第三話 中沢 ゆめ

 麻子の提案から始まったユーチューブやツイッターなどを活用したプロモーション活動は順調に花を咲かせ、「この辺りで活動しているバンドのうちでははまあまあ有名」程度だった知名度から、「外を歩いていると声をかけられる」「音楽業界の人らしい人物がたまに見に来る」レベルまでのし上がった。SNSを眺めていると自分達の”ファン”と思われる人達が普通に存在するようになったし、エゴサーチをしてみると明らかに一定以上の人気があった。

 ゆめは驚き半分、わくわく半分の気分だった。昔からテレビで活躍する有名人に興味があり、その中でも特に音楽を生業としている人々に憧れていたため、今後の自分達に期待が高まった。しかし、いざ自分がその立場になってみると、少しの緊張もある。それでものんきにわくわくしていられるのは、当然ゆめの性格もあるが、一緒に活動している仲間を信頼し切っているからでもあった。

 次のライブが決まった。今回は、メジャーデビュー目前と言われているバンドから誘いがあり、対バン形式で開催することとなった。そのニュースを持ってきた窓口係の麻子は、非常に興奮していたのが見て取れた。

 ゆめは、麻子の変化を微笑ましく思っていた。最初は明らかに乗り気でなかった彼女が、どんどん自分達との活動に夢中になっていき、一生懸命にサポートしてくれる姿勢は嬉しかった。妹のよう。ゆめ自身も含め、演奏メンバーにはマネージングを得意とする者がいなかったこともあり、良かったなあと感じていた。

 夏が到来した。

 ゆめは大学のキャンパスをたらたら歩きながら、愛用のスマートフォンをいじっていた。すると、ポン、とラインの通知がきた。

「今日遅れる」

 聡だった。バンドメンバーのグループ内だ。

 ゆめは図書館前のベンチに腰を下ろし、適当なガムを取り出して口に放り投げながら返事を打った。

「新曲早くやりたーい」

「それの用意で遅れるんだよバカ」

 と、聡。自宅でギターを抱えながらデスクトップパソコンの前に座り、曲の制作をしている聡の姿が目に浮かぶようだった。だから今日、自主休講だったのか。

 そのまましばらくそこに座り、ゆめはスマートフォンを眺めていた。木陰が涼しいのでちょうど良い。

 何気なくツイッターを開く。すると、バンドのオフィシャルアカウントにたくさんのリプライが届いていることに気が付いた。

「ファンだったので悲しいです」

「相手誰?」

「和音くん説明して」

「あの女誰?」

 何事かと思い騒動の元を調べると、原因はすぐに見つかった。自分達のファンだと思われる匿名のアカウントが投稿した一枚の写真が拡散されており、それはベースを背負った和音と、後ろ姿の女性がふたりで笑いながら歩いている様子だった。加えて、和音の手には可愛らしい包みが施されたプレゼントが握られていて、女性の荷物まで持ってあげているようだ。角度による錯覚かもしれないが、和音が女性の額にキスしているようにも見える。冬の夜のようなので、結構前の写真だろう。

 あちゃあ、と思うのと同時に、自分達はそこまで人に騒がれるようになったのかあ、としみじみしてしまった。いやしかし、確かにメンバーの中でも和音は特に人気がある。SNSをチェックしていても、リーダーの聡を差し置いてかなりの女性票を獲得しているのはよくわかった。相手の女性が明らかに麻子の姿だったので、まずは安心したが。

 ゆめはそのツイートをラインに流した。メンバーのグループではなく、麻子個人にだ。

「バズってるよー」

「これで麻子も有名人」

「和音とうまくいったの? やったね」

 すぐには既読にならない。もしかしたら講義中かもしれない。

 ゆめは画面を上にスクロールし、麻子との過去の会話を見返した。活動の業務連絡の中に、度々恋愛相談が混ざっていた。麻子から初めて相談を持ちかけられたときは驚いたが、まあ、予想できていなかったわけではなかった。和音はいい人だ。よくわかる。容姿も整っている。だから当然、非常にモテる。麻子は恋愛経験が浅そうなので、余計にすぐに惹かれてしまったのかもしれない。

 それからゆめは立ち上がり、「あっつー」と独りごちながら歩き出した。麻子から返事はこない。

 練習部屋に着くと麻子がいた。ゆめからのラインを確認したあと、何と返事をして良いかわからないままここで一人でパニックに陥っていたようだ。

「私、そんな、和音くんと付き合ってなんかなくて……申し訳ない……」

 彼女は真っ青な顔をし、額に汗を浮かべていた。人の影に隠れるように目立たず堅実に生きてきた麻子にとって、これは酷な経験なのかもしれない。

 ツイッター含め、バンド全体のオフィシャルアカウントの管理を任されているのは麻子なので、彼女のログインしたリプライ欄が更新し続けられているのが、小刻みに震える手元に見えた。

「付き合ったわけじゃないんだ? この写真、めっちゃチューされてるように見えるけど」

「し、してないよ、そんなこと。多分これ、バレンタインのときの……」

「とりあえず聡に相談しよー。和音も気にしないでしょ」

 ゆめの想像通り、和音の登場に間髪入れず二人で事情を説明しても、彼は一瞬きょとんとした後に笑っただけだった。第一、和音はSNS等をあまり積極的にやっていないので、具体的なイメージがついていないのかもしれなかった。

 結局、聡は宵も更けてから顔を出した。煙草を噛み眼鏡をかけ、髭すらきちんと剃っていない聡は、完全にオフの出で立ちだったが、新曲は自信作のようだった。和音と麻子の写真騒動の件については、すでに知っていたのか、和音から説明と謝罪をしても「あー、はいはい」と淡白な反応だった。

「事実じゃないなら説明して謝っとけば。変に炎上したらめんどくせえし」

 床に譜面を広げて確認作業をしつつ言う聡に、和音は頷いた。

「そうだね。麻子ちゃん、ツイッター貸して」

 和音が麻子のほうに手を差し出す。

 すると、聡が作業を中断して言った。

「和音がやる必要なくね」

「え?」

「お前がやれよ」

 ゆめは最初、聡が誰のことを言っているのかわからなかった。視線の先を追うと、スマートフォンを胸に抱いた麻子が立っている。さすがに口を挟みたくなった。

「聡、それはひどくない?」

「なにが?」

「麻子が悪いわけじゃないじゃん。和音も悪くないけどさ」

 聡は麻子と極力関わりを少なくしているように思えるのが常だった。会話といえば、事務的な話しかしているところは見たことがない。和音はあまり気にしていないようだが、聡の麻子に対する態度は目に余るものがある。ゆめはもう一度反論しようと口を開いた。

 しかし、麻子は自分に非があると思っているのか、すぐに飲み込んだ。

「やります、私」

 と、スマートフォンを触る。動かす指はやはり震えていた。



 そんな一悶着があったあとでも、聡の持ってきた新たな楽曲は素晴らしかった。ゆめは昔から聡の作る音楽が好きだった。聡は、幼い頃はゆめのとなりでただ知らない音楽を歌っているだけだったが、それが楽譜に音符の形で並ぶようになり、徐々に磨きがかかり音符は譜面を泳ぐようになり、歌詞とともに命を帯びていく。その過程をずっと見てきたゆめは、特に聡の音楽に対して思い入れが深い。

「最高」

 と、聡の肩を叩く。

 聡にしては珍しい、直球な恋愛を歌った曲で、ロックバラードテイストのメロディに聡の通る声音が乗った胸を打つ曲だった。

 麻子は実家暮らしのため遅くまではいられないので、先ほどの騒動のあとに先に帰宅したが、和音も新曲はかなり気に入ったようだった。涙さえ浮かべている。

「ちょっとさらってくる」

 早速、和音は楽器を抱えて部屋の隅へ移動した。

 ゆめはヘッドフォンの音量を上げた。壁に寄りかかり、目を閉じる。今度は歌詞をよく拾いながら聞き込んだ。

 数分。そして、ぱち、と目を開けた。

「聡」

 ヘッドフォンを片耳外し、小声で聡を呼んだ。

 幼馴染はギターを抱えたまま首だけでゆめを振り向く。

「この歌詞って、」

 そこまで言うと、聡は人差し指を唇に当てて「シー」とジェスチャーした。

 聡の肩越し、和音はベースを弾きながら曲をさらっている。



 帰宅し、入浴後、ゆめはいつものように高校時代のジャージに着替えてベッドに寝転んだ。スマートフォンを開くと、すっかり大好きになった聡の新曲を取り込み、バックグラウンド再生を開始した。

 先日投稿したユーチューブ動画のコメント欄をぼうっと読んでいると、「この人達ただのなかよしじゃん」「1:24 ゆめの反応かわいい」「リーダーと和音のかえるのうた笑った」などの普段通りの感想コメントに混ざって、いまだに「和音の彼女」を突っついてくる言葉もあった。

 しつこいなあ、と少々苛立ちながら、そういえば今度のライブのお知らせはどのくらい反響があるだろうと気になり、ツイッターを確認した。投稿をさかのぼる。

 そこで違和感を覚えた。先立っての「和音の彼女」騒動のあとの、麻子が書いたであろう説明のツイートが見当たらない。不具合で表示されないのかと思い、ファンが呟きそうな単語で検索をかけてみても、それについて説明があったような形跡は見つからなかった。

 不思議に思い、ゆめは麻子に宛て、その投稿を消したかどうか確認するラインを送った。

 すぐに既読になった。なんだろうと思っていると、電話がかかってきた。

 驚いたことに、麻子は説明と謝罪の投稿をそもそもしていないと言った。しきりに謝るので、とにかく理由を聞くと、彼女は電話の向こうでついに涙声になってしまった。

「ごめんね、ごめんなさい……」

「うん、でもなんでツイートしなかったわけ? するって言ってたじゃん」

「う、嬉しかったの」

「え?」

「ファンの人達から和音くんの彼女だと思ってもらえて、嬉しかったから……」

 ゆめはつい愕然とした。

「え、でも、麻子は和音の彼女じゃないんでしょ?」

「彼女じゃない……」

 部屋には、聡の歌声が切なく激しく響いていた。

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