あの子がくれた物語。

そして、卒業式の次の日、僕がホームワールドにいると、またチークさんがジョインしてきた。

「どうも~」

「こんにちは~」

「今日もアバターかわいいですね~」

「ありがとうございます」

表情を笑顔に変えた。

「イトウさん今日なんかいつもより明るいですね~」

「そうですかね…?」

そんなつもりはないが、多分卒業式が終わって区切りがついた分、自分に見えない重荷が降りたのかもしれない。

「そうですよ~」

「いつも優しいですし、話も聞いてくれますし~」

「それに、やっぱりラスクちゃんにイトウさんって似合ってますよ、解釈一致っていうか」

となぜか僕を持ち上げてくる。

「あ、ありがとうございます…」

そして、またいつもの愚痴を聞いて、彼女は帰る、そう思っていた。

今日はかなり界隈への愚痴が酷くて、彼女の気持ちはいつもより昂っているみたいだった。

「それに比べてイトウさんは優しいですよね~」

と、僕を下から上へ、上から下へ見ながら言ってくる。ここまで言われるとすこし恥ずかしかった。

「イトウさん」

名前を呼ばれた。

「私とお砂糖しませんか?」

「…え?」

驚いた。ヨルノさんの時ほど驚かなかったが、違う、驚いたポイントはそこじゃなかった。

「僕、もうお砂糖相手が……いるんですけど」

自分の左手を見る。薬指には綺麗なアクアマリンが輝いていた。

彼女は笑顔のまま述べた

「やだな~」

一拍間を置いて言った。

「お塩すればいいじゃないですか、あの人と」

頭を殴られてたみたいな衝撃だった。お塩というのは、つまり、別れろってことだ。

…は?

「だって、そのお砂糖相手は最近ここに来てます?」

「SNSの方も一か月で帰ってくるって言ったきり動いてませんよね?」

畳みかけるみたいな言い方だった。

「でも…ヨルノさんは必ず帰ってくるって…」

「じゃあ、すでにもう帰ってきてるはずですよね?だから、見捨てられたんですよ」

「よくありますよ、この世界だと、急に消えるなんて。転生したんでしょどうせ」

彼女の発言は酷く冷たかった。赤黒い激情が腹からせり上がってくる。

「そんないつまでも過去の人との思い出引っ張ってないで、私とお砂糖しましょう?」

「人間関係いやで転生してきた人いっぱいみてきましたし」

「…」

何も、言えなかった。言葉を選ぶ選ぶ、選ぶ選ぶ、選べない。

「そんな素人臭い指輪じゃなくて、もっとちゃんと指輪もあるし」

「違う!」

違う、違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う!

「ヨルノさんは!初めて僕に一緒に居たいと言ってくれた人で!!」

「僕のことを尊重してくれて!一人の人間として接してくれたんだよ!」

「お前が好きなのは僕じゃなくて、僕のアバターだろ!」

「イトウが好きなんじゃなくてラスクが好きなんだろ」

「見た目でしか人を好きになれないやつが…ヨルノさんを馬鹿にするな!!」

肩で息をする。呼吸が乱れて、コントローラーを強く握る。プラスチックが歪む音がする

彼女は、黙ったままだった。

彼女の方から、バンと強く何かを叩く音が聞こえる。

「気持ち悪…」

彼女の声は揺れていた。

「ラスクちゃんはそんなこと言わないんだよ!」

「中身出してキショいんだよ!!男が男と恋愛ごっこして、可哀想な人間ぶってんじゃねえよ!」

ヒステリックな彼女の金切り声が聞こえてくる。

更に何かを叩く鈍い音が聞こえた。

「いつまでも帰ってこないやつ待っとけよじゃあ!」

あいつがメニューを開く。そして小物みたいに捨て台詞を吐いた。

「子供かよ」

あいつはもう消えていた。


HMDを乱暴に外して、敷いていた布団にに叩きつける。

目の奥がじんわり熱くなり、視界がぼやけて鼻の奥から酸素の匂いがする。

自分でも情けなくなる嗚咽が止まらなくて、止められなかった。

違う。僕は何も間違っていないのに、大切な人が傷つけられたから、それに然るべき対応をしたのに、なのに。

息が熱い。ティッシュを箱から2枚ずつ出して、目の水分を拭き取る。ヒリヒリとした感触がとにかく不快だった。

スマホも触りたくない。何も見たくない。

瞼の裏にあいつの顔が浮かぶ。殴りたい。殴って、殴って、ヨルノさんの悪口を言えないようにしてやりたかった。

数分泣いてから、冷静になってから寝床についた。

布団に入って、数回布団を蹴った。

布と綿が擦れる音が部屋に響いた。

痛いまどろみの中、意識が完全に無くなった。


ふと気づくと、白い空間に自分一人が立っていた。

何もない、ただ、生身の僕だけが立っている。しかし、振り向くと、そこには淡い水色の髪の毛をしたネコミミが生えている中性的な女の子が立っていた。

あいつだ。

殴ろうと思って、走ろうとしても上手く走れない。こぶしを強く握って歩いて行って、殴ろうとしたその時、その子の左手に光るものを見つけた。水色の輝きを放って、中の写真と調和しているその指輪は、ヨルノさんがくれたものだった。

ハッとして目の前のアバターを見る。

これはあいつじゃない。

僕のラスクちゃんだ。

「…」

この子は僕を見つめるばかりで、無表情のままだ。だって、僕がその声だから。

無表情のまま、その子は指輪を外そうとした。

「待って!」

急いで駆け寄って、止めようとする。その子の手はほのかに温もりがあった。

表情は変わらないまま、指輪を外そうとするのをやめて、手を伸ばしてくる。

その手を僕の背中に回すと、僕を優しく抱擁してくれた。買った時はポリゴンの塊だと思っていたけど、そんなことはなかった。その子が僕の頭を撫でてくれたとき、僕は、泣いてしまった。その子が僕の背中をさするたび、嗚咽が口から漏れて、額をその子の肩に乗せる。

「ごめん…ごめん…」

ただ謝ることしかできなかった。

一通り泣いた後、ラスクちゃんと目を合わせる。ぐちゃぐちゃになっていそうな僕の顔とは対照的で、優しく微笑んだ。自分を保つために、その子と距離を少し置いてから言葉をかけた。

「君のおかけで、ヨルノさんとも、パンさんとも、あやめさんとも、パブリックのみんなとも会えたんだ」

小さく首を縦に振る。

その子の手をふんわり握った。手を握り返してくれて、額をこちらに近づけて、僕の額に当てる。息遣いが聞こえる距離だった。

「君がくれたものだったんだ、ありがとう」

少し顔を離すと、彼女の表情が笑顔に変わり、肩の下辺りで小さく手を振った。

体の意識が、現実に引っ張られる。ここでもうお別れみたいだ。

ラスクちゃんって、こんなにも笑顔が可愛かったんだ。


目が覚めると、僕の目はパンパンに膨れていた。寝起きの体を鞭打って、PCの電源をつける。

モニターのマウスカーソルを動かして、Unityを起動した。

画面には、指輪を着けたときのまま、僕のアバターが映っていた。

腕を横にピンと広げ、コライダーや、可動域の表示などが重なっているが、その姿は、さっき夢で会ったラスクちゃんだった。

チラッとみて安心してから、PCの電源を落として、僕はまた眠りについた。

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