくなり、不幸にも傘を持ち歩いていなかった人たちは軒下に並んで雨宿りをしている。

 幸いまだまだ夜にしては早い時間で、あちらこちらの店から漏れ出る光と、最近整備された街灯のおかげで人探しに問題はなかった。


「チェック柄のロングコートを着た女を見たか!?」


 威圧するような声で道ゆく人々に問いかける。

 最初でこそなりふり構わず目についた人には問いかけていたけど、警戒して逃げられるので女の子や子供には聞かないようになった。


 肩にまで伸びた長い髪に雨水がひっついて気持ち悪い。

 ああ!! むかつく!!


「くそっ! どこまで行ってんだよ!!」


 怒りと焦りが絵の具のように混ざったような、イライラが止まらない感情で叫ぶ。

 先ほどからどこかに向かって走っていた彼女を見かけたという話は聞くのだが、どこに入ったとかいう情報が一向に得られない。

 こんな雨の中でなんでそんな距離を移動するんだよ!


 徐々に減りつつある通行人。

 でも、彼女の消息を失うわけにはいかない!

 とりあえず目の前の、派手な花柄の和傘で歩く人に聞いてみよう!


「おい! そこのお前!」

「?? ほぇ? ……妾のことか?」


 高い女の声で、なんか独特な一人称が返ってきた。

 

「そうだ、貴様以外にいないだろうが!! チェック柄のロングコートを着た、猫のような耳の女を見かけたか!?」

「は、はぁ……? そのおなごなら、先ほど首都ホテルに入って行ったぞ?」

「そうか! 恩に着るぞ!!」


 と、”俺”の口から珍しく感謝の言葉が出てきた。

 ……けど、それに気を配るほどの余裕もない。


 一目散に聳え立つ首都ホテルに駆ける。

 バロック様式の、白い大理石で作られた彫刻や装飾が溢れるエントランスのアーチを通る。


 金箔をあしらった壮麗なシャンデリアが高い天井で煌々と輝き、磨かれた花崗岩の床や壁に反射している。

 ギュッギュ、ギュッギュと濡れた靴底をうるさく鳴らせながら走り、ホテルの受付に問う。


「アメリア・クレイトンという女を知らないか?」


 日本の常識からすればそんな個人情報をホテルが渡すわけがない。

 だけどここは異世界。

 もしかすると、鬼気迫る”俺”の様子を見て納得してくれないものかと思ったが……、


「いらっしゃいませ。申し訳ございませんが、アメリア・クレイトン様については存じ上げません」


 けど、流石にそううまくいくわけではなかった。

 だからと言って諦めるわけにはいかない。凌辱ゲーの世界、何があるかわかったものじゃないのだ。

 ため息が出そうなのを我慢し、


「カーキ色のワンピースにチェックのロングコート、ロングブーツを履いた女だ。さっさと答えろ!」

「そうおっしゃられましても……」

「チッ! 俺はベリアル・ナイトフォールだ!! 伯爵家のナイトフォール家の人間だ! 俺の話が聞けぬのか!?」

「……では、少々お待ちください」


 そう言うと、受付で俺の対応をしていた「ビジネススーツを着ているダークエルフ」とかいうかなりのパワーワードな、褐色の肌と長い耳の女性は受付の奥へと向かった。


 焦る気持ちはありつつも、焦ったところでどうにもならないのはわかっている。

 無駄に長い金色の髪の毛を絞って雨水を落として、頬を滴る顔に付いた雫を袖で拭き取る。


 すれ違うホテルの客たちに怪訝な顔で見られながら、受付カウンターに肘をつきながら待っていると、


「では、ご案内させていただきますね」


 と、受付の奥から戻ってきたホテリエは、エントランス奥にあるエレベーターまで俺を招いた。

 たどり着いた先、長い絨毯を通り、通された部屋の中。


 書斎のようなその部屋のど真ん中には大きな木製の机が置いてあり、その先にはそれこそファッション誌の表紙を飾るような、薄色のセーターに、軍服のように機能美に溢れながらも素材の僅かな光沢がカジュアルさを醸し出すジャケットを身につけた、黒い短髪の女性が座っていた。


 誰だ……?

 少なくともアメリアではないのははっきりしているのだが……。


「ベリアル・ナイトフォールという名前だったわね?」


 冷めた目で“俺”を観察しながら、その女性は問いかけてきた。


「そうだ」

「私はエレノア、このホテルの支配人をしているわ」

「下民などの名をいちいち覚えるつもりはない」


 挑発するような言葉をあげる“俺”だったが、


「あらそう。確かにルーカス卿の御曹司様ともなれば、私程度の名前など歯牙にも掛けないでしょうね」


 そんな“俺”の態度を皮肉りながらも、気にしたような雰囲気ではない。

 それはそれで多少ありがたいが、今は彼女――エレノアの感情よりも大事なことがある。

 

「身分をわきまえる程度には学があるようだな。ならば相応の態度を示し、俺にアメリア・クレイトンの居場所を話せ」


 いちいち上から目線だけども、一応言いたかったことは言えたはずだ。

 対してエレノアは、凛とした表情を崩さず、


「アメリア・クレイトンねぇ……。彼女に何か用事かしら? それを確認しない限りはなんとも返答できないわね」

「……」


 暗に彼女がこのホテルにいることを仄めかすエレノア。

 ……ひとまずアメリアの消息を失うリスクはなくなった。

 だが、クレイトン商会の娘を誘拐し、監禁している可能性は否めない。未だ素性のわからない目の前の女が、悪党かどうかすらわからないのだ。


「アメリア・クレイトンは俺の女だ。はぐれたから連れ戻しにきただけだ」(婚約者です)


 よくもまあ、こんな酷い言い方になれるものだと感心するレベルの言葉を聞き、澄ました顔から一転、何言ってんだこいつと言う顔でこちらを見るエレノア。


「あなたの女……? 彼氏か何かかしら?」

「俺を貧民と同格扱いをするつもりか!? あれは俺の奴婢だ!」(一応婚約者です)

「奴婢……。一応知っていると思うけど、奴隷は大陸通商会議で禁止されているわよ?」

「そんなこと”俺”が知ったことではない!」(知ってましたよ)


 うーん。

 俺、知ってたんだけどなぁ。

 まさかのまさか、魔王領と呼ばれる場所で執り行われたという、大陸のほぼ全ての国家が参加した、後先にも一度しかない大会議。

 夢見の大陸シリーズにも幾度か名前が出ているのだ。

 ……って、今はそっちじゃない。


「御託は飽きた。さっさと俺の奴婢の居場所を吐け、下民」(それよりも、アメリアの場所を教えてください)

「……残念だけど、君に彼女の居場所を伝える理由はないわね」


 くそっ!

 口は災いの元と言うけど、こんなんじゃ取りつく島もない……!

 こうなればホテルの入り口で張り込みをするか、部屋を一つ一つ尋ねるか……。

 どちらにせよセキュリティに蹴り出されそうではあるが。


 などとどうしたものかと悩む俺だったが、


「身の程を弁えろ、下民!!」


 どうやら”俺”はそんなまどろっこしいことは気に入らなかったらしい。

 ”俺”はエレノアに一歩踏みだす。

 俺にでもわかるような怒気を孕んだ声音で、”俺”は続けた。


「あの女の居場所をさっさと答えろ! でなければ――」

「あら、脅しのつもりかしら? 興味があるわ、君が私にできる脅迫の内容が」

「貴様……!」


 ”俺”が取り続ける失礼な態度にご立腹の様子のエレノア。

 挑発するようにこちらを睨みつけてくるのだが、そんな様子など目に見えないのか、”俺”は腰につけたいつものあの装飾用の直剣を抜き取ると、


「命が惜しくば、言葉に気をつけることだな。俺は気が短いぞ!」


 直剣を剣先をまっすぐエレノアに突きつけ、


「貴様を斬り刻んでから、あの女を探すことだってやぶさかではないからな」


 などと、散々に最悪を超えた状況を作り出してしまった。

 もはや芸術の域だろう。

 アメリアを探すどころか、エレノアが呼ぶであろうセキュリティから逃げて、警察――共和国では守護騎士団という名前の組織から隠れることが先決になりそうである。

 だとしても、アメリアに何かあってはいけないから、それらの対応をしつつ探すなんていうどこかの国境なき軍隊のスネ◯クがやるようなことをしないといけない。


 そんな”俺”の作り出した状況に落胆していると、


「そう、力づくなのね? か弱いお姉さんじゃ君には叶いそうにないわ、ベリアルくん」

「ほう? 物分かりはいいみたいだな」

「だから、他のお姉さんに任せるわ」


 徐に立ち上がるエレノア。

 絵になるようなスラリとしたモデル体型。


「リアンナ、お願いしていいかしら?」


 そう彼女が言うと、


「お互い、もはやお姉さんなんて年齢でもなかろうに」


 部屋の奥にあったドアから、もう一人女性が出てくる。

 軽装の騎士甲冑を身につけた、エレノアと負けず劣らずな長身で目を引くような美女。腰まで届く流れるような栗色のポニーテールに、自信に満ち溢れた鋭い琥珀色の瞳でこちらを観察するように眺める。

 腰には騎士らしい無骨ながらも最低限の装飾はある直剣。スカートの裾には炎の模様があしらわれているが、彼女の魔法属性を象徴しているのだろうか。

 立ち振る舞いからしてもわかりやすく実力者であることが伺える。


「そう? 私はあなたと違っていつまでも若々しく生きていきたいのよ」

「三十路を過ぎた子持ちの女が言うことか?」

「さすがは彼氏すらできない女の言うことは違うってことかしらね」

「私に一太刀でも入れられる男がいれば、困りはしなかったがな」


 言いながら俺の前まで歩き、直剣を抜き取るリアンナと呼ばれた女。


「少年、血気盛んのようだな」


 少しだけ掠れた、それでいて力強い落ち着いた声で、リアンナは続ける。


「そこの貧弱な女に代わって相手をしてやろう」

「貴様が?」

「なに、安心したまえ。私の膝を折ることができたら、お前の探しているアメリアについても教えてやろう」

「騎士風情が大した自信だな」

「それなりに腕には自信はあるのでな。ここでは狭すぎるし、外に場所を変えよう。まさか雨天では調子が上がらないとは言うまい?」


 そう言うと、栗毛の騎士は部屋を出る。

 ……あまり気乗りしないなぁ。

 アメリアのことが心配なのもそうだが。

 あの騎士然とした格好で弱いことはそうそうないだろうし。


「どうした? 今更怖気付いたとかつまらないことは言ってくれるなよ?」


 入り口で待つリアンナ。

 なんとなくだが、エレノアとリアンナ、悪い人のようには見えないのだ。

 ”俺”の口調じゃ、彼女たちがアメリアに危害を加える人なのかどうかの確認は難しそうだが、……多少なりとも安心をしているのだ。


 だが、


「急がなくてもいいのかしら? 躊躇っている間に、あなたの”奴隷”アメリアがどうなっても知らないわよ?」


 そんなことを宣うエレノア。

 つかみどころのなさそうな女だとは思ったが……。

 やはりここは凌辱ゲーの世界ということか。


 戦う理由はできた。

 彼女の言葉の真贋は判明しない。

 だけど、俺は万が一にもアメリアに危険な目に遭ってほしくはない。

 

 エレノアを一瞥し、リアンナの待つ入り口に向かう。


「身の程を知らしめてやる」(相手してやるよ)

「ほう。是非とも知ってみたいものだ」


 戦う前だが、それでもわかる。

 これは格上戦だ。

 この世界に転生してのち、経験した全ての戦いと等しく。


 アズーリとの一戦は、フライングで行ったラストダンジョン。

 ダリウスとの一戦は、負けイベント。


 ならばこの一戦は。

 アメリアの命運を決める一戦の可能性が高い。

 チュートリアルは終わったのだ。


「生きて帰られると思うなよ?」(決して負けない!!)


 アメリアのために――、

 この世界で唯一、彼女を傷つけるしかできなかった俺相手にすら、真剣に相手してくれた彼女。

 俺のせいで危険な目に遭っている彼女のためにも。

 

 ――負けるわけにはいかないのだ。


 †


 紫電一閃。


「――ぐッッッッ!!!!」


 完璧に受け止めたというのに、肉を断つような衝撃の斬撃!

 支える骨格から軋む異音、繋ぐ筋肉から千切れる破裂音。たった一撃にして受けられる許容量を遥かに超える痛覚の悲鳴。

 

 だが、土塊を穿つような一歩を踏み砕き、甲冑の女は追撃をうつ。

 まるで微風に逆らって進む程度が如く。

 だが、知覚する事すらギリギリの速度で再び振り抜かれた斬り上げ――、


 キン――――ッッッ!!!


 大型トラックをただの棒切れで勢いを殺そうとする無謀。

 その一撃で、受け止めた直剣が折れず、震える手が握り落とさなかったことが奇跡のような。


 悲鳴すら上がらない。

 強張る筋肉が呼吸をも許さず。

 同時に強制的に意識を迫る次の攻撃に向けさせざるを得ない!

 

 迫り来るは――、

 

「ガッッッ!!」


 寸分も違わず心臓を貫くための刺突!

 身を翻しての回避では、たとえ致命傷を避けれようとも、胸を貫かれて戦闘不能になることが必至。

 ゆえに、左手の拳でもって叩き落とそうとしたのだが……!


(致命傷は避けられても、拳は割れたか……ッ!)


 全力で鉄板に拳を叩きつけても得られないような、激痛を超えた火傷のような感覚が、左半身全体を襲う電流のようにして広がるが、


「ッ!!」

 

 耐える!

 耐えろ!!


 流石に俺の防御に対して意外と言った表情のリアンナ。

 歪まされた攻撃のために僅かながら崩れた体制を素早く戻しながら、一歩俺から飛び退こうとする。


 ならば――、

 今だ!!!


「はァアア!!!」


 唯一生まれた隙を見逃せば、最早勝機は消えてしまう!

 まともに動かない左手を、気合いで直剣の柄に添え――、

 ――振り下ろす!!


 その一撃は難なくリアンナの振るう直剣によって防がれ……。

 肩が外れそうになる勢いで弾き返される直剣。

 だが、その勢いはあえて殺さない。


 当たるはずもない攻撃。

 体感では、アズーリですら赤子扱いされかねないような強敵。


 だからこそ!


「ぐぅううッ――!!」


 弾き飛ばされた直剣を、引く!

 勢いを止めるのではない!

 体の中心に向かって、引くのだ!!


 俺にある唯一の勝機。

 それはリアンナの力を利用すること。

 彼女の力をそのまま受けて反撃する。


 ハンマー投げと同じ原理である。

 円運動を続けるためには、円の接線方向にではなく、円の向心方向に力が必要。

 月が地球に落ち続けるように。

 剣を自らに引き寄せ続け――!


「――ッ!?」


 一回転して返す刀に彼女に迫る!

 だが……。


「……ふむ」


 起死回生の一撃はリアンナがひらりと躱し、


「悪くない」

 

 俺が決して踏み込めないような間合いを維持し、彼女は興味深そうだとばかりに声を上げる。

 

 誘われるようにして到着した公園。

 樹木に囲まれた遊具のない広々とした砂地。

 たった一合の衝突で、俺たちを中心にして嵐が発生したかのようなように土塊が飛び散っていた。


「手加減のつもりか、貴様!」(余裕そうだな……!)

「多少はな。一瞬で終わるのはつまらんだろう?」


 柔らかそうな笑みを浮かべるリアンナ。

 折れそうになる心を奮い立たせ、俺は再び剣を振るい上げた。


 だが、二度目の衝突は起きなかった。


 ドゴンッ――!!!!


 振り返って見える先。

 地を揺らすような爆発音と共に。

 首都ホテルの一部から火の手が上がっていた。


 †


 雨足が弱まったから、一応確認のために公園へと赴ってみたのじゃが。


魔素マナの高まりを感じてきてみれば……」


 対峙するのはリアンナと、先ほど人探しをしていた少年。


 ……仕事を終えてゆっくりしようと思ったところだというのに。

 全く人騒がせな女じゃ。


「しかし、あんな子供相手に酷い仕打ちをしおる」


 全く勝ち目がないながらも、それでも立ち向かおうとする少年。

 その青臭さに少しばかり若さへの羨望を感じてしまうが……。

 

 仕事に影響するほどのことではないと確認もできたし、立ち去ることにした。


「教師の真似事をしているようじゃが……、いずれ時代はお主を放ってはおけなくなるぞ」


 首都ホテルの爆破事件を背に。

 面倒な奴らにバレぬよう、和傘を深めに被って。


††††††††††††


 読みやすさのために少しばかり文字数を減らして連載を続けてみます! 文字数が減る代わりに投稿頻度は増えるかと思います!

 今までの話も短い方が読みやすいでしょうか……?


 もしもこの作品を楽しんでいただけたら、評価・感想を残していただけたら、次話を書くモチベーションになります! よろしくお願いします!

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