無知と幸福
鳩原
第1話無知と幸福
「お父さん、空はどうして青いの?」
「うーん、分からないなあ。そういう難しいことは図書館で調べないと。」
「そっか。じゃあその、としょかん?てとこ連れてって!」
太陽が少しだけ傾いた昼下がり、清らかな川とそれに沿って植わっている桜が美しい公園で、そんな会話が繰り広げられた。幸せそうな親子だ。しかし、男の子の口から連れてってという言葉が飛び出た瞬間、父親の顔が引きつる。
「ごめんなさい……?」
ついさっきまで好奇心で溢れんばかりだった子供の瞳には、もう不安しか映っていない。鋭い感受性で、場の空気が凍ったのを感じ、何が何だか分からないままに謝ったのだろう。父親は慌てて笑顔を作ると、表情を保つことに集中しながら、幼い息子に説明を試みた。
「ショウゴが謝る必要はないよ。知らないってことは恥ずかしいことじゃないから。むしろ誇るべきことだよ。でも、少しだけど知らなきゃいけないこともある。その一つが、お金のことだ。いいかい、図書館に入るのにはものすごい量のお金がかかる。実はパパも話に聞いただけで行ったことはないんだ。」
「そうなんだ……」
男の子が目に見えて落ち込んだからだろう。父親も少し寂しそうな様子だったが、気を取り直して励まそうとした。
「でも大丈夫。難しいことは機械がやってくれるからね。ショウゴはただ、幸せに暮らしていればいい。」
「幸せに暮らすって、どうしたらいいの……?」
男の子はもう一度父親が固まるのを恐れて、おそるおそる質問する。しかし父親は固まるどころか、待ってましたと言わんばかりの快活さで口を開く。
「それは簡単だよ!公園に来る途中に、可愛らしい女の子の絵が描かれている広告をたくさん見ただろう?」
「うん!なんかその下に黒くて太いにょろにょろもあった!」
「よく覚えてるね。それは文字っていって、言葉を目に見えるようにできるんだよ。すごいだろう?」
「すごい!公園、とかも文字にできるの?」
「できるらしいけど、今みんなが知ってるのはあの広告のだけだよ。その他の文字はもう機械しか読めない。それで、その広告の文字なんだけど、」
ここで父親はもったいぶるように一度息をついた。
「無知は幸福の子ども、って書いてあるんだよ。」
「へー!どういう意味なの?」
「無知は知らないこと、幸福は幸せなことだよ。子どもっていうのはたとえで、まとめると、知らないことは幸せになるための初めの一歩って意味だね。」
「ほんとにそうなの?」
「ほんとだよ。パパたちよりもずっと難しいことを考えてる機械がそう言ったからね。それから、こうも言った。大人になってもそうやって機械を疑っちゃう人は病気かもしれないから、大きな病院に行って治さなくちゃいけない、と。でも病気になった人で無事に治って帰ってきた人を見たことがないから、治りにくい病気だと、パパは思ってる。ショウゴが病気になったらとっても悲しいから、今からはあんまりそういうことを言わないでほしいな。」
純真無垢な心と病気への怖さとで、男の子は素直にうなずいた。
「うん、わかった!」
「ありがとう。ショウゴはパパの自慢の息子だよ。これからも、本当に必要なことはパパかママから教えるから、あとはできるだけ何も知らないようにしていこうか。パパはそれがショウゴにとって一番の幸せだと信じてるからね。」
二十一世紀半ば、地球は滅亡寸前だった。環境破壊をここまで進めた原因は人類の強欲な選択だとして国家は一斉に権力を破棄、地球の運営は全て人工知能に移行。それからは最適としか言い表せない人工知能の操作で、百年もしないうちに地球は四半世紀前の水準まで回復した。知識の開示を除いて。
無知と幸福 鳩原 @hi-jack
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