可愛くない、強くない、優しくない。

最終面接が終わった。僕は面接の帰りに公園のベンチに大股で座っていた。

大きくもなく、住宅街の中にポツンとある公園で、まともな遊具もない。

着ているリクルートスーツが苦しくて、自動販売機のボタンを押す。

意識的に伸ばした背筋も、仮想空間のおかげではきはき喋れた質疑応答も、もうそこにはない。

スポーツ飲料を拾い上げ、蓋を外して一口飲む。汗で張り付いたシャツを伸ばして、ベンチから立った。

家に帰るとそこには、散らかった服と、ペットボトルと、数日前の菓子パンの袋が落ちている。

いつからこうなったかはわからない。着替えてから、かび臭い匂いと一緒にすこし皮脂の匂いがするHMDを被った。

彼が別れを告げたあの日から、数週間はパブリックインスタンスで会話しに行ったり、イベントに赴いたり、パンさんと話したりしたが、いつのまにか、一人のままホームワールドに籠るようになってしまった。たまに、ちーくさんがジョインしてきて少し話して帰っていくのは相変わらずだった。

あの日から変わらないホームワールドは、微かに彼の残滓が残っているようで、縋るようにどんな日も仮想空間にはログインしていた。

結局動画を見てからHMDを外して、とぼとぼ歩いて冷蔵庫を漁る。

2Lペットボトルの水を直接飲んで、冷蔵庫の棚に戻す。面接前だからと念入りに洗った体も、まだ脂が残っているように感じて不快だった。床に落ちているペットボトルを蹴る。

「…」

叫びたかった。でも叫べない。叫び方を知らない。生まれてこのかた叫んだことなどない。激情して人に怒鳴ったことも、どうしようもない感情の収め方も知らなかった。

日課でVRCHATにログインしているのは、自分についてる嘘だ。ただ、あの日でいなくなったことがわからなくて、いまだにひょこんと現れることを期待してるからだ。あの日が最後なんて信じられなかった。

僕は一人で良かったはずなんだ。ちゃんと生活もできていた。駄々をこねるみたいに部屋を散らかして誰かが帰ってくるのを待つなんて僕らしくない。

だけど、僕は毎日寝るたび、あの時のことを見るのをやめられないんだ。

数日後、震える携帯を取った。

「はい…はい、伊東です、はい!はい…ありがとうございます!」

「はい、そこで」

「はい、はい切らせていただきます、、ありがとうございました」

最終面接の合否の電話だった。事前に調べた場所の暗唱や色々な礼儀は忘れてしまったが、そんなことはどうでもいい、これで就活は終わった。

脱力して、椅子に腰掛ける。ほんとうならこのことも彼に伝えたかった。パンさんと一緒に僕の人生の一区切りを祝って欲しかった。

HMDを着ける。新品の輝きを失って、プラスチックの継ぎ目に垢と埃が溜まってきている外見とは裏腹に、中のディスプレイは新品と変わらない映像を出力している。

手垢まみれのコントローラーを握って、仮想空間にログインする。

ログインして数分、チークさんがジョインしてきた。

「やっほ~」

水色の髪が揺れながら、玄関から向かってくる。

「こんにちは」

「今日もアバター可愛いですね~」

「ですね~」

会うたび、ちーくさんは同じことを言ってる気がする。

「さっきポピ横丁行ってたんですけど、またイケメンアバターに話しかけれてさ~」

「やっぱりここ女性少ないですからね~」

「ね~」

いつもの愚痴だ。自分は特に毒にも薬にもならないことを言って、相槌を打っている。

「イトウさんはなんかあった?」

「最近は特にないんですけど、リアルの話だと最近内定出たことぐらいですね…自慢みたいですけど」

「え~おめでとうございます~」

「ありがとうございます」

自分の中の何かが汚れた気がした。

本当は最初にヨルノさんに、あの二人に伝えたいことだったはずなのに、褒めてもらったはずなのに、僕はこんなに高望みする人間じゃなかったのに。

その後はたわいのない会話を少しして、彼女は別のインスタンスに帰っていった。

一人に戻ってから、HMDを外す。

息を吐いて、床に横になってから、スマホでSNSを開く。SNSのお気に入りを開いて、一つのメッセージを選択した。

ヨルノさんのアカウントが投稿しているメッセージで、添付されているのは、あの遊園地で撮った集合写真だった。

風呂を沸かしながら、その写真に映る四人を見る。そして、水色の髪の僕を見る。

僕は、部屋の片付けを始めた。

整った部屋を見ると、三ヶ月前の自分を思い出した。

シャワーを浴び終わって、深呼吸をする。

僕は幸せ過ぎたんだ。基礎がない自分の心地良い環境がいつか崩れるものだったんだ。そこがわからない人もいっぱいいる。

でも、僕はそのぬくもりや思い出が忘れられなかった。

僕は思い出そうとした。僕たちもこんな風に笑いあったはずだ。そうだ、あの日常の中で、

あれ…思い出せない。情景やシーンは思い出せるのに声が思い出せない。

ヨルノさんの声はどんな声だった?脳内で再生できない。

口の中にどす黒いものが上がってくる。違う、違う違う。

吐き気がする。違う、僕は今疲れているだけで、元気になったらきっと思い出せるんだ。

そうだ、そうに違いない。


卒業式が終わった。

卒業証書を受け取り、一人でそそくさと家に帰った。周りの同級生はみんな写真を撮ったり、酒を片手に思い出話をしてるグループや、打ち上げに行くサークル仲間などが眩しく映った。

着替えてからHMDを着ける。最近はパブリックインスタンスに出向く勇気が出て、フレンドが数人できた。フレンドと一緒に外国人などを初心者案内したりして、また一緒に写真を撮った。

今はもうVRにも慣れたし、メニューを見るとパンさんも僕たち以外のグループではしゃいでいるらしい。SNSの動画で流れてきていた。

誰かと笑うパンさんを見て、僕は俯いた。HMDの重みも頭にないのに。

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