少年編 アメリア⑤
本日、晴天なり。
春の息吹を待つ、まだまだ肌寒い晩冬のカラッとした晴れ。
絶好のお出かけ日和で、日本にいたら友人を誘ってキャンプにでも出かけたくなるような。
「……今日はよろしくお願いします」
わかりやすく不機嫌そうな表情でこちらを見る和装黒髪猫耳系美少女アメリア。外に出かけるとだけあって、かなり気合いの入った振袖姿だ。花がいっぱい入ってるし。(小並感)
……そんなに嫌がらなくてもいいじゃん。いくら俺でも傷つくよ?
「俺の後ろで控えていろ」(行きましょうか)
そんな俺の声に対して、さらに黒く艶々とした猫耳の下の仏頂面を加速させるアメリア。
最近では最初に出会った頃の、ステンレスの顔にアメジストの瞳を埋め込んだようなコンクリートの笑顔の鳴りはすっかり潜めて、邪悪度はともかく、不機嫌度じゃ俺の仏頂面にすら勝つんじゃないかって表情をするようになった。
ダリウスが俺のことをしばいただけあって、いざとなれば俺の悪事をダリウスに言いつければいいという心の余裕ゆえだろうか。
それに、歩くたびにジャラジャラとうるさい音を立てる自分の服にも問題があるだろう。
何か落ち着いた服はないかと探してみたはいいものの、少なくとも自室にあったのはどれも、ス◯夫でもドン引きレベルのキラキラしたお伽話の王子姿の洋服ばかりだったのだ。
こんなものを着ている同伴者がいるならば、腹が立つのも共感できる話だ。
いずれにせよ、俺としては仏頂面の方が幾分か見ててマシだけど、たまには笑顔とかも見てみたいのだ。
「……」
素直に“俺”の言葉に従い、俺の後ろに控えるように立つアメリアに少しだけ視線をやるが……。
彼女を笑顔にするのは俺の仕事ではないし、仕方がないだろう。
「馬車が到着しましたよ!」
というアズーリの声に従って、屋敷の玄関に到着したこれまた乗り込むだけでも躊躇しそうな真っ赤に目立つ豪勢な馬車に乗り込み、
「……」
黙ったままあとから乗るアメリアに手を差し伸べたところ、
「……ありがとうございます」
と、嫌々ながらも彼女は手を握り返してくれた。
役得だと言われればその通りかもしれないけど、アメリアからすれば俺に触れたくもないだろうが、それでもこけて怪我しない方が大事なのだ。
お互い無言のままガタガタと馬車は進み、ナイトフォール領の駅まで辿り着く。
思った以上に揺れる馬車に少しばかり疲れた俺たちは、首都行きの列車に乗り込む。
首都まで30分程度の列車旅。
“俺”の知識のおかげで迷子になることが避けられたのは順調といえよう。
再び仏頂面の男女が二人。
鍛錬室なら、チラチラとアメリアのことを覗く俺に、彼女が怒って、といったやりとりがあるのだが、列車内で何かを話せるほどのボキャブラリーを“俺”が持っていないのは当然として、アメリアも俺に対して積極的に話しかけようとしないだろうしで、まあ気まずい。
まだまだ列車が発明されて時間が経っていない黎明期。
人々の主要な交通手段を、まだまだ馬車がメインを務めるこの世界では、列車の客室は4人がけの席のボックスが並んでいて、通勤通学のために洗練された混雑に対応できる現代日本のもの違って、長旅の旅人がリラックスしてお話ができる、そんな感じの設計である。
「……」
「……」
だからこそ余計に気まずいのだ。
外の風景を見ようにも、まだ春前で禿げた農地しかないし。
先程からやることがなくて、お互いの目を見つめ合うという言葉だけなら恋人らしいことをしていて、まるでどちらが話し始めるかの勝負をしているような状態である。
言っておくが、俺の決意は固いぞ。
喋ったら碌なことにならないって、アメリアも知ってるはずだ。
などと思っていると、
「今日は……、どこに行く予定ですか」
と、アメリアの方が折れてくれた。
コミュ障勝負、俺の勝ちだぜ。……いや、アメリアは別にコミュ力がないわけではないけどね。
「賎民の貴様じゃ、想像もつかぬ場所だ」(君が行きたいところにしようと)
「そうですか……」
うーん。伝わらないね。
本当は彼女の息抜きのために出かけているというのに、このままだと息が詰まる思いをさせ続けてしまうなぁ。
途中でなんか理由をつけて単独行動でもしてみるか?
なんて考えていると、
「ちなみにその、私が想像のつかない場所ってどこですか」
と問われてしまった。
……一応、彼女の息抜きができそうな場所を一つ選んではいるのだ。
「凡人などが理解もできぬ真の芸術が堪能できる映像館だ」(映画館には行く予定だよ)
お、珍しく伝わりそうな言葉。
対してアメリアも、あーあそこねって感じの顔だ。
「……映画館が凡人が理解できない真の芸術って……」
ついでにちょっと呆れてる。
そりゃそうだ。映画なんか大衆のために作られた娯楽の最たるものだし。
「……」
「では、どの演目にするか、楽しみにしてますね」
と、こちらもイタズラっぽい笑顔を向けるアメリア。
なんともまあ、ハードルの高い注文をつけられたものだと思った。
けど、今回に関してだけは、俺にも自信があった。
今年はこの世界の大陸共通の暦でいう911年。夢見の大陸シリーズのヘビープレイヤー的に言えば、邪神の封印が解かれる2年前。
この時期ならば、後々大陸西部の国々の帝国や王国に移住するはずのある女性が、まだ共和国で女優をやっているはずだから。
そのことは原作LHではなく、夢見の大陸シリーズで知っていたのだ。
そしてこれから向かうのは首都でも最大級の映画劇場。
魔法によって演じられる劇場と、魔導技術によって彩られる背景によって作られる、この世界独自の映画。その黎明期ながらも、数年後には大陸全土に人気を轟かせることになる彼女の演目が見られるはずなのだ。
「お前如きが推し量れぬものを見せてやる」(期待してくれてもいいですよ)
少しばかり和らいだ雰囲気の列車内で、心地よい揺れに身を任せながら、首都に近づくにつれて高くなる建物を見ることにした。
†
たどり着いた首都。
オルディア共和国の中心。
大陸東部最大の街にして、緩やかな終焉を迎える街。
――ってのが、夢見の大陸でわずかに登場するオルディア共和国首都の説明だ。
ついぞその詳細は原作LH以外で語られることはなく、断片的な伏線だけが張られたまま、制作会社が倒産してしまった。
けど、立ち並ぶ立派な建物からして、この街が終焉を迎えるなんてのはどうにも想像しにくいものだ。
流石に現代日本の東京さながら! なんてレベルまではいかないが、重厚な建築仕様の建物の数は数え切れず、綺麗に整備されたコンクリートと土の道は、アスファルトの日本よりも味がある洗練された美しさを保っている。
歴史の教科書などで見たことのある、一番古い白黒写真で撮られたパリの街並みがそのまま再現されたかのような、そんな雰囲気だ。
「おぉ〜」
などと、人前だというのに、圧倒され過ぎているせいで素の言葉が漏れ出てしまった。
あれ? もしかして今なら自由に話せるかも?
なんて思って、
「この程度の街、ナイトフォール領でも作れよう」(綺麗な街並みだー)
いやいや、無理だから。
俺、土木や建築とかできる系のチート主人公じゃないから。
というか、仮りに日本で建築関連の仕事してたとしても、魔導という高度な技術に色々と依存してるこの世界では、建築改革をするのは難しそうなものだ。
「?」
と、俺のよくわからん独り言に対して首を傾げているアメリア。
何もないぞーと、目を見ながら沈黙していると、ちょっと呆れた表情をして先を歩くアメリア。
実は列車到着後、その足で映画劇場に向かった俺たちだったけど、件の映画の上映が昼過ぎからとなっていたために、それまでは首都を回ることになったのだ。
「退屈だ。俺を楽しませろ」(アメリアさんの行きたいところに行きましょう)
という一応意思疎通にチャレンジはしてみたけど、結局吐き出された曲解必至な言葉に対して、
「あなたが誘ってきたでしょ? ……まあ、いいですけど」
と、なぜか大意が伝わり、今はアメリアの先導で首都を回っている。
そしてまず向かったのは、デパート。
広々とした敷地に、煌びやかな吊り下げ灯とそれを反射する鏡張りの壁に、つるっつるの大理石の床。
電気とは違う方式で動くエスカレーターを数回乗り継いでたどり着いたのは婦人服のフロア。
「下賎な外套どもめ」(色々あるなー)
などと呟く俺そっちのけで、アメリアはあちらこちらから気に入ったであろう服を物色しては、鏡の前でサイズを確かめながら体に合わせている。
時たまこちらに何かを期待しているような目線を送っては、しばらくしてため息をつきながら落胆しては、次の服を試し始める。
けど、さすがは黒猫系美少女のアメリア。
その試着したどの服も似合っているのだ。
まだまだ13歳とはいえ、大人のモデル顔負けの美貌。スラリとした手脚も同性ならば嫉妬の対象になりそうなほどだ。
けど、凹凸が少ない少年のような体型のせいで選べる服のバリエーションが減ってしまわないんだろうか?
ん?
なんかアメリアがものすっごい形相で睨んできてるんだけど……。
え? なんでそんなドスドス地面を踏みしめながらこっちに来てるの???
などと余計なことを考えていた俺の目の前まで来たアメリアは、
「選んでください!」
と、いつになく強い口調で命令してきた。
両手には服が一着ずつ。
えーと……、どっちかに合う方を選べってやつかな?
右手にあるのはセーターのように編み込まれたカーキ色ワンピースとチェック柄のロングコートで、左手にあるのはフリルの付いた白いブラウスに、エプロン付きのロングスカートの一式。
アメリアはしきりにそれらを体に当てて、どうだどうだとばかりに見せつけてくるのだが……。
「どちらでも変わらん」(着てみてもらわないと判断できないよ)
なんて、女の子に対する返答で最悪の選択肢を選んでしまったために、
「むっ!」
と、アメリアもお怒りの様子。
あれは見たことがある表情だぞ!
確か、高校の時に生徒会と一緒に海に出かけたときこと。会長と付き合っていた副会長が二人でバナナボートに乗ったときの、会長に一目惚れしていた副会長の妹そっくりだ!
……いやそこまで恨めしい顔ではないかも。
「もういいです!」
と、そう吐き捨ててアメリアは更衣室へと入って行ってしまった。
……なんだか場の空気壊す悪いことしてしまったなー。
はぁ、とため息をついて待合用の椅子に座る。
そして何をして時間を潰そうかなーと思っていると、
「はい! これ、どうですか?」
と、カーキ色のワンピースの上にチェック柄のロングコートを着たアメリアがやってきた。
随分と大人びた雰囲気で、比較的身長の高い彼女にはかなり似合う格好である。セーラーの編み込みの質感と、彼女のふさふさな髪の毛に、その上についている可愛らしい猫のように尖ったケモ耳との親和性も高い。それに、さすがのプロポーションのおかげもあって、スレンダーな彼女のスタイルが一目でわかるファッションである。
感心しながら眺めていると、彼女は俺の反応に満足したのかそそくさと再び更衣室に消え、数分のちに再び俺の前にやってきて、
「こっちはどうですか?」
と、尋ねてきた。
フリルの付いた白いブラウスに、エプロン付きの黒いロングスカート。そのつぶらなオッドアイとの組み合わせから、まるでフランス人形のような様子である。
やはり綺麗な女の子には何を着せても輝くのだろう。弘法筆を選ばずというやつだろうか。
ただそんな俺の様子を見て、
「うーん」
と、俺の眼球を睨みつけながら悩んだ末に、
「じゃあ、こっちにします」
と、最初に着ていたワンピースに決めたのか、再びその服に着替えて、そのままレジに向かった。
どうやら今日はその服で過ごすつもりみたいで、着て来ていた振袖は店員にお願いして丁寧に畳んでもらって紙袋に詰めてくれた。
その紙袋を軽くウィンクしながら渡して来た店員には、完全に恋人同士だと勘違いされたみたいで、去り際に小声で「頑張ってください!」などと応援までされてしまった。
本当に恋人同士だったらよかったけどなー。
そう思いながら、どうせならとアメリアのファッションに似合うだろうローングブーツを帰り際に買ってあげることにした。
やっぱり女の子は綺麗に着飾ってこそだと思うのよね。
……本当ならニット帽も似合いそうだなーとは思いつつも、彼女の時たまぴくぴく動く耳を見たくて、帰り道はあえて帽子屋には近づかないようにしてたりもしたが……、どうやら彼女にはバレないで済んだみたいだった。
うんうん。
やっぱアメリアの猫耳かわいい。
†
冷めやらぬ熱気で頬を赤く染めながらも、先ほど見た非現実的な体験を語るアメリア。
「すごい作品でしたね!」
その通りだ。
おおよそ日本では感じられなかったような臨場感だった。
魔導技術で再現された風に靡く大草原という舞台は、まるで観客を実際にそれを山から見るような錯覚に陥らせるものだった。
複数の属性の魔法を複雑に組み合わせて再現された、4Dなども超える臨場体験。草原からくる瑞々しくも渋みのある風には、かすかに野花の香りもしたし。
場面が変わって、少女が身を投げることになる火山口では、ぐつぐつと煮えたぎる溶岩が波打ち、飛び散って来た飛沫が顔に当たって、実際に熱かった。
「空に羽ばたくことを夢にした少女が、ドラゴンの背に乗って叶える……」
火口の奥から飛び立つドラゴン。
鉱石のような鱗を持つ飛龍が飛び立つ姿など圧巻で、観客の頭上をギリギリで飛び去る場面では、振り返りながら大歓声が起きていた。
「でも、愛する村と敵対してしまうんですよね」
密かに少女を火山の主の生贄として育てていた村人たち。
そんな彼らの前に現れたドラゴン。
無害なドラゴンを村の一員として迎えてほしいと懇願する生贄の少女の言葉が耳に届くことはなく。
恐れ慄く人々は、高名な勇者たちを呼び寄せて飛龍狩りをすることとなった。
その戦いもまた、圧倒的なものだった。
圧倒的な強敵として君臨する勇者たちを、まるで舞うようにして戦う少女とドラゴン。
血で血を争う壮絶な闘争の末、「龍王討ち取ったり!」と、傷だらけで斃れゆくドラゴン。
「あれは本当に奇跡でしたね……」
慟哭する少女を全ての騒動の元凶としてその場で殺めようとした村人たちの前に現れたのは、光粉を散らせながら消えゆく龍王の死体から生まれた王子だった。
村を捨てて少女と王子は遥か遠くへと飛び去り、王子の棲まう龍の居城へと。
そして彼らのダンスとともにクレジットが流れ、舞台に出演した人々が全員登場し、一礼したのちに湧き上がる大歓声で、劇は終わるのだった。
「あの程度で感動するとは、底が見えるな」(流石は共和国が誇る娯楽の一つだったなぁ)
「王子様もすごくかっこよかったですね。女性の観客の心を鷲掴みにしたに違いありません」
と、俺の空気の読めない一言をガン無視しながら感想を語るアメリア。
「でもあのドラゴンって、魔導具で再現されたものでしょうか……? 映像にしては、やけにリアルだったような……」
と首を傾げるアメリア。
気づいてしまったか……。
「真贋を見通す眼くらいはあると思っていたがな」(さすがはお目が高い)
「……わかってますよ。あんなに現実にいるわけないって」
「やはりその程度か」(実はモノホンなんですよ)
とまあ、伝わりもしないいつもの会話をしながら、首都の街を歩く。
「けど、ベリアル様にも意外な一面があるんですね」
「この俺が貴様如きに推し量れると思うな」(どういうこと?)
「映画を見て感動するなんて……。どうせ、あんなの作るものに過ぎないから、感動するわけもなかろう、なんて思ってそうでしたけど」
「ふん、所詮想像の範囲内だ」(いい映画でしたよー)
「の割には、映画の時すっごく楽しそうな顔をしてましたよ」
イタズラっぽい表情でこちらを見るアメリア。
そりゃそうだ。
“俺”はともかく、俺は心から楽しんでたからね。
「出来の悪さに嘲笑してただけだ」(面白かったからねー)
「またそんなことを……。もういいです」
そう言うと、軽く不機嫌になった彼女の歩く速さが変わった。
ずんずんと先に進む彼女に置いていかれないように俺もついていく。
映画を見た後何をするか決めていなかったのもあって、彼女が先行してくれるならそっちの方がありがたかった。
甲斐性のない男と思われるかも知れないけど、残念ながら俺はアメリアの王子様じゃない。
雑踏の中、彼女の落胆した背中がやけに小さく見えた。
「……いつも笑顔でいればいいのに」
†
夕食時。
あの後、やたらとジャラジャラした目立つ貴族服の俺に耐えきれなかったのか、再びデパートで俺用の服をあさってくれたアメリア。
数個の売り場を回って、最終的には無難な一張羅を押し付けられた。いや、別に嫌な気分じゃなかったどころか、俺もなんだかんだ周りから浮いてる自分の服装が小っ恥ずかしかったからよかったけど。
日が沈み始め、とりあえず駅近くにある手頃なレストランに入る。
チグハグな関係ながらも、楽しかったなーなんて寂しい気分になるが、……早すぎるかも知れない。そんな帰宅時刻になった小学生の夏休みのような気分は帰り道にでもとっておいて、今は夕食を楽しもう。
そう思って、二人して黙々と出された料理に手をつけていると、
「ベリアル様」
と、アメリアは語りかけて来た。
彼女を傷つける言葉しか吐けないので、俺は無視することにした。だけど――、
「無視しないでください」
アメリアはまっすぐ俺の目を見ながら言ってきた。
「貴様に俺の行動を指図される覚えはないが?」(どうしました?)
「……そうですね」
そんな俺の言葉に、またも気を落とすアメリア。
だから答えたくなかったんだ。
「……無視してもしなくてもいいです。でも、少しだけ私の話を聞いていてください」
真剣な顔で、彼女は続ける。
†
「ベリアル様は……、なぜ私を連れて首都に来たんですか?」
私は答えを知ってる問いかけをしました。
でも、ベリアルは仏頂面のまま押し黙っています。
私のために出かけたことくらい、……言われなくてもわかっていました。
そして、……ベリアルが答えないことも、わかっていました。
「ベリアル様は、なぜ私が婚約者となったか、知っていますか?」
だから、私は彼が知らないだろうことを話すことにしました。
「ナイトフォール家の威光だ。クレイトン商会はそのおこぼれに預かろうとしているのだろう?」
「……ええ。確かにそうかも知れません」
けど、この答え方からして、ベリアルが答えを知らないことはわかりました。
屋敷での孤立具合からして、聞かされなかったのも納得です。
「借金です」
だから私は、ベリアルを試すことにしました。
「私がベリアル様の婚約者になった理由は、父の借金です」
「……?」
意外そうな顔をするベリアル。
「クレイトン商会もついに斜陽か?」
「もちろん母の商会が危ないなんて話ではないです。……父が一人で背負った借金ですよ」
いつの日か、間違えてベリアルと重ねてしまった父の姿を思い出しながら、
「ある賭博場で父はこっ酷く負けたらしいです。詳しい内容は知りませんけど、それで借りてはいけない場所から、クレイトン商会の名前で大金を借用して……」
「……どうした、続けろ。貴様の不幸話はいいつまみになる」
そんなことを平気な顔で言うベリアル。
……たとえ本心じゃないかも知れないとわかっていても、少しずつ自分の中の怒りが増えていると感じました。
「……ルーカス様がその肩代わりをしてくれたのです。そしてその代わりとして、私がベリアル様の婚約者になりました」
「……」
「だから、私はベリアル様が何を言おうとも従うしかありません」
「…………」
私の話を聞いて、黙るベリアル。
彼にしては……、自分の立場が一方的なものだと判明したでしょう。
前まではただただ父親が連れてきた婚約者。だけど今は、自分の家に恩があり、自分の言うことに逆らえない都合のいい女になったはずです。
『フヒヒヒヒ、ならばお前のことは好きにしていいんだな』
などと言って、暗がりに連れ込んで好きにしても、誰にも何も言われません。
……そんなことをされるのが怖くないわけじゃないですが、……それでもベリアルの本性を見られるならと思って話したのです。
ですが……、
「自らの運命を他人の手に委ねるなど、貴様はそれでも生きているつもりか?」
「え?」
意外な言葉が返ってきました。
予想と違いすぎて、少し呆気に取られます。
珍しくその仏頂面の中に怒りを込めて、ベリアルは問いかけてきました。
「父の借金がどうした? それで貴様は抗うことをやめて、俺の婚約者になったと?」
「……」
「もはや哀れすぎて笑いすら出ぬわ! 俺の婚約者たる女が、道化の小娘どころか、ただの傀儡だったとはな……」
容赦のない私への罵倒の言葉。
こめかみに手を当てながら、ベリアルはレストランにいるということも忘れて怒鳴り続けます。
「“俺”の顔に泥を塗るつもりか!?」
どこまでも自分のことしか考えていないような言葉。
いつも通りといえばいつも通り。
でも。
なぜか。
なぜか無性に腹が立ちました。
「婚約はあなたの父が決めたでしょ! 私は父に何も知らされなかったです!」
「無知ならば許されると思っているのか?」
「だったら、どうしたらよかったんですか!?」
「意思を示せ!」
いつものような酷い言葉遣いのベリアル。
でも。
彼から出る言葉は……。
なぜか普段のような痛そうに見えるだけの柔らかいケーキでできた匕首ではなく。
鋭い短剣のように心に刺さるものでした。
「私が行かなければクレイトン商会に大きな迷惑になるんです!」
初めて彼と交わした心の会話のような気がしました。
望まない婚約で貴族に嫁ぐこととなった女の丁寧なだけの上部の言葉と、努力家で映画を見て子供のような笑顔をする態度だけは尊大不遜な男の子。
そんな欺瞞に満ちた上っ面だけの関係がやっと変わりそうだというのに。
私は叫び返すしかできませんでした。
「ならば拳を握れ! 歯を食いしばれ! 理不尽に戦え!」
兄との戦いで圧倒的な絶望の中でも立ち上がり続けた少年は、逃がさないとばかりに私を睨みつけてきました。
「あなたほど私は強くないんです!」
「それがどうした! 勝てないからと諦めるのか? 負けるからと逃げるのか?」
「あなたみたいに身勝手になれません!」
「ならば他人に自分の運命を如何様にでも捻じ曲げさせると? 負け犬根性の染みついた小娘らしい考えだな!」
そんなことを真顔で宣うベリアル。
私だって……。
「私だって、できることならベリアルみたいに好き勝手にやりたかった! ベリアルみたいに、誰の目も気にせずに、好きなように生きたかった! でも!」
私は息が続く限り叫んだ。
「私はベリアルと違ってお母さんがいる! 弟もいるし、友達だっている! クレイトン商会だって、それに負けないくらい大事なの!」
「だからどうした!? 悲劇のヒロインのつもりか!?」
「あなたみたいに、周りに迷惑をかけるなんてできない! あなたみたいに……! 周りの気持ちを蔑ろになんてできない!!」
私は泣きじゃくりながら、叫んだ。
「私は……、私は、ベリアルの婚約者になんかなりたくなかった!!!」
†
手ひどく振られる、というのはこういうことを指すんだろうなぁ。
顔にかけられた水を、紙袋にしまっている着てきた貴族服で拭う。
レストランを出ていってしまったアメリアを呆然と見ながら、俺は小さくため息をついた。
……あれは“俺”の言葉じゃなかった。
確かに“俺”の無駄に上から目線の味付けがされた言葉ではあったけど。
あれは間違いなく俺の言葉だ。
その暗い運命に身を任せてほしくなかった。
待ち受ける
だけど、そんな俺の身勝手な言葉は、彼女を傷つけてしまったのだろう。
俺はこの世界で何も背負うことはなかった。
だって、俺はいきなりここに連れてこられただけだから。
けど。
彼女はその小さな背中にいろんなものを背負っているのだろう。
そんな彼女が俺の無責任な言葉に怒るのも当然だ。
しばらく自己嫌悪に苛まれながらも、一応は出された料理を喉に無理やり流し込みながらも平らげる。
美味尽くしだった異世界の料理は、どれもがゴムとダンボールの味しかしなかった。
彼女はクレイトン商会の娘だ。首都で泊まるところに困ることもないだろう。
茫然と会計を済ませて家に帰ろうと思ったとき、
「彼氏くん、彼女のこと追わなくていいの?」
なんて気遣いをしてくれた店員に、俺が行っても仕方ないだろうと返答しようとしたところで、はたと思い出した。
この世界の原作。
それは凌辱ゲー。
一人になった女の子に容赦ない毒牙が迫る世界。
アメリアが危ない!!
そう思った俺は、適当にカウンターに高そうな紙幣を数枚投げ捨てて、店を飛び出た。
先ほどまで星が見える晴れていた夜空は、鉛のように曇り始めていた。
††††††††††††
ついに1万字を超えてしまった……。
もしもこの作品を楽しんでいただけたら、評価・感想を残していただけたら、次話を書くモチベーションになります! よろしくお願いします!
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