砂糖みたいに
翌日。
くしゃくしゃにした白いシーツの隙間から見えた窓の外の色が少し違って見えた。
なんだか清々しい気分で、大学に向かう。道すがら通行人に挨拶でもしたいぐらい気分が良かった。
大学の同級生は、インターンシップがなんやらと話している。学食で軽く聞き流しながら、うどんを啜って、スマホを擦る。
正直インターンシップや就活なんか今はどうでもいい。
すこし前の自分ならそんなことは思わなかった。友好関係や人とのコミュニケーションは最低限で、もっといい仕事に就いて、もっと働いてお金を稼いで、もっと裕福で、便利な生活をする。
違う。確かに幸せかもしれない。でも、もっと何か、大切なものを見逃してきたのだ。
小学校か中学校くらいのとき、そこが境目だと思う。距離の詰め方とでも形容すればいいか、とある時点で、距離の詰め方が不適切な人間は、差別とまではいかないものの、腫れ物扱いや同調圧力にさらされる。社会不適合者というわけではない。だた、距離が以上に近かったり、遠かったり。そこまでの段階でコミュニケーション能力を身に着けていないと、集団からはじかれる。人生のチュートリアルとでも言えようか。
そして、僕ははじかれた側なのだ。
そんな僕を、彼は、あの世界は、認めてくれたのだ。
残りの講義を終えて、家に帰った。
小綺麗なアパートの一室には、隅に邪魔だったので移動したテーブルと家具、そしてHMD用に広く開けたスペースが際立っていた。僕の部屋は仮想空間だ。この家具の配置と、空間自体がそれを物語っている。
HMDを被る。いつも三人で喋っているこたつが網膜に映る。ここが帰るべき場所だ。
安心して、時刻を確認してからSNSを巡回する。仮想空間モチーフの漫画にいいねをつけ、ドラマや地上波の情報などはブックマークに入れておく。
もうすぐ約束の時間だ。スマホで時刻を確認する頻度が多くなる。
結局、すこし経ってから、ワールドの通知でヨルノさんが来たことを知った。
玄関のほうにコントローラーのスティックを倒して歩き、出迎えに行く。
小さく手を振って、挨拶をする。
「どうも~」
「やっほ~イトウさん、来たよ~!」
水色の瞳がふわりと揺れて、僕と目を合わせる。
「今日も映画について語ろう~!」
と、先にいつものリビングに走って行った。それを追いかけて、昨日のようにこたつに座り込む。
「今日さ~、この映画を見てほしくてさ~」
とSNSにURLが送られてくる。映画のリンクで、映画配信プラットフォームのものだった。
「僕はもう見たんだけど、イトウさんの感想が聞きたくて」
「なるほど~」
動画配信プラットフォームから、映画をPCで流し始める。
「僕も後ろで見てるから見終わったら言って~」
「わかりました~」
と、PCのモニターのほうでは、制作会社のロゴが出てくる。
内容は、火星探査車が主役のドキュメンタリー映画で、火星探査車が任務を終えるまでの記録を人間と機械のドラマを交えて、感動的に描いていた。
「すごいっすね…」
思わず呟いた。
「この映画いいよね~、最後のセリフと映画のタイトルが掛かってるの好きなんだよね~」
「機械の火星探査車を無理に擬人化しないところが良かったです」
「わかるわ~、やっぱり無駄に擬人化すると冷めちゃうよね、昔の人工衛星のドキュメンタリーもそれで萎えちゃった」
「やっぱり題材も、もとから感動的ではありますからね…」
「イトウさんもこういうドキュメンタリー見たりするんです?」
「そうですね、あんまり見ませんがたまに気になったやつは視聴してます」
「へ~」
と、語り合った。この後も、この映画の場面ごとの感想などを語りあった。
話が合うというのはとても楽しい。この感覚は、どんな物質的な幸せよりも僕は、この会話こそが幸せだった。
ふと、メニューを開く。ずっと癖でこのHMDを買ってから、メニューを開いてしまう。
そしてメニューの星マークがちらっと見えて、何か引っかかった。そうだ、あの満天の星空のワールドだ。たしかお気に入りで、いつか見せようと思ったのだ。
「よかったら…」
「あの」
僕の声と、ヨルノさんの声が重なる。
気まずくなって、口を開く。
「あ…いや、ヨルノさんどうぞ」
「いや、イトウさん先でいいですよ…」
いや、ここで引いたら、ずっとこのままワールドを紹介できない気がする。本当に見てほしい。
「じゃあ…お言葉に甘えて…」
「その、紹介したいワールドがあって…」
「いいね~」
とヨルノさんは変わらず笑顔になった。
メニューからポータルを開く。
手招きするようなジェスチャーをしてから、ポータルの中に先に飛び込んだ。
ロードを一瞬挟んで、あの黒い丘が見えてくる。
自分の横にスポーンしたヨルノさんに話しかけて、黒い丘の頂上まで向かって、一緒に星空を見上げる。
心なしかヨルノさんとの距離がいつもより近く感じた。目に映る星は、いつの間にか生きてる間に失っていた感情を思い出させるような輝きだった。別にこれがHMDのディスプレイのピクセルだったとしても、僕はそんなことどうでもよかった。ただ、誰かと一緒にこの、美しい光景を見れて感慨に浸れるのが嬉しかった。満足感とでもいえる感情が僕の体を包み込む。感覚が研ぎ澄まされて、握っているコントローラーの手汗のみずみずしさも気になる程だった。敏感になった聴覚が声を捉えた。
「その…」
ヨルノさんが、言い淀みながら小さく言葉を発する。
「イトウさん」
いつもの伸ばした口調でなく、改まった声色で更に続けた。
「お砂糖になりませんか?」
彼の黒髪が背景に溶け込み、水色の瞳が目立って揺れる。後頭部を殴られたような衝撃だった。
告白…?
驚きの感情が脳みその中を駆け巡る。拒絶ではない。なぜ、僕が?いや、僕に?
何か言いたい、でも、頭の中がぐちゃぐちゃになり、沈黙がこの空間を支配する。
「その…いや、恋愛的な意味ってよりも…あの、もっと一緒にいたいというか…」
彼はここで恥ずかしさが勝ったのか、口を閉じてしまった。
心臓の鼓動が意識に迫ってくる。違う、そんなことはヨルノさんも同じなはずだ。僕は、彼に色んなことを与えられて、自分の言葉に応えてもらって、だから。
今度は僕が応える番だ。
だって、ここは、現実じゃない。
「…僕でよければ」
かっこいいよくと思いながらも、やっぱり体は連動せずに声は小さく、あまりにもしょぼかった。
「ほんと?」
小さく頷いた
「は…はい」
ヨルノさんが表情を変えるのも忘れて、叫んだ。
「やった〜!!!」
彼の声が緊迫したトーンから、あのどこか伸ばした口調に戻る。
大きく手を振りながら喜びを表現している。表現というよりも、自然に出ているようだ。
「ほんとならもっとビシッと応えたかったんですけど、すいません…」
「大丈夫、そういう締まらないもイトウさんっぽいし~」
不甲斐なさも吹き飛んで、なぜだか笑いがこみあげてくる。緊張がほどけたのは彼だけではないらしい。
「じゃあ、パンさんにも言わないといけないね」
強張らなくなった手で表情を笑顔にする。
「ね~」
と気のせいではなく、距離が近くなったヨルノさんが同調して、さらに続ける。
「そうそう、あと指輪あるじゃん」
お砂糖は確か自分のアバターにお揃いの指輪をつけるのが通例らしい。ブラウザで調べたことを思い出した。
「指輪の色々は僕に任せてほしいな」
「わかりました」
多分彼には、お気に入りのものか、前々から決めていたものがあるのだろう。僕は特にこだわりもないし、なんならそっちのほうが決めてもらうという体験ができるので嬉しかった。
ふと、指輪の話題で少しハッとする。そうだ、本当にパートナーになったんだ。
ヨルノさんが言うには、恋愛ではないらしいが、やはり通例でも指輪の話題となると、少し意識してしまう。
彼の横顔を見る。すらっとした輪郭に、ふんわりとした黒髪が満天の星空と合わさって、更に微かに神秘的だった。
息をのんで、見つめてしまった。
「明日バイトあるし、そろそろ夜遅いし、またね~」
瞬きが長く感じる。
「ではまた~」
互いに手を振りあって、彼が消えるまで見送る。
なんだかザラザラした感情を抱いた。何色ともいえない。夢を見てるときに出てくる感情みたいで嫌だった。夢であってほしくない。夢であったら覚めないでほしいと本気で願った。
ヨルノさんとお砂糖になった週末の夜、僕はパンさんのもとにジョインした。
またあの地方都市みたいなワールドのパブリックインスタンスで、駅の階段を駆け上る。
上の鏡の前にいるのは人混みの中、やっぱりあの二人はいた。
手を振りながら、パンさんとヨルノさんに近づく。
「やっほ~」
二人が手を振り返すと、ヨルノさんが僕に話しかける。
「揃ったしパンさんに話そうか~」
と言うとパンさんが僕とヨルノさんを交互に見て、首をかしげる。
「パンさん実は…」
と僕が言った後に、ヨルノさんが続ける。
「僕たちお砂糖になりました~」
パンさんが、手を震わせて、驚いた表情で頭を震わしている。事前に準備してたのかってくらいジェスチャーが上手だ。
パンさんがペンをとってきて、空中にすこし書きなぐるように、文字を書く。
「え!いつ!?」
ヨルノさんが答える。
「今週ねー、いろいろあってね~」
とこっちを見てくる。
「そうですね…いや、趣味が合ったので…」
と、パンさんがジト目でこっちを見てくる。そのあと、笑顔に表情を変えて、
「おめでとう」
と今度は丁寧に書き込んだ。
やっぱり関わってて気が合うのはこういう部分だ。ここで素直に祝ってくれる。
僕も僕で指を動かさずに笑顔になってしまった。人に素直に祝われるなんてすこし恥ずかしい。
「まあ、イトウさんとお砂糖になっただけで、パンさんとの関係はあんま変わんないけどね~」
とヨルノさんが言う。パンさんは笑顔のまま、両手を振り回して喜んだ。
「そうそう」
と今度はヨルノさんが僕に向かって話しかけてくる。
「指輪出来たよ~」
とヨルノさんが僕には見えないミニメニューを指先で選ぶと、軽快な電子音の効果音とともに、指輪が空中に出てきた。
空中に静止した指輪は、銀のねじれが入ったリングに、きれいな水色の宝石の中に写真のような模様が入っていた。
「これね~結構こだわったんだよ~」
「綺麗な水色ですけど、何の宝石なんです?」
「これね~、アクアマリンっていう宝石なんだ~、僕のアバターの目の色と、イトウさんのイメージカラーも水色だし」
「じゃあ、この模様は?」
と宙に浮いてる指輪を指さした
「ふふーふ、よく見てみて?」
と言われたので、近くに寄って注視してみると、気づいた。
模様ではなく本当の写真だった。しかも、これはあやめさんたちと4人で撮った遊園地の集合写真だ。
「遊園地の時の写真?」
「そう!僕たちが出会ったきっかけだし、指輪にしたら忘れないと思ってね~」
ヨルノさんがさらに付け足す
「それに、この写真も元々好きだしね」
と指輪を人差し指と中指でつまんで動かした。
半透明の写真は、アクアマリンの輝きと喧嘩することなく、調和している。むしろ僕から見たら引き立たせるように見えた。
「じゃあ、後でデータ送るからアバターにつけといて~」
と、ここで指輪の話題は終わった。
そのあとは、三人で雑談をした。映画がきっかけなことや、かなり意地悪な質問をパンさんがしてきたので、二人でパンさんを追いかけたりなどもした、なぜかとても楽しかった。
僕が中高生の時憧れていた、クラスの人達が放課後みたいだった。今はもう大学生で、放課後なんてないのに、不思議とそんな気がした。
捕まえたあと、一旦抜けてから、アバターに指輪をつけて、またログインして三人でまた雑談を楽しんでいた。
すると、僕の仮想空間内の通知欄が光る。どうやら、ちーくさんがこのインスタンスにジョインしてきたみたいだ。
駅の階段から、チークさんが座ったままの姿勢で浮いて近づいてきた。
「やっほ~」
とチークさんが挨拶してくる。
挨拶返すと、ヨルノさんから疑問が飛んでくる。
「あれイトウさんのフレンド?」
「そう、同期会であった人」
「よろしく~」
パンさんも手を振るが、パンさんのほうは見なかった。
チークさんは笑顔でヨルノさんに挨拶する。
「同じアバターなんだ~」
とヨルノさんが言う。
「そうそう、私ももラスクちゃん好きなんで!」
と、僕のほうを見てくる。
彼女の笑顔が一瞬途切れて、また笑顔になる
「あれ、イトウさんお砂糖してたんですか?」
彼女の視線は僕の薬指の指輪に向いていた。
「はい、今週になっちゃいました」
「え~おめでとうございます!」
「なんなら今隣にいます」
と言うと、ヨルノさんとお揃いの指輪を見せる。
「え~、割り込んじゃってすいません!」
「そんなことないですよ~」
とヨルノさんが言うが、彼女は
「じゃあ、私は抜けますね!」
「楽しんでください!」
と元気よく言ってインスタンスから抜けてしまった。
「あの人、なんかテンション高くない?」
「同期会で会ったときもあんな感じだったよ」
パンさんのほうを見ると、涙目で僕たちを見ていた。あの人に反応されなかったのが悲しかったらしい。そんなパンさんを二人で慰めながら、週末は終わった。
毎週毎週ヨルノさんとパンさんと、ときにはヨルノさんと二人きりで、ずっと仮想空間で会話をしていた。三人で年を越して、仮想空間上じゃなくても、オンラインゲームなどをやったこともあった。
気づけば大学四年生で、卒論も書かないといけないし、就活もしなければならない。仮想空間に入り浸りながら、レポートを書いたりしていた。さらにバイトも加わり、忙しくなる毎日でも、週末や平日の夜にたまにヨルノさんと身の上話したりするおかげで、全体的に見れば、幸せな毎日だった。
年始が終わり、気温が二桁になるとテレビで聞こえ始めた頃のことだった。
その日は、やけに強くヨルノさんに誘われて、SNSで開催されていた旅館のイベントに行った日だった。
実際の旅館をモチーフにしたワールドで、本当の女将さんのような人達が、何人かに分かれて客室みたいな所で踊りやおしゃべりなどを楽しめた。最後には参加者全員で集合写真を撮って終わった。貴重な体験を楽しめたと思いつつ、いつも通り、イベントの感想を話そうと三人のホームワールドに戻る。
玄関から廊下を歩き、リビングでまた団欒しながら、感想を話し合う、そう思っていた。
リビングまで歩いたそのとき、ヨルノさんがいつもとは違うトーンで話した。
「ごめん、二人に話しがあるんだ」
この口調は、あの夜と同じ声だった。
「一か月ぐらい、ログインできないかもしれない」
息をのんだ。普段は動きがうるさいパンさんも表情も変えないし、時が止まったように静止していた。
「急にごめん」
ヨルノさんの声のトーンに青が色づく。
「リアルが忙しくなって、帰ってこれるのも、いつになるかすらわからないんだけど…」
彼の声が揺れて、矢継ぎ早に言う
「イトウさんごめんね、お砂糖したのに」
なにか嫌な予感がする。
別れるわけじゃない、違う。自分に言い聞かせる。違う。
静かだった。頭が締め付けられる感覚が強くなる。
「大丈夫」
「必ず帰るから」
ほんとに?と言いたかったが、直後にそんな僕を殴りたかった。違う。僕が、ヨルノさんを信じないで、誰が信じるんだ。
「待ってます」
パンさんがペンをとって、空中に書き込む。
「待ってるよ~」
書き込んだ後、ヨルノさんの方を向いて微笑んだ。
そんなパンさんを見て、ヨルノさんは少し緊張の綻びが解けたようで、彼も笑顔になった。
「まあ一か月だしね~」
と、彼はさらに念を押した。
そして、一言。
「またね」
声のトーンは違えど、いつもの一言だった。
三か月後、彼は帰ってこなかった。
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